Second
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「えぇ~! もうそれってラブじゃないですか!! ラブの予感よぅ!」
「声が大きいです……」
鶏肉に下味をつけながら、私は身を縮こまらせた。目の前でキャアキャアと掌を祈るように組んではしゃいでいるのは、梓だ。相変わらずラフな格好でも映えるような、くっきりとした童顔が店の男性客の視線を奪っていた。
というか、ラブという単語は流行っているのか――。こんな短期間で二度も聞くハメになるとは思わなかった。
そうもこうも、先日気合をいれて(しまって――)出かけた先を、梓にこれでもかと食い下がられて、結局白状してしまったせいだ。詳しくは伏せながらの報告だが、以前話していた人の家に行って勉強を見てもらい(ここで、キャア! と声が上がる)、話の内容は曖昧にしたが、泣きそうになったら慰めてくれたと(もう駄目だ、かなり彼女はヒートアップしてしまっていた)。それにドキドキしてしまうのはやっぱり好きなのではないかと思うが、どこか不義理さを感じて申し訳ないということも話した(頬を押さえて足をジタバタを鳴らしていた)。
「そりゃあ、彼も好きになっちゃったのよ!」
「え~……いやいや、そんなことは絶対ないと思うんですけど」
「で、どうなの? 本格的に付き合いたいとか思わないの!?」
そう尋ねられて、私は少し想像した。沖矢と恋人になる――。たとえば、手を繋いでデートをする。彼ほどの読書家ならば、古本屋なんか巡ったり、美術館も似合うかもしれない。少し良いなあと思う。
「ちゅーしたいなーとか、ね!」
「ちゅ、ちゅう……」
私の想像をぴょんと飛び越えた言葉に、う、と言葉を詰まらせた。沖矢と――き、キス。駄目だ、想像できない。というか、沖矢が私に惚れ込んで、キスまで求める様子を想像できなすぎる。百歩譲って、セックスフレンドとしてのキスなら、土下座したら許してくれそうだとは思う。
「ちょっと難しいかな……」
乾いた笑いと共に返すと、梓は焦ったように明るく「大丈夫。男は中身よ」と励ました。
「いや、別にその、外見が悪いわけではなくて!」
「なあんだ、生理的に無理なのかと思っちゃった」
「あは……その、私がじゃなくて向こうがね」
とんだ風評被害で、沖矢をブサメンにしてしまうところだった。あんなに美形な人を間違っても不細工だなど吹聴してはいけない。そこにはある種の使命感を感じる。
「ええー、百花ちゃん可愛いのに」
ね、安室さん――今日は珍しくシフトの被っている安室のほうを振り向くと、彼はその華やかな顔つきをニコリとさせて頷いた。すごく申し訳ないので、本当にやめてほしかった。
「すみません、聞きかじってしかいないので詳しくは言えませんけど……。少なくとも、自分のテリトリーに入れても良いと思えたんじゃないですかね、その彼は」
「テリトリーですか……?」
「あるでしょう。プライベートゾーンというか、そういうものが。和風に言うと〝懐〟というやつですよ」
なるほど、とやけに納得してしまった。確かに、彼は隠し事が多い分、そういったものに容易に踏み込ませるイメージがない。安室は煮ダレを作りながら、得意げに一度笑った。
「偶にいますよ。一度懐に入れると、人格が変わったくらい急に優しくなったりとか……」
「安室さんは分かってないなあ。ゼッタイこれはラブなんですよ、女の勘です!」
珍しく安室と梓の意見が真っ向から割れている。実にくだらない戦争の勃発である。きっかけをつくってしまって、店長には頭が上がらない。
そもそも、沖矢が私を好きでないことは、私が一番分かっている。問題は、私が彼を好きになりかけていることだ。今までは良いなーと思って、などと誤魔化した曖昧な感情だったが、ついにくっきりとシルエットが見え始めてしまったことだった。
警察になるのを応援してくれるという、優しい男を好きになるのは、まるで下心を持って近づいたような風がして、なんだか申し訳がなかったのだ。――好きかどうかはまだ、分からないのだが。
「その、やっぱり急に友人として接していた人が……恋愛感情を持ったら、男の人はどうなんですかね」
安室のほうを向いて、そろそろと尋ねてみる。
安室は、どこか沖矢に似た雰囲気がある。にこやかで、しかし自分の表面しか触れさせないところ。先ほどの『テリトリー』の話からも、なんとなく思考が似通っているような気がした。ただし、紅茶の淹れ方だけは天地の差があるが。
安室は私の言葉に考える素振りを見せ、それから軽く自らの口もとに指をあてた。沖矢の薄っぺらく小さい唇に比べ、ややぽってりとした中性的な唇が、むにりと歪む。
「さあ。僕は今聞いた情報しかないので……でも、そうですね。自分の懐に入れたような――信頼できる人だったら、間違っても嫌いにはならないと思いますよ」
好きかどうかは分かりませんが、と彼はなかなか現実的に突き刺した。
「……私、本当に自分の感情が分かんなくなってきた」
大きくため息をついたら、安室は「そう落ち込まず」と唐揚げボウルを差し出してくれた。今日の唐揚げには、彼の作ったタルタルソースがまぶしてある。まかない仕様のそれは、朝のジョギングで空っぽになった私の胃袋を鳴らしてくる。
「梓さんも言っていましたが、もう少し自信を持っても良いと思いますよ。君はじゅうぶん、魅力的な女性だ」
「え、安室さん!? 駄目ですよ、百花ちゃん、もう好きな人できたんですから! あ、でも付き合ってないなら良いのかな……」
「梓さん」
安室が梓に人差し指を立ててサインを送るのが、なんだか面白かった。梓はそのサインを守る様子をないのが、尚更だ。少し笑いを堪えた私を見て、安室も少し笑みを零す。
「さあ、元気が出たようならお昼にしましょう。カフェタイムのお客さんが来ないうちに」
「……はい、そうですね」
そう、私は彼が作ってくれた唐揚げに箸先を伸ばした。彼の言葉の端々には自信が満ちていて、聞いているこちらまで自身が湧いてくる気がする。良い人だなあと、漠然と思っていた。
◇
その日は締めまでバイトが入っていたので、いつもよりなるべく大通りを歩いていこうと思っていた。すでに日は落ちて、ポツポツと立った街灯と月あかりが道を照らす。住宅街なので、時折スピードを落として走る車が、少しだけ体をビクつかせた。
やや過敏かもしれないが、警戒心はあるに越したことはない。近頃の事件三昧で感じたことだ。このまま真っ直ぐ駅に進もうと思った。――のだが、少し先に見える灯りが気になってしょうがない。確か、沖矢の住む家の隣に立つ――阿笠と呼ばれた初老の男の家だ。珍しい造りの一軒家は、少し離れた場所からでもよく目立った。
今通っている道から、ほんの十五分。走っていけば、十分掛からないだろう。迷惑ではないかな、急に行ったら吃驚するかなあ。そもそも木曜日でないので、彼が在宅かどうかも分からないのだけど、何となく足がそちらに向いた。
足を踏み出すごとに、ドキンドキンと鼓動が鳴った。
工藤と書かれた表札――彼の借りた洋館には、ぽつんと一部屋灯りが点いている。二階の一室。カーテンに閉ざされて中は分からないが、恐らくあの部屋にいるのだろう。本人曰く夜型というだけあって、まだ作業中なのだろうか。
「……やっぱり、帰ろうかな」
彼がいると分かると、急に心が小さくなった。
以前の木曜から、まだ会ったことはなかったし、そもそも安室の言葉で沖矢の感情を決めつけるのも変な話だ。というか、自分の行動、少しストーカーっぽいし……。うん、やっぱり今日は止めておこう。彼がいるだろう一室を一瞥する。
きらっと、近くの街灯が何かに反射した。
すぐにそれが車のミラーだと分かる。ちょうど沖矢の住む家から、十メートルばかり離れた場所だ。ハザードも焚いていない車は、なんだかこの住宅街の路地に停まるにしては不気味だった。
横を通るのは憚られたが――もし、不審な車だったら、警察に知らせたほうが良いのでは? 目の前にある沖矢の部屋を見上げて、私は僅かに足音を潜めて、遠巻きにその車の様子を見ることにした。
そうっと、車の後ろ側から――なるべく遠い路側帯を通って、その車を眺める。一応、ナンバーは控えた。何かあればすぐ通報できるよう、携帯も通話ボタンを押すだけにして留めてある。
よし、とミラーの内側を覗きこむように――。
「あ……」
声が、漏れてしまった。その表情に、つい。ぞっと背筋が凍るような感覚。見覚えがある。殺してやると、殺意を持った瞳。忘れることのない、表情だったから。
「安室さん……?」
そして、車の運転席に乗っていた男に、見覚えがあったから。
暗闇だから、普通は見間違いだと笑ったところだ。しかし、彼はよく目立つ見た目をしていたから――その髪色も、肌の色も、目つきも。すぐに安室だと分かってしまうほどに。
なんで、どうして安室がここで――そんな表情を、浮かべているのだと。
私のぼやきが届いたのか――それとも、私を視界にとらえたのか、彼はぱっと表情を焦ったように変えた。張り付けた笑顔に、私は笑い返すことができなかった。