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のべるばーまとめ

 外国へ出かけていた夫が、今朝がた国に戻ってきたらしい。テヘナが庭園の四阿で侍女とともに待っていると、「ただいま」と彼が現れた。色白の頬はほのかに緩んでいる。
「おかえりなさいませ!」喜びが抑えきれず、自分でも驚くほどの声量で迎えてしまう。はっと耳を赤くしつつ、テヘナは彼に駆け寄った。「ちょっと。笑わないでくださいよ」
「そんな耳が痛くなるくらいのでかさで挨拶されたら、誰だって笑うでしょ。元気がいいのはいいことだけどさ。なんか君、あれだよね。主人の帰りを忠実に待ってた犬みたい」
「もう、陛下!」
 むうっと唇を尖らせて抗議すれば、冗談だと謝るように頬を優しく撫でられる。それだけで許してしまうのだから、惚れたこちらの負けというものだ。
 空気を読んで侍女が退席すると、夫はそっと両腕を広げる。きょとんと眼を見つめるテヘナだったが、やがてなにをしようとしているのか理解し、彼の胸に飛びこんだ。
 二週間離れていただけだったのに、温もりがとても懐かしい。背中を撫でる手は宝物に触れるかのごとく慎重で、大事にしてくれているのだと分かる。
 甘い香りが鼻をくすぐったのは、胸元にぐりぐりと頭を押しつけた時だった。
「今日の陛下、なんだか良い香りします」
「そう?」
「いつもとは違う香りです。香水ですか?」
「あれかな。君に渡そうと思って、外国から持ってきたやつのにおいかも」
 彼が声をかけると、見えないところに控えていたであろう侍従がなにやら手にして現れる。木の枝だ。ひよこによく似た色の小さな花が無数についており、植物にあまり詳しくないテヘナでも、この国では見かけたことのないものだと分かる。恐らく母国にも生えていない代物だ。
 夫が枝を受け取ると、花の群れがわさっと揺れた。その瞬間、胸元から感じたのと同じ芳香が周囲に漂う。
「そのお花の匂いだったんですね」
「馬車の中でずっと持ってたから、移ったんじゃないかな」
 訪問先の外国で見かけた花で、民家や街路だけでなく王宮の庭など、いたるところに植えられていたそうだ。香りに惹かれて見物していたところ、気に入ったのならぜひ、と枝をいくつか分けてくれたらしい。
「キンモクセイっていうんだって。かなり人気のある花みたいで、香水とかお茶とか、これを使ったものが色々売られてたよ」
「へー、お茶! どんな味がするんでしょう」
「絶対そうやって言うと思ったら、買って来てあるよ」
 考えが見透かされていたようで恥ずかしい。また耳が熱くなる。夫は小さく笑い声を上げて、テヘナの赤い髪を指で梳いた。
「あとはこんなのも」
「? なんですか?」
 彼がポケットから取り出したのは木製の細長い小箱だった。ふたを開けてみると、キンモクセイを模した髪飾りが収められていた。手に取ってみれば、花同士がぶつかりあってしゃらしゃらと音が鳴る。
「似合うと思って買ってきたんだ」
 つけてあげる、と彼は慣れない手つきながらも髪飾りを挿してくれた。
 予想通りだと言いたげにうなずく夫を見て、テヘナの唇も柔らかく綻ぶ。
「なんだかお土産の数多いですね」
「なに、嬉しくない?」
「いいえ。離れたところでも私のことを思ってくれてたんだなあって、すごく嬉しいですし幸せです」 
 ふいにどこからか香ばしいにおいが漂ってきた。先ほど下がった侍女が、盆を手にしても戻ってきたのだ。盆にはティーポットと二人分のカップ、焼き立てのパンが乗っている。
 早速キンモクセイのお茶を淹れてくれたらしい。パンの隣には花弁がぎっしり詰まった丸い瓶も見受けられ、夫が「ジャムだよ。それもお土産」と教えてくれた。
「どうせ朝ごはんまだだったでしょ。一緒に食べよう」
 どこもかしこもキンモクセイ尽くしだ。甘い香りと多幸感の中で、テヘナははにかみながらうなずいた。
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