頑固者を甘えさせる方法
何でこんな事になったのだろう――藤井は電車に揺られながら思った。
それは心中穏やかでなく、そこに支配されていたものは「怒り」。
その対象は、今、自分の隣で背もたれにぐったりと背を預け座っている恋人だった。
元々自分のことは後回し。
そして必要以上に一生懸命。
ちょっとやそっとの不調は周りに悟られるまいと無理をする。
その結果がこれだ。
「おい榎木。お前朝から熱あったろ」
「んー…測ってない……測ったら学校行けなくなると思って」
「親父さん、気づかなかったのか」
「あー…パパ、昨日から出張でいない」
「はぁ!?」
いつもなら家の外では「父さん」と言う口調が「パパ」になっているのにも気づかない程にもう余裕はないということだろう。
藤井自身、登校時から拓也の異変を何となくは感じていたものの、その他のクラスメイトが気づかない程には拓也は普通に振る舞っていた為様子を見ていたのだが、午後になってそれは顕著に表れ始め、声をかけると「大丈夫」と言い張って最後まで授業に出席した拓也を帰りのHRが終了すると共に腕を引っ張って即帰路に就いた次第であった。
「藤井君…買い物、行きたい。夕飯の……」
学校での一日を一応終えたことに張っていた気が緩んだのもあるのだろう、明らかに怠そうになりながらもそんな事を言うものだから、ついつい藤井も口調を荒げてしまった。
「バカかお前はっ。このまままっすぐ家帰って寝るんだよっ」
「でもそれじゃ、実がお腹空かせちゃうっ」
「実より自分だろっ」
「自分より実だよっ」
この状況でもまだそんな事を言う拓也に、藤井は「いい加減にしろよお前はー」と怒りを露わにさせると、熱の影響もあるのか今度は「だって…パパいないのにっ僕がやらないと……っ」と涙混じりに拓也は反論した。
(やっべ、泣かした……っ)
一度零れてしまった涙はグズグズと止まらず、まだ学生の下校ラッシュより手前の時間だったことが不幸中の幸いだったと車内の乗客のまばら加減に感謝しつつ、「とにかく、駅着くまでは寝てろ。起こしてやっから」と拓也を自分の肩に引き寄せ落ち着かせることにした。
元々無理をしていたのもあったせいか抗う事もなく大人しく藤井の肩に頭を預け少し経つと、小さな寝息が聞こえ始め、藤井もそこでやっと安堵の溜め息が出た。
「さて、これからどうすっかな……」
駅に着くまでにこの頑固者を大人しく寝かしつける方法を考えなければ、と思考を巡らせる藤井だった。
一度箍が外れてしまったら、立て直すのは相当根気がいるようで、電車を降りてから一度だけ「買い物しなきゃ」と言った拓也だが「ダメだ帰る」と腕を引っ張って歩き続ける藤井に拓也もそれ以上の抵抗は見せなかった。
「送ってくれて有難う」
榎木家の前まで辿り着くと、拓也は藤井にお礼を言った。
「少し上がってく」
「え……?」
ここで別れると思っていた拓也はきょとんと藤井の顔を見た。
「じゃないと、お前寝ないし」
「…………」
流石に見透かされてるというか何と言うか。
買い物は諦めたとしても、家のことや実のことなど、本来拓也にはやることが山のようにあるのだ。
それを父親である春美が強要してるわけではないのだが、小学生の頃からの拓也なりのペースであり自覚でもあったし、近くで見てきた藤井はそんな拓也をよく理解している。
「いいから、ほら早く家入る」
「何で藤井君が仕切ってるんだよぉ……」
ドアに手をかけると既に鍵は開いており、実が先に帰っていることが分かった。
「ただいまー」
「おかえり、兄ちゃん! と、藤井の兄ちゃんも!」
「おす」
引き戸の開く音と兄の声にいち早く反応しお出迎えにやって来た実は、藤井にも声をかける。
「実、兄ちゃん熱あるんだ。今から寝るから静かにな」
「え、だいじょうぶなの、兄ちゃん」
「藤井君! 大丈夫だよ、実。もう少ししたら夕飯の支度するから。何食べたい?」
余計なこと言わないでよ、と小声で咎め夕飯のリクエストを訊こうとする拓也に藤井は「その事なんだけど」と遮ると、実に何かをコソリと耳打ちした。
「え、いいの!? でも兄ちゃんだいじょうぶ?」
「大丈夫大丈夫。実も早く兄ちゃん元気になった方がいいだろ? その為にもこれがイチバン」
「うん、わかった!」
二人で何かを言い合っているのを訝しんでいる拓也を尻目に、藤井はケータイを取り出し電話をかけ始めた。
「あ、一加? 俺。今夜実、うちで飯食ってそのまま泊まりな。――うん、取り敢えず母さんと代わって」
「藤井君!?」
傍で慌てる拓也にシーと人差し指を口元に立てて、電話口に母親が出たのであろう、拓也が熱を出していることを含め実を今晩藤井家で面倒を見て欲しい経緯を伝える。
「うん。じゃあ、一加とマー坊榎木んちに実迎えに寄越して。あぁ、それじゃ」
「あ、ちょっと待って、代わって!」
半ば藤井からケータイをひったくるように奪い取り、慌てて言葉を発した。
「あのっ拓也ですっ、ご迷惑おかけしてすみません! うちは大丈夫ですので……っ」
『あら、拓也君? 熱あってお父さんいないんでしょ? うちは今更一人くらい増えたって問題ないから遠慮しないの。心配しないでゆっくり休みなさいね』
正直身体が弱っている時に人から優しくされることはとても染み入るもので。
「でも……」
「榎木」
それでも、やっぱり迷惑はかけられない。
そう思って発そうとした言葉は、藤井の静かに呼ばれた声で遮られた。
その声色と視線は、それ以上拓也が何かを言おうとするのを許さないと言っているようで。
「……、有難うございます……実のこと、よろしくお願いします」
やっと素直に周りに甘え身体を休める気になった拓也を見て、まずは一仕事を終えた気分になった藤井だった。
それは心中穏やかでなく、そこに支配されていたものは「怒り」。
その対象は、今、自分の隣で背もたれにぐったりと背を預け座っている恋人だった。
元々自分のことは後回し。
そして必要以上に一生懸命。
ちょっとやそっとの不調は周りに悟られるまいと無理をする。
その結果がこれだ。
「おい榎木。お前朝から熱あったろ」
「んー…測ってない……測ったら学校行けなくなると思って」
「親父さん、気づかなかったのか」
「あー…パパ、昨日から出張でいない」
「はぁ!?」
いつもなら家の外では「父さん」と言う口調が「パパ」になっているのにも気づかない程にもう余裕はないということだろう。
藤井自身、登校時から拓也の異変を何となくは感じていたものの、その他のクラスメイトが気づかない程には拓也は普通に振る舞っていた為様子を見ていたのだが、午後になってそれは顕著に表れ始め、声をかけると「大丈夫」と言い張って最後まで授業に出席した拓也を帰りのHRが終了すると共に腕を引っ張って即帰路に就いた次第であった。
「藤井君…買い物、行きたい。夕飯の……」
学校での一日を一応終えたことに張っていた気が緩んだのもあるのだろう、明らかに怠そうになりながらもそんな事を言うものだから、ついつい藤井も口調を荒げてしまった。
「バカかお前はっ。このまままっすぐ家帰って寝るんだよっ」
「でもそれじゃ、実がお腹空かせちゃうっ」
「実より自分だろっ」
「自分より実だよっ」
この状況でもまだそんな事を言う拓也に、藤井は「いい加減にしろよお前はー」と怒りを露わにさせると、熱の影響もあるのか今度は「だって…パパいないのにっ僕がやらないと……っ」と涙混じりに拓也は反論した。
(やっべ、泣かした……っ)
一度零れてしまった涙はグズグズと止まらず、まだ学生の下校ラッシュより手前の時間だったことが不幸中の幸いだったと車内の乗客のまばら加減に感謝しつつ、「とにかく、駅着くまでは寝てろ。起こしてやっから」と拓也を自分の肩に引き寄せ落ち着かせることにした。
元々無理をしていたのもあったせいか抗う事もなく大人しく藤井の肩に頭を預け少し経つと、小さな寝息が聞こえ始め、藤井もそこでやっと安堵の溜め息が出た。
「さて、これからどうすっかな……」
駅に着くまでにこの頑固者を大人しく寝かしつける方法を考えなければ、と思考を巡らせる藤井だった。
一度箍が外れてしまったら、立て直すのは相当根気がいるようで、電車を降りてから一度だけ「買い物しなきゃ」と言った拓也だが「ダメだ帰る」と腕を引っ張って歩き続ける藤井に拓也もそれ以上の抵抗は見せなかった。
「送ってくれて有難う」
榎木家の前まで辿り着くと、拓也は藤井にお礼を言った。
「少し上がってく」
「え……?」
ここで別れると思っていた拓也はきょとんと藤井の顔を見た。
「じゃないと、お前寝ないし」
「…………」
流石に見透かされてるというか何と言うか。
買い物は諦めたとしても、家のことや実のことなど、本来拓也にはやることが山のようにあるのだ。
それを父親である春美が強要してるわけではないのだが、小学生の頃からの拓也なりのペースであり自覚でもあったし、近くで見てきた藤井はそんな拓也をよく理解している。
「いいから、ほら早く家入る」
「何で藤井君が仕切ってるんだよぉ……」
ドアに手をかけると既に鍵は開いており、実が先に帰っていることが分かった。
「ただいまー」
「おかえり、兄ちゃん! と、藤井の兄ちゃんも!」
「おす」
引き戸の開く音と兄の声にいち早く反応しお出迎えにやって来た実は、藤井にも声をかける。
「実、兄ちゃん熱あるんだ。今から寝るから静かにな」
「え、だいじょうぶなの、兄ちゃん」
「藤井君! 大丈夫だよ、実。もう少ししたら夕飯の支度するから。何食べたい?」
余計なこと言わないでよ、と小声で咎め夕飯のリクエストを訊こうとする拓也に藤井は「その事なんだけど」と遮ると、実に何かをコソリと耳打ちした。
「え、いいの!? でも兄ちゃんだいじょうぶ?」
「大丈夫大丈夫。実も早く兄ちゃん元気になった方がいいだろ? その為にもこれがイチバン」
「うん、わかった!」
二人で何かを言い合っているのを訝しんでいる拓也を尻目に、藤井はケータイを取り出し電話をかけ始めた。
「あ、一加? 俺。今夜実、うちで飯食ってそのまま泊まりな。――うん、取り敢えず母さんと代わって」
「藤井君!?」
傍で慌てる拓也にシーと人差し指を口元に立てて、電話口に母親が出たのであろう、拓也が熱を出していることを含め実を今晩藤井家で面倒を見て欲しい経緯を伝える。
「うん。じゃあ、一加とマー坊榎木んちに実迎えに寄越して。あぁ、それじゃ」
「あ、ちょっと待って、代わって!」
半ば藤井からケータイをひったくるように奪い取り、慌てて言葉を発した。
「あのっ拓也ですっ、ご迷惑おかけしてすみません! うちは大丈夫ですので……っ」
『あら、拓也君? 熱あってお父さんいないんでしょ? うちは今更一人くらい増えたって問題ないから遠慮しないの。心配しないでゆっくり休みなさいね』
正直身体が弱っている時に人から優しくされることはとても染み入るもので。
「でも……」
「榎木」
それでも、やっぱり迷惑はかけられない。
そう思って発そうとした言葉は、藤井の静かに呼ばれた声で遮られた。
その声色と視線は、それ以上拓也が何かを言おうとするのを許さないと言っているようで。
「……、有難うございます……実のこと、よろしくお願いします」
やっと素直に周りに甘え身体を休める気になった拓也を見て、まずは一仕事を終えた気分になった藤井だった。
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