学校編
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入校から、早くも一か月が経とうとしている。
術科も座学も、余計なことは教わらない。すべて警官になったときに必要となる知識ばかりなので、日々食いつくことに必死だ。点呼の織りに教官からいびられることも(――当社比)少なくなってきた。
からりと晴れてはいるが、そろそろ長ズボンだと暑さを感じる。新緑がキラキラと日を浴びて揺れる季節だった。術科棟へ背筋を伸ばして移動する。今日は初めての射撃訓練だ。
確かに前世でも、軽い犯罪くらい経験はあったが、せいぜい町のゴロツキAというレベルだ。モデルガンはあっても、実銃を手に取ったことはなかった。周りの同級生たちも、些か緊張した面持ちだ。
その中で、ひときわ目立っていたのは松田だった。
彼はいつもと変わらず――否、いつも以上に目を輝かせて、普段など欠伸をしながら最後尾をだらだら歩いてくるというのに、キビキビといち早く訓練場に入室したのだ。
「失礼しまぁす!」
調子よく大きな声をだす松田に、隣にいる萩原が苦笑いしながら頭を下げた。
伊達班――たった一か月だったが、彼らは同期のなかでも目立つ存在だ。総代である降谷は語ることもないが、伊達も降谷に負けずの優秀さであったし、松田は常に気だるげな割にオールマイティに有能で、萩原は軟派な性格だが世渡り上手、諸伏も術科の中でも特殊なもの――事情聴取や現場保管など――では際立った能力を見せていた。
その割に仲が悪いことでも有名だ。諸伏と降谷、松田と萩原は元よりの友人らしいが、伊達がいないところで彼ら五人が集まるのを見たことがない。原因は――。
「フン、よくもまあ、そんなにはしゃぐよな」
「ア? 坊ちゃんが、なんかあるなら直接言えよ」
「なら言ってやる、勤務時間にそうも浮かれた言動は慎めと――……!」
降谷と松田、二人の相性の悪さだ。それぞれの保護者が苦笑いしながら「ウチの子がすみません」と冗談めかして回収する。
「ふ、ウチの子って」
他の女子生徒が気まずく見守る中、引きずられていく子ども二人が滑稽でついつい鼻から息が漏れる。ルームメイトが「笑っちゃまずいよ」と注意してくれたので、素直に謝った。
「高槻!」
よく響く声が遠くから聞こえた。降谷だ。――なんという地獄耳だ。私は女子の中に紛れていたというのに、鋭く色素の薄い虹彩がこちらを睨みつける。
「おいおい、女の子を睨むなよ」
怖がるだろ、と萩原が降谷を宥めた。同期の女子たちの中でも、「優しいしレディファーストだし」と人気があることを、出会った後に知った。裏切られた気分だ(別に裏切っちゃあいないが)。
私はそそくさと、彼らから一番離れた場所に移動した。降谷は一度文句を垂れると、教官ばりの説教をすることを一か月で学んだからだ。
この間など、書類作成の授業で「字が汚い」ことについて、夜食の時間めいっぱいに怒られた。しょうがない、字は前世の手癖で覚えているので、国語の授業などろくすっぽ聞いていなかったから。
そうこうしているうちに、教官が入室した。全員で起立し、講義が始まる。
教官はまず、空砲のリボルバーを列の両端から生徒に回した。私たちが手に取って順々に回す間に、説明が進んでいく。
「知っている者も多いと思うが、警察官が使用する多くはこのモデルだ。三十八口径、五連発のリボルバー。S&W社のリボルバーを日本警察独自に改修したもので、M360J――」
教官は一度呼吸を溜め、それから言葉を続けた。
「SAKURA――……サクラ、と言う」
ちょうどその時に、前の子から銃が回ってきた。空砲といえど、モデルガンよりずっしりとした銃身をしている。触ったかんじは冷たく、金属の塊といった印象だった。試しにドラマで見たようにシリンダーを取り出してみる。当たり前だが、銃弾は詰まっていなかった。
「機動隊やそのほか例外はオートマチックを持ち歩くこともあるが、まずは基本的なリボルバーから教えていく。高槻、見たら回せ」
「あ、はい!」
あちこち見回しているうちに、反対側の列は回し終えてしまったようだ。後ろの子に軽く謝罪をし、銃を手放した。
そのあと、構えの練習。両手持ちと片手持ちの違い。持ち運びの注意事項など、諸々を説明され、最初は弾なしで流れの確認をした。それだけでも大分緊張したが、最後にそれぞれ実弾を打つことになる。
「……手汗やっば」
イヤーマフをつけ、前の子が進み出る。ぱぁん、と大きな音が訓練場に響き渡った。いくら耳に防音具をつけていても、その音はそれを貫くように聞こえる。
「次!」
教官から呼ばれ、私の列が一歩前に進む。教わった流れの通りに確認をし、銃を構える。思ったよりも手は震えなかったが、かわりに背中いっぱいに汗を掻いた。
私と同じ列には、諸伏も立っていた。
彼も少々緊張していたようだが、至って冷静な手つきでをしている。案外肝が据わっているのだと感心した。私も負けてはいられないな、と的を見つめる。
『その人はね、自分の正体がバレる前にポケットの携帯を撃ちぬいたの』
耳鳴りが、した。
銃声のせいではない。キーン、と長いノイズのあと、籠るような音。こめかみに走った痛みが頭全体へと広がり、ずきんずきんと大きく脈を打った。撃った弾は大きく逸れたようで、的の大分下を掠めている。
『アムロさんの幼馴染でね、アムロさんたちを守るために――』
「いたっ」
額を押さえながら、なんとか最後尾へど戻る。ちょうど、教官が誰かを怒鳴っている声が聞こえたが、それすら頭痛を増幅させる要素でしかなかった。多分、私ではない。
立っているのが辛くて、その場にしゃがみこむと前後の子たちが心配したように肩を叩いてくれる。やめて、揺らさないで。
そのうちに、急に眠気が襲ってきた。先ほどまではまったくそんなこともなかったのに、こんなに銃声が鳴り響いているというのに、瞼が閉じてしまう。
いけない、と思っても、体がそうあるべきとしているようだった。
『ふうん。でもこっちの男はFBIなんだろ。死ぬ必要なんてないじゃないか』
『うー……、そう言われると説明が長くなっちゃうんだけど……』
妹だ。彼女は軽く幼い頬を膨らませた。
以前の記憶とは場所が違う――喫茶店か。妹も、チェックのワンピースを着ていた。彼女は鞄から手帳とボールペンを取り出すと、すらすらとキャラクターの特徴を書き連ねる。ニット帽と、色黒にM字前髪のカオナシの頭、それから――酒? 酒のボトル、に見えなくもない。
『FBIと公安は、互いをスパイなんて知らないでしょ。でもこっちの人は頭が良いから、スパイってことに気づいてたの』
『じゃあ、死ななくて良くないか?』
『だから、公安側の二人はそれが分からないじゃない。この人は、アムロさんに電話したわけ。もうこれで最後だと思うって、別れのね』
ぐるっと酒のボトルが囲まれた。
『二人は幼馴染で親友で仲間なわけだから、アムロさんは当然助けに行くでしょ』
『まあ、かもな』
すると妹は自分のことのように悲しい顔をして、それからぶんぶんと拳を振った。ヤキモキした感情を、どこかに発散するように。
『お兄ちゃんだって、私が誰かに殺されそうだったら走ってきてくれるでしょ!!』
痛い、そんな思い出を消し去ってしまいたいくらいに、頭が痛む。
今までも前世の記憶を幾度と見返してきたけれど、痛みを感じたのは初めてだった。叩きつけられたアスファルト、痛かった。あの時、どうして彼女のことを想わなかったのだろう。
『そりゃ、もちろん』
俺はそう言って笑った。妹は時計を見て、「もう時間じゃん」と俺の手を引いた。
術科も座学も、余計なことは教わらない。すべて警官になったときに必要となる知識ばかりなので、日々食いつくことに必死だ。点呼の織りに教官からいびられることも(――当社比)少なくなってきた。
からりと晴れてはいるが、そろそろ長ズボンだと暑さを感じる。新緑がキラキラと日を浴びて揺れる季節だった。術科棟へ背筋を伸ばして移動する。今日は初めての射撃訓練だ。
確かに前世でも、軽い犯罪くらい経験はあったが、せいぜい町のゴロツキAというレベルだ。モデルガンはあっても、実銃を手に取ったことはなかった。周りの同級生たちも、些か緊張した面持ちだ。
その中で、ひときわ目立っていたのは松田だった。
彼はいつもと変わらず――否、いつも以上に目を輝かせて、普段など欠伸をしながら最後尾をだらだら歩いてくるというのに、キビキビといち早く訓練場に入室したのだ。
「失礼しまぁす!」
調子よく大きな声をだす松田に、隣にいる萩原が苦笑いしながら頭を下げた。
伊達班――たった一か月だったが、彼らは同期のなかでも目立つ存在だ。総代である降谷は語ることもないが、伊達も降谷に負けずの優秀さであったし、松田は常に気だるげな割にオールマイティに有能で、萩原は軟派な性格だが世渡り上手、諸伏も術科の中でも特殊なもの――事情聴取や現場保管など――では際立った能力を見せていた。
その割に仲が悪いことでも有名だ。諸伏と降谷、松田と萩原は元よりの友人らしいが、伊達がいないところで彼ら五人が集まるのを見たことがない。原因は――。
「フン、よくもまあ、そんなにはしゃぐよな」
「ア? 坊ちゃんが、なんかあるなら直接言えよ」
「なら言ってやる、勤務時間にそうも浮かれた言動は慎めと――……!」
降谷と松田、二人の相性の悪さだ。それぞれの保護者が苦笑いしながら「ウチの子がすみません」と冗談めかして回収する。
「ふ、ウチの子って」
他の女子生徒が気まずく見守る中、引きずられていく子ども二人が滑稽でついつい鼻から息が漏れる。ルームメイトが「笑っちゃまずいよ」と注意してくれたので、素直に謝った。
「高槻!」
よく響く声が遠くから聞こえた。降谷だ。――なんという地獄耳だ。私は女子の中に紛れていたというのに、鋭く色素の薄い虹彩がこちらを睨みつける。
「おいおい、女の子を睨むなよ」
怖がるだろ、と萩原が降谷を宥めた。同期の女子たちの中でも、「優しいしレディファーストだし」と人気があることを、出会った後に知った。裏切られた気分だ(別に裏切っちゃあいないが)。
私はそそくさと、彼らから一番離れた場所に移動した。降谷は一度文句を垂れると、教官ばりの説教をすることを一か月で学んだからだ。
この間など、書類作成の授業で「字が汚い」ことについて、夜食の時間めいっぱいに怒られた。しょうがない、字は前世の手癖で覚えているので、国語の授業などろくすっぽ聞いていなかったから。
そうこうしているうちに、教官が入室した。全員で起立し、講義が始まる。
教官はまず、空砲のリボルバーを列の両端から生徒に回した。私たちが手に取って順々に回す間に、説明が進んでいく。
「知っている者も多いと思うが、警察官が使用する多くはこのモデルだ。三十八口径、五連発のリボルバー。S&W社のリボルバーを日本警察独自に改修したもので、M360J――」
教官は一度呼吸を溜め、それから言葉を続けた。
「SAKURA――……サクラ、と言う」
ちょうどその時に、前の子から銃が回ってきた。空砲といえど、モデルガンよりずっしりとした銃身をしている。触ったかんじは冷たく、金属の塊といった印象だった。試しにドラマで見たようにシリンダーを取り出してみる。当たり前だが、銃弾は詰まっていなかった。
「機動隊やそのほか例外はオートマチックを持ち歩くこともあるが、まずは基本的なリボルバーから教えていく。高槻、見たら回せ」
「あ、はい!」
あちこち見回しているうちに、反対側の列は回し終えてしまったようだ。後ろの子に軽く謝罪をし、銃を手放した。
そのあと、構えの練習。両手持ちと片手持ちの違い。持ち運びの注意事項など、諸々を説明され、最初は弾なしで流れの確認をした。それだけでも大分緊張したが、最後にそれぞれ実弾を打つことになる。
「……手汗やっば」
イヤーマフをつけ、前の子が進み出る。ぱぁん、と大きな音が訓練場に響き渡った。いくら耳に防音具をつけていても、その音はそれを貫くように聞こえる。
「次!」
教官から呼ばれ、私の列が一歩前に進む。教わった流れの通りに確認をし、銃を構える。思ったよりも手は震えなかったが、かわりに背中いっぱいに汗を掻いた。
私と同じ列には、諸伏も立っていた。
彼も少々緊張していたようだが、至って冷静な手つきでをしている。案外肝が据わっているのだと感心した。私も負けてはいられないな、と的を見つめる。
『その人はね、自分の正体がバレる前にポケットの携帯を撃ちぬいたの』
耳鳴りが、した。
銃声のせいではない。キーン、と長いノイズのあと、籠るような音。こめかみに走った痛みが頭全体へと広がり、ずきんずきんと大きく脈を打った。撃った弾は大きく逸れたようで、的の大分下を掠めている。
『アムロさんの幼馴染でね、アムロさんたちを守るために――』
「いたっ」
額を押さえながら、なんとか最後尾へど戻る。ちょうど、教官が誰かを怒鳴っている声が聞こえたが、それすら頭痛を増幅させる要素でしかなかった。多分、私ではない。
立っているのが辛くて、その場にしゃがみこむと前後の子たちが心配したように肩を叩いてくれる。やめて、揺らさないで。
そのうちに、急に眠気が襲ってきた。先ほどまではまったくそんなこともなかったのに、こんなに銃声が鳴り響いているというのに、瞼が閉じてしまう。
いけない、と思っても、体がそうあるべきとしているようだった。
『ふうん。でもこっちの男はFBIなんだろ。死ぬ必要なんてないじゃないか』
『うー……、そう言われると説明が長くなっちゃうんだけど……』
妹だ。彼女は軽く幼い頬を膨らませた。
以前の記憶とは場所が違う――喫茶店か。妹も、チェックのワンピースを着ていた。彼女は鞄から手帳とボールペンを取り出すと、すらすらとキャラクターの特徴を書き連ねる。ニット帽と、色黒にM字前髪のカオナシの頭、それから――酒? 酒のボトル、に見えなくもない。
『FBIと公安は、互いをスパイなんて知らないでしょ。でもこっちの人は頭が良いから、スパイってことに気づいてたの』
『じゃあ、死ななくて良くないか?』
『だから、公安側の二人はそれが分からないじゃない。この人は、アムロさんに電話したわけ。もうこれで最後だと思うって、別れのね』
ぐるっと酒のボトルが囲まれた。
『二人は幼馴染で親友で仲間なわけだから、アムロさんは当然助けに行くでしょ』
『まあ、かもな』
すると妹は自分のことのように悲しい顔をして、それからぶんぶんと拳を振った。ヤキモキした感情を、どこかに発散するように。
『お兄ちゃんだって、私が誰かに殺されそうだったら走ってきてくれるでしょ!!』
痛い、そんな思い出を消し去ってしまいたいくらいに、頭が痛む。
今までも前世の記憶を幾度と見返してきたけれど、痛みを感じたのは初めてだった。叩きつけられたアスファルト、痛かった。あの時、どうして彼女のことを想わなかったのだろう。
『そりゃ、もちろん』
俺はそう言って笑った。妹は時計を見て、「もう時間じゃん」と俺の手を引いた。