教科書シロップ

「…あ、あー、しまったぁ…」
次の授業の準備をしようと、拓也は机の中の教科書を探って気がついた。
「どうした?」
その様子を前の席で見ていた広瀬が声を掛ける。

「英語の教科書、忘れたぁ…」
昨夜、拓也は自宅で予習をしていた。
いつもなら終わった後鞄に入れるのだが、昨日はたまたま階下から春美に呼ばれ、そのまま机の上に置きっ放しにしてしまったのを思い出した。

「忘れ物なんて珍しいな」
広瀬がお前でも忘れ物するんだーと物珍し気に言う。
「僕だって、忘れ物くらいするし…ゴンちゃんに借りて来る!」
「行ってらー」
隣のクラスの親友の所へ行こうと拓也は席を立った。


「あれ?」
隣のクラスの中を廊下の窓から覗く。
しかし、親友の姿は見当たらない。
「トイレかな…?」

教室内を見渡すと、藤井と目が合った。

「榎木?」
「藤井君!」
級友と机に寄り掛かって喋っていた藤井は、その輪から外れ拓也の前までやってきた。

「どしたー?」
「英語の教科書忘れちゃって…ゴンちゃんは?」
「後藤?アイツ今日腹下してるみたいで、休み時間の度にトイレ篭ってるぞ?」
「ゴンちゃん…」
気の毒に…と苦笑する拓也。
バカだよな、と他人事の藤井。

「俺ので良かったら、貸すか?」
「え?」
突然の藤井の申し出に拓也はドキッとした。
「い…いいの?」
「別に構わんし」
と、自分の席に戻る藤井。

(藤井君の教科書…)
ただそれだけなのに、拓也は心が浮き立つのを自覚する。

机の中をガタガタと探り、藤井は教科書を持って再び拓也の前へ。

「ほい」
手渡され
「ありがとう」
ニコッと少しはにかんだ笑顔でお礼を言う。
その笑顔に、藤井もまた、少し心臓が跳ねたのを自覚した。

「俺らのクラス、1限だったから、放課後迄に返してくれればいいから」
跳ねた心臓を気付かれないように、少し視線を反らして藤井は言う。
「うん、ありがとう」

何となく流れる、甘い空気。

そこに、後藤がトイレから戻って来た。
「あれ、拓也ー」
「ご、ゴンちゃん!お腹大丈夫?」

いい雰囲気を壊され、内心舌打ちをする藤井を余所に、拓也は戻って来た親友を心配する。

「いや、まあ、何とか…。今日体育なくてよかったー」
「ゴンちゃんてば…」
思っていたよりは大丈夫そうな後藤に、拓也は安心して笑みを零した。
「と、そろそろ僕、教室帰るね」
休み時間もそろそろ終わる。
「ゴンちゃんお大事にね」
後藤に労りの言葉を掛け、
「藤井君、教科書借りるね」
と笑顔で伝える。
「あぁ」
藤井も笑顔で応える。

「じゃ」
と手を振り、隣の教室に入って行く拓也を、藤井と後藤は見送った。

「俺不在でよかったな」
ニヤニヤしながら後藤に言われ、藤井は
「うるせ」
と一言だけ返し、自分の席に戻って行った。
そして、

(違うクラスってのも、たまにはいいな)

初めてクラスが違う事にメリットを感じた藤井だった。


授業が始まり、教科書を開く。
藤井の教科書ってだけで、ドキドキしてしまう。

(あ…)
ちゃんとマーカーとか引いてある…。
色々軽々と熟しているように見える藤井は、勉強も手を抜いている印象がある。
(でも、ちゃんとやってるんだよね…)
藤井の成績は良い方だし、今年は受験生という事もあって、特にかもしれない。
(藤井君、どこ受けるのかな?)
一緒の高校、行きたいな…。

「―――木…榎木!」
「っはいっ!」
上の空になってる事を教師に気付かれ、名指しされた。
「ボーっとしてちゃイカンぞ。これ訳してみろ」
「は、はい…」

黒板に書かれた英文の訳を書きに、前へ出る。
「む、正解」
(よ、よかった…)
伊達に予習はしていない。
「でも、授業は集中するように」
「はい…」
席に戻って、拓也は安堵のため息を吐く。

(折角藤井君から教科書借りたんだから、しっかり授業受けなくちゃね!)

そう思う辺りが真面目な拓也である。

もう一度教科書に目を落として、今度は小さく吹き出す。
(ら…落書き…)
教科書に描かれた外国人のイラストが、マッチョになっていた。
(もう、藤井君てば…)

真面目にラインが引かれてる脇の落書きに心和み、鼓動がドキドキからトクントクンと穏やかになるのを感じる拓也だった。




      -2013.01.22 UP-
      (2014.03.15 改稿)
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