警察編 ①
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お化け屋敷があるイベントブースの近くを、時間つぶしに二人で眺めていた。もともとショッピングモール街になっている通りだったので、もう少し時間が経ち小腹が空いたらどこか店に入ろうと話していたのだ。
私はもともとこれといった趣味がなく、せいぜいスポーツ観戦が好きな程度だったので、ショッピングといっても本当に見ているだけだった。諸伏は私とは反対に中々に多趣味なようで、楽器店から料理器具、本屋にアウトドアショップ。スニーカーも好きらしく、彼の好きなブランドの靴を見て回った。
色々なものに目を輝かせる様子はやはりどこか子どもらしいというか、少年らしいというか。
「うわ、これ良いな」
数度繰り返された『これ良いな』という言葉のなかで、彼が足を止めた靴があった。楽器や料理器具は詳しくないので賛同してあげれなかったけど、スニーカーなら何となくオシャレだと思う気持ちは分かった。私が「ほんとだ、かっこいい」と零したら、諸伏はハっとこちらを振り向いた。
「ごめん。色々連れまわして、つまらなかった?」
「そんなつもりないけど。でもこれは良いなーと思っただけで……」
本来は彼を元気づけたくて誘ったわけだし、思う存分ショッピングしてもらって構わないのだ。――とも言う訳にはいかないので、私は誤魔化すようにスニーカーを手に取った。メンズの靴って、女として見るとやっぱりサイズが全然違うんだなあと思う。
「似合いそう」
「うーん、値段がちょっとなあ」
と悩ましくしている様子を見て、ふうんと相槌を打った。確かにあれだけ趣味があればしょうがないか。警察学校に通っている間の給料はほぼ手つかずなので、私は貯金に余裕があった。みんなそんなものかと思ったけれど、そういうわけでもないらしい。
私がそれをラックに戻したとき、バイブ音が聞こえた。どうやら諸伏の携帯のようだ。店内はBGMが響いていたので、彼は私に断ると店の外に出ていった。
――買っちゃおうかな。
諸伏は、もしかしたら遠慮するかもしれないけれど。実際私も彼が履いているところを見たかったし、諸伏はああいうがそれほど高価な値段でもない。スポーツブランドもののスニーカーなら妥当な程度だ。
重い女って思われるだろうか。しかしあの猫目がパっと色を持って輝く様子は、見てみたくもある。靴を前にして云々と悩んでいると、どうやらそれに目をつけたらしい店員が声を掛けてきた。長い茶髪を前髪ごと後ろに括った、スポーティな美人だ。
「先ほどのお連れ様にですか? きっとお似合いですよ」
「こういうのって、何もない日とかにあげていいもんですかね……?」
「良いと思います。感謝の印とか、これからもよろしくねとか……そういう方もいらっしゃいますし」
彼女はその靴を手に取ってから、「でも」と考えるようにして、箱の中からもう一足新しいものを取り出した。全く違うもののように思えたが、色が違うだけで形は同じモデルだ。
「こちらのモデルは先ほどお連れ様の履いていらっしゃったものに似ているので、色違いなどはどうでしょう」
「あー、確かに……。考えてなかったです」
そう言われてみれば、彼が今日履いているものによく似ている。ブランドのロゴなどは違うけれど、形だけ見ればそっくりだ。諸伏が履いていたのはホワイト地にオレンジと黒のラインが入っているもので、女性が手に持っているのはそれを反転させたような黒地のスニーカーだった。「すらっと涼やかなイメージだったので、お似合いになります」と店員は言う。
「じゃあ、それにしようかな……」
「ありがとうございます」
靴のサイズは、先ほど彼が箱を見てぼやいていたので覚えている。レジで包んでもらいながら、店員とは客の履いている靴まで覚えているものか、と感心したことを漏らした。彼女は驚いたようにこちらを向いて、それから少しはにかんで笑う。
「いえ、それは店員だからというか……その、格好良かったので」
すみません、付け足すように謝った彼女に私はいえいえと首を振る。そうか、やっぱり傍から見ても諸伏は格好良いのか。教場の女の子たちも言っていたけれど、どうやら贔屓目無しにそう見えるらしい。
「あれ、何か買ったんだ」
袋を受け取って店員と多少雑談を交わしていたときに、後ろからひょこりと諸伏が顔を出した。「あ、えっと、うん」――どもってしまった言葉に、諸伏が首を傾げる。店員が助け舟を出すように「お買い上げありがとうございます」と頭を下げてくれたので、私はそれに応えながら自然と店を出たのだった。
◇
買ったはいいけど、いざ渡すとなると何と言って渡したら良いかの理由づけに迷ってしまう。いつもありがとう、これからもよろしくね、どちらでも良いと言えば良いのだけれど、どちらでも良いからこそどこか気恥ずかしく、私は袋を抱えたままだった。
「そういえば、電話誰からだったの」
「友達。今からどうって言われたけど、断ったら長くってさ」
苦笑いした様子を見上げて、そしてまた会話が止まる。諸伏は気まずくもなさそうで、再び店のウィンドウを覗いたりしているけれど、私は気まずさで頭が爆発しそうだった。暫く歩いていると、彼は口元に少しだけ笑みを浮かべて切り出した。
「ごめん、今日やっぱり……その、早めに切り上げても良いかな」
申し訳なさそうな様子に、私は別にと頷く。彼をそんな顔にさせたくて誘ったわけでもなく、目的は達成できたわけだから。
「ありがとう。ちょっと用事ができちゃって」
「そっか。さっきの友達?」
「まあ、そんなところ」
濁すような言葉に、少し違和感を覚えた。最初に頭を過ぎったのは、ホテルの前で出会った少女のことだ。諸伏自身も鬱屈としているようだったし、彼女だったら自分から断るだろうか。いや、断らないだろうなあ。現にあの状況でも、無視することはしていなかった。
「……ごめん」
もう一度、固い唇が開かれた。
然して気にするわけでもなかったが、その一言に胸がざわりと嫌な感触に触れた。もしかしたら、嫉妬なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。イマイチ自分でも掴み切れない感情で、私は戸惑いながら首を振る。
「気にしないで。ていうか、本当に大丈夫?」
「ああ。心配させるようなことじゃないんだ」
「でもさ――……」
「もう、〝怖いこと〟にも自分で立ち向かわなくちゃ。だろ?」
怖いこと――。美しい星空を思い出す。今のうちに怖がっておかなくちゃ、と笑った時の、不安げな瞳が星とともに瞬いていた。
彼はあの時と同じような、少し不安げな、しかしキラキラとした瞳で笑った。茶色がかった髪を秋風がさらさらと撫でていく。綺麗な笑顔だった。ここから先に入ってくるなと言わんがばかりの、綺麗な笑顔だ。
「うん。がんばれ」
なんとか、励ましの言葉を口にすると、彼は軽く頬をこちらに寄せて、目じりに軽く唇を落とす。柔らかな力遣いが、逆に恥ずかしかった。いっそ唇を塞がれたほうが、笑顔になれたかもしれない。むずむずと、キスされた場所を手で押さえている私を見て、諸伏は肩を小刻みに揺らした。
「意外とシャイだよな」
「……諸伏くんには言われたくないけどね」
冷たくなった親指を軽く握って、私は肩を竦める。爪を撫でるようにして見つめてから、軽くその指先にキスをした。手を離すと、諸伏はじゃあ、と踵を返す。なんだかその足取りは生き急いでいるようにも思えて、呼び止めようと何度も思った。
「あ、スニーカー……」
渡すの忘れてた。肩に掛けたショッピングバックを握って、私は小さくなっていく背中を見つめた。また今度、渡せば良いか。――そう思って踵を返そうとした矢先に、視線の先にいた影を見て体が固まった。
諸伏ではない。まだ高い日差しを浴びて、キラキラと輝くブロンド――。諸伏のシルエットより、よほど目立つ頭が、帽子の隙間から透けて見えた。彼の行く先は、諸伏のいる方向だ。まさか、会う約束があるのだろうか。
もう一度、胸がざわっと粟立つ感じがして、私は慌ててその背中を追うようにして駅のほうへ向かった。ちょうど駅から降車していく人たちが私を流すように歩いて行って、それに逆らって彼らのほうへと足を向ける。人混みに、靴箱がガンガンと当たって、肩に掛かった荷物が必要以上に重たく感じた。
私はもともとこれといった趣味がなく、せいぜいスポーツ観戦が好きな程度だったので、ショッピングといっても本当に見ているだけだった。諸伏は私とは反対に中々に多趣味なようで、楽器店から料理器具、本屋にアウトドアショップ。スニーカーも好きらしく、彼の好きなブランドの靴を見て回った。
色々なものに目を輝かせる様子はやはりどこか子どもらしいというか、少年らしいというか。
「うわ、これ良いな」
数度繰り返された『これ良いな』という言葉のなかで、彼が足を止めた靴があった。楽器や料理器具は詳しくないので賛同してあげれなかったけど、スニーカーなら何となくオシャレだと思う気持ちは分かった。私が「ほんとだ、かっこいい」と零したら、諸伏はハっとこちらを振り向いた。
「ごめん。色々連れまわして、つまらなかった?」
「そんなつもりないけど。でもこれは良いなーと思っただけで……」
本来は彼を元気づけたくて誘ったわけだし、思う存分ショッピングしてもらって構わないのだ。――とも言う訳にはいかないので、私は誤魔化すようにスニーカーを手に取った。メンズの靴って、女として見るとやっぱりサイズが全然違うんだなあと思う。
「似合いそう」
「うーん、値段がちょっとなあ」
と悩ましくしている様子を見て、ふうんと相槌を打った。確かにあれだけ趣味があればしょうがないか。警察学校に通っている間の給料はほぼ手つかずなので、私は貯金に余裕があった。みんなそんなものかと思ったけれど、そういうわけでもないらしい。
私がそれをラックに戻したとき、バイブ音が聞こえた。どうやら諸伏の携帯のようだ。店内はBGMが響いていたので、彼は私に断ると店の外に出ていった。
――買っちゃおうかな。
諸伏は、もしかしたら遠慮するかもしれないけれど。実際私も彼が履いているところを見たかったし、諸伏はああいうがそれほど高価な値段でもない。スポーツブランドもののスニーカーなら妥当な程度だ。
重い女って思われるだろうか。しかしあの猫目がパっと色を持って輝く様子は、見てみたくもある。靴を前にして云々と悩んでいると、どうやらそれに目をつけたらしい店員が声を掛けてきた。長い茶髪を前髪ごと後ろに括った、スポーティな美人だ。
「先ほどのお連れ様にですか? きっとお似合いですよ」
「こういうのって、何もない日とかにあげていいもんですかね……?」
「良いと思います。感謝の印とか、これからもよろしくねとか……そういう方もいらっしゃいますし」
彼女はその靴を手に取ってから、「でも」と考えるようにして、箱の中からもう一足新しいものを取り出した。全く違うもののように思えたが、色が違うだけで形は同じモデルだ。
「こちらのモデルは先ほどお連れ様の履いていらっしゃったものに似ているので、色違いなどはどうでしょう」
「あー、確かに……。考えてなかったです」
そう言われてみれば、彼が今日履いているものによく似ている。ブランドのロゴなどは違うけれど、形だけ見ればそっくりだ。諸伏が履いていたのはホワイト地にオレンジと黒のラインが入っているもので、女性が手に持っているのはそれを反転させたような黒地のスニーカーだった。「すらっと涼やかなイメージだったので、お似合いになります」と店員は言う。
「じゃあ、それにしようかな……」
「ありがとうございます」
靴のサイズは、先ほど彼が箱を見てぼやいていたので覚えている。レジで包んでもらいながら、店員とは客の履いている靴まで覚えているものか、と感心したことを漏らした。彼女は驚いたようにこちらを向いて、それから少しはにかんで笑う。
「いえ、それは店員だからというか……その、格好良かったので」
すみません、付け足すように謝った彼女に私はいえいえと首を振る。そうか、やっぱり傍から見ても諸伏は格好良いのか。教場の女の子たちも言っていたけれど、どうやら贔屓目無しにそう見えるらしい。
「あれ、何か買ったんだ」
袋を受け取って店員と多少雑談を交わしていたときに、後ろからひょこりと諸伏が顔を出した。「あ、えっと、うん」――どもってしまった言葉に、諸伏が首を傾げる。店員が助け舟を出すように「お買い上げありがとうございます」と頭を下げてくれたので、私はそれに応えながら自然と店を出たのだった。
◇
買ったはいいけど、いざ渡すとなると何と言って渡したら良いかの理由づけに迷ってしまう。いつもありがとう、これからもよろしくね、どちらでも良いと言えば良いのだけれど、どちらでも良いからこそどこか気恥ずかしく、私は袋を抱えたままだった。
「そういえば、電話誰からだったの」
「友達。今からどうって言われたけど、断ったら長くってさ」
苦笑いした様子を見上げて、そしてまた会話が止まる。諸伏は気まずくもなさそうで、再び店のウィンドウを覗いたりしているけれど、私は気まずさで頭が爆発しそうだった。暫く歩いていると、彼は口元に少しだけ笑みを浮かべて切り出した。
「ごめん、今日やっぱり……その、早めに切り上げても良いかな」
申し訳なさそうな様子に、私は別にと頷く。彼をそんな顔にさせたくて誘ったわけでもなく、目的は達成できたわけだから。
「ありがとう。ちょっと用事ができちゃって」
「そっか。さっきの友達?」
「まあ、そんなところ」
濁すような言葉に、少し違和感を覚えた。最初に頭を過ぎったのは、ホテルの前で出会った少女のことだ。諸伏自身も鬱屈としているようだったし、彼女だったら自分から断るだろうか。いや、断らないだろうなあ。現にあの状況でも、無視することはしていなかった。
「……ごめん」
もう一度、固い唇が開かれた。
然して気にするわけでもなかったが、その一言に胸がざわりと嫌な感触に触れた。もしかしたら、嫉妬なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。イマイチ自分でも掴み切れない感情で、私は戸惑いながら首を振る。
「気にしないで。ていうか、本当に大丈夫?」
「ああ。心配させるようなことじゃないんだ」
「でもさ――……」
「もう、〝怖いこと〟にも自分で立ち向かわなくちゃ。だろ?」
怖いこと――。美しい星空を思い出す。今のうちに怖がっておかなくちゃ、と笑った時の、不安げな瞳が星とともに瞬いていた。
彼はあの時と同じような、少し不安げな、しかしキラキラとした瞳で笑った。茶色がかった髪を秋風がさらさらと撫でていく。綺麗な笑顔だった。ここから先に入ってくるなと言わんがばかりの、綺麗な笑顔だ。
「うん。がんばれ」
なんとか、励ましの言葉を口にすると、彼は軽く頬をこちらに寄せて、目じりに軽く唇を落とす。柔らかな力遣いが、逆に恥ずかしかった。いっそ唇を塞がれたほうが、笑顔になれたかもしれない。むずむずと、キスされた場所を手で押さえている私を見て、諸伏は肩を小刻みに揺らした。
「意外とシャイだよな」
「……諸伏くんには言われたくないけどね」
冷たくなった親指を軽く握って、私は肩を竦める。爪を撫でるようにして見つめてから、軽くその指先にキスをした。手を離すと、諸伏はじゃあ、と踵を返す。なんだかその足取りは生き急いでいるようにも思えて、呼び止めようと何度も思った。
「あ、スニーカー……」
渡すの忘れてた。肩に掛けたショッピングバックを握って、私は小さくなっていく背中を見つめた。また今度、渡せば良いか。――そう思って踵を返そうとした矢先に、視線の先にいた影を見て体が固まった。
諸伏ではない。まだ高い日差しを浴びて、キラキラと輝くブロンド――。諸伏のシルエットより、よほど目立つ頭が、帽子の隙間から透けて見えた。彼の行く先は、諸伏のいる方向だ。まさか、会う約束があるのだろうか。
もう一度、胸がざわっと粟立つ感じがして、私は慌ててその背中を追うようにして駅のほうへ向かった。ちょうど駅から降車していく人たちが私を流すように歩いて行って、それに逆らって彼らのほうへと足を向ける。人混みに、靴箱がガンガンと当たって、肩に掛かった荷物が必要以上に重たく感じた。