First
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三人が三様に動くものだから、誰について行くか迷ったものの、やはり女の子ということもあり歩美の後を追った。少年探偵団――と言っていたか。それが冗談ではないと思えるほど彼らの動きは手慣れていて、店員や通りすがる人をすばしっこく尾行する。大人がウロウロしていたら怪しいことこの上ないが、子どもだからこそだろう。
私と歩美が〝彼〟を見つけたのは、商店街を一本ズレた路地でのことだ。特徴のない男だった。背丈は高くなかったが、白いTシャツの背中に、確かに蛍光テープがちょんとついている。歩美は私を視線を合わせ頷くと、小さなオモチャのバッジに声を掛けた。
「歩美、黄色いテープをつけた人を見つけたよ!」
『でかしたぜ、歩美ちゃん』
「でも、背は大きくはないかも……」
『それで良いんだよ。目を離さないように、でも近づきすぎないように気をつけて』
やりとりを聞いて、感心してしまった。幼少期に、よく部屋の中だけで通じる無線だとか、そういうオモチャに興奮していた気がする。このバッジに比べれば本当にオモチャも同然だ。なにより、それをしっかりと〝探偵〟として利用する子どもたちに、感心したのだ。
「ね、ねえ……。あの人、どこかに行っちゃうよ」
歩美が不安そうに私を見上げた。大きい目は日差しをよく反射し、うるうると艶めいている。追っていた男は路地を抜け――たかと思えば、再び商店街の中を歩き始めた。私たちの歩みがつっかえてしまうほどのスピードで、すぐにピンときた。
「……探してるんだ、指輪」
ぼそりと独り言ちると、歩美は「えっ」と驚きの声をあげる。普通に歩いているようにも見えるが、必要以上に視線を下に落としているし、私とぶつかった酒屋の前では立ち止まって靴をアスファルトへ滑らせていた。
私たちは物陰に隠れてその様子を眺めた。ちょうど、商店街の入り口の看板が私たちと彼を遮ってくれた。
「……ぇ、ねえ」
振り返る。呼ばれたような、気がした。気のせいだろうか。歩美に何か言ったかと尋ねるが、彼女は緩く首を振った。
「ねえ、たすけて」
もう一度。今度は確実に気づけるほどの声だった。周囲を見渡すものの、声の持ち主らしい人影はない。まさかいよいよオカルトじみてきたのかと首を傾げる。
「おねがい、こっち」
コンコン。声と共に、何かがぶつかるような音。
きょろきょろともう一度辺りを探す。店ではない、道路でも――。駐車場だ。商店街の入り口にあるパーキング。停めてある車の車窓から、不自然に白い女の脚が見えた。ちょうどパーキングの前にあるミラーが、私たちの姿を映していたのだろう。
――とりあえず、誰か呼ぶべき? いや、でも怪我をしているかも。
スニーカーの底をジリ、と鳴らす。思考を吹き飛ばすように、私の視線の先に気づいたらしい歩美は一目散に車に駆け寄った。
「大丈夫!? 怪我、してない!?」
「警察、呼んで。怪我をしてるの」
「今呼んでくれてるよ、大丈夫だからね」
傍から見て分かるかどうか、薄く隙間の開いた窓からは弱弱しい声がした。息を切らしている。コナンが血の跡が、と言っていたのを思い出した。私は顔からサァっと血の気が引くのを感じる。
急いで駆け寄り、歩美と同じように窓の隙間から声を掛ける。
「だ、大丈夫ですか。窓、開けれますか」
「今はエンジンが止まってるの、それより、彼が帰ってくる前に」
――ガシャンッ
勢いよく傍らを過ぎていく影に、私は動きを止めていた。キャアア、とか細い悲鳴が響き渡った。目の前の車の窓が、粉々に砕けている。顔を青くしながらも、その強烈な音に反射的に振り向き、私は息を呑んだ。
据わった目がこちらを睨み、バールを握った掌からは血が滲んでいる。先ほどまで私たちが後を追っていた男に間違いなかった。彼は私の顔を見ると、悔しそうに唇を噛んだ。
「やっぱりお前か……拾ったんだろ、アレ」
「ち、違う。拾ってない!」
「車から離れろ。指輪を渡して、ここから去れ」
彼も精神的に追い詰められていることが、上ずった声からもよく分かった。鼻息が荒く、顔は真っ赤に染まっている。怒りなのか、憤りなのか、焦りなのかは分からない。
ごくりと分かりやすく固い唾を呑む。私の横には、歩美が身を縮こまらせて怯えている。ここで真っ向から反抗するのは、賢くないような気がした。指輪は、私が持っている。沖矢のハンカチに包んで、大切なものだからと鞄の奥に仕舞いこんでいた。
バレないように意識を鞄に向けながら、私の心には天秤があった。
目の前には怯える少女と自分の命、片やこのまま連れていかれたらどうなるか分からない、見ず知らずの女性だ。どちらかを選ばなければ。相手に冷静な判断など求められそうにないのだから、私が選ばなければ。
「……」
私はおずおずと鞄に手を伸ばす。間違ってはいないはずだ。犯人の顔も分かっているのだ。今は耐えしのいで、警察に情報を手渡すことが私のできることではないだろうか。犯人の男が、安心したようにバールを引きずった。
「――だめ、絶対渡さないもん! 悪いことはした方が悪いんだから!!」
鞄へと向かった手がピタリと止まる。歩美のほうへと視線が向いたのは、犯人とほぼ同時だったと思う。大きな声だった。言い淀むことのない、ハッキリとした言葉。とても今蹲って、目には涙を溜めた、小さな女の子の台詞だとは思えないほどだ。
――何故だか、私まで泣きたくなった。子どもは賢い。自分が危ないという現状を、怯える少女が分からないはずはない。
「車のなかの、ヒック、ひと、ちゃんと助けないと、ぐずっ……駄目だもん」
彼女は、ただあの人を助けたいのだ。
それは私だって同じだと、真っ向から言えるだろうか。自分の中の正義感と合理的な思考がごちゃ混ぜになって、ぐるぐると胸の中を渦巻いた。時間にすれば数秒のことであったと思うが、信じられないほど様々な思考が巡った。――結論はでなかった。
ただ、やはり思い出すのはユキのことで、彼女が最後まで私に託そうとしていた何かを考えた。ユキが弱虫な私に向けたメッセージは、ずっとその場を凌ぐことだったのか。
――違う! その結果が悲惨であったことを、私は身を持って知ったじゃないか。同じことを繰り返すな、足を踏ん張れ、歯を食いしばれ!
「……お前」
ドスの効いた、男の声。もともと精神的にも参っているのだろう、余裕なく手に握ったバールが苛立たし気に地面を殴った。
私はなんとか体を動かし、歩美に覆いかぶさるように抱き着く。極寒の地にいるかのように、歯がガチガチと鳴った。あれで殴られたら、骨は間違いなく陥没するだろう。腕や脚でもゾっとするのに、頭や腹を殴られたらどうしよう。あの男には見えていないだろうが、情けないことに歩美の大きな目は震える私を見上げていた。
ぐっと、奥歯を食いしばる。震える口元を隠すように、彼女に笑いかけると、歩美は泣きそうになりながら「百花お姉さん」と私を呼んだ。そういえば、名前を呼ばれるのは初めてだ。ユキのことは呼んでいたような気がして、やっぱり子どもは賢いと、他人事のように思った。
どっ、と何か得体の知れない音がする。
何の音だろうか、大きいものが倒れるような音だった。私はその音すら恐ろしく、ぎゅうと小さく暖かな体を抱きしめる。大丈夫、これで正しいはずだ、大丈夫。言い聞かせるように目を閉じていると、肩にトン、と何かが乗った。
「ヒッ」
短く息が漏れる。
ついに来た――と思いながらも、その衝撃が思いのほか柔く痛くなかったもので。恐怖で痛覚は麻痺するって本当だったのか……。最後に思い返すのが講義の内容だなんて、最悪だ。
「高槻さん」
男が名前を呼んだ。
――違う。この声は、穏やかな声色は。ブリキ人形もさながらに首を捻って背後を振り向く。きょとんと不思議そうに傾げられた知的な顔つき。私の抱きしめている少女を見て険しく顰められ――しかし次の瞬間には、息をつくように笑った。まるで仕方がない、とでも言っているように思えた。
「大丈夫、もう警察が来ます」
「でも、あの男の人……」
「彼も参っていたんでしょうね。僕に向かって空振りして、そのまま倒れこんじゃいまして」
ふふ、と肩を竦める姿に、へなへなと体の力が抜けていく。
駐車場のアスファルトに座り込んで、はぁーと長い息をつく。哀が呼んだのか、見覚えのある刑事の姿が駆けてきた。
抜けた腰を持ち上げることができず、沖矢に肩を借りて立ち上がる。私の腕よりずいぶん上にある肩に、腕がつりそうになっていると、見かねた彼が子どものように背に負ぶってくれた。
シャツの背中は少し湿っていて、やっぱり暑かったんだ――とか、煙草の匂いがほんのりと香るだとか、そんなことにやけに安心してしまう。堪えていた涙が溢れそうになったのを、ぐっと飲み込む。
「百花お姉さんが、守ってくれたの」
高木に泣きつく歩美が、遠くでそんなことを言っていた。
その言葉が嬉しく、やっぱり涙は堪えられなかった。沖矢は何も言わなかったが、時折足の位置を直すように持ち上げてくれる手つきが、気恥ずかしくも嬉しかった。
私と歩美が〝彼〟を見つけたのは、商店街を一本ズレた路地でのことだ。特徴のない男だった。背丈は高くなかったが、白いTシャツの背中に、確かに蛍光テープがちょんとついている。歩美は私を視線を合わせ頷くと、小さなオモチャのバッジに声を掛けた。
「歩美、黄色いテープをつけた人を見つけたよ!」
『でかしたぜ、歩美ちゃん』
「でも、背は大きくはないかも……」
『それで良いんだよ。目を離さないように、でも近づきすぎないように気をつけて』
やりとりを聞いて、感心してしまった。幼少期に、よく部屋の中だけで通じる無線だとか、そういうオモチャに興奮していた気がする。このバッジに比べれば本当にオモチャも同然だ。なにより、それをしっかりと〝探偵〟として利用する子どもたちに、感心したのだ。
「ね、ねえ……。あの人、どこかに行っちゃうよ」
歩美が不安そうに私を見上げた。大きい目は日差しをよく反射し、うるうると艶めいている。追っていた男は路地を抜け――たかと思えば、再び商店街の中を歩き始めた。私たちの歩みがつっかえてしまうほどのスピードで、すぐにピンときた。
「……探してるんだ、指輪」
ぼそりと独り言ちると、歩美は「えっ」と驚きの声をあげる。普通に歩いているようにも見えるが、必要以上に視線を下に落としているし、私とぶつかった酒屋の前では立ち止まって靴をアスファルトへ滑らせていた。
私たちは物陰に隠れてその様子を眺めた。ちょうど、商店街の入り口の看板が私たちと彼を遮ってくれた。
「……ぇ、ねえ」
振り返る。呼ばれたような、気がした。気のせいだろうか。歩美に何か言ったかと尋ねるが、彼女は緩く首を振った。
「ねえ、たすけて」
もう一度。今度は確実に気づけるほどの声だった。周囲を見渡すものの、声の持ち主らしい人影はない。まさかいよいよオカルトじみてきたのかと首を傾げる。
「おねがい、こっち」
コンコン。声と共に、何かがぶつかるような音。
きょろきょろともう一度辺りを探す。店ではない、道路でも――。駐車場だ。商店街の入り口にあるパーキング。停めてある車の車窓から、不自然に白い女の脚が見えた。ちょうどパーキングの前にあるミラーが、私たちの姿を映していたのだろう。
――とりあえず、誰か呼ぶべき? いや、でも怪我をしているかも。
スニーカーの底をジリ、と鳴らす。思考を吹き飛ばすように、私の視線の先に気づいたらしい歩美は一目散に車に駆け寄った。
「大丈夫!? 怪我、してない!?」
「警察、呼んで。怪我をしてるの」
「今呼んでくれてるよ、大丈夫だからね」
傍から見て分かるかどうか、薄く隙間の開いた窓からは弱弱しい声がした。息を切らしている。コナンが血の跡が、と言っていたのを思い出した。私は顔からサァっと血の気が引くのを感じる。
急いで駆け寄り、歩美と同じように窓の隙間から声を掛ける。
「だ、大丈夫ですか。窓、開けれますか」
「今はエンジンが止まってるの、それより、彼が帰ってくる前に」
――ガシャンッ
勢いよく傍らを過ぎていく影に、私は動きを止めていた。キャアア、とか細い悲鳴が響き渡った。目の前の車の窓が、粉々に砕けている。顔を青くしながらも、その強烈な音に反射的に振り向き、私は息を呑んだ。
据わった目がこちらを睨み、バールを握った掌からは血が滲んでいる。先ほどまで私たちが後を追っていた男に間違いなかった。彼は私の顔を見ると、悔しそうに唇を噛んだ。
「やっぱりお前か……拾ったんだろ、アレ」
「ち、違う。拾ってない!」
「車から離れろ。指輪を渡して、ここから去れ」
彼も精神的に追い詰められていることが、上ずった声からもよく分かった。鼻息が荒く、顔は真っ赤に染まっている。怒りなのか、憤りなのか、焦りなのかは分からない。
ごくりと分かりやすく固い唾を呑む。私の横には、歩美が身を縮こまらせて怯えている。ここで真っ向から反抗するのは、賢くないような気がした。指輪は、私が持っている。沖矢のハンカチに包んで、大切なものだからと鞄の奥に仕舞いこんでいた。
バレないように意識を鞄に向けながら、私の心には天秤があった。
目の前には怯える少女と自分の命、片やこのまま連れていかれたらどうなるか分からない、見ず知らずの女性だ。どちらかを選ばなければ。相手に冷静な判断など求められそうにないのだから、私が選ばなければ。
「……」
私はおずおずと鞄に手を伸ばす。間違ってはいないはずだ。犯人の顔も分かっているのだ。今は耐えしのいで、警察に情報を手渡すことが私のできることではないだろうか。犯人の男が、安心したようにバールを引きずった。
「――だめ、絶対渡さないもん! 悪いことはした方が悪いんだから!!」
鞄へと向かった手がピタリと止まる。歩美のほうへと視線が向いたのは、犯人とほぼ同時だったと思う。大きな声だった。言い淀むことのない、ハッキリとした言葉。とても今蹲って、目には涙を溜めた、小さな女の子の台詞だとは思えないほどだ。
――何故だか、私まで泣きたくなった。子どもは賢い。自分が危ないという現状を、怯える少女が分からないはずはない。
「車のなかの、ヒック、ひと、ちゃんと助けないと、ぐずっ……駄目だもん」
彼女は、ただあの人を助けたいのだ。
それは私だって同じだと、真っ向から言えるだろうか。自分の中の正義感と合理的な思考がごちゃ混ぜになって、ぐるぐると胸の中を渦巻いた。時間にすれば数秒のことであったと思うが、信じられないほど様々な思考が巡った。――結論はでなかった。
ただ、やはり思い出すのはユキのことで、彼女が最後まで私に託そうとしていた何かを考えた。ユキが弱虫な私に向けたメッセージは、ずっとその場を凌ぐことだったのか。
――違う! その結果が悲惨であったことを、私は身を持って知ったじゃないか。同じことを繰り返すな、足を踏ん張れ、歯を食いしばれ!
「……お前」
ドスの効いた、男の声。もともと精神的にも参っているのだろう、余裕なく手に握ったバールが苛立たし気に地面を殴った。
私はなんとか体を動かし、歩美に覆いかぶさるように抱き着く。極寒の地にいるかのように、歯がガチガチと鳴った。あれで殴られたら、骨は間違いなく陥没するだろう。腕や脚でもゾっとするのに、頭や腹を殴られたらどうしよう。あの男には見えていないだろうが、情けないことに歩美の大きな目は震える私を見上げていた。
ぐっと、奥歯を食いしばる。震える口元を隠すように、彼女に笑いかけると、歩美は泣きそうになりながら「百花お姉さん」と私を呼んだ。そういえば、名前を呼ばれるのは初めてだ。ユキのことは呼んでいたような気がして、やっぱり子どもは賢いと、他人事のように思った。
どっ、と何か得体の知れない音がする。
何の音だろうか、大きいものが倒れるような音だった。私はその音すら恐ろしく、ぎゅうと小さく暖かな体を抱きしめる。大丈夫、これで正しいはずだ、大丈夫。言い聞かせるように目を閉じていると、肩にトン、と何かが乗った。
「ヒッ」
短く息が漏れる。
ついに来た――と思いながらも、その衝撃が思いのほか柔く痛くなかったもので。恐怖で痛覚は麻痺するって本当だったのか……。最後に思い返すのが講義の内容だなんて、最悪だ。
「高槻さん」
男が名前を呼んだ。
――違う。この声は、穏やかな声色は。ブリキ人形もさながらに首を捻って背後を振り向く。きょとんと不思議そうに傾げられた知的な顔つき。私の抱きしめている少女を見て険しく顰められ――しかし次の瞬間には、息をつくように笑った。まるで仕方がない、とでも言っているように思えた。
「大丈夫、もう警察が来ます」
「でも、あの男の人……」
「彼も参っていたんでしょうね。僕に向かって空振りして、そのまま倒れこんじゃいまして」
ふふ、と肩を竦める姿に、へなへなと体の力が抜けていく。
駐車場のアスファルトに座り込んで、はぁーと長い息をつく。哀が呼んだのか、見覚えのある刑事の姿が駆けてきた。
抜けた腰を持ち上げることができず、沖矢に肩を借りて立ち上がる。私の腕よりずいぶん上にある肩に、腕がつりそうになっていると、見かねた彼が子どものように背に負ぶってくれた。
シャツの背中は少し湿っていて、やっぱり暑かったんだ――とか、煙草の匂いがほんのりと香るだとか、そんなことにやけに安心してしまう。堪えていた涙が溢れそうになったのを、ぐっと飲み込む。
「百花お姉さんが、守ってくれたの」
高木に泣きつく歩美が、遠くでそんなことを言っていた。
その言葉が嬉しく、やっぱり涙は堪えられなかった。沖矢は何も言わなかったが、時折足の位置を直すように持ち上げてくれる手つきが、気恥ずかしくも嬉しかった。