学校編
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重い頭を起こして、天井を見上げた。恐らくだが、医務室の天井だ。以前萩原と来たときにボーっと見上げた覚えがあった。ぎしりとベッドから腰を上げると、慌てたように見覚えのある医務員が駆けこんだ。
曰く、まる一日寝込んでいたとのことで、医師に診てもらっても異常こそないが、今から病院に搬送しようかという話だったらしい。軽い問診を受けてみるものの、体調はすこぶる良かった。強いて言うなら眠りすぎたせいか、多少頭が重いだけだ。
「銃は警察官には必要な資格だからね。負けちゃいけないよ」
医務員は、私の肩を軽く叩いて強く励ましてくれる。
私は曖昧に笑い、鉄分のサプリだとかを受け取って寮に戻った。
ルームメイトは学習室に入るとわっと集まって、口々に良かったと告げてくれた。本当に良い子たちだ。女の子にチヤホヤされて嬉しいだなんてことは、墓場まで持って行こう。
しかし、私はそこで意外な事実を聞く。
「教官、あのとき松田くんと言い争ってて気づいてなくて。諸伏くんが反対側から走ってきてくれたんだよ。頭を押さえてたって言ったら、脳卒中かもってすぐ横に寝かせて、教官を呼んで……。すごい冷静な救命で、尊敬しちゃった」
おお、と私も話を聞きながら、目の前にはいない男へ拍手をおくった。まるで他人事のようだったのは、どこか他人事として見ている節があったせいだ。まあ、実際体はなんともないわけだし。
まさか精神病か、とも考えたが、自分のメンタルがそんな柔だとも思えない。鉄分を貰ったのだから、軽い貧血だ。きっと。
それでも、諸伏には礼を言わなければと思った。私も、そんな風に人を助けれるようになりたいものだ。
◇
朝の点呼を終え、食堂に着く。朝走のときは話せなかったので、私は諸伏の姿を探した――いや、正しくは降谷の姿を。彼らが二人揃っていることは想像できたし、何より降谷のほうが目につきやすいからだ。
案の定、席につく降谷と、そのほか伊達班のメンバーを見つけ――私はぎょっと目を見開く。降谷の横に座っているのは諸伏ではなく、見覚えのある癖毛頭だったのだ。おいおい、まさかまた喧嘩しているのかと思ったが、二人は案外和やかに談笑しているではないか。
「こ、こえぇ~……」
「あれ、高槻さん?」
後ろから軽い力でぶつかられる。長身の体に上を向くと、萩原がニコっと愛想よく笑った。彼が一つ空けて席につくから、私は自然とその空いた席に座った。味噌汁に箸をつけて、横に座った男はハハ、と乾いた目で私の奥の席を見た。
「ビックリしたでしょ、あれ」
「うん。なに? どっちか記憶喪失になったとか……」
「あっははは! 違う違う、ちょっと高槻さんがいない間にひと悶着ね」
そう広い肩を竦めると、ずずっと茶碗に口をつけ味噌汁を啜る。私がいない間、といっても、寝ていた一日と、目が覚めてから今日まで、合わせて二日しか経っていないが。本当に記憶でもなくしたのか――? ちらりと降谷と松田のほうを覗き見ると、何やら小難しい単語を飛び交わして盛り上がっているようだった。
萩原は、熱い味噌汁を喉に通すと、フゥー……と長く息をつき、まるで高齢の男のように落ち着き払った態度をした。
「まー、二人とも頭良いし、素直だし? 根っこは似てるのかもねぇ……」
「おじいちゃん、ちゃんと若返って」
「じいちゃんって、俺?」
私が深く、コックリと頷くと、萩原はゲラゲラと笑った。普段から愛想よく笑うのは知っているが、爆笑している所を見ると彼も男なのだと感じる――あまり上品でない笑い方だったので――。
ヒーヒーと苦しそうに息を繰り返す萩原に、笑いすぎじゃないかと思いながら焼き魚に手を伸ばす。
向かいの席に、トレイが置かれた。驚いたような声色に、降谷と松田も同時に振り返った。
「良かった、探してたんだ」
ニコリ、と吊り上がった目つきが垂れて笑った。
どくっと、やや大きく鼓動が高鳴る。可愛い顔をして笑うから、ドキっとしたのか? 不思議な気分だった。どちらかというと、もっと心臓をぎゅうっと絞られたような高鳴りだったが。
余韻の鼓動に、ぼうっとしていると、諸伏は心配したようにこちらを覗きこんだ。
「大丈夫? まだマラソンはよしたほうが良かったんじゃ……」
「あー、ううん。ごめん、ちょっとボーっとしちゃっただけ。めちゃ元気になってるし」
ごはん大盛りで頼んだし、と茶碗の中身を見せると、諸伏はほっと息をつくようにほほ笑む。やっぱり、不整脈なのかも――と考えたりはした。
「ていうか、ありがとうね。他の子に聞いたよ、諸伏くんが駆け寄ってくれたって」
「いや、良いんだ。銃構えたときから、ちょっと様子可笑しいなって思ってたから」
「諸伏くんも、やっぱ降谷くんと同類か……」
私は周りを見渡しながら銃の装填や確認を行っていたから分かるが、諸伏はよそ見などしていなかったと思う。撃ったのは教官の合図で同時だったが、構えたのは諸伏のほうが先だったし。どう考えても、前を見ながら横を覗いているとしか思えない。
私が呟くと、諸伏は疑問符を頭上に浮かべたように首を傾ぐ。
「ううん。何でもない。とにかく、ありがとうございました」
「……あの日も、そういう風だったな」
諸伏が懐かしむように言うので、今度は私が首を斜めにした。あの日、あの日――彼との思い出を遡って、浮かんだのは受験日のことだ。
白い息を吐いて、わざわざ反対側に向かっていた私を追ってきたのだと分かる男。確かに、今の彼のように、ほっとした顔で笑っていたような気がした。
「丁寧なお礼をする子だな、って。思ってたんだよ」
優し気な雰囲気が、尚蕩けるように温まる。彼の背後に見える緑の葉が、風に揺れてざわざわと揺れていた。
「ヒロ、だからそいつ性格悪いって」
「アホだしな」
意気投合したように松田と降谷が言葉を吐き出した。うるせえな、こいつら。降谷は私に対する『男好き』のレッテルを取り払ったようではあるが、それでも当たりが強い気がする。王子のようなルックスからは想像できないような、ガキじみた発言をすることがある。やはり、松田とは似たもの同士なのかもしれない。
「え、なになに。二人ってそーゆう感じ?」
萩原が、間延びした口調で私と諸伏を交互に見遣る。先に否定したのは諸伏のほうだ。
「違う違う。たまたま受験する日に会っただけだ」
「諸伏くんがナンパしてきたんだよね、覚えてるよ」
「ぜんっぜん違う記憶だよなソレ!? 萩原が信じるからやめてくれって」
「へぇ~……諸伏ちゃん、こういう子がタイプなんだぁ」
ニコニコと笑う萩原は、諸伏のほうをジっと見つめる。それから、長い髪を掻き上げたかと思うと、その色気たっぷりの顔つきでニヤっとニヒルに笑う。
「俺にしとかない?」
「待って。それ私に言うヤツじゃない? 諸伏くんに言うの違くね?」
「高槻さんはなあ~、ちょっと……」
男らしいし……。そう口ごもる萩原に、私はぶっと噴き出した。まるで本当にフラれたかのような気まずさだ。急によそよそしく視線を逸らす萩原がツボで、私は必死に横腹を押さえた。笑いすぎて声がでない。
男同士でクラスの女子を品評会していたときに、ちょうど当人が入ってきてしまった――そんな雰囲気だ。そして、これがまた演技が上手い。
「くぉら! 朝食をダラダラ食うんじゃねえ!」
という、伊達の鶴の一声が掛かるまで、私は笑い転げていた。その間にも降谷と松田はちゃちゃっと朝食を終えていて(ついでに、萩原も)、私は食べるのを待っていてくれたらしい諸伏と、急いで白米を掻き込むのだった。