学校編
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夏季休暇が終わると、長くも短いような警察学校に終わりが見えてくる。
ツクツクボウシの声に夏の終わりを感じながら、教官たちの口からも「卒業後」という言葉がちらほら飛び交い始めた頃だ。鬼塚教官が、終業後に私たちに零した言葉に、部屋中がどよめいた。
「卒業旅行……」
私もどよめいた人間の一人で、まさかこの鬼のような訓練生活の中に『旅行』などという言葉が飛び交うとは夢にも思わなかったのだ。確かにそう言われれば、四月に渡されたパンフレットにそんな行事が記されていたような記憶もある。覚えがあったらしい降谷は当然のように背を正していた。
「二泊三日、行先は自由――レジャーランドは無しだぞ。予算表と詳細を渡すので、教場で意見を纏めてしっかり予定を組むように」
しかも、なんと自分たちでプランと行き先を決めて良いのだと言うではないか。
なんということだ、夏季休暇が終わりたてで立て続けにこんな幸せをもらっても良いのだろうか。私たちは業後の時間を使い、課題に支障の出ない時間まで教室で話し合いを続けた。総代である降谷と、次席の伊達が中心になり、各々がやいやいと自分の欲求を述べ始める。高校の文化祭かよと思うほど、皆顔が輝いていた。
結局、行き先は大きく二つのプランで別れる。山でアウトドアをするか、海辺で魚介三昧か――。まあ、レジャーランドが駄目で車も観光バスオンリーなので、行き先が絞られるのは教官も把握済みだろう。
私はどちらでも良いなあ、なんて思いながらボーっと肘をついていたのだけれど、やや顔を強張らせた諸伏の横顔を見てハっとした。
「山岳救助で山泊まったし、海でもよくない? みんなでダイビングとかしよーよ」
急に言葉を捲し立てた私に降谷がジトっとこちらを睨んだけれど、彼も彼で恐らく諸伏の表情に気づいたのだろう。「まあ、海はまだ宿泊してないか」――と、納得したように頷いてくれた。さすがは諸伏の親友。これからも一緒に彼を守っていこうな――など、一方的な友情を膨らませておいた。
その後も素晴らしい降谷のアシストのおかげで、行き先は海辺の旅館ということになった。萩原が「お、皆の水着見れちゃうんじゃない?」とご機嫌に助平親父のようなことを言ってのけたので、急に二十代の女性たちが「やだー♡」と老けたリアクションを繰り広げたのだった。
◇
卒業旅行と真逆に位置するのは、試験と術科検定だ。
ついこの間終えたばかりの気持ちにもなるが、卒業間際は一際厳しく、昨日与えられた幸福を打ち砕くような扱き具合である。逮捕術も班対抗の試合が組まれて、負けた班は腕立て伏せやスクワットが課されていた。
伊達班に至っては一度も罰の腕立てを味わっておらず、教場は皆で口惜しく地を舐めたものだ。
「高槻、行け行け!」
伊達班へと負け戦に挑んだ同期たちが腕を震わせながら私を男側へと押し込んだ。体は紛れもない女なのだが、どうしようもない奴らだ。目の前を見ると萩原が、明らかに動揺した風に「え、百花ちゃんがやんの!」と驚いている。顔は面で見えないものの、恐らくあの垂れた目つきがギョっと目を見開いているのが想像できた。
明らかに腕の長さが違って不利だが、徒手ではなく警棒だ。思い切り踏み込めば、萩原ならば若しくはと思い、一勝を賭けて構えてみた。
目の前に立つと、伊達には及ばないが大きな体格を思い知る。初めの合図を受けて、上から振るだろう腕を受け流せるように片手を差し出し、彼の胴へと踏み込む。予想通り腕の上に振った警棒を受け流そうと思ったものの、力の差が歴然だった。
押し切られそうになる腕に、予定を変更し両腕を使って押し上げ、その胴に一本――防がれた!
そのまま肩が狙われていることに気づいて、一旦下がった。――が、彼の一歩は大きく、距離の詰め方も女子の比ではない。けれど、腕の下――。
バッ、と教官の旗が上がった。
「そこまで!」
腕に痺れるような感覚が来たのは、声が響いてからだ。はぁはぁと肩で息をして、小手部分に当たった警棒を見上げた。彼の腕が引かれる。
「いやあ、強いね。百花ちゃん」
「だって、萩原……踏み込んだ時、足踏みかけて一瞬遠慮したじゃん」
「あらら、バレちゃってたか」
彼はじれったそうに面を脱ぐと、「腕立てしてきまーす」と、同期生たちのプランクしている中に混じりに行った。レディファーストの萩原らしくはあるものの、やや心にもやが残る。うーん、と思っていると、松田が気怠そうに立ち上がった。
「え。まさか松田もやんの」
「や、俺逮捕術は得意じゃねーから」
そして彼は生意気そうな顔をニヤリとさせると、ぐっと隣で正座していた諸伏の脇を持って立ち上がらせた。
「コイツに萩の仇は取ってもらうか」
「いやいやいや、なんで諸伏くん!?」
「そりゃあ、お前……」
松田がこちらを見て、口パクで『言ってやろうか』と言うものだから、同じく口の形だけで『やめろ』と牽制する。諸伏は私と松田の間を何度か見返しながら、「さすがに連戦はキツいんじゃないか」と気づかわし気に言った。
結局、面白半分に冷やかした松田と私、何故だか諸伏もまとめて教官にふざけてやるものではないと叱られ、腕立て組に加えられたのだった。
私たちは横並びでプランクを強制されながら、残った降谷たちの試合を見守った。結局諸伏は不戦敗ということになる。
「ごめん、諸伏くん……私の力じゃ及ばなかった……」
「いや、何の力だよ、ふ、あはは。待って、笑うと体勢くずれる」
ぷるぷると腕を震わせる彼もまた可愛い。実際、彼の能力であれば恐らく勝ち抜けたのではないかと思う。(そんなことを言ったら、私も男どもに引き込まれなければ罰刑を受ける必要はなかったが)完全にトバッチリなので、もう一度「ごめんね」と謝ると、彼はちらっと視線だけを此方に寄越した。
「それに、多分高槻さんには勝てなかったしな」
「謙虚~。ゼッタイ嘘でしょ」
「ううん。警棒じゃ、この教場で一番じゃないか。認めてるよ」
「……えぇ~、照れちゃう」
おどけたように誤魔化してみせたが、口角がニヤニヤと持ち上がるのを止めることができなかった。これは好きだとかそういう感情抜きにしても、素直に嬉しい。自分の能力がそれだけ認められているということだ。いや、嘘だ。諸伏だからこそニヤニヤが八割増しになったことは否定できない。
「高槻、ニヤニヤするな!」
その表情を教官に見咎められ、そのまま腕立て五十回を課されてしまった。もちろん、連帯責任である。全員で叫びながら腕立てをカウントする。
「おい、誰だよコイツを調子に乗らせたの……!」
「もとはといえば陣平ちゃんが茶化したんだ、ろ……ぐぇ……」
萩原はすでに負け組の腕立てを済ませた後だったためか、口元こそ笑っていたが支える腕がプルプルと小刻みに震えている。二人ともごめん、とこれ以上腕立てを増やされないために、心の中で謝りながらカウントを続けた。
私たちを笑うように、道場の窓からは日暮が鳴いている。この日だけで、きっと一生分の腕立てをさせられた同期の男たちは、訓練が終わると一気に私のもとに一発入れにやってきた。
「だぁから、ごめんって言ってるつの!」
「うるせー、この野郎!」
性別も関係なく、中々良い勢いで頭を叩かれて、ぼさぼさになったショートヘアを撫でつけるように梳かした。恋とはままならないものだなあ、なんて知った風にしみじみと頷いていたら、最後に諸伏がペシ、と私の額を軽く叩いた。だって、こんなのズルいじゃないか! というのは、負け惜しみなのだろうか。