学校編
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トロピカルランドは、いくつかの〝島〟という形でエリアの別れた遊園地だ。大人数で行くと、乗りたい乗り物も異なるということもあって、入って適当に腹を満たしてから、数人のグループで別れてひとまず一つ乗り物を周ることになった。
私はどちらかといえば絶叫もホラーハウスも楽しみたい性質もあり、松田とペアを組む。萩原はどうする、と聞く前に、彼は女性陣に攫われていった。まあ、これを機に萩原と近づきたいという子も少なくなかったので、仕方ない。鈴奈はこういったアトラクションはあまり得意ではないらしく、他の班員とショッピングを楽しむと言っていた。
目玉であるミステリーコースターに並びながら、松田と雑談を交わしていた。なんというか、今は女なのだが男友達という感じで、彼とは気が合う。互いの意見の一致で買った『ポップコーン塩味 バターオイルたっぷり』をつまみながら、彼は段差に軽く凭れていた。
「ここ、もうすぐ閉園するって知ってたか」
「え!? そうなの、昔からあるのにね」
「数年かけてでっかくリニューアルするとか、なんとか――。まあ、噂だけどな」
確かにこの遊園地自体そう新しいものではなくて、そういう話があっても不思議ではない。私もぱくっとポップコーンを口に放って、相槌を打った。
並んでいるうちに、どうやら食べ物でも買いに行くらしい降谷と諸伏を見かけた。気づくかな、と視線を送ってみるが、ワゴンの前に並んでこちらを振り向くことはない。少し残念に思いながら、丸っこい頭を見て笑っていると、松田が「わかりやす」と笑った。
「お前、そんなに諸伏のこと好きだっけ」
「ん!? あー……っと、正直よく分かんないんだよね」
「は? あんだけ顔に出しといて。気づいてないの諸伏くらいだろ」
「あはは、なんかさ。アイドルとか追っかけてる気分っていうか……」
これって好きなのかな、と曖昧に笑うと、松田は頭を掻きながら露骨に顔を顰めた。面倒くさい、とそのまま顔に描かれているようだ。
「めんどくせえな。好きなら好きで良いだろ」
「だから~、なんか、可愛いーっていうか……グラビアアイドル見てエロって思うのと一緒っていうか……」
「じゃあお前、グラドルが目の前に居たらセックスしねえの」
――する。するだろうな。
心の中で答えは出たものの、一応体面は女である。松田は分かって言っているのだろうか――いや、多分自分が思ったことを言っているだけだ。こいつ、たまに私のことを女だと思いもしていない時がある。
私は調子を狂わせて、頬を掻きながら松田を見上げた。いつもぼさっとおりた癖毛が、軽く分け目をつけて整えられていて、我儘そうな目つきが覗いた。
「……好きな人、いるんだよね」
ぼそ、と問いかけると、松田は軽く口に煙草を咥えて「ああ」と答えた。恐らく、動揺を隠したかったのだろう。「ここ禁煙だよ」と煙草を取り上げると、少し気まずそうに下唇を舐めた。
「好き、つーか、狙ってる」
「それって、どんな人? 松田はどう思ってんの?」
「エロい。可愛い。おわり」
「なんだよそれ、それじゃ……」
それじゃあ、私が諸伏に思っていることと同じじゃないか。
む、と口を尖らせた私に、松田は面倒くさそうに項を掻いた。遊び心の入った柄シャツは、彼の子どもっぽい顔つきを何故だか大人っぽく見せた。
「自分と同じだって?」
クツ、と意地悪っぽく歪んだ顔が笑う。すっかり図星を掘られて、私は拗ねた。ふっと携帯から、先ほど撮った諸伏の写真を見直す。私の視線はがっつり彼のほうを向いていて、隣で諸伏がその吊った目尻をふにゃりとさせて笑っていた。
くそ、やっぱり可愛いなと思ってしまう。私よりしっかりとした肩幅や首、それにくっついた青年らしい顔つき。広がった袖から覗く腕の筋は、セクシーだ。
「じゃあ、好きなんだろ。認めとけよ」
「……だって、んなに簡単なもんじゃないじゃん。好きってさ」
「お前、過去の恋愛でトラウマでもあんの? ――あー、いや、処女だっけ」
「うるせー」
確かに処女だが、童貞のように笑われると腹が立つ。警察にあるまじき言葉だ。萩原も察してはいたが、言葉にこそしなかったのに。私はその肩を軽く殴りつけた。
「まあ、認めないならそれで良いんじゃねえ」
「そんなもんかな」
「校内でエロいことだけはすんなよ」
「しねえよ、陣平じゃないし」
ぺ、と吐き捨てるように言うと、今度は松田が軽く肩を伸してきた。松田は不機嫌そうに鼻を鳴らしてから、諸伏のいるワゴンを振り向く。それから、フウと一度息をついた。
「……好きじゃないなら、誰かさんも喜ぶだろ」
と、ぼやいた言葉――視線の先からして、降谷のことだろうか。確かに諸伏に告白などした日には、姑の如くいびりつづけてきそうだ。警察の身辺調査よりよっぽど厳しく取り締まられるかもしれない。
確かにね、と言うと、松田は先ほどよりもさらに長い溜息をついた。
◇
「っは~、絶叫サイコー!」
コースターを抜けて地上を踏みしめると、足がよろよろとする。三半規管が可笑しくなっているようだ。松田と二人でぎゃあぎゃあと言いながら、噴水近くのベンチに座った。同期の子たちも、何かアトラクションを周ってきた後らしく、休憩スペースの多い噴水周辺に姿がチラホラとうかがえる。
「わっ」
後ろから、とんっと拳をあてられる。振り向くと、シナモンの香りが鼻を擽った。吊り目が、ふにゃっとこちらに向かってほほ笑んだ。
「良かったら、いる?」
「え、いいの。見た? 陣平、今の」
見た見た、と携帯の画面にしか食いついていない松田を尻目に、私は諸伏から受け取ったチュロスを齧った。今買ったばかりらしく、歯を立てるとサクリと音がした。
「諸伏くんは、どこ回ってたの」
「ボートアトラクションで競ってたよ。ゼロの圧勝だったけど」
「へえ、そんなのもあるんだ。楽しそう」
諸伏はベンチの背もたれに軽く腕を掛けて、私に向かってニコニコと笑っている。
目つきのわりに、丸っこい色素の薄い瞳が、私の姿をキラっと映した。変な顔、してなかっただろうか。少し気がかりだ。
「行くか?」
「あ、でも、集合……」
「言っとく。行きたきゃ行ってこい」
松田はカチカチとボタンを操作しながら、肩を鳴らす。松田は、と聞くと、向こう側に女の子にもみくちゃに誘われている萩原を指さした。「あいつ、回収してくる」――多分、このメールが終わったら、だ。片手を器用に動かしながら、彼は軽く携帯を振った。行って来い、ということらしい。
神様、仏様、陣平様だ!
私はありがとう、と自分でもなかなか吹っ切れた笑顔を浮かべると、諸伏の腕を取って軽い足取りで歩いた。シナモン味のチュロスを齧りながら。
「甘いもの好き?」
「ん? あんまり。でも、諸伏くんがくれたものなら美味しいって」
「なんだそれ。高槻さんって本当、面白いこと言うよな」
あはは、と青年らしい笑顔が声を上げる。隣に立つと、大きな体が際立って見えた。いつもは周りに伊達や萩原がいるから気にならないが、彼の体格もなかなかにしっかりとしているのだ。
寮とはいっても、着替える場所はいつも別々なので、きっと脱いだらすごいに違いない――なんて、童貞も真っ青な妄想を繰り広げてしまった。こうして隣を歩くのは、夏祭り以来だ。
「じゃあ、飴も好きじゃなかった?」
諸伏がフ、と眉を下げながら可笑しそうに聞く。「実はね」と肩を竦めたら、彼は笑いながらなーんだと言った。
そういえば、彼からはいつも貰ってばっかりだ。たまには、私も何か彼にあげれれば良いのだけれど。彼の言うアトラクションに向かう途中、そんなことを考えていたら、インパクトのある看板につい足を止めてしまった。
おどろおどろしいホラーハウスの看板だ。すぐ隣を見上げると、モンスターたちがこちらを手招いていた。
「うっわ、面白そ~……」
つい独り言を漏らしたら、諸伏が先ほどと同じ笑顔で「行く?」と首を傾げる。その誘いを断るという選択肢は、今の私には出現しなかった。