春のうららに

「榎木が誘いに乗るなんて思わなかった」

卒業間近の3学期。高校入試の結果も出て、はっきり言って登校するのは卒業式の練習の為のようなもの。

「んー、だって、教室にいてもやることないし、まだ入試終わってない人たちの邪魔にもなっちゃいけないし……」

練習のない時間は、切実ながらまだ進路の確定していない生徒が最終の二次試験に向けて最後の試験勉強に充て、教師はそれらの生徒に付きっきりで指導、進路の決まっている者は自習と言う名の時間をただ持て余すだけのような時間だった。
尤も、図書室へ行ったり、熱心に部活動に励んでいた者は後輩たちに何かを残そうと部室に籠ったりと、時間を有効に使う術もあるわけだが。
基本、下校時刻までは、校外には出てはいけない。
「自由登校」というものがない、義務教育公立中学の悲しいところ。

「大丈夫。僕マジメだから、時間までにちゃんと戻れば、お咎めないよ」
「……お前ってそんな性格だっけか?」
「へへ。なんてね」

「まあ、たまにはこういうのもいいんじゃない?」と笑う拓也と藤井の間に暖かい風が吹き抜けた。
学校のすぐ裏手にある川岸。
その川に沿うように植えられた桜並木は咲き誇るのを待ちわびるかのように蕾を膨らまし、足元は短い草の間にいくつもの土筆が背比べをするかのように伸びていた。
向こう岸には、黄色い菜の花の郡が萌えるのが見える。
三寒四温。先週は冬が戻ったかのように冷え、雨が続いた。
しかし今週は快晴が続き、空気も暖かく春の香りを含んでいる。

「じゃあ、何で誘ったの?」

時間を持て余して廊下の窓から外を眺めていた藤井を見つけ、職員室帰りの拓也が声を掛けた。
そして「外、出てみないか?」と半ば無意識のように発せられた藤井の言葉に、一緒に窓から空を見上げた拓也は「いいね」と軽く応じたのだった。

他の学年は授業中。
思い思いの過ごし方をしている三年の教室の前を通り抜け、職員室の前を避けるように校舎内をグルリと回り、昇降口へ。

歩いて3分ほどの通学路途中の川辺に腰を下ろして、ひと月前とは明らかに違う種類の風を全身に感じながら、ひと言ふた言言葉を交わす。

「窓から外眺めてたら、風と空気が気持ち良かったのと、……」
「ん?」

続きがありそうな言い回しなのに、途切れた言葉の先がなかなか出てこないので、どこを見ていたわけでもなかった視線を藤井に向けると、いつからこちらに向けられていたのだろうか、藤井のそれとぶつかった。

「……藤井君?」

少しどぎまぎしながら呼びかけると、藤井はふいっと視線を外しゴロンと寝転がり、言葉の続きを放った。

「そこに榎木がいたからだよ」

拓也に背を向けるように寝返りを打った藤井の表情は拓也には見えない。

「……えっと、それは……もし声かけたのがゴンちゃんだったら?」
「教室帰って寝る」

藤井の即答に、拓也は思わず吹き出す。

「あはは…っ」
「意味分かってんのか?」
「え? 何が?」

笑いながら「えー?」と聞き返す拓也に、藤井は溜め息を吐く。
しかし、こんなことで伝わるくらいなら、とっくに自分の気持ちなんて気付かれているだろう。

「何でもねーよ」

藤井がそう呟き、「そ?」とだけ返した拓也の短い返事の後、二人はただ黙って流れる雲を眺めた。


暫くすると、穏やかにゆっくり流れていた空気に学校の方角からチャイムの音が風に乗って届いた。

「あ、ヤッバ。次、体育館で卒業合唱の練習だっけ」
「くっそ、だりぃな」

二人揃って、尻や背中に付いた草を払い落としながら腰を上げる。

「ホラ、急ぐぞ」
「うん!」

歩いて3分の距離は、足の速い二人がちょっと本気で走れば1分もかからない。

「藤井君!」
「あ?」

横に並走している互いの顔を見る。

「4月から、またよろしくね」
「……おう」

ほのかに甘い花の香りを含む春風は、追い風となって二人の背中を押すように吹き抜けた。



「あー、榎木、どこ行ってたんだよー」
「んー、ちょっと」
「藤井、お前どこに雲隠れしてたんだ」
「さてね」

昇降口から直接体育館へ向かった二人は、何食わぬ顔で、自分のクラスの集団へと混じって行った。

       -2015.03.17 UP-
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