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のべるばーまとめ

 夜になっても一人で出歩いていると神さまに連れ去られてしまう、という噂が民の間に出回っているらしい。
「だからあなたも早く帰ってきなさいよって、母から口酸っぱく言われたんです」
 玄関先でブーツを履いて、袴姿の助手が立ち上がる。トキは頭一つ分ほど低い彼女を見下ろして腕を組んだ。今日は幻獣調査の途中で大物に遭遇してしまって、逃げたり叫んだり転んだりしていたけれど、ひとまず怪我は無さそうだ。
 二十になっていない娘を助手として迎えている以上、大人の自分が身の安全を守ってやらなければ。密かに抱えている任務は、今日も無事に果たせた。
「トキさん?」と助手が首を傾げる。頭の片側につけた紅葉の簪が風流に揺れた。「突然黙りこくってどうしたんですか」
「別に。妙な話が広まってるもんだなと思っただけだ」
「ああ、さっきの。ここ最近、急に広まってるみたいなんですよねえ。神隠し、とか言って」
 トキとしては迷惑極まりない。
 ――この国の神、俺だしな。
 正確に言えば、神そのものではなく分身なのだけれど。人の世がしっかりと回っているか、神が自身の目で確かめるために用意した器、といったところだ。
 もちろん助手はこのことを知らないし、知らせるつもりもない。言ったところで信じるわけがないからだ。
「何日か前に若い女とか子どもとかが行方不明になる事件があったろ」
「ありましたね。結局犯人って見つかったんでしたっけ」
「違法な人身売買をしようとしてた連中だった。全員もれなく捕まってたような気はするが、多分、神隠し云々はそいつらが流した噂じゃねえか」
 人がいなくなったとしても「最近ほら、神隠しとかあるじゃない」で済まされるのを狙って、意図的に流布したのではないか。神とはいえ全てを知っているわけではないため、あくまでトキの推測だ。正確なところは分からない。
 ただ助手は納得させるには充分だったようで、なるほど、とうなずかれた。
「けど犯人が捕まったんだったら、もう安心して出歩けますね」
「お気楽な頭してんな」
「えっ」
「人さらいがそいつらだけとは限らねえ。人間を餌として狙う幻獣だっている」
 異国の魔術師たちが作った人工生命体――通称〝幻獣〟は、本来この国にはいなかった。だが近年は輸入品に紛れ込んでいたりだとか、観賞品として運ばれてきたものが逃げ出すなど、街中でも見かける頻度が増えている。それに伴い、人や農作物への危害の報告も多く聞かれていた。
 トキはさっさと革靴を履き、玄関の引き戸を開ける。助手は小豆色の目をまたたいて、不思議そうな顔をしていた。
「トキさんもどこか出かけるんですか?」
「お前を家まで送っていくんだよ」
「えっ、大丈夫ですよ。もうすぐ大人ですし、一人で帰れます」
「〝もうすぐ大人〟って〝まだ子ども〟って言ってんのと変わらねえぞ。とにかく、お前を一人で帰らせてなにかありゃ、今は俺のせいになる。そんな面倒なことあってたまるか」
「トキさんのせい? あ、なんで一人で帰らせたんだって怒られるとか?」
「そういうことにしとけ」
 外に出ると、東の空にまろやかな色合いの月が浮かんでいた。周囲を彩るのは大小さまざまな星々だ。ほあー、と天を仰ぐ助手に「早く帰るぞ」と促して、トキはさっさと道を進む。
「でも神隠しって、昔話とかでも聞いたことあるような」軽い足取りで隣に並び、彼女はなにか思い出すように顎に指を添えた。「最近のは人身売買が原因だったって言ってましたけど、昔もそうだったんですかね」
「それも無かったわけじゃねえが、だいたいはただの迷子か、家出だった。そういう時の都合のいい言い訳っつーか、逃げ道として〝神さまに気に入られてしまった〟とかよく言われたよ。ったく、迷惑な話だ」
「? なんでトキさんが迷惑がるんですか?」
 うっかり口を滑らせたと思った直後、案の定、助手から突っこまれた。
「なんでもいいだろ。気にすんな」
「いや気になりますって。教えてくださいよ」
 ねえねえと縋る眼差しは真っすぐだ。己の迂闊さに深々とため息をつき、トキはだんまりを決めこんだ。
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