学校編
名前の設定
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「本当に良かった?」
目的していたものではないけれど、と諸伏に問いかければ、彼は「さっきやったし」と快く列に並んでくれた。お化け屋敷だなんて、入るのは子どものころ以来だ。前世であまり機会がなかったぶん、こういった刺激的なエンターテイメントは大好きだった。
「それに、俺も好き。こういうやつ」
「へえ、意外……。今度お化け屋敷行こうよ、怖いって噂のやつ知ってるんだ」
私が携帯の画像を見せると、諸伏はそれを覗きこんで浮かれたように頬を綻ばせた。好きなものを共有できるのは、素直に嬉しい。「良いね」と、素の声がぽろりと零れたのに、私はきゅうっと胸を摘ままれるような心地になった。
「ゼロはこういうの行かないからなあ」
「ふ、想像できる。〝作り物だろ、こういうのって〟」
「そうそう。〝予想できるのになんで怖がるんだよ〟……あは、笑うなよ。そんな似てた?」
似てたか、というか、少し鼻に掛けた声色があまりにも間抜けっぽくて噴き出してしまった。確かに、そんな風な声をしているけれど。私が腹を抱えて笑っているから、諸伏は少し照れ臭そうに肩を竦める。
今までの友人はお化け屋敷とか、そういうものを好まなかったので、その間にため込んでいた〝行きたい場所リスト〟を諸伏と話しながら並んでいたら、待ち時間はあっという間だった。時計を見れば三十分と少し経っているが、三分くらいにしか感じない。おおげさかと思うかもしれないが、本当だ。
あと少しで案内されるというときに、目の前に並んでいるカップルが、ぎゅうと繋いだ手を大胆に絡め始めた。恐らく、彼女が怖がったかなにかしたのだろう。互いに見つめあって、抱き着いて、不安そうに見つめる女性の唇に軽くキスが落ちた。
それを見てからだと、諸伏と携帯を覗きこむときに、彼の顔がすぐ傍にあることをなんとなく意識してしまう。そういえば、前キスしようとしてしまったなあ、って。ぼんやりと夏の夜を思い返した。
高い鼻筋が、俯いた顔ではよく目立つ。頬に一粒伝う汗が、キラっと煌めいていた。諸伏の唇は、綺麗だ。厚くも薄くもないけれど、特に下唇がふっくらとしていて、色だけは田舎の女の子みたいに朱色を帯びている。唇の血色が良いと、健康的に見えるというのは本当だなあと思う。
「――高槻さん?」
唇ばかり見つめていたら、その唇が私の名前の形に動くのがスローモーションに見えた。――いや、違う。今のは本当に呼ばれたのだ。ハっと顔を上げると、彼は不思議そうにこちらを見てニコリと笑った。
「なんでもない。けっこー怖そうだなーって」
「確かに。さっきから凄い声するよな」
「うん。先に声出したほうが、売店のアイス買おうよ」
正直ホラーものには自信があったので、やや強気に乗り出すと、諸伏はニヤリと不敵に片方の口角を持ち上げた。この様子だと、彼も自信があるのだろう。返事はなかったが、その笑みを返事だと受け取って、私は嬉々としてホラーハウスに足を踏み入れた。
最初の部屋でオープニング映像を見せられて、私たちは先へと進んでいく。洋風なお化け屋敷で、廃工場を舞台にしたものらしい。映像は、見回りをしていた老人が殺人鬼であるモンスターに襲われるシーンで幕を閉じていた。
入り口を模した通路へ足を進めると、シャッターがバンっと勢いよく叩かれる。そのあとも急に電気がついてガラスに不吉なものが映ったり、包丁をもった人形がケタケタと笑う演出をしたり。ここまでは吃驚はするけれど、互いに賭けをしていたので口を噤んで歩いて行った。
声を出さないぞと意気込んでいると、いつも驚かないようなところでもかえってびくっと肩を揺らしてしまう。途中でモンスターが横の窓から身を乗り出してきたところでは、多少後ずさってしまったほどだ。
「今のは危なかった?」
その様子を見抜かれて、可笑しそうに笑われる。私の負けず嫌いに完全に火がついた瞬間だった。「別にそんなことない」と子どものように拗ねて、今後一切驚くまいと胸に決めた。
ホラーハウスもおそらく終わりに近づき、途中でぼろぼろな見た目の女の子が、こっちよと私たちを呼び止めた。恐らくスタッフの誘導だ。「はやく逃げて、私がついてる」と私たちを部屋に押し込める。バタンと扉が閉まって――暫くすると、バンバンバンと扉が鳴った。反対側にある出口の扉は開かない。
最初の映像でも映った、恐ろしい形相のモンスターが、入り口側の扉を踏み倒してこちらにやってくる。きっと、ギリギリで扉が開く仕組みなのだ。偽物の包丁を振りかざして、モンスターがこちらにじりじりと歩み寄る。
――まあ、これは引き分けかな。
諸伏も見た限り、楽しんでいるようだが冷静だし、残念だがアイスは二人で買おう。がちゃり、と扉の鍵が開いた音に、踏み出そうとした時だ。
「ぎゃっ」
声を出してしまったのは、私だ。
扉を開いた諸伏の、もう片方の手が、私の手首を優しく、しかし確かに握って引いた。予想しなかった指の冷たさと、指先の皮膚が僅かに厚いこととか、学校のときと違って拍子にメンズの香水が鼻を擽ったこととか――。
手に触れるのは初めてではなかったのだけど、言い訳をするなら急だったから、だ。感情に正直になるなら――嬉しかった。嬉しくて、ドキリとして、つい声を我慢するのを忘れてしまった。
私の手を引いて、明るい出口まで少し早歩きで突っ切る。出口で待っていたスタッフが「お疲れ様です」と笑顔で迎えてくれた。外は明るくて、室内の暗さに慣れていた目がしぱしぱと瞬いた。
その世界の中で、彼はこちらを振り向いてニっと笑った。少年のような笑顔だった。
「俺の勝ち?」
語尾をいちいち上げるのは、もしかしたら癖だろうか。
私の「ぎゃ」というあまりに可愛げの欠片もない声は彼の耳に届いていたらしい。「それズルいじゃん」と肩を落としたら、諸伏はあははと口を開けて笑っていた。
「じゃあ無しにするか?」
「……何味が良い」
「バニラで!」
確かに、相手を驚かせていけないなんて制約はなかった。
多分彼は優しいから、無しにすると言えば良いよと言ってくれただろうけど。それでは私のプライドが傷つくので、近くの売店でバニラアイスを奢ってあげた。まあ、チュロスも飴も買ってもらってたし、そう思えば悔しくもない。悔しくも――。
「くやしい……」
アイス最中を口に入れながら地団太を踏むと、彼はまだ肩を震わせていた。そんなに私が負けたのが嬉しいか、こいつ。笑っている間にアイスが溶けて、殆どシェイクのような状態になっている。勿体ない。
「ごめんな。そんなにビックリするとは思わなかった」
「だって、急だったからさあ……」
「ていうか、高槻さん手首細すぎ。これで盾とか持ってるの」
「……諸伏くんは足首細すぎだから」
じいっと最中を持つ手首を見つめられて、私はすっと片手に持ち替えた。そんなに見つめられると思わなかった。ちゃんと毛は剃ったっけ。あまり気にしない場所だから、もしかしたら少しムダ毛があるかも。そう思うと恥ずかしくて、見られたくなかったからだ。
彼は私の言葉にそうかな、なんて自分の足首を見下ろしたので、私は内心胸を撫でおろした。
向かいのベンチに座っていたカップルは、確か私たちの前に並んでいた人たちだ。正面から見ると、中々に美男美女の二人組だった。女性は「怖かったあ」と笑いながらも震えていて、男性がそれを支えるように立っている。
私の視線に気づいたのか、諸伏も前のベンチを見遣った。彼女たちは、楽しそうにパンフレットを眺めると、またピットリとくっついて次のアトラクションに向かうようだ。
「きれいな人だったね」
どちらも整っていたし、スタイルもよくて、周りからは良い意味で少し浮いていた。おお、と感嘆の意味を込めて漏らしたら、諸伏も「確かに」と頷いた。それから彼は猫のような目つきをこちらに向けて、三秒ほどジっと固まる。
「諸伏くん、生きてる……?」
「え、ああ。大丈夫……はは、やっぱり。高槻さんって、笑うとこっち側にえくぼできるでしょ」
彼の人差し指が、私の頬を軽くぎゅっと押した。私が口を引き攣らせると、どうやらそこが凹んだようだ。彼は目じりをふにゃ、と微笑ませて「きれいだよな」と言った。暑さにやられたようにカーっと頭が熱くなった。
自分の見た目が可愛らしいとは知っていた。でも、諸伏の言葉は魔法のようで、彼に言われただけで、初めて自分の容姿に対して〝恥ずかしい〟という言葉が浮かんだ。