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壮悟と榛弥 短い話まとめ

「茉莉ちゃん最近よく福辺先輩と一緒に帰ってるよね」
 部室のロッカーで着替えていると、同級生にそう羨ましがられた。
「うーん、そうかな」
「だって昨日も一昨日も、一緒に駅のホームにいたじゃん」
「それはそうかも」
 指摘された通り、茉莉は男子柔道部の先輩である福辺榛弥とともに帰る頻度が高くなっていた。駅のベンチで読書しているのを見かけたのが一か月半ほど前か。秋はあっという間に過ぎて、気がつけば季節は冬に変わっていた。
 しかし毎日というわけではなく、たまに先輩がいない日もある。約束をしているわけでもないし、なにより、一緒に帰るのは茉莉が勝手に押しかけているようなものだ。なんで昨日はいなかったんですかなどと文句を言う筋合いも無い。
 同級生は興味深そうに「でも」と顔を近づけてくる。口もとにはニヤニヤとした笑みが乗っていた。
「茉莉ちゃんと福辺先輩って仲悪くなかったっけ」
「仲悪いっていうか」
 今年の四月、茉莉が先輩に無謀にも勝負を挑んだのは、柔道部の面々なら誰もが知っている。この同級生も例外ではない。
 あれ以降、他の部員や先輩たちは「茉莉と榛弥は仲が悪い」「須見は福辺をライバル視している」と感じていたらしい。ライバル視というより、先輩の強さに純粋に憧れているのだけれど、周囲の目にはそう映っていたのだろう。
「あれでしょ」
「なんでしょ?」
「茉莉ちゃんさ、実は福辺先輩と付き合ってたりするでしょ」
 図星をついてやったとでも言いたげな同級生に、茉莉はからからと笑いながら顔の前で手を振った。
「ないない」
「本当に? だったらなんで一緒に帰ってるの」
「その場の流れみたいな? 放っておくとそのまま帰りそびれそうだなと思っただけ」
「でも福辺先輩も嫌がってるわけじゃないんでしょ? 嫌だったら言いそうじゃんか、あの人」
「まあそれはそうかも」
 今のところ先輩から「鬱陶しい」だとか「来るな」だとかは言われていない。
 同級生はそれを好意的な意味で捉えているようだが、茉莉としては「言っても聞かないと思われていそうだから」説に一票を投じている。
 部室閉めるよー、と部長が指で鍵を回しながら声をかけてきた。はーい、とロッカーの前にいた部員たちとともに返事をして、茉莉はスクールバッグを肩に引っかける。
「ねえ、じゃあさ。福辺先輩とどんな話するの?」
 興味はまだ尽きていなかったようだ。昇降口に向かうまでの間も、同級生はわくわくと問いかけてくる。
「これと言って話してないかも。電車が来たら『ほら、帰りますよ』って言うくらい」
「それだけ? それは〝話してる〟に入らないと思う」
「だって本当のことだし」
 先輩が読書している間は邪魔をしないよう黙っているし、電車に乗りこんでからも先輩は本を開くため、やはり黙っておく。降りる駅は違うため、別れ際に「お疲れさまです」くらいは言うが、ただそれだけだ。
「つまり茉莉ちゃんは福辺先輩に〝電車が来たのを教える係〟みたいな感じなんだ」
「なに、その係。けどまあ、そんな感じかも?」
「……その係、私に代わってもらっちゃダメ?」
 おずおずと口にした同級生を、茉莉はわずかに首を傾げて見下ろした。
 彼女にとってはそれなりに覚悟のいるお願いだったのか、耳まで真っ赤に染まっている。それを見てなにも察さないほど鈍くはない。
 きっと福辺先輩のことが好きなのだ。だから少しでも近づくきっかけが欲しくて、〝電車が来たのを教える係〟になりたいのだろう。
「別にいいよ」
「えっ、本当?」
 あっさりと譲られるとは思わなかったのか、同級生は目を丸く見開いた。
「ていうか私の許可取るほどのことでもないじゃん。好きにしたらいいと思う」
「ほ、本当に? もし私が福辺先輩と付き合うことになっちゃっても?」
「その時はおめでとうってお祝いするから、頑張って」
 同級生は今にも泣きそうに瞳を潤ませて、茉莉に何度も礼を言ってきた。
 同級生は早速今日から隣に座ってみると張り切って、弾んだ足取りで駅へ向かう。その背を校門から見送って、さて自分はどうしようかと少し悩んだ。
 もはや日常の一つになっていた光景を手放す。喪失感が無いわけではなく、しかし同級生に対する不満があるわけでもない。恋が成就すればいいね、と願うだけだ。
「今日は違う奴が来たんだな、とか思うのかな」
 茉莉が声をかけるまで、先輩は隣に人がいることに気づかない。茉莉から違う人に変わったところで、特に影響はないだろう。
 高校から最寄りの駅まで、だいたい徒歩で十分かかる。校門の前には長い階段があり、顔を上げれば線路がよく見えた。そこを赤紫色に塗られた車体が通り過ぎていく。
 この時間帯、電車は三十分に一本しか走っていない。少しゆっくり歩いてもまだ余裕がありそうだ。浮かれている同級生の邪魔をしては悪いし、茉莉は普段より速度を落として駅に向かった。
「あれ?」
 ホームに着いて、茉莉はきょとんと目をまたたく。
 どこを見ても、読書しているであろう先輩も、その隣にいるはずの同級生がいない。もしかすると今日はベンチにいない日だったのだろうか。同級生もがっかりして、先ほどの電車で帰ったのかも知れない。
 だが次の日も、さらに次の日も、先輩も同級生もいなかった。
「無理みたい」と同級生が悲しげに言ったのは、係を代わってから一週間が経過したころだ。
「無理みたいって、なにが?」
「福辺先輩に『放っておいてくれ』って言われちゃった」
「え、嘘でしょ」
 しかし同級生は首を横に振る。本当、と唇の動きだけで答えた。言葉にする元気もないと見える。
「なんとなくだけど先輩冷たかったし、もしかしたら怒らせちゃったかも」
「福辺先輩が怒るとことか想像つかないけど……。え、でも先輩のこと好きなんじゃないの?」
「諦める。あの状態でアタックしても、嫌われるだけな気がするし」
 切なそうに笑って、一人になりたいからと同級生は先にとぼとぼ帰っていく。茉莉が時間をおいて駅に向かうと、ベンチには久しぶりに先輩が座っていた。
 ――怒ってるようには見えないけどなあ。
 生成りのページに落とす視線は真っすぐで、整った横顔は今までと同じように秀麗だ。はらりと落ちた髪を耳に引っかける姿さえ芸術品に見える。そこに怒気は微塵も感じられない。
 足音が極力鳴らないよう、茉莉は静かに先輩に近づいた。そっと隣に腰かけて、邪魔にならない程度の視線を注ぐ。
 やはり人が座っても気づかないのかな、と思っていたところで、不意に先輩と目が合った。顔をこちらに向けてきたのだ。
「うわっ、びっくりした」
「…………」
「お疲れさまです、福辺先輩」
「……なんだ、お前か」
 吐息のようにこぼして、先輩は本にしおりを挟む。はあ、と肩から力を抜くさまから、なんとなく安堵のようなものが感じられた。
「ここ最近見かけませんでしたけど、なにか用事あったんですか?」
「それはこっちの台詞だ」と彼は仏頂面で前を向く。「やけに姦しい奴を放ったのはお前か」
「あ、あの子ですか? 柔道部の同級生ですよ。クラスは違うんですけど」
「そんなことは聞いてない。『茉莉ちゃんから代わりました』とか最初に言われたぞ」
 一週間前のことを思いだしたのか、先輩が鬱陶しそうに眉を寄せた。
「差し向けてきたのはお前だろ」
「差し向けたなんて失礼な」
 先輩に恋をしていたみたいなので、と本人の許可なく言うのはさすがに失礼だろう。黙っておくことにした。
「〝電車が来たのを教える係〟を代わってほしいって言われたので、いいよーって譲ったんです」
「なんだその係」
「それはひとまずいいじゃないですか。でも先輩、あの子に言ったんでしょ。『放っておいてくれ』って。なんでです?」
「ずっと話しかけられたからだ」
「あー……」
 どうやら距離を縮めたい一心で、同級生はひたすら先輩に声をかけ続けていたらしい。気持ちは分かるけれど、急ぎ過ぎと言わざるを得なかった。
「おかげで二日で読み終わりそうだった本がまだ読み終わってない」
 とんとん、と表紙を指の腹で叩いて、先輩は重いため息をつく。
「でも私にはそんなこと言わないですよね」
「お前は必要な時以外話しかけてこないから」
 カンカンと踏切が鳴る。今までは茉莉が声をかけてから先輩が立ち上がってきたが、今日は先に先輩が立ち上がった。
「係だかなんだか知らないが、そういうのがあるなら須見だけにしてくれ」
「えっ、専任ってことですか」
「そんなようなものだ」
「私も係下りた方がいいのかなって思ってたのに」
「お前がいなくなったら僕は延々とここで本を読み続ける羽目になるぞ。いいのか?」
「私が思いつきで話しかけるまではそうだったじゃないですか」
 変なの、と笑いながらそろって電車に乗りこむ。座るのはこれまで通り先輩の隣だ。
 ひとまず茉莉が隣にいるのは許してくれるらしい。同級生になんと説明したものか、と思いながら、久しぶりに感じる心地よさと座面の暖かさが相まって、茉莉はうとうとと目を閉じた。
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