このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

壮悟と榛弥 短い話まとめ

 壮悟のもとに〝それ〟が来たのは、妹が原因だった。
「髪の色が変わる人形?」
 祖父宅の縁側で、六つ年上の従兄・榛弥が壮悟の言葉を反復する。こくりとうなずいて、壮悟は手にしていたスイカ型のアイスをしゃくしゃくと頬張った。
「こないだな、美希が通とる幼稚園でバザーあったんや」
 壮悟より四歳年下で、現在年長の妹が通う幼稚園では毎年、夏休みに入る少し前に園児とその保護者を対象にしたバザーを開催している。買い物と出品の疑似体験みたいなもので、金銭を通したやり取りではなく、主に園児同士が互いにとっては不用品だったものを交換するのだ。同じ園に通っていた壮悟にも参加経験がある。
「それはバザーというか……」
「バザーと違うの?」
「正確には違うけど、まあそこに関してはお前に言っても仕方がない。それで?」
 榛弥の頬に汗が垂れている。彼は指でさっと拭うと、「続けろ」と言うようにチョコがコーティングされたバニラアイスを口に運んでいた。
「ん、と。美希はな、友だちが持っとった人形が可愛えな思て、交換してもろたんやて」
「美希はなにを渡したんだ?」
「パンケーキがめっちゃ美味しそうなキーホルダー」
「ふうん。で、交換してもらった人形の髪の色が変わる、と」
 榛弥の問いに、壮悟は控えめに「うん」と返す。
 美希が大事に抱きかかえて持って帰ってきたそれは、少しだけ古ぼけていて、けれど確かに愛らしい人形だった。
 髪は美しい銀色で、ぱっちりと大きな目はピンクがかった赤色だ。頭の形に合わせた青い帽子は丸みを帯び、黒く繊細なレースがよく映える。二頭身の体は園児の美希が抱きかかえるのにちょうど良い大きさで、鮮やかな青いワンピースは童話に出てくるお姫さまのようだった。
 白いブラウスは黄みがかっていたものの、他は特に問題はない人形だ。
 正確に言えば、問題はないはずだった。
「その日の夜にな、美希が急に泣き出してん。『人形の髪の色が昼間と違う』て」
「昼間は銀色だったんだよな。何色になったんだ」
「……黒色」
 見間違いだろう、と思って壮悟と両親で確認したが、美希は嘘をついていなかった。輝かしい銀髪は、夜空を吸いこんだような黒に変わっていたのである。
 その日だけでなく、次の日も、一週間後も、髪の色は毎日変わった。昼間は銀に、夜は黒に。きっとこの変化が恐ろしくて、美希の友人は人形を手放したのだろう。
 もちろん壮悟も怖かった。まるで人形が生きていて、今にも瞬きをするのではないかと震えたほどだ。だが美希の適応力はそれ以上に恐ろしく、三日もすれば慣れたようで、今では毎晩抱きしめて眠っている。
「お前にも美希くらいの図太さがあれば良かったのに」
「うるさいわ。怖いもんは怖いねん」
 両親もいつの間にか気にしなくなっていたし、いまだにびくびくしているのが自分だけなのが納得いかない。髪が変色する理由さえ分かれば、壮悟も恐怖心を捨てることが出来るだろう。
 だからなんでも知っていそうな従兄に相談したのだ。榛弥は高校二年生で、なにかと冷静に物事判断する、と伯母が言っていた。難しそうな本も祖父からよく借りて読んでいるし、きっと何でも知っているに違いない。
 榛弥と会えるのは年に二回程度で、今日はその貴重な一回だ。盆休みに合わせて、祖父の家に親戚が集合する。
「その人形って今日は持ってきてないのか?」
「どうやろ。持って来とったような気ぃするけど」
 祖父の家に来た時は最低でも一泊二日するのが恒例だ。壮悟はアイスの棒を捨てに行くついでに、涼しい部屋で榛弥の姉二人と遊んでいた美希に声をかけた。
「美希、幼稚園でもろうた人形ある?」
「あるよ」と美希はすごろくの駒を進めながらはにかむ。「りかちゃんがもっとる」
「これのこと?」
 榛弥の姉の片方・里香がひょいと壮悟に人形を見せる。昼間ゆえに髪色は初め見た時と同じ銀髪で、里香は人形の腕を掴んでひらひらと手を振った。
 赤い瞳にじっと見つめられたような気がして、ぞっと背筋が震える。気取られて馬鹿にされてはたまらない。表情が崩れないよう、壮悟はぐっと顔に力をこめた。
「ハル兄が見たいて言うとるで、ちょっと借りてもええ?」
「榛弥が? あいつこういうの好きだっけ」
「さあ?」と首を傾げたのは、里香とうり二つの顔立ちをした榛弥のもう一人の姉・里亜だ。「あいつの趣味よく分かんないからね。実はお人形が好きでしたーとか言われてもたいして不思議じゃないかも」
「あっははー、確かに!」
「なんでもええけど、早よ貸してや」
「美希ちゃん、貸してもいい?」
「ええよー。あ、つぎりかちゃんやで。さいころふって」
「はーい」
 里香から人形を預かって、壮悟は縁側で待つ榛弥のもとに戻った。水の音がすると思ったら、庭で祖母が水を撒いている。夏の日差しに照らされた水の粒が、ごく小さな虹を作っていた。
「おかえり」
「人形借りてきた。これなんやけど」
「見せてみろ」
「汚さんようにしてな」
 榛弥は丁重に人形を受け取ると、黙りこんで観察を始めた。どれだけ声をかけても反応が返ってこない。それだけ集中しているのだろう。邪魔をしてはいけない、と壮悟は足をぶらぶら揺らしながら、結論が出されるのを待った。
 セミの鳴き声があちこちから聞こえてくる。ミンミンゼミがほとんどだが、たまにヒグラシの鳴き声も混ざった。これが聞こえてくると、なんとなく「もうすぐ夏休みが終わるなあ」という気分になって、少しだけ寂しい。
「多分、だけど」
 ようやく結論が出たらしく、榛弥が人形を膝の上に置く。
「紫外線に当たると変わるんじゃないか」
「紫外線?」
「日光に当たると日焼けするだろ。原因が紫外線なのは知ってるよな」
「うん、まあ」
「あれと一緒で、髪の色が変わるのもそれが理由なんじゃないかと思って」
 榛弥の指が銀の髪をすくう。淡い微笑みを浮かべる人形の口元には、ほんのりと紅が乗っていた。
「子どもの用のおもちゃに、お湯につけたりドライヤーを当てたりすると色が変わるものがあるだろ。お前の家にもないか?」
「……ある、かも……? 分からへん、オレあんま美希のおもちゃ触らへんから」
「まあとりあえずそういうのがあってだな。それと似たような感じで、この人形は紫外線を吸収して髪色が変わる可能性がある」
「そんなんあるん?」
「あくまで予想だ。多分、人形を買った時にパッケージかなにかに説明があったと思うけど、元の持ち主はそれを読んでなかったんだろ。タグも色あせててメーカーが分からないし、明確な答えにたどり着くのは僕には無理だ」
 榛弥が残念そうに視線を落とす。人形の頬を撫でる手つきは優しく、慈しみに満ちていた。
 壮悟は榛弥から人形を受け取って、同じように頬を撫でてみた。先ほどまで榛弥が触れていたからだろう、滑らかなそこはわずかに温もりを帯びている。
「とりあえず僕の結論としてはそんな感じだ」
「ハル兄頭ええな。オレ紫外線とかそんなん分からへんかったわ。絶対おばけかなんかや思てたもん」
「まあたまに聞くよな。髪が伸びる日本人形とか」
「思い出させんといてや」
 つい最近テレビの心霊特集で、そんな人形を見たばかりだ。ぶるっと体を震わせた壮悟に、榛弥はおかしそうにくつくつと笑う。
 ひとまずこの人形の髪色が変わるのは幽霊の仕業ではない。ほっと安心して、美希のもとに返すべく、壮悟は人形を抱えて立ち上がる。
 その瞬間、瞬きをしないはずのそれがぱちっと目をまたたいたことには、気づかないままだった。
2/6ページ
スキ