ちょっと大人の話⑥

清潔感漂う香りが鼻腔を掠め、藤井は目を覚ました。
うっすら瞼を上げると、ベッドから抜け出た拓也がこちらに背を向け、シャツに腕を通す姿が目に入った。
カーテンが向こう側半分開けられた窓から入る朝の光に、パリッとした白いシャツが反射して寝起きにまばゆい。
そんな恋人の華奢な背中を目を細めたまま眺め呟いた。

「拓也の髪の匂いする……」
「わぁっ!?」

まだ寝ていると思っていた恋人のいきなりの言葉掛けに驚いたのだろう。「ビックリしたぁ……」と言いながら、拓也はまだ布団に包まっている藤井の方を振り向いた。

「あ、おはよ、藤井君」
「ん」

まだ半ば寝惚けている感じの藤井に、拓也は笑いかけた。

「藤井君、残業続きでやっと今日有休なんだから、ゆっくりしてなよ。僕はそろそろ行くね」

朝ごはん、簡単だけど用意しといたから、と出勤するべく身支度をする拓也の腕を藤井はグイッと引き寄せた。

「わっ!?」
「いい匂いする」

ベッドに押し倒し抱きしめ、髪に鼻を埋めるようにする藤井を拓也は慌てて押し返した。

「ちょ、藤井君! 僕もう行かないと仕事!」
「だっていい匂いする」
「藤井君もシャワー浴びたら同じ匂いになるよ! 藤井君のシャンプー使ってるんだからっ」

離してーとジタバタする拓也を流石に遅刻させるつもりは藤井にもない。
ふっと抱きしめる腕の力を抜くと、拓也はすかさずその腕からすり抜けベッドから下りた。

「同じシャンプー使ってても、俺とお前じゃ漂う香りが違うんだって。何お前、化学変化でも起こしてんの?」
「は……?」

全く意味が分からないと言った表情で、乱れたシャツとネクタイを整えながら拓也は藤井を見る。

「ふじーくん……学生の頃は、一応理系だった筈だよねぇ。そんなわけないじゃん同じだよ……」

(時々ワケ分かんない事言うんだからなぁ)

そう思いつつ壁時計に目をやると、そろそろ本気で部屋を出たい時間。

「じゃ、僕行くからね」
「今日、終わったら来るか?」
「時間にもよるけど……あ、でも会っても今夜は帰るよ」
連日外泊じゃ、まだ高校生の実に示しつかないから、と先に念を押す。
「もう、実いいじゃん。子供じゃねんだし」
「微妙なお年頃だから、逆にダメなのっ」

(あ、躾モードに入ってやがる……)

腕組みをして「そこは絶対譲らない」と厳しい表情になっている拓也をついつい呆れた気分で眺める。

「今の実なんて、俺ら付き合い始めた頃の歳じゃん。寧ろ実の方が、そういうの当時のお前より詳しそう」
「ふーじーいーくーんー?」

(あ、やべ)

いよいよ逆鱗に触れたかと思った時は既に遅し。
「じゃあねっ」と声を荒げ玄関に向かう拓也を藤井は慌てて追いかけた。

「拓也っ」
「何っ」

怒っていてもちゃんと返事をするところは、相変わらず律儀なところ。
靴を履きつつ振り向いた拓也の腰を抱き寄せて、お見送りのキス。
怒らせたお詫びに、いつもの挨拶的なそれよりほんのちょっぴり深く、甘く。

「――行ってらっしゃい」
「……行ってきマス……」


絆し絆され、今日も一日平和なり。


      -2015.12.03 UP-
1/1ページ
    スキ