学校編
名前の設定
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――ああ、地獄絵図だ。
俺は木製の梁を眺めて、気を逸らした。ある程度酔っ払いが出ることは予想していたが、まさか普段まったくのザルの親友すら出来上がってしまうとは夢にも思わなかった。零は旅行に行く機会が少なかった分、こういったことで盛り上がってしまったのだろう(何せ、小中高と敵ばかり作っていたし――)。それ自体は喜ばしいことで、心が許せる相手が増えることは友として微笑ましく思った。
「ヒロ~、お前は大体なあ、いつもそうやって優柔不断で~~~」
後半の言葉は、俺が明瞭に聞き取ってやることができなかった。浴衣をはだけさせて説教酒をする零に、ため息をつきながら途中で合わせを直してやる。ちなみに、出来上がっているのは零だけではない。伊達は最初に酔って寝コケてしまったけれど、松田はイカサマのギャンブルで皆から酒を巻き上げているし、女子の一部が零に絡んで彼女たちへ説教をする悪循環が完成している。
あれほど気を付けていたというのに、高槻もすっかり頭をフラフラにして酔っ払っていた。いや、飲むなよ。というツッコミも、既に時は遅い。彼女、それほど酒に強くはなさそうなわりに、買ってきたものからアルコール度数の強いものばかりを選抜して飲むのだから。そりゃあ出来上がるだろう。
ほんのり酒気を帯びながらも正気を保っているのは俺と萩原くらいで、萩原は松田から、俺は零からの絡みに顔を見合わせて苦笑いを浮かべていた。
「諸伏くんがパパの話聞いてくんなあい、はぎわらあ~」
「あー、はいはい。お兄ちゃんからちゃんと言っとくからね」
「うん……。おら、諸伏ぃ、お兄ちゃんに言いつけたかんなあ」
「なんで父より兄のが立場強いんだよ……」
呂律の回らない言葉で何やかんやといちゃもんをつけてくる高槻に苦笑いをした。
舌ったらずなのは少し可愛いと思ってしまうけれど、酔うと距離感がゼロに近づくのはやめてほしい。さすがにこの間と違って、下着は着けているようだけど――見えてしまったのは不可抗力だ。
「おい、そこの男女ぁ」
「あ? 誰にけんか売ってんだよ僕ちゃんが」
「酒買って来い、酒ぇ」
「松田、百花ちゃんまだ未成年だからね……」
萩原が、寝転びながら高槻を手招いている松田を諫めた。話す口の開き方が段々小さくなっていて、恐らく彼が寝落ちるまでそう時間もかからないだろう。零もそのくらい素直につぶれてくれれば良いのだけど、アルコールに強いぶんそうもいかない。
「ヒロ、聞けよ、ぼくは酔ってないからなぁ」
「分かった。分かったから……。これはやめよう、な?」
「なんでだよ、ぼくのバーボン取るなよぉ」
確かにコンビニにウィスキーも置かれているけれど、わざわざチョイスしてきたのは誰だ。缶チューハイとパック酒で十分だろ。額を押さえながら心のなかでツッコミを入れるけれど、零が抱えたバーボンを女の子の一人が取ろうとして、俺はそれの仲裁に入らざるを得なかった。
「あっはははは、降谷君かわいぃ~」
「取るなってぇ、刑法にひゃくさんじゅうご条だろ」
「あははは、勉強になる~」
――こ、コイツら……。
はあ、と大きくため息をつき、零にべったりと張り付いた小柄な女の子を宥めていると、急に背後からバターンと大きな音が聞こえた。と思えば、子どものように「ワーン」と泣く声がして、バッと振り向くと、高槻が赤ん坊のように蹲って泣いている。
「高槻さん……?」
「う、ぐすっ、うぇええーん……」
「百花ちゃん泣き酒するタイプ?」
「いや、前はそんなことなかったんだけど……」
どちらかといえば、ずっと女の子にベタベタと絡んでいたような気がする。少し心配だったので、その細い肩を軽く揺らした。「高槻さん」と名前を呼ぶと、彼女はばっと振り向いて、その我儘そうな目つきに涙を溜めた。
綺麗な白目が、涙を張ってうるっとしていて、ついドキっとしてしまう。いや、これは酒のせいだから。自分に言い聞かせながら「大丈夫」と尋ねたら、彼女はぐずぐずと鼻を啜りながら本当に子どもがするように両腕を伸ばしてきた。
「諸伏くん、おれのこときらい?」
――まただ。
前酔っ払った時と同じだ、一人称が変わっていた。それに少し違和感はあったけれど、まあ酔っ払いの言うことだし。「嫌いじゃないって」と安心させるように言い聞かせた。
「マジで、ちゃんとすき? おれ、チンコなくなっちゃけど大丈夫?」
「何言ってるんだ、本当に……」
「重症だね、これ……」
「うるせ~、萩原。おら、おらっ」
彼女は寝転がった足を伸ばして、萩原の胡坐をかいた脚を蹴り上げた。そこそこ強い力だったので、萩原が「いででで」と声を上げている。というか、そんな風に蹴ったら浴衣がはだける。彼女の脚をぐっと閉じさせると、その瞳がまたうるうると潤んでいく。
「諸伏くん、やっぱおれのこと嫌いなんだ」
「だから違うって」
「おれが中途半端だから、おれより諸伏くんのが可愛いからだ……。くそ、ちくしょう、お酒買ってくる……」
高槻はおもむろに立ち上がると、ふらふらとした足取りで部屋を出ていった。
バタン、と扉が閉まる音を聞いて、萩原を目を見合わせて慌てて立ち上がる。間違いなく、出ていった。どこにいったか分からないが。
「ちょ、俺追ってくる」
「俺もいくよ、あ、おいゼロ、離せって」
「先行くわ。諸伏ちゃん、電話できそうだったらしてあげて。たぶん携帯持ってたから!」
追うように萩原が立ち上がって、彼もややふらついた足取りではあったが、彼女の後を追って部屋を出た。俺もすぐに追おうと思ったが、こんな時に限って零も松田もなぜかこちらに絡んできて、振り払うのに少し時間を要してしまった。
一応部屋を出てみたけれど、どこに行ったのだか検討もつかない。
そういえば萩原が電話を――と言っていたなと思い出して、携帯を取り出し彼女に電話をかけてみた。メールアドレスを交換したときに、一緒に交換したものだ。
出るかどうかは賭けだったが、数コールを置いて電話がつながった。俺はホ、と安堵の息をつく。
「高槻さん? 今どこにいるの」
『今~? 今はなあ、お酒買いに自販機に来たところ』
「お酒……ロビーの近くの自販機か」
どうやら旅館を出てはいないらしい。良かった、不幸中の幸いである。夜中だからロビーのあたりに人もいないだろうけど、今から向かえば妙な事件に巻き込まれるようなこともないだろう。
「今からそっち行くから。動かないで」
『え、諸伏くん来るの? じゃあ酒奮発してかっちまお』
「買わなくて良いよ……。まあ良いから、そこいてね」
『うん……へへ、諸伏くんと電話、初めてッスよね』
なんだ、その言葉遣い。違和感はあったけれど、なんだかふにゃふにゃしていて可愛い。俺は足をエレベーターへと向けながら、少し持ち上がった口角を隠すように手で覆った。そうだな、なんて相槌を返すと『嬉しいッス~……おれ感激する……』と謎のキャラクターで返される。
『俺ね、俺……』
「高槻さん……? 高槻さん!」
『すう……』
突然途切れた声に慌てて名前を呼んだけれど、そのあと規則正しい寝息が電話越しに聞こえた。寝てしまったのか――、迎えにいってやらないと。ちゃんと自販機の前で寝ていれば良いのだけど。何かあったらいけないと思って、なるべく電話の音を聞きながらロビーへ向かっていると、誰かもう一人、声が聞こえた。
『あ、いたいた。おーい、百花ちゃん』
どうやら萩原が彼女を先に見つけてくれたらしい。
妙な輩に絡まれる前に見つけてもらえて良かった。萩原は何度か名前を呼んでいたけれど、そのあと独り言ちるように『寝てんなこりゃ』と呟く。
『ったく、危なっかしいんだから……ほら、行くよ』
『んー……まだ、いかね……』
連れていくのに苦戦しているらしいやり取りがあった後、萩原は諦めたようにフー、と長い溜息をついていた。がさ、と掠れる音がする。
『――ふ、可愛い顔』
――ちゅっ
と。間違いでなければ、確かにそう聞こえた。確かに、その、湿っぽい音が――したのだ。俺は妙な感情になった。目の前が真っ赤になったような、と思えば血の気が引くような。口元がつい引き攣ってしまう。
萩原と高槻って、そうだったのか。それとも、酔っぱらっていて女の子がいたから――。違う、彼が軟派そうに見えて、案外誠実な男であることはここ数か月で痛いほど知っていた。
萩原は良い奴だ。友達想いで、人の変化によく気づき、よく対応する。彼の不幸など祈っちゃいない。
無意識のうちに、がりがりと首筋を掻きむしっていた。爪が引っ掛かって、痛いと思って、ようやくその手を離す。俺は暫くその掌を見つめて――通話ボタンを切ってから、踵を返した。なんだか、嫌な気持ちだ。酒が入っている所為もあるのかもしれない。無性に泣きたくなった。「どうして俺じゃない」と叫びたくなった。
部屋に戻ると、部屋は寝落ちたみんなの寝息で満ちていて、俺はその中に混ざるようにして横になる。萩原にも高槻にも、合わせる顔が見つけられなかったからだった。