警察編 ②
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「高槻、これも頼めるか」
「あ、はい。こっちの書類は良いと思いますが」
「おー。助かるよ」
私は書類をファイルしたものを、スキンヘッドの上官に手渡して、ふうと息をついた。スーツを着てはいるものの、やはりどう見ても警官には見えはしない。が、彼はこの度の直属の上官である、佐々木という男だ。
最初見た時こそ、堅気とは思えない雰囲気に正直体が固まってしまったが、こうして話していると(――当然だが)柄の悪さよりも人の好さが目立つ。それにしたって、鬼塚といい、香取といい、佐々木といい――。私には強面運というのがあるのだろうか。本当に、生粋の女じゃなくて良かったと心から思う。
まあ、そうは言っても、強面――というのはこの課では珍しいほうではない。
組織犯罪対策課。――一昔前は捜査四課。所謂〝マル暴〟とも呼ばれる、暴力団絡みの犯罪に関する事件を扱う場所だ。私の配属された五課は、薬物と銃器を専門とする課。直接暴力団と接する機会は一、二課より少なくはあるが――。それでも、部屋をグルリと見渡す限り、厳つい男が揃っているのは確かだ。
配属されて数週間。
どうやらこちらのほうまで萩原の名は轟いているらしく、佐々木が私に放った第一声は「この間の合コン、ありがとうって言っておいてくれ」だった。それだけで、彼の人柄の愛らしさというか――愛嬌というか。そういったものが滲んでいる。
それに、配属希望が通ったワケではない異動だったが、この課は案外私にとって天職とも呼べる仕事だった。
「おい」
「……はい?」
「よくできてる。優秀とは聞いていたけど、初めてなのに見てきたようなプロファイリングだな」
彼は特に意識したようではないが、その大きな手で顎を擦りながら感心したようにそう告げる。私は苦笑いして「ありがとうございます」と謙遜した。佐々木はううん、と事件に関して纏められた関わりのありそうな建物や周辺の地図、活動地区の候補を眺める。
見てきたような――というか、見てきたのだ。
まさか、こんなところで前世で得た知識が役に立つとは思わなかった。過去のどうしようもない履歴も、反面教師としては有能なようだ。前世で散々やってきた、小悪党じみた役回りは、現世で小悪党を捕まえるのにもってこいだ。
悪いことをしているやつが隠れそうな場所や住処にしていそうな場所、取引が行われそうな場所。手に取るように検討がつくのは、誉と呼んで良いのかどうか。
「ここのクラブ、俺も睨んでたからな」
「客層が若いのがミソですね。カモフラージュには最適で」
「……お前、ついてくるか」
私はぱっと振り向いて「え」と声を漏らす。思い付きで言った冗談――という訳ではないようだ。ジっとこちらを見据える、目つきの悪い視線。
「は、はい!」
「よし。一週間周りを張って、来週の夜に潜り込みだ」
新人教育も兼ねているのだろうが、そう笑ったニヒルな口端に、僅かに心が浮かれた。私は検挙された犯人グループの一味の資料を眺めながら、よしと心の中で気合を入れ直す。以前の交番勤務も周りに恵まれていたしやりがいもあったが、犯人を突き止めるために動く捜査はまた別だ。同僚が奢ってくれた缶コーヒーを片手に、私は仕事に戻ることにした。
◇
荷物を纏めて本庁から出ると、丁度道の向かい側にすらりとした立ち姿が見えた。いつも外で待ち合わせをするときは、大抵私が休みの時なので、彼がスーツ以外を着て本庁にいるのは少し新鮮だ。
いつも襟つきの服ばかり着ているので、黒のカットソーは彼を僅かばかり幼く見せた。彼の元に駆け寄ると、穏やかな顔がニコリと微笑んだ。
「お帰り。おむかえでーす」
「珍し。どうしたの?」
「さっきまで陣平ちゃんと飲んでたから」
「ついでかよ」
私は声を上げて笑った。確かに、ぴとりと触れた彼の体温はまるで幼い子のようにあたたかく、少し汗ばんでいる。萩原の大きな手には、繋ぐとすっぽりと丸ごと包まれてしまいそうだ。
「どうだった、陣平。元気してた?」
「変わりなく。機動隊は年功序列だからね、先輩になってぶいぶい言わせてるみたいだよ」
「自分が後輩のときは何もしてなかったくせに……」
確かに機動隊は上下関係がひときわ厳しく、新人への扱いが他部署よりも強いことを知っているが、任されるパシリなどあの松田が聞くわけがないのだ。それでものらりくらりと過ごせているのは、ひとえにあの才能のせいだろう。
私がじとっとした目でつぶやくと、萩原は苦笑いを浮かべる。そういえば、ここにもサボリ魔がいたのだった。
「悪い先輩だなー」
「俺はアイツと違って、先輩風吹かせてないから」
どうだかね、と意地悪く笑ったら、萩原は「ひでえ」だとかいって、その大き目な口を開けて笑っていた。
本庁から自宅まで、自分の脚では四十五分。萩原と歩くと、何故かそれが遅くなる。互いに帰る家は同じなのに、足並みがゆっくりになっていく。彼とのそういう時間が、私は好きだ。
仕事のこと、同僚のこと、昨日観たテレビのこと、今日の夕飯のこと。がたんがたんと電車が通る音をバックに、彼のほうを見上げると、決まって萩原も私のほうを見下げている。柔らかく、綺麗な表情で。
偶に、不安が胸を過ぎる。
彼の目に、私は綺麗な表情で写っているだろうか。諸伏を好きだと言った時に「綺麗だ」と微笑んでくれた萩原に、私は今も同じ表情を向けられているだろうか。
私は少し考え込んで、それをなかったようにまた冗談を言って笑うのだ。考えてはいけないような気がするから。その蓋を、開けてはいけないような気がするから。
「じゃあ、来週は遅いんだ」
「うん。もしかしたら一晩掛かるかも」
「夜遅そうだったらタクシー使いなよ」
ここ数年、警察内での武道大会に引っ張りだこな私に言っているのか。皮肉に言って見せると、彼は思いのほか固く、心配そうな声色で「それでも」と念を押す。
普段二人でいるときは、殆ど友達だった頃とやり取りが変わらないので、たまに女の子らしい扱いをされるとこっちが恥ずかしくなってしまう。ぽりぽりと首筋を掻きながら、小さく頷く。
「はは、照れてる?」
「いつも雑なのに、そういうとこで彼氏っぽくするから」
「だって心配だし。意外とシャイなとこも好きだけど」
高くしっかりとした鼻筋がずいっとこちらに近づいて、私はむずむずと唇を引き結んだ。わざと、面白がってやっているのだ。私がこういう甘ったるい空気になると、急に弱いと知っているからだ。
だって、しょうがないじゃないか。今まで女として付き合ったことはなかったから、こういう時にどんな顔をしたら良いかなんて咄嗟に分からないのだ。――諸伏のときは、殆ど感情に突き動かされた衝動的なものだったから、無意識だったし。
あ、駄目だ。また諸伏のことを考えてしまった。
振り払うように視線を左右させていると、萩原の呆れたような溜息が、私の頬を擽った。こういう時に、感情に敏い彼は厄介だ。ほんの小さな綻びを、彼は見透かすように笑う。そんな顔を二度とさせないと、心では思っているのに。
「……おお、桜」
彼は黙りこくった私から顔を離すと、ふと並木を見上げた。強い風に攫われて、折角色づいた桜が足元にチラホラと散っていく。街頭に照らされると、まるで花びらが光っているように、少し白んだ色に見えた。
「どう、チューハイ買って一杯飲む?」
「……お花見?」
「そうそう。お勤めご苦労様ってことで、ぐぐっとやりましょうや」
くいっと杯を傾けるようなジェスチャーは、なんだか親父臭い。
ふ、と破顔して、私は今度は大きく首を縦に振った。近くにあるコンビニで二人でチューハイを一本ずつ。人通りの少ないマンションの裏、柵状の車止めに腰を掛けて、何気ないささやかな花見をした。
萩原が、いつか言っていた。何もかも順調な時には、ブレーキが掛かってしまうと。私はずっと、そのブレーキの掛け時に戸惑っているのかもしれない。