のべるばーまとめ
からからとどこからか音が聞こえる。
キサリはふよっと体を浮かせて庭に出た。生きていた頃のように歩いて移動してもいいのだけれど、幽霊らしき存在となった今では、やはり浮いて移動した方が早い。
家の庭は広く、数多の植物が生えている。特に多いのが薬草で、紛れてしまわないように専用の薬草園も設けてある。音はそちらから聞こえていた。
「あら」
まず見つけたのは誰かの背中だ。流れるような黒髪は背中の半ばまで伸び、首の後ろでひとまとめにくくられている。
そっとかたわらにしゃがんで顔を覗きこむ。
雑草の処理と薬草園の手入れをしていたのは妻だった。服が汚れてもいいようにエプロンをまとい、無心で手元を動かしていた。黙々と雑草をつまみ、ぶちっと引っこ抜いては足元に積み上げている。
「熱心ねえ」
キサリの声は彼女に聞こえない。当然反応もないけれど、構わなかった。
――アタシが死んでから、もう何年経ったかしら。
由緒ある薬師の家に生まれて当主になりながら、弟の謀略によって毒草を食し、キサリは命を落とした。あれから妻は再婚もせず、幼い子どもたちやキサリの遺した弟子たちを育て、守ってくれた。
「ふむ」と彼女が満足そうに笑う。「今年も無事に収穫できそうだな」
視界いっぱいに広がるのは、とある薬草だ。彼女が品種改良によって作り出したもので、どんな病や傷に効く万能薬としてもてはやされているらしい。
嬉しそうな妻の顔に、キサリも思わず頬を緩ませる。
再び草むしりを再開したところで、またからからと音が聞こえた。
ふと目を向けると、薬草園の中心でなにかが回転している。
「あ。あれでしょう。この前、王子さまが『お土産にどうぞ』って持ってきたやつね。〝風車〟とか言ったかしら」
キサリたちの娘は王族に嫁いでいる。先日、久しぶりに顔を見せに来たのだが、その際に娘の夫が置いていったはずだ。どんな代物か間近で見てみようと、宙に浮いて近づいた。
木製と思われる薄い羽が四つつき、風を受けてからからと回っている。外国で手に入れたらしいが、どこのものだろう。飾り気のない素朴な見た目から察するに、これを買おうと選んだのは娘かも知れない。
「でもどうしてこれをお土産に選んだのかしら。あなたはどうしてか知ってる?」
キサリの問いに妻は答えない。それでもつい聞いてしまうのは生きていた頃の名残か、あるいは〝今もそばにいてくれるんだ〟と気づいてほしいからか。
――まあ、気づかれてもちょっとだけ困るんだけど。
――なんで女みたいな喋り方なんだって混乱させちゃいそうだし。
そこに関しては諸々の事情があるのだが、話せば長くなる。万が一、妻にキサリの存在がばれて、口調の理由を問いつめられた時はなんと説明しようか。
一匹の鳥が飛んできたのは、うんうんと唸り始めた頃だった。
どこにでもいそうなカラスだ。薬草園の近くには木の実が成る森があるが、冬が近くなってきたとあって満足のいく食事が出来なかったのだろう。腹を空かせているらしく、いつまでも庭の上を旋回している。
「やあね。どこか行ってくれないかしら」
あたりには食用の草がたくさんあるけれど、食べられるのも、美味いと思われるのも困る。後日、群れでやってこられては困るからだ。
生きていた頃なら難なく追い払えるが、この体ではそうもいかない。歯をむき出しにして威嚇しようが、腕を広げて体を大きく見せようが、なんの効果も得られない。あまりの不甲斐なさにため息しか出なかった。
どうしたものかと悩んでいた時、風にあおられた風車がひときわ大きな音を立てた。
「――あ」
音に驚いたようで、カラスはどこかに飛び去っていく。妻は乱れた髪を直しつつ空を仰ぎ、森へと消えた影を不思議そうに見送ってまた草むしりを始めた。
「なるほど。薬草が食べられてしまわないようにって、風車を選んだのね」
さすが我が娘だ。王族に嫁いでも薬師としての気配りを忘れていない。
「これからもその調子で、薬草園を守って頂戴ね」
からりと響いた風車の音は、どことなく誇らしげに聞こえた。
キサリはふよっと体を浮かせて庭に出た。生きていた頃のように歩いて移動してもいいのだけれど、幽霊らしき存在となった今では、やはり浮いて移動した方が早い。
家の庭は広く、数多の植物が生えている。特に多いのが薬草で、紛れてしまわないように専用の薬草園も設けてある。音はそちらから聞こえていた。
「あら」
まず見つけたのは誰かの背中だ。流れるような黒髪は背中の半ばまで伸び、首の後ろでひとまとめにくくられている。
そっとかたわらにしゃがんで顔を覗きこむ。
雑草の処理と薬草園の手入れをしていたのは妻だった。服が汚れてもいいようにエプロンをまとい、無心で手元を動かしていた。黙々と雑草をつまみ、ぶちっと引っこ抜いては足元に積み上げている。
「熱心ねえ」
キサリの声は彼女に聞こえない。当然反応もないけれど、構わなかった。
――アタシが死んでから、もう何年経ったかしら。
由緒ある薬師の家に生まれて当主になりながら、弟の謀略によって毒草を食し、キサリは命を落とした。あれから妻は再婚もせず、幼い子どもたちやキサリの遺した弟子たちを育て、守ってくれた。
「ふむ」と彼女が満足そうに笑う。「今年も無事に収穫できそうだな」
視界いっぱいに広がるのは、とある薬草だ。彼女が品種改良によって作り出したもので、どんな病や傷に効く万能薬としてもてはやされているらしい。
嬉しそうな妻の顔に、キサリも思わず頬を緩ませる。
再び草むしりを再開したところで、またからからと音が聞こえた。
ふと目を向けると、薬草園の中心でなにかが回転している。
「あ。あれでしょう。この前、王子さまが『お土産にどうぞ』って持ってきたやつね。〝風車〟とか言ったかしら」
キサリたちの娘は王族に嫁いでいる。先日、久しぶりに顔を見せに来たのだが、その際に娘の夫が置いていったはずだ。どんな代物か間近で見てみようと、宙に浮いて近づいた。
木製と思われる薄い羽が四つつき、風を受けてからからと回っている。外国で手に入れたらしいが、どこのものだろう。飾り気のない素朴な見た目から察するに、これを買おうと選んだのは娘かも知れない。
「でもどうしてこれをお土産に選んだのかしら。あなたはどうしてか知ってる?」
キサリの問いに妻は答えない。それでもつい聞いてしまうのは生きていた頃の名残か、あるいは〝今もそばにいてくれるんだ〟と気づいてほしいからか。
――まあ、気づかれてもちょっとだけ困るんだけど。
――なんで女みたいな喋り方なんだって混乱させちゃいそうだし。
そこに関しては諸々の事情があるのだが、話せば長くなる。万が一、妻にキサリの存在がばれて、口調の理由を問いつめられた時はなんと説明しようか。
一匹の鳥が飛んできたのは、うんうんと唸り始めた頃だった。
どこにでもいそうなカラスだ。薬草園の近くには木の実が成る森があるが、冬が近くなってきたとあって満足のいく食事が出来なかったのだろう。腹を空かせているらしく、いつまでも庭の上を旋回している。
「やあね。どこか行ってくれないかしら」
あたりには食用の草がたくさんあるけれど、食べられるのも、美味いと思われるのも困る。後日、群れでやってこられては困るからだ。
生きていた頃なら難なく追い払えるが、この体ではそうもいかない。歯をむき出しにして威嚇しようが、腕を広げて体を大きく見せようが、なんの効果も得られない。あまりの不甲斐なさにため息しか出なかった。
どうしたものかと悩んでいた時、風にあおられた風車がひときわ大きな音を立てた。
「――あ」
音に驚いたようで、カラスはどこかに飛び去っていく。妻は乱れた髪を直しつつ空を仰ぎ、森へと消えた影を不思議そうに見送ってまた草むしりを始めた。
「なるほど。薬草が食べられてしまわないようにって、風車を選んだのね」
さすが我が娘だ。王族に嫁いでも薬師としての気配りを忘れていない。
「これからもその調子で、薬草園を守って頂戴ね」
からりと響いた風車の音は、どことなく誇らしげに聞こえた。