月夜にキスを奪われる

今日は色々偶然が重なって、帰りが遅くなった。
学校を出た時は既に陽が随分と傾いていて、家の最寄駅に着いた時は、もう空は月明かりに照らされていた。

「すっかり遅くなっちゃったねー」
僕は空を仰ぎ見ながら、藤井君に声を掛けた。
「腹減ったなー、今日の夕飯は親父さんが?」
「うん。遅くなるメール入れたし、今日は残業もないみたいで丁度よかった」
「二人共遅くなる時は、実どうしてんだ?」
「まあ、滅多にないけど…そういう時はお向かいの木村さんにお願いしてる」
流石に、まだ小さい実を空腹で待たせる訳にはいかないしね。

他愛のない話。
駅から二人の自宅への分岐点までは、近くもないけど、遠くもない。
一人だと長く感じる道程は、ほら、君と一緒だとあっという間。

もうすぐ、明日が恋しくなる。

その地点に辿り着き、どちらと共なく立ち止まる。
いつもより名残惜しく感じるのは、月が優しく照ってるせいなのかな…。

そんな事を考えながら
「じゃあ、また明日」
と笑って手を振ろうとした、その時

「榎木」

と呼ばれ、唇を塞がれた。

触れただけのそれは、すぐに解かれた訳だけど…

「な!?…に」
人に見られたらどうするの!?
「油断してたろ」
ニッと悪戯っぽく笑う藤井君に、余計に顔が火照る。

「月夜にキスを奪われる」
僕の鼻先に人差し指を示し、してやったり顔の藤井君。

「藤井君…それを言うなら "月夜に釜を抜かれる"じゃないの?」
流石に呆れる。
何、そのドヤ顔。

「月が、綺麗だったから」
と、空を見上げる藤井君に、何その理由?と思ったけど、空を見上げた後、僕に向き直った藤井君の顔に月明かりが掛かってドキッとした。

(月が、綺麗だった…から)
藤井君の言葉を頭の中で思わず反芻した、その刹那、

「藤井君…」

考えるより先に手が伸び、僕からキスをした。

今度は藤井君が慌てる番。

「月夜にキスを奪われる」
そして、同じ台詞を返してあげる。

「不意打ちは卑怯だろ…」

藤井君が片手で顔を覆って、
僕を睨んでるのが分かる。
自分だって不意打ちにしといて、それは棚上げと言うんじゃないのか。

「じゃあ、最後に―――…」

そう言うのと同時に、藤井君の手が僕の項に触れ、優しく唇が重なり合う。
今度は、甘くとろけるように―――…



「また、明日」
手を振って別れた後は、より一層、明日が恋しくなった。



諺「月夜に釜を抜かれる」
油断の甚だしい事の例え。
明るいのに、油断しすぎ。





       -2013.02.23 UP-

☆――――――――☆
「捏造キスのことわざ5題」より
"月夜にキスを奪われる"
(月夜に釜を抜かれる)

お題提供:確かに恋だった
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