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【短編集】秀才監督生と天才イデア先輩



夕闇が迫るある日の放課後、晩夏といえどもまだ強い西日が差し込む廊下を三人と一匹は歩いていた。バラバラの歩幅を刻む彼らの中に、一際小さな靴が一組。テラコッタとネイビーの髪色に挟まれて、少女の真っ黒なショートカットが歩みに揺れる。肩の上にはグレーの獣が寝息を立てている。その両手に抱えているのは、午後の授業で使用した教科書やノート、文房具。そして、一枚の紙がぺらぺらと風に吹かれている。

「お前、一体どうやったら毎回抜き打ちテストで満点取れんだよ?」
「確かに……。やっぱり日頃から努力してるのか?」
「え、普通に授業受けてたら当たり前では」

悪気のない少女の返答に、テラコッタとネイビーの髪は大袈裟にため息を吐いて頭を抱える。ぺらり、と。風に煽られた白い紙に記されている『十点』という赤い文字。大きく描かれた赤い丸印。少女は先ほど行われた数学の抜き打ちテストにおいて、またもや満点を獲得したのだった。テラコッタの少年の紙には六点、ネイビーの少年の紙には三点という数字が刻まれている。

「いいじゃん。ふたりは魔法使えるんだから」
「それもそうだな!魔法使えるぶん、総合力では監督生には負けてねーし」
「い、いや。魔法以前に基礎学力は大事だぞ。僕も頑張らないと……」

監督生、と呼ばれた少女は正反対の言葉を返すふたりの少年にくすりと笑みを溢した。テラコッタの少年、エースはテスト用紙をぐしゃぐしゃと丸めてあっけらかんとした表情。ネイビーの少年、デュースは難しい顔をしてテスト用紙と睨めっこを始める。ふたりは同じハーツラビュル寮に属しているというのに、なにもかも真逆な性格をしていて面白い。しかし裏表のないところだけは共通していて、監督生はふたりとの肩の凝らない関係性を心地いいものに思っていた。

「ふふ。それなりの対価を貰えるなら教え」
「コレ、ちょっと借りるよ。グリム氏預かってて」

青い炎が一閃。テラコッタとネイビーの間をサファイアブルーが抜ける。ぐえ、と監督生からは呻き声がひとつ。サファイアブルーの持ち主、イデアの脇に首を挟まれた監督生はずるずると引き摺られていく。エースとデュースは気の毒そうな表情を浮かべるが、イデアの細長い身体に阻まれて監督生の視界に入ることはなかった。イデアは無防備に後頭部を晒している監督生に目をやる。ちらと苛立ちが滲んだその金の瞳も、監督生の視界に入ることはなかった。

「勉強を教えてあげるなんて随分と偉くなったもんだね。感心したよ」
「あ痛っ、イデア先輩……、貴方には関係ないじゃないですか。私になにか用でも?」

いつまでも引き摺られていては呼吸が苦しい。監督生が首に巻きついた腕を力尽くで引き剥がしにかかると、腕のロックは呆気なく外されて身体が床に投げ出される。咄嗟に取った受け身のおかげで床との顔面衝突は避けられたが、痛いものは痛い。何事もなかったようにつかつかと歩みを止めないイデアの後ろ姿を見て、監督生は一瞬逃走を図ろうかと考える。しかしこの男の機嫌を悪くして仕舞えば後始末に困る。ぼやけた視界の中、眼鏡を拾ってかけ直した監督生はイデアの背中を追って駆けて行く。

「あー……、いや。うん、そうそう。君が興味を持ちそうな数学の問題を思いついてね」
「だからって攫わないでくださいよ」
「満更でもなさそうな顔をしてる君が視界に入ったもんだから。ムカつくその鼻っ柱へし折ってやるよ」
「趣味悪……」

青くゆらゆらと揺れる炎に追いついた監督生が、早足の歩幅に合わせてぱたぱたと軽く走るようにして横に並ぶ。その姿を横目に捉えたイデアはにやつきそうになるのを堪えて、適当に思いついたことを口にした。数学の問題を思いついた、なんてことは嘘も嘘。しかし数学や物理、プログラミングなどの話題を出せば監督生が無視できないことをイデアは知っている。思惑通り、小言を並べながらも自分について歩く監督生。またにやつきそうになる口を意図的にきゅっと結んで、長い廊下を抜けて辿り着いたのは鏡舎。迷うことなくイグニハイド寮に繋がる鏡を潜り抜けたイデアの背中を追って、監督生は少し迷ってから鏡を抜ける。




連れてこられたのは勿論、イデアの自室。

「ほら、これこれ。解いてみなよ」
「字汚っ。あーはいはい、わかりましたってば」

机に向かったイデアは3秒ほど静止してから、論文の裏紙に文字を書き殴る。無言で監督生を引き連れて歩いている間に考えた数学の問題。監督生が解けるか解けないか、ぎりぎりのところを意地悪く攻めた数学の問題。監督生も馬鹿ではない。受け取った紙にのたくったミミズのような文字に目を通した瞬間、その意地悪さが透けて見えた。しかしこれで引き退るほど諦めの良い人間でもなかった。椅子に座って自分を見下ろすイデアをひと睨みしてから、ペンケースからお気に入りのシャープペンシルを取り出し、床に蹲って数学の中に意識を沈める。






「まだやってるの。もうゲームにも飽きてきたんだけど」
「ぐぬ……。あと少し、です」

小一時間ほど経っただろうか。齧り付くようにして問題を解き続ける監督生にイデアは声をかけた。あと少し、と漏らしながら計算する手を止めない監督生。自分が五分もかけずに考えた問題に夢中になって蹲る少女の姿を盗み見しては、イデアはにやにやと口を歪ませていた。しかし数学の世界に沈んだまま監督生の意識は一向に戻ってこない。身勝手にも苛立ちを覚えたイデアはひょい、と裏紙を取り上げた。

「あっ」
「んー?どれどれ……、フヒヒ、確かに解き方としては合ってるけどさ。この考え方だと計算に丸一日かかっちゃうよ?相変わらず頭が固いね。成長がみられない」
「ちょっと!まだ諦めてないです!返してくださいよ!」
「一体いつまで待たせるつもり?もうとっくに時間切れだよ」

取り返そうとする監督生を避けるようにしてイデアは立ち上がる。身長差が二〇センチほどある男に腕を伸ばされてはどうしようもない。しげしげと答案を眺めるイデアに文句をつけることしか監督生には出来なかった。イデアがぱきん、と指を鳴らすと燃え上がる紙。

「あーっ!」
「これに懲りたら勉強を教えてあげる、なんて思い上がった発言は二度とするな。ヒヒッ、君は頭が悪いんだから。君なんかに教えてもらう人が可哀想でならないよ」

がりがりがり、と自分が一生懸命書き連ねた答案が一瞬にして燃え上がり、思わず声を上げた監督生。名残惜しそうなその顔を見下して、イデアは釘を刺すように言葉を吐き出した。なにも言い返せない監督生の顔は悔しさに歪み、「――ッ!」と言葉にならない声を発して部屋を飛び出していく。イデアは後を追わない。ゆっくりと椅子に座り、展開したキーボードにコマンドを入力してエンターキーを叩くと、当たり前のようにモニターに映し出される監督生の姿。険しい顔をして、目線を左上にやりながら空中に指文字を描いている。きっと歩きながら思考を続けているのだろう。そんな様子から、オンボロ寮に帰った後も諦めずに問題を解き続ける姿が容易に想像できた。自分が生み出した問題で、吐き出した言葉で、しばらく頭がいっぱいになるであろう少女の未来に想いを馳せて、イデアは優越感の海に浸る。

とことこ、と息を弾ませていた監督生の足がぴたと止まった。

「……?うわっ」

次の瞬間、モニター越しにイデアと監督生の目がばちりと合う。安全圏から監督生を監視していたつもりのイデアは動転して思わず声を上げ、椅子から転げ落ちそうになった。自分が学園の防犯システムを掌握していて、いつでも防犯カメラの映像にアクセスできることなど監督生には言っていないはずだ。それなのに、なぜこの女は膨れっ面でじっと自分を睨み続けているのか。監督生から自分が見えていないことは百も承知だが、イデアもモニター上の監督生を睨みつけた。無駄な睨み合いが十秒ほど続いたのち、監督生はふっと勝ち誇ったように微笑んだ。

「イデア先輩、女の子を盗撮するなんて随分といい趣味してますね。感心しました」
「――ッ!は?はあ〜〜〜〜!?このっ、女」

モニター越しにあっかんべーをする監督生。そのしたり顔を見たイデアは怒りと羞恥が入り混じったなんとも情けない表情を作り、感情の吐け口を求めて机をがんがんと殴り始める。展開したモニターを殴ろうとして頭から机に雪崩落ちる。残念ながらそんな間抜けなイデアの様子を目にする術がない監督生は、肩で風を切ってイグニハイド寮を後にしたのだった。
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