警察編 ②
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私は外人の血が混ざった、やや歪な顔つきを写真で眺めた。
佐々木に渡された資料の中にあったその人物写真、私がクラブで会った男にそっくり――否、いっそそのままである。なんでも、そこそこ名の知れたタレントらしく、私と同僚の証言から割り出されるのは時間の問題だった。
数年前にブレイクしたタレントで、テレビ出演こそ減ったが一つ大きな持ち番組がある。私がこの課に配属される前から、良くない噂が漂っていた人物らしく、改造麻薬を売りさばいているとか、そういった疑惑まであるらしい。
佐々木は「今度こそあげてやる」と、目の奥を燃やしながら書類を捲っている。見る限り、彼の主なやり取りはやはりあのクラブの中だ。最初は売買を煙に巻くためかと思ったのだが、売却目的もあるのかもしれない。
私と、人員を増やして同僚二名、それからクラブの周囲を他の人員で固めた。もしどこかから逃げたとしても確実に足跡の一つ追えるように、近くの信号、路地は確実に。必ず単独行動は控えるようにと、それはもう何十回と言われた。――主にこちらに言われているような気がするのは、気の所為じゃあないだろう。
佐々木は外見に吊り合わず人の好い男で、逃げかえるように本庁に帰った私と同僚を、それはもう心配していたから。
心配を掛けてはいけないと思う反面、もし、伊達たちの言うように諸伏が近くにいたのなら――。また、心配を掛けてしまうかもしれない。申し訳ない気持ちで、会議をする厳つい横顔を眺めた。
一言で良い。たった一言、「俺は大丈夫」だと、そう笑ってくれたのなら。きっとそれで、この胸に渦巻く不安は消えるはずなのだ。私は自分に言い聞かせるように、一人頷いた。
◇
私はこの日のために買った、オフショルダーの白いワンピースを翻す。前と服を変えたのは、できればターゲットには見つかりたくないからだ。証拠を掴むというよりは、彼の足取りを辿ることが目的だ。相手は銃を持っているかもしれないので、できるだけ距離を取って監視をしていきたい。
なるべく前とは違う雰囲気を出したかったので、髪の毛も纏めて一つに括っている。以前のがクラブ慣れした遊び人だとしたら、誰かの付き添いできたタイプの子だ。別口から入ってきた松田にメールで説明をしたら、「どうでも良い」と切り捨てられた。
そう、私の目的は二つ。
大きく一つは、ターゲットの後をなるべく適切な距離でついて回ること。もし可能であれば、写真か音声の一つ収穫出来たら大僥倖だ。
もう一つは、このクラブに諸伏が関与している可能性を探すこと。これは近くにいる松田、萩原、伊達が目を光らせていてくれる。ターゲットがいる日とわざわざ重ねたのは、もし彼がサクラ――だとすれば怪しい人物がいる日にいる可能性があるのではと思ったからだ。
伊達も、松田も、萩原も――私も。聞きたいことは一つだった。何も言わずに、不穏なまま消えるようにいなくなった男に。
「今元気?」
――と、それだけ聞ければ十分だった。降谷にだってそうだ。他言できないことは分かっているけれど、あんなに急にいなくなったら、心配するのは当たり前だ。
「うん。当たり前だよね……」
それは、自分の心に向けて言った言葉だ。深く考えなくとも良いのだ、松田が言ったように、彼は友人だ。友人の心配をすることだって、声が聴きたくなることだって、消息を探すことだって、何もやましいことはない。
萩原だって、昨夜は諸伏の話をしていた。彼にとっても、諸伏は良き友人であったのだ。
手に持った安物のグラスの中で軽く酒を揺らしながら、呟くと、背後からクツリと笑う声があった。
ばっと振り向くと、長髪のセキュリティが片側の口角をニヤリと持ち上げている。
私はその姿に少しギクリとしながら、軽く会釈をする。
「こんばんは」
「前懲りたと思っていたが、思った以上にお転婆のようだ」
「良いでしょ、もう悪い男には引っ掛からないようにします」
「ホォー……、まあ、それが良い」
以前もそうだったが、わざわざ声を掛けてくるあたり、コイツのほうが私に気があるのではなんて考えた。男は華のある美形でスタイルも良く、クラブの中でも女性から声を掛けられることが多いように見えるが、案外和ロリ系が好きなのかもしれない。
「……? 今日はスタッフ辞めたんですか」
「今日は客さ。酒が飲みたくなってね」
彼の服装は、まるで闇に溶けるような真っ黒なシャツとパンツ。もとよりほっそりとした脚が尚更細く引き締まって見える。
「――今日は少し早く帰った方が良い」
「えぇー、連れないこと言いますね」
「さあ。お仕事だから無理かな? だが、これは忠告だぜ、お嬢さん」
私はぱっとその透き通った瞳を見上げた。翡翠色の中で、驚愕の表情を浮かべた私が溺れている。彼は少し挑発的に、片眉をクイっと吊り上げた。仕事、と言ったのだ、この男は。しかも、まるで私にそれがバレても良いと言うような口ぶりで。
――多分、ターゲット側の男ではない。今まさにターゲットに近づく他の警官がいるのに見向きもしていないし、今ここでバラす必要はない。なら、なんだ。どうして彼は私のことを知っている――?
ただの偶然だと思っていた出会いが、急に演技じみで思えてきた。いざとなったら手に持ったグラスを思い切り投げつけて逃げよう。私はなるべく、初撃を避けれるような距離を、ハイヒールでジリリと後ずさった。
――パンッ!
賑やかな音を裂くようにして、鼓膜を破るような発砲音がフロアを揺らした。
一瞬、静まり返った喧騒たちは、物事を理解すると同時に悲鳴に変わる。――銃声だ。私も、同僚たちも、伊達らも、すぐに近くの遮蔽物に身を隠す。
すぐ後ろには、先ほどまで警戒していたセキュリティの男が控えていた。できればこの男とも一緒にはいたくないが、この様子であれば、少なくとも銃声と彼は無関係のようだ。
「Well done(お見事)!」
男は一言そう言い放つと、その長い脚で傍のソファをひょいっと飛び越えていく。私は迷ったが、同僚たちが一般人を誘導してくれているのを一瞥してから、彼の後を追う。ターゲットの男ではない。奥にいたのは、それよりも一回りほど年配の男だ。
「……死んでる」
眉と眉の間、鼻の付け根を一撃。
脈を確かめる間もなく、男がVIPソファに寄りかかるようにして亡くなっているのは確実だった。あまりに綺麗に、映画のように撃ちぬかれたシルエットは、死の香りを薄れさせる。
「サツだ! サツが撃った!!」
と、声を上げたのはターゲットであるはずの男だった。
違う。弾痕からして、拳銃よりもずっと細い口径だ。ターゲットの男がベレッタを取り出したのを、後ろにいた伊達ががつんと叩き落とした。外に逃げた一般客たちを見て、外で待機していた警官たちが一斉に押し掛ける。
私は周囲を見渡した。あの男がいない。
違う、違う、違う! 撃ったのは警察じゃない、もっと細い――例えばライフル銃のような。あの男の、知ったような口ぶりから、きっとこの男が死ぬことは計画されていたのだ。でも、撃ったのはあの男ではない。
「百花ちゃん!」
萩原が駆け寄る。身を案じてくれる彼に軽く笑いかけてから、しかし私の頭は全く別のことを考えていた。
もしこれが計画的なもので、例えば、ずっとその時を待っていたのなら。あの男が犯人の仲間で、私を警察だと分かって――あの場所で留めていたのなら。狙うなら、一階のフロアじゃ駄目だ。さすがに遮蔽物が少なすぎるし、大きなライフルのようなものは目立ちすぎる。もっと、闇に溶け込むような場所じゃないと。
私は勢いよく上を見上げた。このクラブは、吹き抜けになるように二階、三階がある。二階はスタッフルーム、三階は照明器具が置かれた設備用の階。殺された男の部下だろうか、飛び交う怒声を潜り抜けるように、私はそばの階段に足を掛ける。
階段を上がろうとした時、逃げるような足音が、頭上から響くのが分かった。カンカンカン、と欄干を鳴らす。下に降りてくれないなら、登るしかない。
「百花ちゃん」
ぐっと、登ろうとする私の手首を萩原が強い力で掴む。私はそれに一度足を止めた。しかし、僅かに迷った後、一言「ごめん」と謝り、その手を思い切り振り解いた。多分、彼は振り解かれるとは思っていなかったのだ。思いのほかすんなりと外れた手で手すりを掴み、私は勢いよく、その階段を登った。
佐々木に渡された資料の中にあったその人物写真、私がクラブで会った男にそっくり――否、いっそそのままである。なんでも、そこそこ名の知れたタレントらしく、私と同僚の証言から割り出されるのは時間の問題だった。
数年前にブレイクしたタレントで、テレビ出演こそ減ったが一つ大きな持ち番組がある。私がこの課に配属される前から、良くない噂が漂っていた人物らしく、改造麻薬を売りさばいているとか、そういった疑惑まであるらしい。
佐々木は「今度こそあげてやる」と、目の奥を燃やしながら書類を捲っている。見る限り、彼の主なやり取りはやはりあのクラブの中だ。最初は売買を煙に巻くためかと思ったのだが、売却目的もあるのかもしれない。
私と、人員を増やして同僚二名、それからクラブの周囲を他の人員で固めた。もしどこかから逃げたとしても確実に足跡の一つ追えるように、近くの信号、路地は確実に。必ず単独行動は控えるようにと、それはもう何十回と言われた。――主にこちらに言われているような気がするのは、気の所為じゃあないだろう。
佐々木は外見に吊り合わず人の好い男で、逃げかえるように本庁に帰った私と同僚を、それはもう心配していたから。
心配を掛けてはいけないと思う反面、もし、伊達たちの言うように諸伏が近くにいたのなら――。また、心配を掛けてしまうかもしれない。申し訳ない気持ちで、会議をする厳つい横顔を眺めた。
一言で良い。たった一言、「俺は大丈夫」だと、そう笑ってくれたのなら。きっとそれで、この胸に渦巻く不安は消えるはずなのだ。私は自分に言い聞かせるように、一人頷いた。
◇
私はこの日のために買った、オフショルダーの白いワンピースを翻す。前と服を変えたのは、できればターゲットには見つかりたくないからだ。証拠を掴むというよりは、彼の足取りを辿ることが目的だ。相手は銃を持っているかもしれないので、できるだけ距離を取って監視をしていきたい。
なるべく前とは違う雰囲気を出したかったので、髪の毛も纏めて一つに括っている。以前のがクラブ慣れした遊び人だとしたら、誰かの付き添いできたタイプの子だ。別口から入ってきた松田にメールで説明をしたら、「どうでも良い」と切り捨てられた。
そう、私の目的は二つ。
大きく一つは、ターゲットの後をなるべく適切な距離でついて回ること。もし可能であれば、写真か音声の一つ収穫出来たら大僥倖だ。
もう一つは、このクラブに諸伏が関与している可能性を探すこと。これは近くにいる松田、萩原、伊達が目を光らせていてくれる。ターゲットがいる日とわざわざ重ねたのは、もし彼がサクラ――だとすれば怪しい人物がいる日にいる可能性があるのではと思ったからだ。
伊達も、松田も、萩原も――私も。聞きたいことは一つだった。何も言わずに、不穏なまま消えるようにいなくなった男に。
「今元気?」
――と、それだけ聞ければ十分だった。降谷にだってそうだ。他言できないことは分かっているけれど、あんなに急にいなくなったら、心配するのは当たり前だ。
「うん。当たり前だよね……」
それは、自分の心に向けて言った言葉だ。深く考えなくとも良いのだ、松田が言ったように、彼は友人だ。友人の心配をすることだって、声が聴きたくなることだって、消息を探すことだって、何もやましいことはない。
萩原だって、昨夜は諸伏の話をしていた。彼にとっても、諸伏は良き友人であったのだ。
手に持った安物のグラスの中で軽く酒を揺らしながら、呟くと、背後からクツリと笑う声があった。
ばっと振り向くと、長髪のセキュリティが片側の口角をニヤリと持ち上げている。
私はその姿に少しギクリとしながら、軽く会釈をする。
「こんばんは」
「前懲りたと思っていたが、思った以上にお転婆のようだ」
「良いでしょ、もう悪い男には引っ掛からないようにします」
「ホォー……、まあ、それが良い」
以前もそうだったが、わざわざ声を掛けてくるあたり、コイツのほうが私に気があるのではなんて考えた。男は華のある美形でスタイルも良く、クラブの中でも女性から声を掛けられることが多いように見えるが、案外和ロリ系が好きなのかもしれない。
「……? 今日はスタッフ辞めたんですか」
「今日は客さ。酒が飲みたくなってね」
彼の服装は、まるで闇に溶けるような真っ黒なシャツとパンツ。もとよりほっそりとした脚が尚更細く引き締まって見える。
「――今日は少し早く帰った方が良い」
「えぇー、連れないこと言いますね」
「さあ。お仕事だから無理かな? だが、これは忠告だぜ、お嬢さん」
私はぱっとその透き通った瞳を見上げた。翡翠色の中で、驚愕の表情を浮かべた私が溺れている。彼は少し挑発的に、片眉をクイっと吊り上げた。仕事、と言ったのだ、この男は。しかも、まるで私にそれがバレても良いと言うような口ぶりで。
――多分、ターゲット側の男ではない。今まさにターゲットに近づく他の警官がいるのに見向きもしていないし、今ここでバラす必要はない。なら、なんだ。どうして彼は私のことを知っている――?
ただの偶然だと思っていた出会いが、急に演技じみで思えてきた。いざとなったら手に持ったグラスを思い切り投げつけて逃げよう。私はなるべく、初撃を避けれるような距離を、ハイヒールでジリリと後ずさった。
――パンッ!
賑やかな音を裂くようにして、鼓膜を破るような発砲音がフロアを揺らした。
一瞬、静まり返った喧騒たちは、物事を理解すると同時に悲鳴に変わる。――銃声だ。私も、同僚たちも、伊達らも、すぐに近くの遮蔽物に身を隠す。
すぐ後ろには、先ほどまで警戒していたセキュリティの男が控えていた。できればこの男とも一緒にはいたくないが、この様子であれば、少なくとも銃声と彼は無関係のようだ。
「Well done(お見事)!」
男は一言そう言い放つと、その長い脚で傍のソファをひょいっと飛び越えていく。私は迷ったが、同僚たちが一般人を誘導してくれているのを一瞥してから、彼の後を追う。ターゲットの男ではない。奥にいたのは、それよりも一回りほど年配の男だ。
「……死んでる」
眉と眉の間、鼻の付け根を一撃。
脈を確かめる間もなく、男がVIPソファに寄りかかるようにして亡くなっているのは確実だった。あまりに綺麗に、映画のように撃ちぬかれたシルエットは、死の香りを薄れさせる。
「サツだ! サツが撃った!!」
と、声を上げたのはターゲットであるはずの男だった。
違う。弾痕からして、拳銃よりもずっと細い口径だ。ターゲットの男がベレッタを取り出したのを、後ろにいた伊達ががつんと叩き落とした。外に逃げた一般客たちを見て、外で待機していた警官たちが一斉に押し掛ける。
私は周囲を見渡した。あの男がいない。
違う、違う、違う! 撃ったのは警察じゃない、もっと細い――例えばライフル銃のような。あの男の、知ったような口ぶりから、きっとこの男が死ぬことは計画されていたのだ。でも、撃ったのはあの男ではない。
「百花ちゃん!」
萩原が駆け寄る。身を案じてくれる彼に軽く笑いかけてから、しかし私の頭は全く別のことを考えていた。
もしこれが計画的なもので、例えば、ずっとその時を待っていたのなら。あの男が犯人の仲間で、私を警察だと分かって――あの場所で留めていたのなら。狙うなら、一階のフロアじゃ駄目だ。さすがに遮蔽物が少なすぎるし、大きなライフルのようなものは目立ちすぎる。もっと、闇に溶け込むような場所じゃないと。
私は勢いよく上を見上げた。このクラブは、吹き抜けになるように二階、三階がある。二階はスタッフルーム、三階は照明器具が置かれた設備用の階。殺された男の部下だろうか、飛び交う怒声を潜り抜けるように、私はそばの階段に足を掛ける。
階段を上がろうとした時、逃げるような足音が、頭上から響くのが分かった。カンカンカン、と欄干を鳴らす。下に降りてくれないなら、登るしかない。
「百花ちゃん」
ぐっと、登ろうとする私の手首を萩原が強い力で掴む。私はそれに一度足を止めた。しかし、僅かに迷った後、一言「ごめん」と謝り、その手を思い切り振り解いた。多分、彼は振り解かれるとは思っていなかったのだ。思いのほかすんなりと外れた手で手すりを掴み、私は勢いよく、その階段を登った。