警察編 ②
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セピアがかった、懐かしい景色を見た。
それは前世とかでなく、私自身の昔の思い出だ。――思い出、といっても、昔にはあまり思い入れはなくて、家族と過ごした時間以外の印象は限りなく薄い。だからかは分からないが、浮かぶ人物は皆顔がぼやけているように思い出せた。
のらくらと過ごした幼少期、喧嘩もせず、波風もたてず。正真正銘〝手のかからない子〟だった。しかし、大人びて澄ましていたがあまりに、私と同年代の子たちには壁があった。否、私が作っていたのかもしれない。
苛めとまではいかないけれど、親が心配しだすまで友人という友人もいなかった私を、クラスの子たちは遠巻きに眺めていた気がする。
ちょうどその頃だったかなあ。いつも一緒に帰る通学路の女の子たちが、私を避け始めたのは。
私たちの通学路は途中の住宅街に小さな公園があって、その公園が解散場所だった。そこまでは皆で一緒に集団下校して、そこから皆散り散りに住宅街に向かうのだ。大抵、その公園で適当に遊びながら帰る――もちろん、寄り道は禁止されていたけれど――というのが、子どもたちの習慣だった。
たぶん、年頃の子がやるような、可愛いものだった。当時の私は小学校高学年ほどで、女の子たちにもそういう意識が強く芽生える時期だ。私以外の子たちみんなでお揃いのキーホルダーを買って、それを見せつけたり。じゃんけんでイチャモンをつけられて訳も分からないまま荷物を持たされたり。
正直、怒れもしなかったのだ。
私からすれば「はいはい」というくらいの気持ちで、母親の前でやると心配するので、そうじゃなきゃどうでも良かった。赤ん坊に叩かれたってムカつかないのと同じだ。
「――そういうの、良くないよ」
と、誰かが言った。
いつもの公園で、初めて見る男の子だ。私たちよりも少し年上なのは、身に着けた真っ黒な学ランが物語っていた。顔はよく思い出せないけど、ずいぶん落ち着き払って、しかしハッキリした物の言い方が、いくら中学生といっても大人びたように聞こえた。
その制服を見て、少し怯んだような女の子たちが、蜘蛛の子を散らすように家のほうへとつま先を向ける。私は慌ててその背中たちを呼び止めた。このまま帰しては、明日からの溝が深くなるばかりだ。
「明日……また遊ぼうね。私もみんなと同じキーホルダー欲しいし」
ニコっとランドセルを抱えて笑うと、彼女たちはほんのりと頬を綻ばせた。
大きく手を振って見送ると、傍に立っていた少年は驚いたように私を見る。私はちょっとだけ気まずく、しかし助けてくれたことには頭を下げた。ランドセルの中で、筆箱がガチャリと転がる。
「ありがとうございました」
「ううん。ごめん、何だか邪魔しちゃったみたい」
「大丈夫、実際ハブられてたし。助かったよ」
「放っておけなかっただけなんだ。友達に似ててさ」
真っ先に誰かを守りにいく背中に、色濃く覚えていた、あの時の女性警官を思い浮かべる。あの人も――。私はそれに、自然と頬が緩んだ。
「すごいね、正義のヒーローみたいだ」
と、笑った私に、思い出せない顔の少年が薄っすらと頬を赤らめたのを、覚えている。
◇
「――高槻。おい、高槻」
ぶっきらぼうな声が頭を揺すって、私は意識を浮上させた。まだ頭がほんのり痛んだが、こつんと首筋にくっつけられた缶ジュースの冷たさにビクっと体が跳ね、ばっと時計を見上げる。良かった、まだ昼休憩は終わっていない。
私は涎の被害を被りそうになった書類たちを纏めて、隅を机で揃えながら缶ジュースのほうを振り向いた。松田と伊達が、よ、と軽く手を挙げた。伊達はともかく、松田が本庁にいるのは珍しい。いくら警視庁所属とはいえ、機動隊の基本的な仕事は訓練とも言える。――まあ、彼がよく萩原にちょっかいを掛けに、捜査一課へ訪れているのは小耳にはさんでいるものの。
「ごめん、寝てた」
「見りゃ分かる。今ちょっと良いか」
「良いけど……ここで大丈夫?」
私は周囲を見渡す。寝入っていた場所は思い切りソタイのデスクだったので、松田は時計をチラリと見遣ってから、顎で扉のほうをしゃくった。周囲から「悪だくみすんなよー」「伊達頼んだぞ」という言葉を聞いていると、松田の悪名はここまで轟いているようだ。
私は缶ジュースを片手に喫煙所のパイプベンンチに腰を掛け、そのプルタブを引く。この中で喫煙者は松田のみだったが、伊達も付き合い程度には慣れていたし、私も別に煙草の匂いは嫌いじゃなかった。
松田はポケットから、学校時代から変わらない銘柄を一本取り出すと、口の端に加え、ライターで火を点ける。一度、衝立の中を煙で満たしてから、彼はもごもごとした発音で言葉を切り出す。
「お前、諸伏のこと知る気ってある?」
ごくっと飲み込んだジュースが気管の方に入り込んで、私は一度ゴホっと咳き込んでしまった。もしかすると、今一番振られたくない話題だったかもしれない。自分の顔の強張りを隠すまで、数秒掛かった。
勿論松田と伊達がそんな表情を見逃すわけもなく、伊達は軽く後頭部を掻いた。
「いや、正直お前に話すかは悩んだんだ。もう忘れたかったら、そのまま忘れてくれ」
「……萩原には?」
「言わねえわけないだろ。恋敵の前に友人だ」
――確かに、そうだ。私は自分の心の表面に浮いた、〝知りたくない〟という気持ちを恥じた。前も思ったじゃないか、無事を確認出来たら良いと。それに、何ら後ろめたいことなどない。
私は浮かんだ淀み切った油のような、嫌な気持ちを振り払って、松田のほうへ向き直る。
「知りたい……。所属とか、言えないことなのかもしれないけど、元気かどうかだけでも」
「――良し、決まりだ」
松田はそう告げると、先ほどよりも一段声を落とした。三人が顔を寄せないと、あたりには聞こえないくらいのトーンだ。まだ、いつもよりも鼓動が五月蠅く鳴っていたけど、それを落ち着けるようにその声に神経を集中させた。
「この間、伊達が担当した事件なんだがな」
「ああ。事件自体はそれほど長引いた物じゃないんだが、人質がいたんだ。小学三年生の女児が一人。でも、俺たちが押し入った時には犯人は気絶していた」
「それって、第三者がいたってこと?」
私が尋ねれば、伊達はこくりと頷いた。三白眼が一度周囲を見回し、再び口を開く。
「だが、犯人はその第三者のことをしゃべろうとはしない。急に気を失ったと怯えたように言うばっかりで、とてもじゃないが……。彼は確実に脳震盪を起こしていたし、現場には外靴の足跡が残っていた。殆ど意図的に掻き消されて、踵部分しか見当たらなかったが」
「そこで、その人質だ。言うには、〝お兄ちゃんが助けてくれた。優しいお兄ちゃんで、キラキラした髪の人と一緒だった〟って」
一緒、と私はその言葉の語尾を反復する。そして、同じくらい少女の言葉と、前の犯人の言動に不一致を感じた。確かに、もしかしたら諸伏なのかもしれない、と私は思う。もし、彼が以前言ったような〝サクラ〟だとするなら、名乗れないのは当たり前だ。
しかし、あの諸伏が、人が怯えるようなことを――するかと言われたら、想像はつかなかった。
私は少し迷いながら、しかし先日のことを二人に話した。ソタイもそうだが、こういった操作事情を他課に話すのはあまり良いことではない。事件の内容には軽く触れる程度で、主にはセキュリティの男のことと、聞こえた声のこと。
どちらも、それが諸伏だと決めつけるには怪しい証言だ。だが三人で総じて言うには、「これは勘だ」――と。私はもう一度、張り込みの際に例のセキュリティに尋ねてみることを、彼らに提案した。伊達はやや渋った様子で、「ソイツに身分を隠している可能性もあるだろ」と顎を擦る。
「確かに、その可能性はあるな。……どこのクラブだっつったか」
私がそのクラブの名前を答えると、松田は軽く携帯を開き、「俺も行く」と言った。
「客として入りゃ問題ねーだろ。そっちの仕事には関与しねえよ」
いやいや、と伊達と顔を見合わせたが、松田はこう言いだしたら駄目だ。彼が「行く」と言えば、「行く」のだ。暗黙のルールなど、彼にはあってないようなものだ。アクセルしかついていない脳みそを止められるのは、幼馴染である萩原しかいない。――となれば、もしもの時のために萩原も必要だとして。
私はチラっと伊達を見遣る。彼は用事の先をガジガジと歯で噛みながら、口角を僅かに上げた。
「ま、しょうがねえな」
と、彼の表情は何故だか清々しくも思える。私は「これだから鬼塚教場は」と大袈裟に肩を竦めてみせた。
それは前世とかでなく、私自身の昔の思い出だ。――思い出、といっても、昔にはあまり思い入れはなくて、家族と過ごした時間以外の印象は限りなく薄い。だからかは分からないが、浮かぶ人物は皆顔がぼやけているように思い出せた。
のらくらと過ごした幼少期、喧嘩もせず、波風もたてず。正真正銘〝手のかからない子〟だった。しかし、大人びて澄ましていたがあまりに、私と同年代の子たちには壁があった。否、私が作っていたのかもしれない。
苛めとまではいかないけれど、親が心配しだすまで友人という友人もいなかった私を、クラスの子たちは遠巻きに眺めていた気がする。
ちょうどその頃だったかなあ。いつも一緒に帰る通学路の女の子たちが、私を避け始めたのは。
私たちの通学路は途中の住宅街に小さな公園があって、その公園が解散場所だった。そこまでは皆で一緒に集団下校して、そこから皆散り散りに住宅街に向かうのだ。大抵、その公園で適当に遊びながら帰る――もちろん、寄り道は禁止されていたけれど――というのが、子どもたちの習慣だった。
たぶん、年頃の子がやるような、可愛いものだった。当時の私は小学校高学年ほどで、女の子たちにもそういう意識が強く芽生える時期だ。私以外の子たちみんなでお揃いのキーホルダーを買って、それを見せつけたり。じゃんけんでイチャモンをつけられて訳も分からないまま荷物を持たされたり。
正直、怒れもしなかったのだ。
私からすれば「はいはい」というくらいの気持ちで、母親の前でやると心配するので、そうじゃなきゃどうでも良かった。赤ん坊に叩かれたってムカつかないのと同じだ。
「――そういうの、良くないよ」
と、誰かが言った。
いつもの公園で、初めて見る男の子だ。私たちよりも少し年上なのは、身に着けた真っ黒な学ランが物語っていた。顔はよく思い出せないけど、ずいぶん落ち着き払って、しかしハッキリした物の言い方が、いくら中学生といっても大人びたように聞こえた。
その制服を見て、少し怯んだような女の子たちが、蜘蛛の子を散らすように家のほうへとつま先を向ける。私は慌ててその背中たちを呼び止めた。このまま帰しては、明日からの溝が深くなるばかりだ。
「明日……また遊ぼうね。私もみんなと同じキーホルダー欲しいし」
ニコっとランドセルを抱えて笑うと、彼女たちはほんのりと頬を綻ばせた。
大きく手を振って見送ると、傍に立っていた少年は驚いたように私を見る。私はちょっとだけ気まずく、しかし助けてくれたことには頭を下げた。ランドセルの中で、筆箱がガチャリと転がる。
「ありがとうございました」
「ううん。ごめん、何だか邪魔しちゃったみたい」
「大丈夫、実際ハブられてたし。助かったよ」
「放っておけなかっただけなんだ。友達に似ててさ」
真っ先に誰かを守りにいく背中に、色濃く覚えていた、あの時の女性警官を思い浮かべる。あの人も――。私はそれに、自然と頬が緩んだ。
「すごいね、正義のヒーローみたいだ」
と、笑った私に、思い出せない顔の少年が薄っすらと頬を赤らめたのを、覚えている。
◇
「――高槻。おい、高槻」
ぶっきらぼうな声が頭を揺すって、私は意識を浮上させた。まだ頭がほんのり痛んだが、こつんと首筋にくっつけられた缶ジュースの冷たさにビクっと体が跳ね、ばっと時計を見上げる。良かった、まだ昼休憩は終わっていない。
私は涎の被害を被りそうになった書類たちを纏めて、隅を机で揃えながら缶ジュースのほうを振り向いた。松田と伊達が、よ、と軽く手を挙げた。伊達はともかく、松田が本庁にいるのは珍しい。いくら警視庁所属とはいえ、機動隊の基本的な仕事は訓練とも言える。――まあ、彼がよく萩原にちょっかいを掛けに、捜査一課へ訪れているのは小耳にはさんでいるものの。
「ごめん、寝てた」
「見りゃ分かる。今ちょっと良いか」
「良いけど……ここで大丈夫?」
私は周囲を見渡す。寝入っていた場所は思い切りソタイのデスクだったので、松田は時計をチラリと見遣ってから、顎で扉のほうをしゃくった。周囲から「悪だくみすんなよー」「伊達頼んだぞ」という言葉を聞いていると、松田の悪名はここまで轟いているようだ。
私は缶ジュースを片手に喫煙所のパイプベンンチに腰を掛け、そのプルタブを引く。この中で喫煙者は松田のみだったが、伊達も付き合い程度には慣れていたし、私も別に煙草の匂いは嫌いじゃなかった。
松田はポケットから、学校時代から変わらない銘柄を一本取り出すと、口の端に加え、ライターで火を点ける。一度、衝立の中を煙で満たしてから、彼はもごもごとした発音で言葉を切り出す。
「お前、諸伏のこと知る気ってある?」
ごくっと飲み込んだジュースが気管の方に入り込んで、私は一度ゴホっと咳き込んでしまった。もしかすると、今一番振られたくない話題だったかもしれない。自分の顔の強張りを隠すまで、数秒掛かった。
勿論松田と伊達がそんな表情を見逃すわけもなく、伊達は軽く後頭部を掻いた。
「いや、正直お前に話すかは悩んだんだ。もう忘れたかったら、そのまま忘れてくれ」
「……萩原には?」
「言わねえわけないだろ。恋敵の前に友人だ」
――確かに、そうだ。私は自分の心の表面に浮いた、〝知りたくない〟という気持ちを恥じた。前も思ったじゃないか、無事を確認出来たら良いと。それに、何ら後ろめたいことなどない。
私は浮かんだ淀み切った油のような、嫌な気持ちを振り払って、松田のほうへ向き直る。
「知りたい……。所属とか、言えないことなのかもしれないけど、元気かどうかだけでも」
「――良し、決まりだ」
松田はそう告げると、先ほどよりも一段声を落とした。三人が顔を寄せないと、あたりには聞こえないくらいのトーンだ。まだ、いつもよりも鼓動が五月蠅く鳴っていたけど、それを落ち着けるようにその声に神経を集中させた。
「この間、伊達が担当した事件なんだがな」
「ああ。事件自体はそれほど長引いた物じゃないんだが、人質がいたんだ。小学三年生の女児が一人。でも、俺たちが押し入った時には犯人は気絶していた」
「それって、第三者がいたってこと?」
私が尋ねれば、伊達はこくりと頷いた。三白眼が一度周囲を見回し、再び口を開く。
「だが、犯人はその第三者のことをしゃべろうとはしない。急に気を失ったと怯えたように言うばっかりで、とてもじゃないが……。彼は確実に脳震盪を起こしていたし、現場には外靴の足跡が残っていた。殆ど意図的に掻き消されて、踵部分しか見当たらなかったが」
「そこで、その人質だ。言うには、〝お兄ちゃんが助けてくれた。優しいお兄ちゃんで、キラキラした髪の人と一緒だった〟って」
一緒、と私はその言葉の語尾を反復する。そして、同じくらい少女の言葉と、前の犯人の言動に不一致を感じた。確かに、もしかしたら諸伏なのかもしれない、と私は思う。もし、彼が以前言ったような〝サクラ〟だとするなら、名乗れないのは当たり前だ。
しかし、あの諸伏が、人が怯えるようなことを――するかと言われたら、想像はつかなかった。
私は少し迷いながら、しかし先日のことを二人に話した。ソタイもそうだが、こういった操作事情を他課に話すのはあまり良いことではない。事件の内容には軽く触れる程度で、主にはセキュリティの男のことと、聞こえた声のこと。
どちらも、それが諸伏だと決めつけるには怪しい証言だ。だが三人で総じて言うには、「これは勘だ」――と。私はもう一度、張り込みの際に例のセキュリティに尋ねてみることを、彼らに提案した。伊達はやや渋った様子で、「ソイツに身分を隠している可能性もあるだろ」と顎を擦る。
「確かに、その可能性はあるな。……どこのクラブだっつったか」
私がそのクラブの名前を答えると、松田は軽く携帯を開き、「俺も行く」と言った。
「客として入りゃ問題ねーだろ。そっちの仕事には関与しねえよ」
いやいや、と伊達と顔を見合わせたが、松田はこう言いだしたら駄目だ。彼が「行く」と言えば、「行く」のだ。暗黙のルールなど、彼にはあってないようなものだ。アクセルしかついていない脳みそを止められるのは、幼馴染である萩原しかいない。――となれば、もしもの時のために萩原も必要だとして。
私はチラっと伊達を見遣る。彼は用事の先をガジガジと歯で噛みながら、口角を僅かに上げた。
「ま、しょうがねえな」
と、彼の表情は何故だか清々しくも思える。私は「これだから鬼塚教場は」と大袈裟に肩を竦めてみせた。