のべるばーまとめ
ぱらぱらと紙をめくる音が耳に届いた。襖で隔てた隣の部屋からだ。輝恭は寝巻に半纏を羽織り、そっと隙間を作って様子を覗く。
まず見えたのは、ルームシェアをしている相棒の後ろ姿だ。布団の上であぐらをかき、ほの明るい間接照明を頼りに視線を落としている。ぶつぶつとかすかに呟く声も聞こえた。
――台本でも読んでんのか?
相棒は今年に入ってから演技の仕事が多くなった。特にミュージカルや舞台など、生での芝居がよく舞いこむ。先日も新たな演目のオーディションに足を運んでいたし、台本を読んでいるとするならば、無事に役を獲得できたのだろう。
すたんっと襖を開け、「おい」と背中に呼びかける。「ひょわっ」と甲高く短い悲鳴を上げ、相棒は肩をびくりと揺らした。
「わっ、わ。寝てたんじゃなかったの」
「これから寝ようとしてた。そしたらテメエの部屋からなんか聞こえてきて」
「起こしちゃった?」と気にかける相棒に首を横に振って、肩越しに手元を覗きこむ。予想通り、やはり台本に目を通していたようだ。クリップでまとめられた分厚い紙の束を腿に乗せ、右手には赤いボールペンを握っていた。
出演が決まったのは、剣だの魔法だのが出てくるファンタジックな世界観で、復讐に燃える主人公の恋と葛藤を描いたミュージカル作品だという。相棒の役どころは主人公の両親を殺めた悪徳魔法使いだ。
相棒は温厚な性格だし、難しい役と感じているのだろう。台詞を一つ一つ口に出しては、ああでもない、こうでもないと試行錯誤していたらしい。
「だったら普通に電気つけて読め。目ぇ悪くなんぞ」
「電気つけたらそっちの部屋に明かりが漏れちゃうから、迷惑になるかなって」
「気にし過ぎだ、阿呆――そうだ」
輝恭はいったん自室に引き返し、机の引き出しから目当てのものを取り出して戻った。背中合わせで相棒の後ろに腰を下ろすと、きょとんと首を傾げられる。
間もなく部屋にふわりと香りが漂う。ほんのり甘く、秋を思わせる芳香だ。
「良いにおいする。なにこれ?」
「金木犀のお香」と輝恭は柔らかな笑みを浮かべる。「この間、俺の誕生日だったろ。そん時に事務所に送られてきてた」
アイドルになってからというもの、事務所には毎年ファンから様々な品が届けられる。先ほど部屋から持ってきたウサギの形をした香炉と、スティックタイプの細長いお香も、贈られた品の一つだ。
煙が揺れるたび、部屋には金木犀のにおいが満ちていく。悪くねえ、と輝恭は相棒の背中にもたれかかった。
「えっ、なに?」
「せっかくだから俺も本読む」
「それってこの前買ってきたやつだよね。どういう話なの?」
「こうきゅう」
「……それはえっと……〝高級〟って意味で……?」
「違ぇよ。皇后とかが住んでる方の〝後宮〟だ」
仕事帰りに立ち寄った書店で特集を組まれており、中華風ミステリーという部分に惹かれて手を取った。詳しい話はろくに確認していない。表紙とタイトルだけを見て購入するからだ。
「テメエは台本の確認続けてろ。こっちも勝手に読んでるから気にすんな」
「いや、そんな思いきりもたれかかられたら重いって。それに僕、さっきみたいに呟いてるからうるさいかも」
「いいんだよ、一ヵ所にいた方が電気代の節約になる。文句言うんじゃねえ」
「横暴だなあ」
困ったように笑いながらも、相棒は本気で追い出そうとしない。素直に重みを受け止め、なにを思いついたのか「ねえ」と声をかけてくる。
「背もたれになってあげるから、僕が今から言う台詞、ちょっと言ってみて」
「はあ? なんで」
「だって僕より悪役が似合いそうなんだもん。だから雰囲気を参考にさせてほしくて。駄目?」
「誰が悪役だ。ふざけんなよ。つーか本読むって言ったろうが」
チッと舌打ちは零すけれど、言われた通りに台詞は復唱してやった。相棒ほど演技経験はないが、参考にされるのは妙に嬉しい。
その後もあれこれと言わされ、結局まともに読書は進まなかった。しかし楽しい夜の思い出として、香りとともに記憶に刻まれたのは確かだろう。
まず見えたのは、ルームシェアをしている相棒の後ろ姿だ。布団の上であぐらをかき、ほの明るい間接照明を頼りに視線を落としている。ぶつぶつとかすかに呟く声も聞こえた。
――台本でも読んでんのか?
相棒は今年に入ってから演技の仕事が多くなった。特にミュージカルや舞台など、生での芝居がよく舞いこむ。先日も新たな演目のオーディションに足を運んでいたし、台本を読んでいるとするならば、無事に役を獲得できたのだろう。
すたんっと襖を開け、「おい」と背中に呼びかける。「ひょわっ」と甲高く短い悲鳴を上げ、相棒は肩をびくりと揺らした。
「わっ、わ。寝てたんじゃなかったの」
「これから寝ようとしてた。そしたらテメエの部屋からなんか聞こえてきて」
「起こしちゃった?」と気にかける相棒に首を横に振って、肩越しに手元を覗きこむ。予想通り、やはり台本に目を通していたようだ。クリップでまとめられた分厚い紙の束を腿に乗せ、右手には赤いボールペンを握っていた。
出演が決まったのは、剣だの魔法だのが出てくるファンタジックな世界観で、復讐に燃える主人公の恋と葛藤を描いたミュージカル作品だという。相棒の役どころは主人公の両親を殺めた悪徳魔法使いだ。
相棒は温厚な性格だし、難しい役と感じているのだろう。台詞を一つ一つ口に出しては、ああでもない、こうでもないと試行錯誤していたらしい。
「だったら普通に電気つけて読め。目ぇ悪くなんぞ」
「電気つけたらそっちの部屋に明かりが漏れちゃうから、迷惑になるかなって」
「気にし過ぎだ、阿呆――そうだ」
輝恭はいったん自室に引き返し、机の引き出しから目当てのものを取り出して戻った。背中合わせで相棒の後ろに腰を下ろすと、きょとんと首を傾げられる。
間もなく部屋にふわりと香りが漂う。ほんのり甘く、秋を思わせる芳香だ。
「良いにおいする。なにこれ?」
「金木犀のお香」と輝恭は柔らかな笑みを浮かべる。「この間、俺の誕生日だったろ。そん時に事務所に送られてきてた」
アイドルになってからというもの、事務所には毎年ファンから様々な品が届けられる。先ほど部屋から持ってきたウサギの形をした香炉と、スティックタイプの細長いお香も、贈られた品の一つだ。
煙が揺れるたび、部屋には金木犀のにおいが満ちていく。悪くねえ、と輝恭は相棒の背中にもたれかかった。
「えっ、なに?」
「せっかくだから俺も本読む」
「それってこの前買ってきたやつだよね。どういう話なの?」
「こうきゅう」
「……それはえっと……〝高級〟って意味で……?」
「違ぇよ。皇后とかが住んでる方の〝後宮〟だ」
仕事帰りに立ち寄った書店で特集を組まれており、中華風ミステリーという部分に惹かれて手を取った。詳しい話はろくに確認していない。表紙とタイトルだけを見て購入するからだ。
「テメエは台本の確認続けてろ。こっちも勝手に読んでるから気にすんな」
「いや、そんな思いきりもたれかかられたら重いって。それに僕、さっきみたいに呟いてるからうるさいかも」
「いいんだよ、一ヵ所にいた方が電気代の節約になる。文句言うんじゃねえ」
「横暴だなあ」
困ったように笑いながらも、相棒は本気で追い出そうとしない。素直に重みを受け止め、なにを思いついたのか「ねえ」と声をかけてくる。
「背もたれになってあげるから、僕が今から言う台詞、ちょっと言ってみて」
「はあ? なんで」
「だって僕より悪役が似合いそうなんだもん。だから雰囲気を参考にさせてほしくて。駄目?」
「誰が悪役だ。ふざけんなよ。つーか本読むって言ったろうが」
チッと舌打ちは零すけれど、言われた通りに台詞は復唱してやった。相棒ほど演技経験はないが、参考にされるのは妙に嬉しい。
その後もあれこれと言わされ、結局まともに読書は進まなかった。しかし楽しい夜の思い出として、香りとともに記憶に刻まれたのは確かだろう。