強く、弱い、君を、想う。

(まっすぐ帰ればよかった……)
そう藤井が思ったところで、今となっては後の祭りというものだった。

今日は久しぶりの一人での帰宅。
いつも一緒の拓也はというと、少々風邪気味の実を病院へ連れて行くということで、最後の授業が終わると帰りのSHRを待たずに教室を出た。
担任には、朝のSHRの後に事情を話し了承を得ている。
「熱はないから学校へは行ってるんだけどね。市販薬飲ませて。でも風邪は引き始めが肝心だから、放課後病院連れて行こうと思って」
「そっか。お前も気をつけろよ。病院で風邪もらって来たりしたら元も子もねぇし」
自分たちも朝そんな会話をした。
そんな経緯で珍しく一人の帰り道、ちょっと本屋やCDショップなんかをぐるっと巡って帰ろうかと寄り道をした結果、どんな確率からか、そうそう出くわす相手でもない人と会ってしまったのである。


「おや、珍しい人と会うものだ」
「……コンチハ」


かつての臨時教員で、今は恋人の弟の担任教師。
正規の元担任ですら卒業したら大概は疎遠になるというのに、たったひと月だけ臨時でやって来た教員なんて、その任期を終えれば自分の人生に関わることなんて全くと言っていい程ない筈だ。
それなのに、3年の時を経て今になってやたらと絡みがあったりなかったり。
こともあろうに、自分の好きな相手の結構重要な場面で相談相手になっていた事実を最近知った。
あの出来事は、藤井は自分の行動は完全一方通行だったと思っている(が、後にその事を知った拓也は心から藤井に感謝をしている)。

「あぁ、さっき、榎木君が実君を学校に迎えに来ていたな」
「そうですね。じゃあ、俺はこれで」

特に話題もなければ、話したいとも思わない。必要もない。
そう思ってその場から離れようとした藤井だったが、独り言のように呟いた寛野のセリフに思わず足を止めた。

「今日は、とても穏やかだった」
「え……」

思わず振り向いた藤井の顔を見て、寛野はクスリと笑った。

(あ、やっべ……)

何だか弱みを垣間見られた心地の悪さを藤井は感じる。

「あの子は、周りにとても気を配る反面、とても素直な子だ。隠そうとしても僅かにだが表情に出る」
「別に……喜怒哀楽は分かりやすい程に表情クルクル変わるヤツですけど……」
「うん。でも、『人に心配をかけることに関して』は、隠そうとする。違うか?」
「…………」

言わんとしていることは分かっている。
しかし、藤井はそれに対して返事はしなかった。

「あの時……」
「ん?」

無言の後、自発的に発した藤井の言葉を寛野は拾った。

「小6の……宮前と揉めた時、何で榎木は寛野……センセイに相談したのか……って、今でも時々考える」

藤井が寛野に負い目を感じるとすれば、この件が一番大きかった。
気にしていないと言ったらウソになる。
(俺、こんな事コイツに言ってどうするつもりだ……)
つい口を吐いて出た言葉に内心動揺に似た感情を覚え、しかしながら一度発した言葉は取り消すなど出来ない。
気まずさから顔を俯かせ背けていると、頭上から「ああ」と声が返ってきた。

「たまたま彼らのやり取りを見かけてね。そしたら、榎木君が苦しそうにしていたから声をかけた。キッカケはそれだけだよ」

(でも、何でもないヤツ相手だったら、相談なんかしない)

「榎木君の事だ。相手のことを考えると、担任の松本先生や他の先生には相談しづらかったのだろう。相談の中で、『お父さんに心配かけたくない』というようなことも言っていた。僕はちょっと内情を知るけど学校や家庭には直接関係のない、相談するには呈の良い大人だったんだよ」
「でもだからって、たまたま居合わせただけの相手に相談なんかするヤツじゃない」

だからこそ、引っ掛かる。何で榎木は寛野に相談をしたのだろうと。

「藤井君は、当時僕のことどう思ってた?」
「どうって……別に何とも」
「嘘だね。正直に言ってごらんよ。まあ、察しはつくけど」

十中八九、良い事なんて言わないだろう? と見透かすような笑顔で言い放つ寛野に、藤井は若干の苛立ちを覚えつつ。

「理不尽にも校庭15周も走らせやがってふざけんな。何考えてんのか分かんねー野郎だな。毎日の日記の宿題もメンドイし」
「だろうね」
「たかだか一カ月限定の臨時教師なのに」
「うん」
「だから、何で榎木がそこまでアンタを信頼してるのかが、俺には分からん」
「なるほど。確かに君との間には、信頼関係を築くほどの時間も会話もなかったな。そんな状態で手放しに信頼されても気持ち悪いし」
「はぁ!?」

仮にも教師がそんなことを言うモンなのか、そもそもいつまでこの茶番に付き合わなければならないのかと段々バカらしく思えてきた藤井は、今度こそ帰ろうと「それじゃ」と言いかけたが、瞬間掠めた思考にその言葉は飲み込まれた。

「逆に言えば、榎木とはそれだけの信頼関係が出来ていた……」
「さぁ……それは分からないけど。でも、確かに他の生徒と比べたら、交わした会話の回数は多かったのは事実だ。知ってたか? あの宿題の日記、途中榎木君、ボイコットしてたんだぞ」
「は……? 榎木が?」

宿題を提出しないなんて、真面目な拓也からとても想像できない。
適当なこと言ってんじゃねーぞ、と疑惑満々の表情で藤井は寛野を睨み付ける。

「正確には、『未提出だったけど、中身はちゃんと毎日書いていた』だがな。それだけ、彼は真剣に向き合おうとしてくれていたんだよ。だから」

「ほっとけない」

無意識に藤井の口から出た言葉は、寛野のそれと重なった。
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