警察編 ①
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「高槻さん、ごめんだけどこの書類見直しお願い」
「はい、ちょっと紛失物の対応してるので、終わったら行きます」
すれ違いざまに託された書類を手に、私はパイプ椅子に座った少女に「お待たせしてすみません」と声を掛ける。もしかしたら、今の私とそう変わらないだろうか。スクールバッグを肩に掛けた彼女は、興味深そうに交番内を見上げて、気の強そうな瞳をパチパチと瞬かせている。アイドルグループにいても可笑しくないような線の細い少女で、先ほどから先輩が彼女を気に掛けているのが私にもよく分かった。
「えっと、それで財布の特徴を聞きたいんですけども」
「えっ。あー、っと、このくらいの折り畳み財布です。色は薄ピンクで、合皮製。中には診察券と、保険証、千五百十二円が入っているかと……」
「なるほど。落とされた場所は」
「杯戸ショッピングモール東口から出た通路を、右に曲がった先にあるケーキ屋さんで使って……多分、そのあたりじゃないかと思うんですが」
見た目の割に、しっかりと物を話す子だった。要点を得ているし、書類の作成もしやすい。諸伏に似て猫のように吊った目つきをしていたので、つい私は彼女の顔を眺めてしまった。耳の下のおさげが、顔を揺らすとピョコンと揺れる。
「すみません! 私も大学出たら、採用試験を受けようと思っていたので……」
「お~、じゃあ後輩になるかもですね。楽しみにしています」
未来の後輩か。こんな可愛い子が入れば、間違いなく署のマドンナだろう。事実、既に署内の男の視線がチラチラとしているし――。
私は彼らの視線を振り払うようにシッシッと軽く手で追い払って、紛失届を受理した。
「お前先輩に向かって生意気なことを」
と、勝手に腹を立てているのは私の指導係である香取という男だ。二十六だったか、交番の中では歳が近いこともあり、良くしてもらっている。そこそこ気心の知れた先輩である。強面の割にアイドルオタクらしくて、ああいった可愛らしい子に目がないのが傷だ。
「あはは、私がいるでしょ」
「顔は良いんだけどな。男みたいなことばっかり言うしなあ……」
「悪かったな……。はい、これで手続きは完了ですので、見つかれば連絡行きますからね」
「ありがとうございます!」
可愛らしい見た目のわりに、スクールバッグにつけられた、少し丸々とした熊の人形が印象的だった。ふっくらが可愛いっていっても、正直豚にしか見えない。でも茶色いし、多分熊だ。
書類には丸っこい小さな文字で『三池苗子』と並んでいた。ミイケ、さん。名前まで猫みたいで、可愛い。
少し鼻息を荒くした風な少女に、私は一丁前に敬礼をして見せた。彼女も、にこやかに敬礼を返したのだった。
◇
「じゃあ、お疲れ。あとは任せな」
「本日もありがとうございました。お先に失礼いたします」
交代でやってきた当番の上司に敬礼をして、私は踵を返した。非番だといっても仕事が終わるのは昼過ぎだ。書類を仕上げたいがあまりに昼食も摂ってなかったので、瞼よりさきに腹がくっつきそうだった。
先ほどの少女が言っていたショッピングモールに、確か最近話題の石焼料理が入ったと聞く。良いな、美味しそう。平日の昼なら並んでも知れないだろうと思って、私はショッピングモールまで足を伸ばした。
「げ、嘘。こんなに並ぶ……?」
最近テレビに映るほど話題だとは知っていたけれど、まさか平日の昼間――それも一時過ぎに、これほど行列を作るとは予想外だ。行列に並ぶのはそれほど苦と感じないほうだけど、それまで空腹が持つかどうか。――いや、無理だ。
早々に諦めて、すぐ向かい側にあるラーメン屋に入った。また食べにこれるし。心の中で誰にでもない言い訳をしていると、隣の客が味噌ラーメンを注文した。味噌ラーメンも良いなあ、美味しそう。
「味噌ラーメン、こっちも」
手を挙げて注文をすると、隣の客がパっとこちらを振り向いた。パッチリと見開かれた猫目に、私はまだ先ほどの少女の残像が残っているのかと思ったくらいだ。
「やっぱり高槻さんだ。ああ、そうか。配属されたのってこの近くだっけ」
ぎゃあ、と心の中の叫びを、なんとか口に出さないように飲み込んだ。
良し、よくやった向かいの石焼料理屋。そして数分前の英断を下した私。カウンター席で彼の隣を空けてくれた店員と、前の客にも感謝を振りまいておこう。
「諸伏くんも仕事帰り?」
「そう。本当は家まで我慢しようとしたんだけど、腹鳴っちゃってさ」
「私も一緒。当番明けは駄目だよね」
手を拭きながら笑うと、彼もカウンターに軽くうなだれて「本当に」と頷いた。店内で静かに回る扇風機が、軽く彼の前髪を揺らしていく。
「髪、伸びたね」
低い声が静かに言うので、一瞬私の視線の先がバレてしまったのかと思った。じゃらっと細かな氷が入ったグラスを呷る諸伏の横顔が、こちらをちらりと見たので、ようやく私のことかと気付く。
確かに、卒業してからは髪を切っていないので、軽く肩に掛かる程度には伸びた。
「伸ばしてる?」
「そういうわけじゃないけど……な、短いのが好き?」
「俺に聞くなよ。うーん、美人だからどっちでも似合うけどなあ」
顎に手を当てて、じっと私を見つめる瞳。目の前に手をやったりどかしたりしているのは、髪の長さを見ているのだろうか。正直こだわって伸ばしていたわけでもないけど、諸伏が短いほうが良いのなら切ろうかな、くらいには考えていた。
「短いのも良いけど、長いのももう一回見たいかもな」
「オー……上手いね、諸伏くん。さては元カノで言い慣れてる」
「違うって。初めて見た時、髪長かったの覚えてたから」
彼が笑いながら告げた言葉に、僅かに口の端をニヤニヤとさせていると、目の前に味噌ラーメンが二つ置かれた。こちらを見ていた視線がパっとラーメンの方を向いて、「美味そう」と輝くのが子どものようで可愛かった。
諸伏が手渡してくれた箸を受け取って、二人で手を合わせる。白いブラウスを着ていたので、気を付けながら啜るのは大変だったけれど、隣にいた諸伏がもろにシャツに飛ばしていた。私は噴き出しそうになるのを、なんとか堪えた。
店を出ると、諸伏はニコっと笑って送ると隣を歩いてくれた。そのシャツに二滴飛んだ味噌が、彼のほほ笑みをやや間抜けに見せる。けれど、それも良かった。
「これ、落ちるかな」
「どうだろう。シャツとかってやっぱりクリーニングするの?」
「うん。自分でアイロン掛ける余裕もないしな」
諸伏が配属された場所は、大きな署で、寮の定員の都合で部屋を借りることを推奨されているらしい。クリーニング屋は遠いんだよな、と彼はシャツを指で摘まみながら苦く笑った。
「良いな、一人暮らし」
「同じ署の奴ばっか住んでるから、寮みたいなもんだよ」
「そんなもんか……。降谷くんとは会えた?」
ちらっと自分の携帯を一瞥して尋ねると、彼はゆるゆると首を横に振った。
以前の飲み会の帰りに知ったのだが、どうやら諸伏でも、降谷とはメールでしか連絡が取れていないのだとか。私たちの代では群を抜いて優秀だったので、もしかしたら松田や萩原のようにスカウトされて、忙しい毎日を送っているのかもしれない。
「大丈夫、アイツが元気だって送ってきてるんだから……嘘をつくような男じゃないよ」
そう、自らの携帯を握りしめた諸伏は少し寂しそうに思えて、私はその丸い頭を撫でつけた。私も、松田も寂しがっているけれど、一番寂しいのは諸伏のはずだ。中国の陰陽模様のように、当てはまるみたいに真逆な彼らだったから。
諸伏は私の伸ばした腕を照れ臭く受け止めて、それから心地よさそうに、暫く目を伏せていた。ありがとう、低く掠れた声がポツリと呟いた。