便利屋結ちゃん
京都という場所は、昔から何かと政治や文化の中枢として大事にされてきた都市である。多くの有力な公家の邸宅や神社仏閣が立ち並び、江戸時代には「天下の台所」「将軍のお膝元」と並んで「千年の都」という異称を持っていた。
京都と聞くと、やはりどうしても神社仏閣や都としての歴史、貴族文化などの方向に眼と意識が逸れがちである。しかしここで主人公となるのは、まだ御所が公的機関として政治的に機能していた頃、陰陽寮と呼ばれた場所で天文や怪異解決の役を担っていた陰陽師たちである。現代ではすっかり「オカルト」扱いではあるが、系譜が完全に途絶えてしまったわけではない。晴明伝説で有名な安倍氏は室町時代には「土御門」と名乗り始めたが、現在も個人的な活動を行っているし、何なら「晴明神社」なるものまで存在している。晴明が登場するまで陰陽寮を牛耳っていた賀茂氏の系譜も、絶えることなく続いている。
――しかし、右に挙げた二氏はあくまで「陰陽寮」という機関で活躍していた所謂「宮廷陰陽師」であり、どちらかと言うと天皇や貴族から寄せられた怪異を解決していたのである。では、民間に陰陽師は存在しなかったのだろうか?
否。民草のために都を奔走する陰陽師が、京都には確かに存在した。
剣豪であり陰陽師であった鬼一法眼の血を引く、狐塚家である。
「お電話ありがとうございます! 便利屋結ちゃんです!」
京都は一条堀川。晴明神社の近くに、がっしりとした門構えの立派な古民家が建っている。ここを拠点として代々「民間陰陽師」として活躍してきたのが狐塚家である。そして、明るくハツラツとした声で受話器の向こうの「相談者」と話しているのが、狐塚家現代当主こと結だ。まだ十八歳だが、通信制の高校に通いながら寄せられる様々な怪異を陰陽道の力を以て解決している。ちなみに「便利屋結ちゃん」というのは結が勝手に付けた組織名で、誰にでも親しみやすいようにと配慮したものである。実際多くの依頼者が狐塚のことを「便利屋ちゃん」「結ちゃん」と愛称で呼んでいる。結自身も、一人称は「結」、または「結ちゃん」である。
「ごきげんよう」
受話器の向こうから、大人めいて凛とした声が返ってきた。
「えっ、夏芽? 結に用事があるときはなるべく携帯にかけてって言ったじゃ~ん……」
「番号、忘れちゃったのよ」
「この~っ!」
結は「またか」と思った。自分の携帯番号は夏芽に「忘れた」と言われる度に教え直しているのに、向こうは一向に覚えてくれないのである。電話帳に登録するなり紙にメモするなりすればいいものを、それをすることすら忘れてしまうらしく、しょうがなく毎回タウンページから狐塚の固定電話の番号を探し出して電話をかけているのだという。
ちなみに夏芽というのは、結の幼馴染であり、数少ない友人の一人である。夏芽の家もまた歴史ある家系で、姓は「死来」という。なかなか物騒だが、悪事を働いているわけではない(人によるが)。結も死来の家のことはあまりよく知れていないが、夏芽やその兄からは「代々上層部の頼みで隠密行動をしていた」らしい。忍と似たようなものか。
「ごめんね、でも家電にかけた方が出てくれる気がして」
心底申し訳なさそうな夏芽の声を聞いて、結のちょっとした怒りはすぐに収まった。
「まぁそうかもしれないけど……ガラケー触ってても楽しくないし」
現代を生きるほとんどの人間が手中にスマートフォンを収めている中、結は未だにあの「ガラケー」を連絡手段としている。しかし結はこれを全く不便に思ったことがなく、むしろ「自分のパソコンがあるから、電話とメールができればいい」と思っているくらいである。今をときめく女子高校生らしからぬ思考である。にもかかわらずタピオカには目がない。
「そういう謙虚なところ好きよ」
「ありがと、結ちゃんも夏芽好きだよ!……で、何で電話してきたの?」
「うん、実はね……」
――特にこれといった用事はないのよ。と、夏芽は続けた。夏芽が電話相手の場合、このやり取りはもはやテンプレートと化している。
「ほーら出たまたいつもの!」
結がこうして夏芽を心配するのは、夏芽がしばしば怪奇現象に悩まされているからである。夏芽の家系は元を辿れば鬼が関わってくるらしく、それも現代においてかなり名の知れている奴なのだという。結はその系譜に関わっている「鬼」が夏芽に何か仕掛けているのではないかと睨んでおり、実際鬼のような影を夜中に目にしたことがあった。
「ねぇ、今から遊びに行ってもいい?」
「エッ今から? うーんちょっと待ってね」
結は急いで手元のスケジュール帳をパラパラとめくった。この小さな手帳に、結の日ごとの予定が書きこまれている。見たところ、今日は特に依頼もなく、また吉日であった。職業柄、狐塚の人間は六曜に敏感である。
「どう?都合いいかしら」
「今日は特に何もないから大丈夫、会えるよ」
「あら、本当? それならよかった。今から出るわね。じゃあ、また後で」
「うん、待ってるね」
受話器をそっと置いて、結は四肢を広げて仰向けになった。二十六度に設定してあるクーラーの冷たい風が、結の火照った体をゆっくり冷やしていく。同時に、幼い頃母親の絢に「クーラー付けたまま寝ちゃだめだからね、頭痛くなっちゃうよ」と散々言い聞かせられたことを思い出した。思えば結本人には「付けっぱなし」「やりっぱなし」の類の言いつけを守った覚えがあまりない。寒い冬は当然のようにこたつで丸くなって寝ていたし、お気に入りのアニメを見ながら眠りに落ちることも多々あった。今も昔も、快適でストレスフリーな環境でこそ安眠が保証されるものだと結は思っている。
けれどその母親も、結が中学二年生の年に冷たい土の下で永遠の眠りについてしまった。
通夜のことはよく覚えている。俯いて、今にも溢れ出しそうな涙をこらえながら鎮魂の経を聞いていた。死因は乗用車にはねられた際に全身を強く道路に打ち付けたことによるものだったと記憶している。詳しい話もされていたように思うが、母親を喪った悲しみの方が何倍も強く、死因に関しては覚えていることが少ない。――むしろその方が、結にとっては幸せなのかもしれない。
天井の木目を見つめながら母親との思い出を懐古していると、外から結の名前を呼ぶ声が聞こえた。夏芽だ。
重たい体を起こして縁側から外に出ると、夏芽は母屋から少し離れた納屋の屋根の下に佇んでいた。
「歩いてきたの? 暑かったでしょ」
「日傘をさしてきたから少し楽だったけど、やっぱり京都の夏は暑いわね」
夏芽は笑いながら話していたが、額や首筋には汗が滲んでいた。ついでに持ってきたタオルを手渡しながら、結は夏芽に中へ入るよう促した。
「それにしても、本当に広いおうちね」
空調の効いた結の部屋で涼みながら、夏芽は辺りを見渡して言った。
「うん」
結は否定しない。冷蔵庫で冷えていた水羊羹を皿に盛りつけながら返事をする。
「謙遜しないのね?」
「だって事実だし、結も自分ちでかいなってよく思うもん」
狐塚家は母屋の大きさもさることながら、庭の面積もかなり広い。中央に配置された母屋の周りを囲むように、納屋、道場、社といった様々な建物が広い敷地の中に建っている。ちなみに道場は狐塚家が鬼一法眼から代々伝承してきた京八流の鍛錬に使われていたもので、現在は地元の剣友会に貸し出している。
「そう、自負してるのね」
「だってこの大きさで『え~結ちゃんち大きくないし~』とか言ってたらアホみたいじゃん」
結は苦笑しながら、水羊羹を口に放り込んだ。どれくらいの時間冷やしていたのかわからないが、歯にキーンと不快な刺激がわずかに走る程度には冷やされているようだ。しかし味は良かったので、口からは「うん、おいしい」という素直な感想がこぼれた。
「分かりきったことを否定しないのは結のいいところよ」
水羊羹の後で冷茶を喉に通し、夏芽は微笑んだ。それから辺りを見渡して、「今日は一人?」と問うた。
「そうだね、銀ちゃんは散歩してるみたいだし、布美ちゃんは納屋にいるし、僧正坊さんは多分鞍馬にいる」
だから、実質一人だ。
「相変わらず、変わり者中心の家族構成ね」
「意外と楽しいよ?」
現在狐塚では、根っからの人間という生物は結だけである。母親の絢はともかく、父親は絢の死をきっかけに家を出て行ってしまった。「結が成人するまでの面倒はこそこそ見ておくから」と言って。
そのこそこそとした面倒は、公共料金が忘れずに支払われていること、結の学費がきちんと毎月収められていることから伺えた。結は決して父親のことを嫌っているわけではない。むしろ「家を出る」と言われた日には「どうして?」としつこく聞いてやまなかった程だ。いくら白狐に機織りの付喪神、霊験あらたかな大天狗と家族同然のように接しているとはいえ、血の繋がった人間が家に一人もいないというのはやはりどこか少し寂しいのだ。
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