学校編
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鏡を見て、一回りする。
ぴっちりとした制服は、身に着けると一気に『らしさ』が滲む気がした。試しに敬礼なんかもしてみるが、なかなかどうして良いじゃないか。胸が躍る。思えば、無事合格し、着校してからまだ七日といったところか。長かった。それはもう、長かったのだ。
学校のことは一通り調べていったつもりなので、着校からしごかれることは分かりきっていたが、女にもあそこまで容赦がないとは。心の底から元が男であって良かったと思う。
『高槻百花!!!ただいま着校いたしましたぁ!!!!』
そう、喉が掠れるまで挨拶を繰り返すこと十数回。背筋が伸びてないだの、足の角度が悪いだの、果てはシャツの襟がよれているだの、禄でもないことで怒鳴られたが、こうして入校を迎えられるのは、男の怒声に慣れていたおかげだ。隣にいた背の低い女の子は、泣きじゃくりながら挨拶をしていたが、はたして今日を迎えられたのだろうか。
つくづく、体育会系の世界なのだと思った。
どちらかといえば自分の得意とする分野ではあったが、精神的には一ミリずつカンナで削られている気分だ。特に、私たちを担当する鬼塚教官は何かと服装や仕草に厳しく、猫背気味な私は毎朝礼で殺されるのではという剣幕で叱られていた。
『百花!! お前舐めてんのかその姿勢は!』
『すみません!』
『声が小さい!!!! 給料泥棒かお前!!!』
『すみまぜん!!!』
――と、ほぼ恒例行事を繰り返すこと七回。一度の時間が長すぎて、たったの七回かよと驚きたいところだ。
布団の畳み方から挨拶の仕方まで――きっちりとしたルールがようやくのこと身につきはじめた頃。ようやくのこと、今日入校式を迎えるのだ。
今日はゲロを吐くようなしごきもマラソンもなく、私はほんのりウキウキと制服を身に纏った。
――そういえば、あの時〝俺〟を助けてくれた人も、ショートカットだったな
着校のためにバッサリと切った髪の毛の端を、軽く掌で遊ぶ。自分がロングヘアの女の子が好きなので、このストレートの髪も取っておきたかったが、仕方がない。私は鏡に向かって、なるべく凛々しく笑って見せた。
「うーん、やっぱスッピンも良いな……」
高校の時にガッツリと化粧をした顔も好きだったが、これも悪くない。彼氏から見たら百点だろうな。制服からはみ出た足を軽く曲げたりしていると、やや遅れてルームメイトがやってくる。
「……高槻さん、何してるの?」
「え! あー、うん。ちょっと最終チェックをね……」
私がハハハと笑うと、彼女も少し首を傾げて笑った。少しサッパリとしている風だったが、モデルみたいに足が長い子だ。きつそうな奥二重が私と同じ鏡を一瞥する。
「ふふ、確かにちょっと見惚れちゃうかも」
と、その長い脚を、先ほどの私のように軽く曲げて冗談っぽくくねらせる。正直なところ、堪らない! 「かわ……」いい、の部分を飲み込んだ私に、彼女は「かわ?」と笑っていた。
◇
入校した警官たちの年齢はバラバラだ。下は私と同じ十八から、上は三十二歳まで。しかし年齢など関係なく、その面々は皆緊張した面持ちで背筋を伸ばしていた。あの、泣いていた女の子はいなかった。ほかにも、気づいていないだけで辞めた人はそれなりにいるのかもしれない。
「松田陣平!」
「はい」
他の生徒がピシっと立ち上がる中、驚くほど気の抜けた返事が、建物のなかに響いた。思わず、真っ直ぐと前を向けていた顔が曲がりそうになる。教官の視線を感じ、慌てて視線だけを泳がせる。
――そういう奴もいるんだな~、と思った。
斜め前の席だったので顔は見えなかったが、その癖毛には見覚えがある。恐らく同じ教場であったと思う。あのくらい肝が据わっていた方が、案外警官には向いているのかもしれない。
「諸伏景光!」
「はい!」
お、次は普通。丸っこい頭が立ち上がる。聞き覚えのある落ち着いた声をしていたが、どこで聞いたかはいまいち思い出せなかった。確か、聞いたのは最近であったように思うのだけど――……。
「高槻百花!」
「ぁ、はい!」
しまった――。
この一週間で、喋る前に「あ」をつけるなと散々怒鳴られたというのに。考え事をしていたのが悪かった。私は顔に一瞬後悔を滲ませたが、まあ過ぎてしまったことは仕方ないので開き直って毅然と胸を張っておくことにした。くっ、と後ろの席から堪えるような声がする。笑うな、気だけ送った。
マイクの声が咳ばらいをして、辞令を続ける。あとから怒られるかもしれないことだけは、覚悟しておこう。
「入校生代表 降谷零総代!」
「はい!」
「げ……」
勢いよく返事をしたのは、受験の日に見かけた金髪の男だった。話したことはないが、教場も同じだ。そのブロンドが真っ黒な頭の中よく目立つので、後ろ姿だけでも彼だと知っていた。
しかし、総代か。よほど良い成績を収めたのだろう。こうは言いたくないが、風紀を重んじる中いくら天然だと言えど、ああいった目立つ生徒を総代に選ぶことは珍しい気がする。
女にモテるタイプのイケメン、しかも頭の良いとは。
ますます鼻もちならない奴である。勝手に壇上に上がっていく降谷に敵意を向けた。勿論のこと、降谷はそんなこと意にも介さず、堂々と壇上に立つ。私とは違い、ピンっと真っ直ぐに伸びた背筋が特徴的だった。
斜め前の癖毛の男――松田と言ったか、が大きく欠伸するのが後ろからでも見て取れる。こちらは大層怖い物知らずのようだ、昔の自分を見ているようで少し恥ずかしい。
「何ものにも捉われず 何ものも恐れず 良心のみに従って、警察職務を遂行していくことを固く誓います」
真っ直ぐに伸びた背筋。
決して大きな声なわけではないが、よく通る声をしていた。松田の隣にいる丸っこい頭の男が、その声に応えるように背筋を伸ばす。良心のみに従って……、私は声にならない口の形で復唱する。自分も警察になるのだなあと、漠然と思った。
警察のことは嫌いだった。
特に何かされただとか、恨みがあるわけではない。自分にやましい、隠したいことがあったからだ。暴力、窃盗、麻薬。そういうものにしか縁のない暮らしを送っていたからだ。
悪いことだとは知っていた。しかし、当時の俺にとってそれが世界のすべてであった。暴力を振るわなければ奪われるだけだし、盗まなければ手に入らないものがあって、そういったことを忘れるために麻薬や酒に明け暮れた。
そういった世界を選んだのは自分だ。誰が悪いでもなく、俺が悪いのも分かっている。だからこそ、警察は嫌いだった。
降谷の言葉が、じわりと胸の奥に響いた。
なんだよイケメン、良いこと言うなあ。それがたとえ彼の考えた言葉でないとしても、私と同じような立場の人間がそう言い切ってくれたことに、どこか清々しさがある。薄く浮かんだ涙の膜を、なんとかパチパチと瞬いてやり過ごそうと思った。
「――大丈夫?」
左隣の男が、小声で囁いた。ぱっと振り向くと、長髪から覗く瞳が私のほうを向いていた。多分、私に言ったのだろう。学校長の祝辞に紛れて、周りの生徒は気にしていないみたいだ。私はあまり首を動かさないように、軽く頷く。
男は、ふっと片側の口角を持ち上げる。殆ど言葉になっていないが、息遣いと口の形で読み取れた。
「よかった」
と、言ったと思う。
ワンテンポ遅れて、私が涙目になっていたから心配してくれたのだと、ようやく理解する。口の形だけで「ありがとう」と返すと、彼は瞳をニッコリとして応えた。果たして、教官にどやされなかったのが不思議なくらい、男にしては艶やかで長い髪をしていた。
◇
「え、こんなに長い時間使っていいんだ」
入校式を終えると、そこから再集合までに何と三時間近くある。入校式を見に来た家族と、団欒を過ごす生徒がいるのだろう。分刻みの食事でないことに感動しながら、食堂に向かう。
食堂は空いていた。大きな机に、まばらに人がポツリポツリと座っている。その中に、あの金色の頭もあった。隣に友人らしき男がいるのを見ると、彼らも家族が来ていないらしい。
「あれ?」
――振り向きざまに首を傾げたのは降谷ではない。隣にいた黒髪の男だ。よく見ると、彼もまた受験の日に話した男だった。じぃ、とこちらを見つめる目つきはツンと跳ねあがっている。
「やっぱりそうだ」
思い出したように手を振られたので――そのままなのも気まずくて、私は勝ち取ったA定食を手に、彼らのもとへ足を運んだ。