のべるばーまとめ
ひらひらと赤が庭を舞う。膝に落ちたそれを摘まみ、蒼依は日光にかざした。
長屋の狭い庭にはカエデが植わっている。秋が深まるにつれ日に日に葉は赤く染まり、今では炎のごとき色彩を放っていた。
普段は仕事で忙しないが、休みの日くらい縁側でのんびり座っていても文句は言われまい。紅葉だっていつまでも続くわけではないのだ。楽しめるうちに楽しんでおきたい。
「ただいま、蒼依さん」
軽やかな声に名を呼ばれ振り返る。妻が買い物から帰ってきたのだ。
「おかえり」
「遅くなっちゃったわ。もう。相変わらず話が長くて困っちゃう」
「いつもの商店に行っていたんだな」
妻には行きつけの店がある。衣類、食材、その他雑貨品など、ありとあらゆるものがそろっている上に、家から近いため足を運びやすいのだ。来店回数が多いぶん、必然的に店主とも親しくなっていったのだが、たびたび長話に巻きこまれると愚痴をこぼすことも多い。
蒼依も何度か店主と顔を合わせたことがある。気安く話しやすい若い男だ。若い女性たちにたいそう人気で、たまに道ばたでも取り囲まれているのを見かける。
「なあに、嫉妬した?」
くすくすと唇を歪めつつ、妻が隣に腰を下ろした。ひら、と揺れたのは、彼女の後頭部を彩る真紅のリボンだ。
蒼依はなんとなく摘まんでいた葉を彼女の髪に挿した。血に似た赤さは、妻の黒髪によく映える。整った顔立ちと併せればまるで芸術品だ。
見惚れている場合ではない。問いにまだ答えていなかった。蒼依は首を横に緩く振り、カエデに視線を移す。
「別に。君が僕以外を好くことはないと知っているから」
「それもそうだけど。でも、ちょっとくらい嫉妬してくれた方が私としては嬉しいんだけれど?」
「そういうものか」
「そういうものよ」
「分かった。覚えておく」
おかしそうに笑って、妻が肩にもたれかかってくる。風に揺られた髪が首筋をくすぐり、少しばかりくすぐったい。
どちらも喋ることなく、しばらく黙って葉が落ちるのを眺めていた。ひっそりと横目でうかがった彼女の眼差しは幸せそうで、今この瞬間を大切に感じてくれているのだとよく分かる。
だが、不意に萌葱色の瞳がかげった。どうしたのかと訊ねるより先に、きゅっと指を握られた。
「蒼依さんと会ったときも、こんな風にカエデが散っていたでしょう」
答える代わりに、こくりとうなずく。
「あの時出会わなければ、私は今も一人で居たのかしらって、たまに思うの」
妻は人間ではない。〝幻獣〟と呼ばれる人工生命体で、心臓の代わりの〝核〟を破壊あるいは摘出されない限り、半永久的に生き続ける存在だ。
「蒼依さんに出会うまで、ずっと水の底でもがいてるような気分だった。苦しいのに死ねなくて――死にたくなくて。でもどうすればいいか分からなくて、浮き上がれもしない」
ただ現状に身を委ねて、悠久の時を過ごすのか。そう恐れていたときに、蒼依と出会ったのだと妻は頬を緩める。
「あなたが私を助けてくれたのよ。愛していると言ってくれた。まだ生きていてもいいんだと思わせてくれた。それがどれだけ嬉しかったか分かる?」
「真に理解しているかと言われれば微妙なところだが、なんとなくは」
視線が交差した刹那、どちらからともなく唇を重ねる。ただ触れ合うだけのそれを何度かくり返して、蒼依は妻の手を握り返した。
「そういえば商店でなにを買ってきたんだ」
「これよ」と妻はかたわらに置いていた風呂敷からなにやら取り出す。「新作の羊かん。最近仕入れたばかりなんですって」
細長い筒に入っていたそれを皿に開ければ、わずかに白濁した生地に赤や黄色をした葉の型がちらほらと散りばめられていた。なにかに似ているとしばらく考えて、水の上に浮かんだ紅葉だと思いいたる。
本物の葉を眺めながら菓子の葉を食べるのも愉快だろう。緑茶を用意すべく、蒼依は表情の乏しい口もとにかすかな笑みを浮かべて立ち上がった。
長屋の狭い庭にはカエデが植わっている。秋が深まるにつれ日に日に葉は赤く染まり、今では炎のごとき色彩を放っていた。
普段は仕事で忙しないが、休みの日くらい縁側でのんびり座っていても文句は言われまい。紅葉だっていつまでも続くわけではないのだ。楽しめるうちに楽しんでおきたい。
「ただいま、蒼依さん」
軽やかな声に名を呼ばれ振り返る。妻が買い物から帰ってきたのだ。
「おかえり」
「遅くなっちゃったわ。もう。相変わらず話が長くて困っちゃう」
「いつもの商店に行っていたんだな」
妻には行きつけの店がある。衣類、食材、その他雑貨品など、ありとあらゆるものがそろっている上に、家から近いため足を運びやすいのだ。来店回数が多いぶん、必然的に店主とも親しくなっていったのだが、たびたび長話に巻きこまれると愚痴をこぼすことも多い。
蒼依も何度か店主と顔を合わせたことがある。気安く話しやすい若い男だ。若い女性たちにたいそう人気で、たまに道ばたでも取り囲まれているのを見かける。
「なあに、嫉妬した?」
くすくすと唇を歪めつつ、妻が隣に腰を下ろした。ひら、と揺れたのは、彼女の後頭部を彩る真紅のリボンだ。
蒼依はなんとなく摘まんでいた葉を彼女の髪に挿した。血に似た赤さは、妻の黒髪によく映える。整った顔立ちと併せればまるで芸術品だ。
見惚れている場合ではない。問いにまだ答えていなかった。蒼依は首を横に緩く振り、カエデに視線を移す。
「別に。君が僕以外を好くことはないと知っているから」
「それもそうだけど。でも、ちょっとくらい嫉妬してくれた方が私としては嬉しいんだけれど?」
「そういうものか」
「そういうものよ」
「分かった。覚えておく」
おかしそうに笑って、妻が肩にもたれかかってくる。風に揺られた髪が首筋をくすぐり、少しばかりくすぐったい。
どちらも喋ることなく、しばらく黙って葉が落ちるのを眺めていた。ひっそりと横目でうかがった彼女の眼差しは幸せそうで、今この瞬間を大切に感じてくれているのだとよく分かる。
だが、不意に萌葱色の瞳がかげった。どうしたのかと訊ねるより先に、きゅっと指を握られた。
「蒼依さんと会ったときも、こんな風にカエデが散っていたでしょう」
答える代わりに、こくりとうなずく。
「あの時出会わなければ、私は今も一人で居たのかしらって、たまに思うの」
妻は人間ではない。〝幻獣〟と呼ばれる人工生命体で、心臓の代わりの〝核〟を破壊あるいは摘出されない限り、半永久的に生き続ける存在だ。
「蒼依さんに出会うまで、ずっと水の底でもがいてるような気分だった。苦しいのに死ねなくて――死にたくなくて。でもどうすればいいか分からなくて、浮き上がれもしない」
ただ現状に身を委ねて、悠久の時を過ごすのか。そう恐れていたときに、蒼依と出会ったのだと妻は頬を緩める。
「あなたが私を助けてくれたのよ。愛していると言ってくれた。まだ生きていてもいいんだと思わせてくれた。それがどれだけ嬉しかったか分かる?」
「真に理解しているかと言われれば微妙なところだが、なんとなくは」
視線が交差した刹那、どちらからともなく唇を重ねる。ただ触れ合うだけのそれを何度かくり返して、蒼依は妻の手を握り返した。
「そういえば商店でなにを買ってきたんだ」
「これよ」と妻はかたわらに置いていた風呂敷からなにやら取り出す。「新作の羊かん。最近仕入れたばかりなんですって」
細長い筒に入っていたそれを皿に開ければ、わずかに白濁した生地に赤や黄色をした葉の型がちらほらと散りばめられていた。なにかに似ているとしばらく考えて、水の上に浮かんだ紅葉だと思いいたる。
本物の葉を眺めながら菓子の葉を食べるのも愉快だろう。緑茶を用意すべく、蒼依は表情の乏しい口もとにかすかな笑みを浮かべて立ち上がった。