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のべるばーまとめ

 会議室に入ろうとして、琉佳はドアノブをひねりかけたまま固まった。
 室内から言い争う声が聞こえたのだ。恐らく待ち合わせ相手である先輩と後輩だろう。なにかと他人をからかいがちな先輩と、馬鹿が付くほど真面目で真っすぐな後輩の相性は決して良くない。
 ――俺を待っている間に世間話でもしていて、その流れで喧嘩になったのだろうか。
 このまま扉越しに様子をうかがうのは時間の無駄だ。琉佳は軽くノックし、会釈しながら入室した。
「あー! 先輩!」
 こちらの姿を認め、後輩はすぐに起立して腰を折る。学生時代、彼と同じバスケ部で琉佳は部長を務めていた時期があった。その頃の習慣が抜けていないらしい。
「おはようさん、リューカくん」と手を振ったのは先輩だ。会議室のパイプ椅子に腰かけ、優雅に白いカップを傾けている。「えらい遅かったやん。遅刻やなんて珍しいね」
「すまない。人身事故で地下鉄が遅れていたものだから」
「ほんならしゃーないな。あれ、手ぇにぶら下げとんの、なに?」
「これか。遅刻の詫びにと、近くにある洋菓子店でクッキーの詰め合わせを買ってきた」
 クッキー、とかすかに後輩が呟く。琉佳が目を向けると、彼は耳を赤くして視線をそらしてしまう。菓子への反応が素直過ぎたのが恥ずかしかったのだろうか。
 ひとまず琉佳も先輩の隣に腰かけ、クッキーの箱を開けた。リンゴや洋ナシなど果物を模ったもののほか、ねじれていたり、平らだったりと様々な種類が詰まっている。
「ほんなら僕もリューカくんのぶんの紅茶淹れよかな」
 先輩はいそいそと立ち上がり、会議室の片隅に置かれた電気ケトルに近づく。前から置いてあっただろうかと首を傾げる琉佳に、後輩がどこかうんざりしたような表情で口を開いた。
「『会議中にいつでも紅茶飲めたらなあ』っていう、あいつの我が儘をマネージャーが通したんですよ」
「ほう。なるほど」
「ちょろすぎませんか? なんでそんな簡単に要望が通るんですか。会議室に置かなくても、事務所のどこかに給湯室とかありそうだし、そこまで行けばいいだけの話なのに」
「えー、だって面倒くさいやん。なあ?」
 琉佳の前にカップを置きつつ、先輩はけらけらと笑う。反省の色は一切なく、むしろ我が儘が叶った喜びが前面に出ていた。
 用意された紅茶がなんなのか、琉佳には分からない。ダージリンだろうがアールグレイだろうが、いまいち味と香りの区別がつかないのだ。しかし先輩が選んだものだから、きっと美味いに違いない。礼を言って口をつければ、棘のないすっきりとした香りが鼻孔を通り抜ける。
「ところで、二人は先ほど喧嘩していたようだったが」
 琉佳の指摘に、かりかりとクッキーを頬張っていた後輩が手を止めた。先輩は新たに自分のぶんの紅茶を注いで、ふくく、と肩を揺らす。
「喧嘩なんてしとらへんて。ちょーっとからかっとっただけ」
「ああ、いつものことか」
「いつものことで片づけないでくださいよ! どこがちょっとだ、ずっと俺のこと馬鹿にしやがって!」
「僕がいつ君のこと馬鹿にしてん。『えらい美味しそうに紅茶飲んどるなあ』て言うただけやんか」
「その時に笑ってただろ!」
「だぁって口では『別に、そんなことないし』とか言うのに、口がだらだらに緩んどったからー。裏腹ってやつやね」
 後輩がなかなか素直になれないところを、先輩は的確に突いて面白がる。琉佳にとってはお馴染みの光景ではあるが、これから会議があるのだ。また喧嘩に発展するのは避けたい。
「二人ともクッキーを食べて落ち着け。甘いものでリラックスするといい」
 琉佳がすすめれば、後輩はまたクッキーをもそもそと口に運ぶ。
 まるで冬を越す前のリスのようだ――と思った直後に、先輩がそれを口に出す。その数秒後、会議室に後輩の怒声が響き渡った。
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