学校編
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あの日から、夏乃はこちらを見かけるとパタパタとその小さな歩幅で走ってくることが多かった。特に全教場が合同になる食堂では、気が付くと隣に「私も良いかな」と駆け寄ってくる。
はたして、懐かれていると思って良いのか――可愛いので満更でもないけれど、そのわりに私が話題を振っても、相槌程度にしか返さないことが多かった。ニコニコと笑いながら「うん」「そうだね」と、こちらの話しか聞かないので、私としては少し気まずい。
夏になるころには教場の同期生とも大分仲が深まっていて、鈴奈たちと一緒であったり、はたまた他の生徒が隣に座っていたりする。男生徒が揃っていると、夏乃が急に饒舌になるので訳が分からなかった。
「やっぱイケメンが好きなのかね……」
大盛に盛られた白米をぱくっと口の中に放りながら、つい考えていたことが口元を突き出た。ぽつりと誰にでもなく呟いたことだったが、どうやら隣に座っていた夏乃には聞こえていたらしい。彼女はぱっと振り向くと、私を子犬のような瞳で見上げる。同じ警察学校に通っているとは思えないほど、振り向いた際に髪からフローラルな香りが漂った。それに少しグっときてしまったのは内緒だ。
「えぇ、百花ちゃんもやっぱイケメン好き?」
「あ。違う違う。夏乃の話」
聞こえていたなら隠すこともないかと苦笑いしながら答えると、彼女は焦ったようにぶんぶんと首を振った。
「ううん。やっぱり中身が格好いい人が好きだよ。……百花ちゃんは?」
「私? えー……可愛い人かな」
一瞬、諸伏のほうを意識しながらだった。実際可愛い女の子のことは好きだし、嘘じゃない。私の反応に、夏乃はふうん、と頷いた。やはりリアクションが薄い。ぱぱっと食べ終えて、鈴奈のところに向かおうと思い立った時、後ろからわざとらしい体当たりを喰らった。危うく味噌汁を零しかけて、私は拗ねながら背後を振り向く。
背後に立っていた萩原は既に食事を終えたらしく、私の拗ねた表情を見て「ごめん、強かった?」と笑った。こんな優男な見た目をしているが、やはり鍛えているだけあって筋肉質だし、何より元のガタイが良いのだ。隠れバキめ。
「寄ってくんな。今可愛い女の子とデート中なの」
「良いじゃん、俺も混ぜて。陣平ちゃんに先行かれちゃってさあ」
「萩原、食べるの遅いもんね」
「そうかなあ? アイツが早いんだよ」
そういうと、彼は向かい側の席に腰掛けた。無駄に長い脚が、机の下に窮屈そうに収まっている。靴の先が私の靴を軽く掠めた。彼は暫く私と雑談を交わしてから、ぽけーっとしている夏乃のほうをチラリと見遣る。そして、垂れた目つきを優し気に細めてから「こんにちは」と笑った。
「こ、こんにちは」
今までも伊達班の面子が近くに座っていたことはあったが、こうやって面と向かって喋るのは初めてだったかもしれない。夏乃の表情は強張っていて、やや緊張した風にも見えた。
何せ、うちの教場でも女子人気ナンバーワンの萩原だ。確かに親しみやすく、話のテンポを繋げるのが上手いので楽しいし、優しく気が遣える男だった。夏乃も彼の毒牙(失礼かもしれない)に掛かってしまうのだろうか。
「夏乃ちゃん、だっけ。俺は萩原、よろしくね」
「うん、知ってるよ。周りの子がよく話してるから」
「えー、どういう話? 照れちゃうなあ」
「あはは、格好いいって言ってるよ」
くすくすと細っこい肩が揺れた。彼女のそんな楽し気な顔を見るのは初めてで、これが男女の差かと心の中では残念に思う。いや、夏乃にというか、勝手に懐いていると思っていたのは自分にだ。
「夏乃ー、教官に呼ばれてるよ!」
夏乃と同じ教場の生徒が、食堂の入り口からこちらに呼びかける。彼女は焦ったように味噌汁をごくんと飲み干すと、少しだけ困ったように眉を下げて、少し大きめな独り言をぼやいた。
「どうしよ、そういえば次の授業の準備……――」
「準備って、何かあったの」
「うん。昨日、課題が間に合わなくて消灯しなかったのがバレちゃってね……プロジェクターを運ぶように言われてたんだ」
あれ重いんだよねえ、と苦笑いする夏乃に、さすがというか、萩原はすぐに反応を返した。
「俺、手伝おうか」
「え、良いの? わあ、すごく助かるよ」
ぱちんと手を打って、彼女はありがとうと萩原に微笑んだ。長身の萩原から見れば、私から見ても小さな夏乃など本当に子犬のように見えるのではないだろうか。私も手伝おうかと席を立とうとしたら、萩原が人差し指をずいっとこちらに押しつけてきた。
「大丈夫、百花ちゃんはゆっくり食べてきな」
ぱちん、と軽くウィンクを飛ばして、彼は夏乃の食盆を持ち踵を返した。相変わらず、ゆっくりとした足取りだった。
時間に余裕もないので、私もさっさと食べてしまおう。残りの食事を掻き込んで、一人ごちそうさまと手を合わせる。どかっと、萩原のものでない、傍若無人な座り方が床を鳴らした。誰のものかはすぐに分かる。
「やっと行ったか、あいつ」
「陣平……。うわ、絶対休憩してきたでしょ。モロバレすぎ、匂い何とかした方が良いよ」
隣から香る煙たさに、さすがに隠せよと思いながら煙草を吸うジェスチャーをした。何も持っていないと言う男に、私もと言うと、「じゃあ言うな」と冷たくあしらわれてしまった。いよいよ隠すのも面倒になっているのではないか。萩原より体格は小さいが、重装備訓練でも余裕でダッシュをかます男だ。そのまま周回でもなんでも受けてしまえば良いと思う。
「萩原ならさっき行っちゃったよ」
「知ってる、見てたし。アイツも気づいてた」
「そうなんだ」
その割に、萩原は松田が先に行ってしまったと――そう言っていた気がする。ついさっきの出来事なので、間違ってはいないはずだ。私が曖昧に頷くと、彼はテーブルに肘を置く。
ふと萩原の頬杖を思い出した。萩原は真っ直ぐ前を向き、頬を包むような頬杖だったが、松田は前かがみになり頬――というか殆ど口元を手の付け根あたりにぶにりと乗せる。昔の不良のような恰好だった。
「――くせぇな」
すん、と鼻を鳴らすように言うので、私は真剣に頷いた。「確かに、お前煙草臭いよ」と言うと、思い切り後頭部を平手ではたかれる。スパーン、と小気味良い音がした。それほど痛みはなかったが、よくそんなに音が鳴ったなあと平手に感心してしまうほどだ。
「違え、あいつだよ。お前にキャンキャンくっついてる女」
「夏乃? どっちかっていうとめっちゃ良い匂いしてるけど……」
「キナくせーってんだ。お前警察になんならそんくらい察せ」
苛立ったように松田は私の足元を軽く蹴りつけた。彼は声をやや潜めながら、私のほうに流し目を遣す。
「大学が同じだってやつに聞いたんだよ。アイツが関わるとカップルが別れるって専らの噂だったってな」
「カップル、ねえ……。でも、それ私に関係なくね」
「さあ。ま、女同士のことだから首は突っ込まねーけど。俺は余計なモン連れてこられるのは御免だからな」
確かに、彼女を連れて食堂に向かう時、松田の姿は近くに見ないような気もする。松田は、もしかして狙われるのが苦手なのだろうか。――いや、自意識過剰すぎないか。思ったことが顔に出ていたのか、彼は呆れたようにため息をついた。
「〝そういうこと〟になったら面倒だろ。こういうのは防衛すんのが一番なんだよ」
「なるほどね~、モテる輩はちげーなあ」
皮肉に笑って見せるが、彼がいうのことは十分理解できる。
中高と異性から好意を寄せられることも多かったが、自分がその気のないのに周囲だけが盛り上がるのは、鬱陶しく感じるものがあった。女というのは恋愛方面に結束力が高まるものなので、誰が先に好きだっただの、口うるさく言われたものだ。
夏乃がそれほど男好きにも見えないのだが――。松田の勘というのはいやに当たるような気もして、ぶすくれる彼に気を付けるよと笑っておいた。