壮悟と榛弥 短い話まとめ
祖父の葬式から帰ると、リビングで茉莉が両腕を広げて立っていた。
「おかえり、榛弥くん」
「ただいま。……なにしてる?」
「抱きしめる準備」
「全く要領を得ないんだが」
抱きつきたい気分なのかとも思ったけれど、そういう時は無言で飛びついてくるか、もしくは少し照れくさそうに袖を引っ張ってくるかどちらかだ。榛弥が飛びこんでくるのを待っているような姿勢は初めて見る。
当惑が伝わったのだろう。茉莉はふっと頬を緩め、眉を下げて切なそうに笑った。
「目の下に隈が出来てるよ」
「……気づいてたのか」
「気づかないふりしてたの。『大丈夫?』って聞いたら――心配させてほしいのに――絶対に『大丈夫だから心配するな』って言うでしょ。だから、お葬式が終わるまで黙ってた」
母方の祖父の訃報が届いたのは三日前だ。ドアノブにタオルをひっかけて首を吊っていたらしい。遺体にも特別に不自然な点はなく、警察は自殺だと断定したそうだ。
親しい人の死は今回が初めてだ。自分でも意外なほどに動揺は強く、ここ数日はろくに眠れていなかった。同棲している茉莉がそれを察していないはずがない。
「だから、ほら。抱きしめてあげたくて」
再び腕を広げて、茉莉はちょいちょいと指を曲げて榛弥を招く。まるで魔法を使われたがごとく、足が自然と前に出た。気づいた時には背中に腕を回され、優しく抱きしめられていた。
強張りっぱなしだった肩から力が抜けていく。はあ、とため息を漏らして、彼女の肩口に額を落とした。
「お葬式に従弟さんとかいた? 壮悟くんだっけ」
「ああ、いたよ」
「だからかー」
「なにが」
「情けないところ見せたくないからって、泣くの我慢してたんじゃない?」
そんなことない、とすぐに否定出来なかった。ぐっと言葉に詰まれば、よしよしと背筋を擦るように撫でられる。
「榛弥くんさ、おじいさんのこと大好きだったよね。民俗学を専門に学ぼうって思ったのも、おじいさんの影響でしょ?」
「話したことあったか。……あったな」
そんな単純なことすら忘れるほど頭が回っていない。自分らしくない、と苦笑すると、両頬を冷たい手のひらで包まれた。
「今はさ、私と二人だけじゃんか」
「そうだな」
「だからもう、我慢しなくていい」
はっと顔を上げると、慈愛に満ちた茉莉の瞳と目が合った。穏やかな光を湛えるそこは、果てしなく続く宇宙の神秘を閉じこめていると思うほどに美しい。
「大事な人が亡くなったんだもん。情けなくなんかないから、気が済むまで泣きなよ」
ね、と温和に微笑みかけられた刹那、榛弥は茉莉を強く抱き寄せた。
差しぐんでいる表情を見られたくなくて顔を伏せる。しかし洟をすする音ばかりはどうしようもない。あとで「聞かなかったことにしてくれ」と頼むしかなさそうだ。
「……じいさんが死んだ気がしないんだ」
「うん」
「話したいことがまだあった。見せたい本も、連れて行きたい場所も、たくさん」
「うん」
「自殺した理由が分からない。でも聞いたって、答えなんか、返るわけなくて」
「うん。寂しいね。悲しいね」
嗚咽で言葉が途切れても急かしたりせず、榛弥が語る思い出を静かに聞いてくれている。いつまでも背中を擦って手も疲れてくるだろうに、ずっと一定の速度で慰め続けてくれた。
もうしばらくは、彼女の厚意に甘えてもいいだろうか。
腕に込める力をわずかに強め、榛弥は唇を噛んで涙を流した。
「おかえり、榛弥くん」
「ただいま。……なにしてる?」
「抱きしめる準備」
「全く要領を得ないんだが」
抱きつきたい気分なのかとも思ったけれど、そういう時は無言で飛びついてくるか、もしくは少し照れくさそうに袖を引っ張ってくるかどちらかだ。榛弥が飛びこんでくるのを待っているような姿勢は初めて見る。
当惑が伝わったのだろう。茉莉はふっと頬を緩め、眉を下げて切なそうに笑った。
「目の下に隈が出来てるよ」
「……気づいてたのか」
「気づかないふりしてたの。『大丈夫?』って聞いたら――心配させてほしいのに――絶対に『大丈夫だから心配するな』って言うでしょ。だから、お葬式が終わるまで黙ってた」
母方の祖父の訃報が届いたのは三日前だ。ドアノブにタオルをひっかけて首を吊っていたらしい。遺体にも特別に不自然な点はなく、警察は自殺だと断定したそうだ。
親しい人の死は今回が初めてだ。自分でも意外なほどに動揺は強く、ここ数日はろくに眠れていなかった。同棲している茉莉がそれを察していないはずがない。
「だから、ほら。抱きしめてあげたくて」
再び腕を広げて、茉莉はちょいちょいと指を曲げて榛弥を招く。まるで魔法を使われたがごとく、足が自然と前に出た。気づいた時には背中に腕を回され、優しく抱きしめられていた。
強張りっぱなしだった肩から力が抜けていく。はあ、とため息を漏らして、彼女の肩口に額を落とした。
「お葬式に従弟さんとかいた? 壮悟くんだっけ」
「ああ、いたよ」
「だからかー」
「なにが」
「情けないところ見せたくないからって、泣くの我慢してたんじゃない?」
そんなことない、とすぐに否定出来なかった。ぐっと言葉に詰まれば、よしよしと背筋を擦るように撫でられる。
「榛弥くんさ、おじいさんのこと大好きだったよね。民俗学を専門に学ぼうって思ったのも、おじいさんの影響でしょ?」
「話したことあったか。……あったな」
そんな単純なことすら忘れるほど頭が回っていない。自分らしくない、と苦笑すると、両頬を冷たい手のひらで包まれた。
「今はさ、私と二人だけじゃんか」
「そうだな」
「だからもう、我慢しなくていい」
はっと顔を上げると、慈愛に満ちた茉莉の瞳と目が合った。穏やかな光を湛えるそこは、果てしなく続く宇宙の神秘を閉じこめていると思うほどに美しい。
「大事な人が亡くなったんだもん。情けなくなんかないから、気が済むまで泣きなよ」
ね、と温和に微笑みかけられた刹那、榛弥は茉莉を強く抱き寄せた。
差しぐんでいる表情を見られたくなくて顔を伏せる。しかし洟をすする音ばかりはどうしようもない。あとで「聞かなかったことにしてくれ」と頼むしかなさそうだ。
「……じいさんが死んだ気がしないんだ」
「うん」
「話したいことがまだあった。見せたい本も、連れて行きたい場所も、たくさん」
「うん」
「自殺した理由が分からない。でも聞いたって、答えなんか、返るわけなくて」
「うん。寂しいね。悲しいね」
嗚咽で言葉が途切れても急かしたりせず、榛弥が語る思い出を静かに聞いてくれている。いつまでも背中を擦って手も疲れてくるだろうに、ずっと一定の速度で慰め続けてくれた。
もうしばらくは、彼女の厚意に甘えてもいいだろうか。
腕に込める力をわずかに強め、榛弥は唇を噛んで涙を流した。