警察編 ①
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「お、体調良くなったみたいだな」
出勤と同時に、香取が私の姿を見止めて告げた。やっぱり気を遣われていたのか、私は苦笑いをして軽く頭を下げる。彼はその強面で気まずそうに唇を突き出し、「やめろ、前見たいで良い」と言った。
「お前が可愛がってた奴、情状酌量で執行猶予がつきそうだよ。自白したってのも大きいけどな」
「そっか、良かったです。彼、良い子でしたから」
荷物を降ろして、ロッカーの中から制服と装備具一式を取り出していると、香取がはっとしたように部屋を後にしようとした。しかしまだ言いたいことがあるのか、彼は後ろ髪を引かれたように足取りを緩める。
「――……ああいう子って、大抵俺たち警察には身構えるんだよ。けれど、しっかり真っ向から答えられるくらいに、大人を信用できたのは、お前のおかげかもな」
じゃあ、と部屋をあとにした大きな背中が、妙に暖かく見えた。少しでも、彼が立ち直る手助けができたのなら嬉しい。自分の境遇を恨むだけでなく、前を向けたなら。私は緩む頬に指先を触れさせて、明るくなった顔色を鏡で覗いた。
◇
少しスッキリとした私の心持とは反対に、陰りが見えるのは諸伏の態度だった。あれからも何度か、同期の飲み会や伊達と食事をする際に会ったけれど、そのたびに「高槻さんはすごいよな」と褒めてくれた。あの、煮え切らないような嘲笑するような表情だった。
何とかしたいと思うけれど、きっとその表情の根本を私は知らない。きっと今一番傍にいるだろう伊達に電話を掛けたら、彼は少し悩むような声で唸った。
『そうか、諸伏が――』
「うん。なんか自嘲的っていうか……諸伏くんって、無条件で人を褒めたりするじゃん? 今まであんな卑屈っぽいかんじ、見たことがなくて」
『署にいるときは、そんな様子じゃあないがな……。確かに、前メシ食った時は妙な感じだった』
気を付けて見てみるよ、と、恐らく得意げに楊枝を咥えているであろう少し濁った発音が告げた。伊達はその見た目の割に繊細なことに気づく男なので、私は安心して相槌を打つ。
もしかしたら取り越し苦労かもしれないけれど、それはそれで良いのだ。思えば、幼馴染とも連絡が取れず、私たちより余程不安なはずだ。私もあまり言及せず、彼を見守っていようと思った。彼は過去に触れられることを恐れているのを知っていたから。
―――
――
―
伊達に電話をして数日経ったころだ。仕事終わりに、萩原が連絡をくれた。意外にも彼とはメールを交わすことが少なかったので、珍しいと思いながらもメールを開くと、今から会えないかとの提案だった。特に深くも考えず「良いよ」と返事を返すと、彼が指定した駅に向かう。
世間的にも休日ということがあり、駅前は混雑している。人混みを掻き分けるように改札を潜って、ふうと息をついた。指定の場所は改札を抜けた先にある噴水の近くだ。待ち合わせにする人も多く、何を象ったかいまいち分かりづらい銅像を中心に、人々が噴水に沿って並んでいた。
萩原の姿は、後ろからでもすぐに目に留まった。男にしても周りより一つ頭が抜けているし、そのわりにさらさらとした髪は首筋を覆い、傍目から見ると不思議な雰囲気があった。話してみればただの気さくな男なのだけど。
その姿に近寄ろうとして、彼が他の女性に声を掛けられていることに気づく。今の萩原によく似あう、レース部分の多いワンピースを着た女性だった。胸元まで伸びた茶髪が綺麗に巻かれている。
すごい。前世の俺だったら相手にもされないような美人だった。
私はそれにやや負け惜しみを感じながら、せめてもの嫌がらせに、萩原の長い腕に後ろからしがみついた。
萩原は一瞬垂れた目を見開いてこちらを振り向いたけれど、すぐににこやかに微笑んだ。
「吃驚した」
「お待たせ。ねー、お腹すいちゃった」
「はいはい、ちょっと待ってね」
苦笑いする彼をよそ眼に、私は少し悪戯っぽく驚いた様子の女性を見上げた。完全に確信犯だったのだが、何故だか萩原まで驚いたようにこちらを見下げていて、お前が驚いたら意味ないだろと思った。
「ね、この人誰?」
「えっと……?」
「私がいんのに、この人とご飯行くんだ」
拗ねたようにくるっと踵を返すと、彼は慌ててつま先をこちらに向ける。これで浮気したイケメン彼氏と、怒って家に帰ろうとする彼女の図は完成だ。ちらちらと私たちを見る待ち合わせの目に、萩原は太い眉を吊り上げて軽くため息をついた。
「……悪戯っ子め」
呟かれた台詞に、私はくくくっと声をかみ殺したように笑った。萩原はそれを聞いて「笑い方、笑い方」と苦笑いしながら咎めてくる。
彼の呆れたような足取りと向かったのは、駅から少し離れた喫茶店だった。以前彼と行ったカフェよりはレトロで、会社の休憩にも使われるようなお店だ。恐らく老夫婦が個人で営業しているのだろうが、趣味で流しているレコード盤が店内に響いているのが印象的だった。
運ばれてきたグラタンにスプーンを通して、伸びるチーズにかぶりつく。熱された口内をはふはふと言わせていると、萩原が水の入ったグラスを差し出した。
「あの子、自首したんだって?」
「うん、もう……多分、大丈夫だと思う。落ち着いたら、また会いに行こうかな」
「そっか。良かった」
彼もその広い肩幅を、僅かに落として息をついた。一度信じることができたのなら、もう私のことなど忘れて成長してしまうかもしれないけれども。それはそれで喜ばしくも寂しいことだ。
彼はポケットから長く細い煙草を取り出すと、手で覆って火を灯す。吸い込んだ煙を、フウと横を向いて宙に燻らせた。ツンと爽やかな香りのする煙草の煙は、薄い膜を張るように彼の姿を白ませる。
そういえば、メールには『言いたいことがある』とあった。マカロニを口に放ってそのことを尋ねれば、彼はまだ吸いぶちのあるだろう長い煙草の先端を灰皿に擦り付けて、「そうだった」とぼやいた。
財布から、何やら紙幣ではない紙ぺらを取り出して、彼はテーブルに置いた。
薄い紙が二枚。おどろおどろしい血痕と手の痕。『恐怖、学校の怪談』と書かれたチケットだった。知っている、私が以前からチェックしていたお化け屋敷だ。
「え、これどうしたの。一般販売、完売してたんだけど」
そう、昔からファンのあるシリーズの最新作で、私も折角だしとチケットを買おうとしたが出遅れてしまい、手に入れられなかったのだ。萩原は二枚あるチケットに軽く指を滑らせて、ニコリと厚い唇を微笑ませた。
「プレゼント」
「なんで!? 良いの、こんなの」
「もっちろん。いやあ、誘ってもらったんだけど、俺オカルト苦手でさ」
それから彼は頬杖をついて、松田のように意地悪く片側の口角をニヤ、と持ち上げた。
「だから、諸伏ちゃんと行っておいで」
「は、萩原……」
「伊達班長から聞いてさ。スリラー系好きだったから、もしかして趣味合うのかと思って」
ホラーハウスのこともあったしな、彼はわざとらしく思い出すように、目を閉じて顎をとんとんと叩く。嬉しい、彼とは一緒に行こうと約束をしていたし、喜んでくれるだろうか。私はそのチケットを手に取って、萩原のほうを笑顔で振り向く。
「マジ萩原良い男すぎ」
「あはは、じゃあ俺にしとく?」
「うーん、でも浮気するしなあ。綺麗な女の子がいると」
「あれ浮気に入るんだ……。ま、マブとしては当然でしょ」
以前松田にマブだとか言っていたことを引きずっているのだろうか。彼にそう言われると面白くて笑ってしまったけど、悪い気はしなかった。その大きな手が、年下の面倒を見るかのようにぽんぽんと額を軽く叩いて、実は年上なんだけどなあと複雑に思いながら笑った。
「誘ってみなよ」、言われるままにメールを送って、萩原と二人で画面を覗きこんだ。少しテンションの高そうな諸伏の文面に、二人で顔を見合わせて笑い、ぐっと拳を合わせたのだった。
出勤と同時に、香取が私の姿を見止めて告げた。やっぱり気を遣われていたのか、私は苦笑いをして軽く頭を下げる。彼はその強面で気まずそうに唇を突き出し、「やめろ、前見たいで良い」と言った。
「お前が可愛がってた奴、情状酌量で執行猶予がつきそうだよ。自白したってのも大きいけどな」
「そっか、良かったです。彼、良い子でしたから」
荷物を降ろして、ロッカーの中から制服と装備具一式を取り出していると、香取がはっとしたように部屋を後にしようとした。しかしまだ言いたいことがあるのか、彼は後ろ髪を引かれたように足取りを緩める。
「――……ああいう子って、大抵俺たち警察には身構えるんだよ。けれど、しっかり真っ向から答えられるくらいに、大人を信用できたのは、お前のおかげかもな」
じゃあ、と部屋をあとにした大きな背中が、妙に暖かく見えた。少しでも、彼が立ち直る手助けができたのなら嬉しい。自分の境遇を恨むだけでなく、前を向けたなら。私は緩む頬に指先を触れさせて、明るくなった顔色を鏡で覗いた。
◇
少しスッキリとした私の心持とは反対に、陰りが見えるのは諸伏の態度だった。あれからも何度か、同期の飲み会や伊達と食事をする際に会ったけれど、そのたびに「高槻さんはすごいよな」と褒めてくれた。あの、煮え切らないような嘲笑するような表情だった。
何とかしたいと思うけれど、きっとその表情の根本を私は知らない。きっと今一番傍にいるだろう伊達に電話を掛けたら、彼は少し悩むような声で唸った。
『そうか、諸伏が――』
「うん。なんか自嘲的っていうか……諸伏くんって、無条件で人を褒めたりするじゃん? 今まであんな卑屈っぽいかんじ、見たことがなくて」
『署にいるときは、そんな様子じゃあないがな……。確かに、前メシ食った時は妙な感じだった』
気を付けて見てみるよ、と、恐らく得意げに楊枝を咥えているであろう少し濁った発音が告げた。伊達はその見た目の割に繊細なことに気づく男なので、私は安心して相槌を打つ。
もしかしたら取り越し苦労かもしれないけれど、それはそれで良いのだ。思えば、幼馴染とも連絡が取れず、私たちより余程不安なはずだ。私もあまり言及せず、彼を見守っていようと思った。彼は過去に触れられることを恐れているのを知っていたから。
―――
――
―
伊達に電話をして数日経ったころだ。仕事終わりに、萩原が連絡をくれた。意外にも彼とはメールを交わすことが少なかったので、珍しいと思いながらもメールを開くと、今から会えないかとの提案だった。特に深くも考えず「良いよ」と返事を返すと、彼が指定した駅に向かう。
世間的にも休日ということがあり、駅前は混雑している。人混みを掻き分けるように改札を潜って、ふうと息をついた。指定の場所は改札を抜けた先にある噴水の近くだ。待ち合わせにする人も多く、何を象ったかいまいち分かりづらい銅像を中心に、人々が噴水に沿って並んでいた。
萩原の姿は、後ろからでもすぐに目に留まった。男にしても周りより一つ頭が抜けているし、そのわりにさらさらとした髪は首筋を覆い、傍目から見ると不思議な雰囲気があった。話してみればただの気さくな男なのだけど。
その姿に近寄ろうとして、彼が他の女性に声を掛けられていることに気づく。今の萩原によく似あう、レース部分の多いワンピースを着た女性だった。胸元まで伸びた茶髪が綺麗に巻かれている。
すごい。前世の俺だったら相手にもされないような美人だった。
私はそれにやや負け惜しみを感じながら、せめてもの嫌がらせに、萩原の長い腕に後ろからしがみついた。
萩原は一瞬垂れた目を見開いてこちらを振り向いたけれど、すぐににこやかに微笑んだ。
「吃驚した」
「お待たせ。ねー、お腹すいちゃった」
「はいはい、ちょっと待ってね」
苦笑いする彼をよそ眼に、私は少し悪戯っぽく驚いた様子の女性を見上げた。完全に確信犯だったのだが、何故だか萩原まで驚いたようにこちらを見下げていて、お前が驚いたら意味ないだろと思った。
「ね、この人誰?」
「えっと……?」
「私がいんのに、この人とご飯行くんだ」
拗ねたようにくるっと踵を返すと、彼は慌ててつま先をこちらに向ける。これで浮気したイケメン彼氏と、怒って家に帰ろうとする彼女の図は完成だ。ちらちらと私たちを見る待ち合わせの目に、萩原は太い眉を吊り上げて軽くため息をついた。
「……悪戯っ子め」
呟かれた台詞に、私はくくくっと声をかみ殺したように笑った。萩原はそれを聞いて「笑い方、笑い方」と苦笑いしながら咎めてくる。
彼の呆れたような足取りと向かったのは、駅から少し離れた喫茶店だった。以前彼と行ったカフェよりはレトロで、会社の休憩にも使われるようなお店だ。恐らく老夫婦が個人で営業しているのだろうが、趣味で流しているレコード盤が店内に響いているのが印象的だった。
運ばれてきたグラタンにスプーンを通して、伸びるチーズにかぶりつく。熱された口内をはふはふと言わせていると、萩原が水の入ったグラスを差し出した。
「あの子、自首したんだって?」
「うん、もう……多分、大丈夫だと思う。落ち着いたら、また会いに行こうかな」
「そっか。良かった」
彼もその広い肩幅を、僅かに落として息をついた。一度信じることができたのなら、もう私のことなど忘れて成長してしまうかもしれないけれども。それはそれで喜ばしくも寂しいことだ。
彼はポケットから長く細い煙草を取り出すと、手で覆って火を灯す。吸い込んだ煙を、フウと横を向いて宙に燻らせた。ツンと爽やかな香りのする煙草の煙は、薄い膜を張るように彼の姿を白ませる。
そういえば、メールには『言いたいことがある』とあった。マカロニを口に放ってそのことを尋ねれば、彼はまだ吸いぶちのあるだろう長い煙草の先端を灰皿に擦り付けて、「そうだった」とぼやいた。
財布から、何やら紙幣ではない紙ぺらを取り出して、彼はテーブルに置いた。
薄い紙が二枚。おどろおどろしい血痕と手の痕。『恐怖、学校の怪談』と書かれたチケットだった。知っている、私が以前からチェックしていたお化け屋敷だ。
「え、これどうしたの。一般販売、完売してたんだけど」
そう、昔からファンのあるシリーズの最新作で、私も折角だしとチケットを買おうとしたが出遅れてしまい、手に入れられなかったのだ。萩原は二枚あるチケットに軽く指を滑らせて、ニコリと厚い唇を微笑ませた。
「プレゼント」
「なんで!? 良いの、こんなの」
「もっちろん。いやあ、誘ってもらったんだけど、俺オカルト苦手でさ」
それから彼は頬杖をついて、松田のように意地悪く片側の口角をニヤ、と持ち上げた。
「だから、諸伏ちゃんと行っておいで」
「は、萩原……」
「伊達班長から聞いてさ。スリラー系好きだったから、もしかして趣味合うのかと思って」
ホラーハウスのこともあったしな、彼はわざとらしく思い出すように、目を閉じて顎をとんとんと叩く。嬉しい、彼とは一緒に行こうと約束をしていたし、喜んでくれるだろうか。私はそのチケットを手に取って、萩原のほうを笑顔で振り向く。
「マジ萩原良い男すぎ」
「あはは、じゃあ俺にしとく?」
「うーん、でも浮気するしなあ。綺麗な女の子がいると」
「あれ浮気に入るんだ……。ま、マブとしては当然でしょ」
以前松田にマブだとか言っていたことを引きずっているのだろうか。彼にそう言われると面白くて笑ってしまったけど、悪い気はしなかった。その大きな手が、年下の面倒を見るかのようにぽんぽんと額を軽く叩いて、実は年上なんだけどなあと複雑に思いながら笑った。
「誘ってみなよ」、言われるままにメールを送って、萩原と二人で画面を覗きこんだ。少しテンションの高そうな諸伏の文面に、二人で顔を見合わせて笑い、ぐっと拳を合わせたのだった。