警察編 ①
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独身寮には休日がない。
――というのは、私の先輩である香取から聞いた言葉だが、私の入った寮は聞いた内容とは違った。確かに外出や外泊届は必要だけれど、別に休日にパシリにあったり、飲み会を強制されたり、寮内の掃除を託されることもなかったのだ。
やや窮屈さはあるけれど、警察学校の寮生活に比べれば時間にも割かしルーズだ。少なくとも私の寮では、日付を超える前に帰ってこれば鍵も開いていたし、同じ寮にいる女性警官もキツい言い回しはするが良い人たちだった。
私はその日の予定に『杯戸市内』とだけ書き残して、小さなショルダーバッグを抱えた。普段はオフィススタイルで通勤するぶん、休日は好きな服装をしたい。Tシャツにデニムを履いて、上から薄手のジャケットを羽織る。
半そでを着ていくのは腕を動かしやすくしたいからだ。友人と休みの合わない日は、決まって一人行くのが習慣になっている場所があった。
――電子音があちこちから入り混じる店内と、コインが重なり合う金属音。今時よりも一世代古いような機器の集まったゲームセンターだった。この街に越してきてから少しして見つけたのだが、これが案外楽しい。特にがらがらのレーシングゲームは私の好奇心を多く擽った。車型のではなく、バイク型のもので、今までのスコアを見ても私と数人しか挑戦者がいないのが、また良かった。
私はジャケットの袖を抜いて肩に掛け、軽く舌なめずりをしてそれに跨る。姿勢を低くしてタイムアタックに臨むが、どうしても一位のタイムには程遠いのだ。一応この世界でも免許は持っているが、やはり腕は訛るものか。
もう一度、とハンドルを握りしめて画面を見つめた。操作方法は割とリアルで、映像こそ昔のものなので荒いけれど、つい熱中して楽しんでしまう。
「っし、これは良いだろ!」
ゴールの文字にぱっと上体を起こした。自分が今まで取り組んだ中では最速タイムだ。
そのあと、ドラムロールが鳴り響いて、画面にスコア一覧が映し出された。自信はあった――のだけれど、順位は二位。私は機体にまたがったまま、バタバタを足を動かした。この『ヒカル』とかいう奴、上手すぎるのだ。
「おい、キミ。学校はどうしたんだ」
「へっ!?」
急に背後から話しかけられて、私はビクっと背筋を伸ばした。しかも、今の声の掛けられ方は補導されそうになっているのでは――。慌てて違います、と否定しようと上体を振り向かせると、ニヤニヤと笑った癖毛頭と目が合った。私は口もとを歪ませて、思い切り肩を落とし脱力する。
彼は私が載っていたものの隣に軽く腰を掛け、持っていたビール缶を軽く煽った。黒いトレーナーに、サングラスとチェーンだけのペンダント。真昼間からビール片手にゲームセンターだなんて、上官が聞いたら卒倒しそうだ。
「昼間から飲むなよ、警察官のくせに」
「一杯は飲むに入らねーの」
は、と馬鹿にするように笑って、彼は映し出された画面を見る。機動隊は寮生活が厳しいと聞くけれど、よくこんなに悠々としていられるものだ。――警察学校の時の彼を思えば、確かに上手くやりそうだけれど。
「あれ、今日休み? 前は公休の日違ったのに」
「ウチ、変則が多いからな。ちょくちょく変わるよ」
「へー。じゃあ愛しの萩原とは離れ離れに……」
「どの口が言ってんだ、テメー」
悪態をつきながら、彼は私のジャケットの襟を正すように触れる。そしてピンと眉を吊り上げて、「お前さあ」――不愛想に、少し不機嫌そうに口を歪ませた。松田がこんなふうに触ってくるのは珍しくて――叩いたり、ぐしゃぐしゃにされることはある。不本意だが。――どうしたのと首を傾げると、フウと息をつかれた。今日は煙草ではなくて、お酒の匂いが香った。
「やんなら恰好なんとかしろよ。男がケツばっか見てたぜ」
「あー、そういうこと……」
「ここにくんの、パチンコやりにくるような男ばっかなんだから、気ぃつけろ」
ゲームセンターの隣に併設されたスロットは、少なくともゲームセンターよりは賑わっているようだ。あまり人がいないので良いと思っていたが、女に飢えているわけでもない松田の目についたのなら、良くないのかもしれない。
「でも、正直女の子がこのゲームやってたら、恰好関係ねーよなあ……」
「彼女ならぜってー止めさせる」
どうしても機体が大きい分、ハンドルに手を伸ばすと下半身が目立ってしまうのだ。次来るときは、松田なり伊達なりに付き添ってもらおうか。
「あれ、休みなら彼女んとこ行かないの」
そういえば、と視線を向けると、松田は軽く頷いた。表情を見るに、喧嘩というわけでもないらしい。松田はもう空になったらしいビール缶を軽く手元で遊ばせながら、旅行、とシンプルに答えた。
「サークルで行くんだとよ」
「だからそんなに寂しそうなんだね」
「言ってろ、ばーか」
相変わらず小学生のような悪態の付き方だ。私はそれが面白くて、ふっと堪えられない笑いを零した。
それからは、何となく話を続けた。職場の話だとか、雑用はじゃんけんで負けた萩原に押しつけてきたということも。付き合った一年記念日を忘れていて、泊まるつもりだった彼女の家を追い出された話を聞いた時は、笑いすぎて頬が痛かった。なるほど、以前の『金で機嫌が買える発言』はここから来ていたようだ。
暫く話していたら、小腹が空いたので近くのファストフードで食事を済ませた。松田は頻繁に携帯を見ては、ため息ほどまではいかない、小さな息を鼻から漏らした。
――なんとなく、それが降谷の連絡を待っているのではと思った。
私もそうだし、諸伏も、この間会った時、チラチラと携帯を気にしていたのを覚えている。
忘れておけというには、彼の存在はあまりに鮮やかだったのだ。
彼の正義感も才能も、ある種警察官の憧れだった。みんな、ああなりたくて目指したのだというのを、彼が体現しているような男だった。
それだけだったら、私たちも『優秀な男』で終わっていたのだろうけど、彼の人間らしさを知ってしまったから、こうして心配をしているのだ。ケンカはしていないか、誰かをやっかんでやしないか、無理をして怪我を負っていないか。
「……アー、やめだやめ。アイツからの返事なんて待ってやらねえ」
松田はワックスで整えられた癖毛をぐしゃぐしゃとかき乱す。
私も、ハっとして温く溶けたシェイクを吸い込んだ。だね、と私は彼の言葉に悪ノリするように笑う。降谷とのやり取りは、以前飲み会で送ったもので止まったままだ。
◇
その日の夜、久々にあの日の夢を見た。
警察学校の卒業前見た切り、ピタリと止まっていた夢だ。ずいぶんと前の話だが、確かアムロトオルとかいう男の映画の夢。妹が顔を輝かせて、彼を語っているあの夢。
久しぶりに見たせいか、その時はすぐに記憶を夢だと分かって、割かし冷静にスクリーンを眺めていたかもしれない。勿論、スクリーンの中の男はアニメーションのキャラなのだけど、降谷によく似ている。降谷をアニメとして動かしたら、きっとこういう風になるだろうと想像できるほどだ。
『――やさん』
眼鏡をかけた男が、何か違う名前で彼を呼ぶのだけど、いつもそこはノイズが掛かって聞こえない。そうだ、確か妹が言っていた。彼にはいくつか名前があるのだと。
「――!!!」
また、駄目だった。小さな体が吹き飛んで、俺の記憶はいつもここで途切れてしまう。彼女に届かない涙を零して終わってしまう。駆け寄った女性経験が、俺の体にタオルを掛けた。
俺の人生はまだ続くはずなのに、まるでここで人生が途切れているようだった。