お似合いですね
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マモンがモデル仕事をする現場に私がアシスタントとして立ち会うのは、これが一度目ではなかった。特別だ、なんていいながら初めて連れていかれたのはまだ彼と出会って日が浅い頃。人間界にいた時だってそんな経験はしたことがないから見るものすべてが新鮮だったのを覚えている。もちろん、マモンが真面目に仕事をこなしている姿もそれに含まれていた。
「留学生さーん! 悪いんだけどそれこっちに持ってきて!」
「あ、はい!」
衣装さんやらメイクさんに取り囲まれて被写体となる準備をしているマモンを遠目で見ていたらスタッフの一人に声を掛けられた。急いでそちらに向かう。始めこそ人間なんかになにができるんだという態度の悪魔が多かったけど、今では――もしかしたらマモンが何かしたのかもしれないが――すっかり受け入れてもらえていた。
作業をしながらまた目でマモンを追い始めていることに気づいてハッとする。一応私にもアルバイト代はそれなりに出るようだし、公私混同せずしっかり働かなければいけない。本当にそう思う、のだけど。
「マァーモーン、準備まだぁ?」
「うっせ、黙って待ってろ」
「ふふふ、はぁーい」
甘くてかわいらしい声がマモンを呼び、笑いかけるのに気を取られてしまう。今日の撮影でマモンとペアを組む相手は、RADでも人気のあるサキュバスモデルだった。輝くブロンドをなびかせ、細い腰とすらりと長い足が目を奪う。サキュバスであることを差し引いても魅力的で、羨ましいほどの美貌の彼女。
直接話したことはない。廊下ですれ違った時に値踏みするような視線を向けられて、鼻で笑われたことなら何度か。きっと七大君主の兄弟たちをはじめとする上級の悪魔と人間の私が親しくしているのが気に入らない一派なのだろうという印象で、はっきり言って苦手だった。
さらに今日の撮影テーマは『カップルコーデ』ときたもので、いくら公私混同するなと言っても平静を装いきるのは自信がない。つい先ほどその旨を聞かされたマモンもきっと嫌がるだろうと思っていたら「ふーん」の一言で終わった。それにちょっぴりショックをうけたものの、よくよく考えてみればそれは当たり前の話だ。これはプロの仕事。いや、プロなのに自分の権力を用いて私を連れてきてるんだけど――それはこの際置いておく。正直、その反応が寂しかった。いつものような反応を期待していた私がいることに気づいてもどうしようもない。この虚しさを埋めることは、できっこない。
きゅっと唇を噛みしめる。改めて、アシスタントとしてここにくるのは初めてでない。ただ、マモンと私が恋人同士になってからこの場に来るのは初めてだった。
「おそーい! 待たせないでよ!」
「いや俺様のせいじゃねーし」
小さめのレフ版を掲げる私の目の前でやりとりをするマモンとサキュバスモデルは、どこからどう見ても美男美女でお似合いだ。この二人のカップルコーデ特集なら飛ぶように雑誌が売れることだろうと他人事のようにぼんやり考える。必要以上に絡められた腕、時々勝ち誇ったように私を見る目。その全てを見ないフリでぐっと堪える。レフ板の角度さえ間違えなければ見なくたってどうにかなるはずだ。
「マモンさん、あの、目線こっちですよ?」
カメラマンの戸惑うような声が聞こえて、何かあったのかとおそるおそる顔を上げればマモンとバッチリ目が合う。当然、私はカメラを持っていない。なので、こっちを向くのはちょっとおかしい。
「あ、いや……わかってる」
「マモン、どうしたの〜?」
「別になんでもねぇ!」
サキュバスモデルの心配を跳ねのけたマモンが私からそっぽを向く。そして撮影が再開されたものの、何度も何度も同じことが起こる。流石になんだか居心地が悪くなってきて担当場所を変えてもらおうかと思った頃、サキュバスモデルが「いい加減にしてよ!」と大声を張り上げた。
「……ンだよ、いきなりでけぇ声出しやがって」
「いまマモンとカップル役なのはわたしでしょ!? あの子のことなんて気にしてないでこっちに集中してよ!」
「は、はぁ!? 俺様は別に――」
「もう! 嫌になる!」
スタッフさんも宥めようとするけれど、マモンに詰め寄るサキュバスモデルの表情は怒り心頭と言った感じで、美女であるからこその迫力がある。こんなことになるならさっさと別の場所に移ればよかったと思っているうちに目の前にサキュバスモデルがいた。レフ板を押しのけ、私を睨むその勢いに若干の恐怖を感じて息を飲む。
「え、ええと……」
「こんななんの取り柄もなさそうな子のなにがいいわけ? スタイルだってイマイチだし、特に可愛くもないし。マモンには似合わない! 私の方がいいに決まってる!」
似合わない、と言い切られた。たしかに魔界の住人に比べたら人間なんて弱くてすぐどうにかなってしまう存在で、食料もしくは利用価値のあるアイテムくらいにしか思われていないこともあるだろう。でも、いきなりそう言われてショックを受けないほど私も強くない。
それでも何か言い返さなければ、と口を開いた途端さっと影が差す。
「あのさ、おまえなんなの?」
影が差したのは私とサキュバスモデルの間にマモンが割って入ったせいだった。マモンの背中だけ見えていてどんな顔をしているかわからないけど、声色とサキュバスモデルの青褪めた顔でものすごく怒っていることだけはわかった。
サキュバスモデルはやっとのことで笑顔を作り出すとマモンの腕に縋り付く。
「ねぇマモンなんでそんなに怒っ――」
「もういいから。つか撮影中もだったけどベタベタさわんな。予定にねーだろ」
「だって、カップルコーデが――」
「だったらなンだよ」
マモンは腕を振り上げてサキュバスモデルの手をやや乱暴に振りほどくと、私を振り返った。周りにいるスタッフも皆驚きどよめくばかりで、マモンだけが唯一平然と行動している状況だった。
「なに、どうし――」
言い切る前にぐいっと腕を引かれて肩を抱かれる。なにがなんだかわからないし、頭の中が疑問符だらけなのはきっと私だけじゃない。
「ちょっと、どういうつもり⁉」
サキュバスモデルが再び金切り声をあげる。思わず、マモンの衣装の裾をきゅっと握る。握られた部分をチラリと見たマモンは一瞬頰を緩めたあと、また目の前の相手に向き直った。
「は? わかんねェの?」
いや、正直言って私にもわからない。わかるように説明してほしい。そう思っていると肩をさらに強く抱かれて引き寄せられる。
「俺様の隣はこいつって決まってっからよ、フリでも他の奴となんざゴメンだわ」
肩を抱いているのとは反対の手で頭をぽんぽんと軽くたたかれた。何か言わなきゃと言葉を探すけど出てこない。恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しくて、感情の波でわけがわからなくなっているうちに呆然としたサキュバスモデルが口を開いた。
「……わたし、帰る」
「え、でも撮影が――」
「帰るったら帰るの!」
我に返った撮影スタッフの引き留めもむなしく、サキュバスモデルが靴音を踏み鳴らしながら帰って行く。追いかけようにもどちらかと言えばマモンのほうが怖いのか、スタッフが目に見えておどおどし始めた。私も私でなんだか撮影を私のせいで台無しにしてしまったような気がしてどうしようかと思案していれば、マモンが首を傾げた。
「おまえらなんでそんなに困ってんだ?」
「いや、なんでって!」
思わずツッコミを入れてしまった。
「なんだよおまえまで」
「だってカップル特集でしょ? 一人でどうするの?」
「あっ……」
マモンが「しまった」みたいな顔をしたのに呆れてしまった。庇ってくれて嬉しかったけど、本当に何も考えていなかったのだろうか。それよりさっきから気のせいでなければスタッフの視線が私に集まっている……よう、な。
まさか私にここで即席モデルになれと、そういうことなのだろうか。
少し考えたけど無理なものは無理だ。まず先程怒って帰ってしまったサキュバスモデルと私では容姿のレベルが天と地ほど離れている。だいたいポージングとかだって「ではやってください」で出来るものでもない。
マモンはギャラがどうとかこうとかブツブツ言っていていまや頼りにならない。
「留学生さん、あのね……?」
意を決したかのようにスタッフの一人が震える声で私を呼んだその時だった。
「うむ、いいんじゃないか」
全員がその低い声の主を見る。人型で、高級そうなスーツも身につけているけれどその肌は赤銅色の鱗に覆われている。たしか、リザードマンと言われている種族。シルバーフレームの眼鏡をくいっと上げたその笑顔はどことなくニヒルだった。
「へ、編集長!」
「あ? いたのかおっさん」
「今きたところだよ、マモン。そちらさんは例の人間だろう? 丁度良かった」
「丁度……いい……?」
編集長。おっさん。
この場でこのリザードマンを知らないのはどうやら私だけらしい。急展開に混乱する中、編集長がタバコに火をつけながらつらつらと説明をはじめた。
昨今魔界では人間界のアファッションアイテムがブームになってきていること。今日の撮影が表紙になる次号は人間界特集を組もうかと思っていたこと。だから、カップルコーデ特集も私とマモンの二人で撮ればいいという提案。
巧みな話術でいつのまにか自然な流れで私が表紙を飾ることになっている。しかし、戸惑う私より早く隣から答えが出た。
「ダメだ」
マモンが私のモデル代打登用を却下した。表情は真剣そのもので、その凛々しさに一瞬ドキッとしたもののふと冷静になる。
私が原因の一端ではあるとはいえ、私を連れてきたのもサキュバスモデルを追い出したのもマモンだ。なのに、とんだ横暴さである。
「バカタレ。お前の我儘ばっかり聞けるか」
「オイおっさん。いくらお前でも口の聞き方に気ィつけろよ」
「お前こそ、今日のギャラはなしな上に今月号発行中止の分肩代わりできるのか」
「は、できるわけ――」
「ならば飲め」
編集長の言い分は至極当然だった。速攻言い負かされて唸っているマモンを宥める。
「私は平気だから」
「……ダメなんだよ」
「マモン?」
マモンが私に向き直る。何かと思ったら肩
「そんなことしてみろよ。お前がかわいいって、雑誌見たやつ全員気づいちまうだろ……!」
――これは、この場にいる全員に聞こえているのだろうか。聞こえてる、よね?
あまりのことにフリーズしてしまった。頰が熱い。周りの反応が怖い。今更自分の言ったことのとんでもなさに気付いたマモンが慌て始めるころ、編集長が大声を上げて笑った。
「いやぁ噂に聞いてた通りだ!」
「な、何がだよ」
「ん? 七大君主が一人の人間にびっくりするほど入れ込んでるって話だ」
「ばっ……! そんなんじゃ――」
そこまで言って真っ赤になったマモンがチラリと私を見て、何事か言おうとしていた言葉を飲み込んだ。咳払いをした後に頭を掻いて、ようやく口を開く。
「まぁなんつーか、アレだ」
「わかったわかった。大事な留学生様を見世物にしないでおいてやるよ。その代わり……」
「そ、その代わり?」
「……しばらく、働いてもらうぞ?」
ギロリと編集長の視線が突き刺さる。マモンにはもう後が残されていないようで、その場は観念するしかなかった。編集長は満足そうにもうひと笑いすると、テキパキとスタッフに指示を出していく。
結局、カップルコーデ特集を無かったことにする代わりに私も人間界に関するインタビューには協力することになった。トレンドをぎっしり詰めたマモンが表紙を飾ったその号は、飛ぶように売れたらしい。
ちなみに――
表紙のマモンがあまりにも柔らかい笑顔で笑っているのが飛ぶように売れた原因の一端であると聞いて、私は複雑な気持ちになった。
「なんでそんなスネてんだよ」
「だって、マモンのこの顔もみんなに見せたくなかったから――あっ」
思わず正直に答えてしまってから口を塞いだところでもう遅い。耳まで熱い。揶揄われるかと思って身構えてたら返ってきたのは意外な答え。
「ばっ、お前が横にいたからこんな顔になったんだろーが!」
「……えっ?」
「あっ」
これじゃあまるでバカップルみたいだと思いつつ、嬉しくて仕方がないのも事実だった。お互いに間抜けな顔でしばらく二人で見つめ合ったあと、マモンの「……いいか?」を合図に唇を重ねた。
「留学生さーん! 悪いんだけどそれこっちに持ってきて!」
「あ、はい!」
衣装さんやらメイクさんに取り囲まれて被写体となる準備をしているマモンを遠目で見ていたらスタッフの一人に声を掛けられた。急いでそちらに向かう。始めこそ人間なんかになにができるんだという態度の悪魔が多かったけど、今では――もしかしたらマモンが何かしたのかもしれないが――すっかり受け入れてもらえていた。
作業をしながらまた目でマモンを追い始めていることに気づいてハッとする。一応私にもアルバイト代はそれなりに出るようだし、公私混同せずしっかり働かなければいけない。本当にそう思う、のだけど。
「マァーモーン、準備まだぁ?」
「うっせ、黙って待ってろ」
「ふふふ、はぁーい」
甘くてかわいらしい声がマモンを呼び、笑いかけるのに気を取られてしまう。今日の撮影でマモンとペアを組む相手は、RADでも人気のあるサキュバスモデルだった。輝くブロンドをなびかせ、細い腰とすらりと長い足が目を奪う。サキュバスであることを差し引いても魅力的で、羨ましいほどの美貌の彼女。
直接話したことはない。廊下ですれ違った時に値踏みするような視線を向けられて、鼻で笑われたことなら何度か。きっと七大君主の兄弟たちをはじめとする上級の悪魔と人間の私が親しくしているのが気に入らない一派なのだろうという印象で、はっきり言って苦手だった。
さらに今日の撮影テーマは『カップルコーデ』ときたもので、いくら公私混同するなと言っても平静を装いきるのは自信がない。つい先ほどその旨を聞かされたマモンもきっと嫌がるだろうと思っていたら「ふーん」の一言で終わった。それにちょっぴりショックをうけたものの、よくよく考えてみればそれは当たり前の話だ。これはプロの仕事。いや、プロなのに自分の権力を用いて私を連れてきてるんだけど――それはこの際置いておく。正直、その反応が寂しかった。いつものような反応を期待していた私がいることに気づいてもどうしようもない。この虚しさを埋めることは、できっこない。
きゅっと唇を噛みしめる。改めて、アシスタントとしてここにくるのは初めてでない。ただ、マモンと私が恋人同士になってからこの場に来るのは初めてだった。
「おそーい! 待たせないでよ!」
「いや俺様のせいじゃねーし」
小さめのレフ版を掲げる私の目の前でやりとりをするマモンとサキュバスモデルは、どこからどう見ても美男美女でお似合いだ。この二人のカップルコーデ特集なら飛ぶように雑誌が売れることだろうと他人事のようにぼんやり考える。必要以上に絡められた腕、時々勝ち誇ったように私を見る目。その全てを見ないフリでぐっと堪える。レフ板の角度さえ間違えなければ見なくたってどうにかなるはずだ。
「マモンさん、あの、目線こっちですよ?」
カメラマンの戸惑うような声が聞こえて、何かあったのかとおそるおそる顔を上げればマモンとバッチリ目が合う。当然、私はカメラを持っていない。なので、こっちを向くのはちょっとおかしい。
「あ、いや……わかってる」
「マモン、どうしたの〜?」
「別になんでもねぇ!」
サキュバスモデルの心配を跳ねのけたマモンが私からそっぽを向く。そして撮影が再開されたものの、何度も何度も同じことが起こる。流石になんだか居心地が悪くなってきて担当場所を変えてもらおうかと思った頃、サキュバスモデルが「いい加減にしてよ!」と大声を張り上げた。
「……ンだよ、いきなりでけぇ声出しやがって」
「いまマモンとカップル役なのはわたしでしょ!? あの子のことなんて気にしてないでこっちに集中してよ!」
「は、はぁ!? 俺様は別に――」
「もう! 嫌になる!」
スタッフさんも宥めようとするけれど、マモンに詰め寄るサキュバスモデルの表情は怒り心頭と言った感じで、美女であるからこその迫力がある。こんなことになるならさっさと別の場所に移ればよかったと思っているうちに目の前にサキュバスモデルがいた。レフ板を押しのけ、私を睨むその勢いに若干の恐怖を感じて息を飲む。
「え、ええと……」
「こんななんの取り柄もなさそうな子のなにがいいわけ? スタイルだってイマイチだし、特に可愛くもないし。マモンには似合わない! 私の方がいいに決まってる!」
似合わない、と言い切られた。たしかに魔界の住人に比べたら人間なんて弱くてすぐどうにかなってしまう存在で、食料もしくは利用価値のあるアイテムくらいにしか思われていないこともあるだろう。でも、いきなりそう言われてショックを受けないほど私も強くない。
それでも何か言い返さなければ、と口を開いた途端さっと影が差す。
「あのさ、おまえなんなの?」
影が差したのは私とサキュバスモデルの間にマモンが割って入ったせいだった。マモンの背中だけ見えていてどんな顔をしているかわからないけど、声色とサキュバスモデルの青褪めた顔でものすごく怒っていることだけはわかった。
サキュバスモデルはやっとのことで笑顔を作り出すとマモンの腕に縋り付く。
「ねぇマモンなんでそんなに怒っ――」
「もういいから。つか撮影中もだったけどベタベタさわんな。予定にねーだろ」
「だって、カップルコーデが――」
「だったらなンだよ」
マモンは腕を振り上げてサキュバスモデルの手をやや乱暴に振りほどくと、私を振り返った。周りにいるスタッフも皆驚きどよめくばかりで、マモンだけが唯一平然と行動している状況だった。
「なに、どうし――」
言い切る前にぐいっと腕を引かれて肩を抱かれる。なにがなんだかわからないし、頭の中が疑問符だらけなのはきっと私だけじゃない。
「ちょっと、どういうつもり⁉」
サキュバスモデルが再び金切り声をあげる。思わず、マモンの衣装の裾をきゅっと握る。握られた部分をチラリと見たマモンは一瞬頰を緩めたあと、また目の前の相手に向き直った。
「は? わかんねェの?」
いや、正直言って私にもわからない。わかるように説明してほしい。そう思っていると肩をさらに強く抱かれて引き寄せられる。
「俺様の隣はこいつって決まってっからよ、フリでも他の奴となんざゴメンだわ」
肩を抱いているのとは反対の手で頭をぽんぽんと軽くたたかれた。何か言わなきゃと言葉を探すけど出てこない。恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しくて、感情の波でわけがわからなくなっているうちに呆然としたサキュバスモデルが口を開いた。
「……わたし、帰る」
「え、でも撮影が――」
「帰るったら帰るの!」
我に返った撮影スタッフの引き留めもむなしく、サキュバスモデルが靴音を踏み鳴らしながら帰って行く。追いかけようにもどちらかと言えばマモンのほうが怖いのか、スタッフが目に見えておどおどし始めた。私も私でなんだか撮影を私のせいで台無しにしてしまったような気がしてどうしようかと思案していれば、マモンが首を傾げた。
「おまえらなんでそんなに困ってんだ?」
「いや、なんでって!」
思わずツッコミを入れてしまった。
「なんだよおまえまで」
「だってカップル特集でしょ? 一人でどうするの?」
「あっ……」
マモンが「しまった」みたいな顔をしたのに呆れてしまった。庇ってくれて嬉しかったけど、本当に何も考えていなかったのだろうか。それよりさっきから気のせいでなければスタッフの視線が私に集まっている……よう、な。
まさか私にここで即席モデルになれと、そういうことなのだろうか。
少し考えたけど無理なものは無理だ。まず先程怒って帰ってしまったサキュバスモデルと私では容姿のレベルが天と地ほど離れている。だいたいポージングとかだって「ではやってください」で出来るものでもない。
マモンはギャラがどうとかこうとかブツブツ言っていていまや頼りにならない。
「留学生さん、あのね……?」
意を決したかのようにスタッフの一人が震える声で私を呼んだその時だった。
「うむ、いいんじゃないか」
全員がその低い声の主を見る。人型で、高級そうなスーツも身につけているけれどその肌は赤銅色の鱗に覆われている。たしか、リザードマンと言われている種族。シルバーフレームの眼鏡をくいっと上げたその笑顔はどことなくニヒルだった。
「へ、編集長!」
「あ? いたのかおっさん」
「今きたところだよ、マモン。そちらさんは例の人間だろう? 丁度良かった」
「丁度……いい……?」
編集長。おっさん。
この場でこのリザードマンを知らないのはどうやら私だけらしい。急展開に混乱する中、編集長がタバコに火をつけながらつらつらと説明をはじめた。
昨今魔界では人間界のアファッションアイテムがブームになってきていること。今日の撮影が表紙になる次号は人間界特集を組もうかと思っていたこと。だから、カップルコーデ特集も私とマモンの二人で撮ればいいという提案。
巧みな話術でいつのまにか自然な流れで私が表紙を飾ることになっている。しかし、戸惑う私より早く隣から答えが出た。
「ダメだ」
マモンが私のモデル代打登用を却下した。表情は真剣そのもので、その凛々しさに一瞬ドキッとしたもののふと冷静になる。
私が原因の一端ではあるとはいえ、私を連れてきたのもサキュバスモデルを追い出したのもマモンだ。なのに、とんだ横暴さである。
「バカタレ。お前の我儘ばっかり聞けるか」
「オイおっさん。いくらお前でも口の聞き方に気ィつけろよ」
「お前こそ、今日のギャラはなしな上に今月号発行中止の分肩代わりできるのか」
「は、できるわけ――」
「ならば飲め」
編集長の言い分は至極当然だった。速攻言い負かされて唸っているマモンを宥める。
「私は平気だから」
「……ダメなんだよ」
「マモン?」
マモンが私に向き直る。何かと思ったら肩
「そんなことしてみろよ。お前がかわいいって、雑誌見たやつ全員気づいちまうだろ……!」
――これは、この場にいる全員に聞こえているのだろうか。聞こえてる、よね?
あまりのことにフリーズしてしまった。頰が熱い。周りの反応が怖い。今更自分の言ったことのとんでもなさに気付いたマモンが慌て始めるころ、編集長が大声を上げて笑った。
「いやぁ噂に聞いてた通りだ!」
「な、何がだよ」
「ん? 七大君主が一人の人間にびっくりするほど入れ込んでるって話だ」
「ばっ……! そんなんじゃ――」
そこまで言って真っ赤になったマモンがチラリと私を見て、何事か言おうとしていた言葉を飲み込んだ。咳払いをした後に頭を掻いて、ようやく口を開く。
「まぁなんつーか、アレだ」
「わかったわかった。大事な留学生様を見世物にしないでおいてやるよ。その代わり……」
「そ、その代わり?」
「……しばらく、働いてもらうぞ?」
ギロリと編集長の視線が突き刺さる。マモンにはもう後が残されていないようで、その場は観念するしかなかった。編集長は満足そうにもうひと笑いすると、テキパキとスタッフに指示を出していく。
結局、カップルコーデ特集を無かったことにする代わりに私も人間界に関するインタビューには協力することになった。トレンドをぎっしり詰めたマモンが表紙を飾ったその号は、飛ぶように売れたらしい。
ちなみに――
表紙のマモンがあまりにも柔らかい笑顔で笑っているのが飛ぶように売れた原因の一端であると聞いて、私は複雑な気持ちになった。
「なんでそんなスネてんだよ」
「だって、マモンのこの顔もみんなに見せたくなかったから――あっ」
思わず正直に答えてしまってから口を塞いだところでもう遅い。耳まで熱い。揶揄われるかと思って身構えてたら返ってきたのは意外な答え。
「ばっ、お前が横にいたからこんな顔になったんだろーが!」
「……えっ?」
「あっ」
これじゃあまるでバカップルみたいだと思いつつ、嬉しくて仕方がないのも事実だった。お互いに間抜けな顔でしばらく二人で見つめ合ったあと、マモンの「……いいか?」を合図に唇を重ねた。
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