長編「暗黒閉鎖揺籃 東京 偽りの殺人鬼」
スクランブル
見上げたビルは薄暗い曇天を背景に高くそびえ立ち、しかし数はその土地の未来に比べ少ない。周辺は人が行き交っている。人類最後のマスターである藤丸立香が生きた年より少しばかり前であろうか。いかにも都会というような、先進的でありながら停滞した空気のその土地の名は、東京というらしい。
藤丸の隣には盾持つ少女マシュ・キリエライトが控えており、更に隠美の仮面の武将蘭陵王、エジプト最後の女王クレオパトラがついていた。彼らは見慣れぬ街の中で人々を注意深く見て、ある程度それが済むと顔を見合わせる。
「記録では、何度か見たことはあるけれど」クレオパトラはなにか腑に落ちないように、腰に手をあてた。「ここが東京。都会というだけあって空気も汚れているように感じるわ」
「人の集まる土地は得てして汚れるものですから、このような姿をしているのかもしれませんな……あれがゴミ箱ですか」
蘭陵王は足元に落ちていた空き缶を拾い上げ、ちょっと歩いてゴミ箱に捨てる。そして戻ってくる間に、彼の視線は通り過ぎる人の表面を流れていった。しかし得るものは何もなかったらしく、彼がそれに対してコメントすることはなかった。三人も、蘭陵王の行動に感心こそすれ、特別な反応を示すことはない。
次に四人は、人通りの落ち着いた場所を求めて人の流れに乗る。逆らうのも難しいこの流れはどこへ向かうのか。人々はみな建物を見ながら、すぐそばを歩く人にぶつからないよう気を付けて歩いていた。その建物というのがたくさんあるものだから、全員が特定の場所を目指して歩いているわけではなさそうである。歩く人の中には、途中で手近な建物に引き寄せられる者もいた。しかし、多くの人は、道の果てにある西洋風の建造物に引き寄せられていた。
その西洋風の建造物に向かって歩くと、脇道から人が合流してくる。流れに乗って歩いていると、まるで川の水の一滴にでもなったかのように錯覚する。
「歩きっぱなしは時間の無駄ね。マスター、何か乗り物を持ってくることはできないのかしら?」
「流石にこの人ごみじゃあ、そもそも抜け出すのが難しいかも……」
「下手に流れに逆らうのは、怪我のもとでもあります。しかし、そろそろマスターが休める場所を探さなければいけませんね」
足を止めないまま、藤丸とマシュが背伸びをして周囲を見る。いやに人口密度の高いこの通りは、藤丸の言う通り、抜け出せそうにないだろう。壁のようにそびえ立つビルディング。隙間には通るのもためらう(目を向けた途端、藤丸の背にファラオの威光が鋭く刺さった気がする)湿って汚れた細い路地。
「どこか建物に入ることができればいいのですが。拠点を確保するという意味でも」
「そうね。こんなにゴミのように人が溢れている道を歩くのは疲れました。ホテルのひとつないものかしら!」
「流石にそう上手くは――」
藤丸の言葉を遮って蘭陵王が前に飛び出した。クレオパトラが咄嗟に藤丸の腕を掴んで強く引いた。マシュが盾を構えて、人混みより現れたものから藤丸を守った。
「マスター、ご無事ですか……ッ」
苦しげに主人に呼び掛ける蘭陵王の眼前で、ソレは刃を握っていた。鍔迫り合い。刃はハサミの形をしていて、切っ先が新しい血で汚れている。先程まで気配も何も感じなかったというのに、その人物は強すぎる殺気を放っていた。
「ま、ま、マスターという事は、敵……!」
人混みが一斉に割れ、広場をつくった。同時に大きく後退する茶髪の青年。冷静さを欠いた緑の目が藤丸を見る。
「人類最後の、マスター……!ぼ、ボクは、倒さなくっちゃ……!」
「敵性サーヴァント……気配がありませんでしたから、アサシンクラスである可能性が高いです」
「そ、そう。ボクはアサ、ア、アサシン……地獄から来た殺人鬼……!」
「突然現れて何をするかと思えば。殺人鬼を名乗るクセに、小動物みたいに手が震えているじゃない!」
「ヒ……!」クレオパトラの言葉に彼は怯み、いっそ可哀想なくらいに泣きそうな顔をした。「お、おち、つけ……ボクには、資格があるんだ……っ」
「資格?」
その言葉に引っかかりを覚えた藤丸が呟く。そして少しだけ体の力を抜いて、青年を見つめ返す。青年はやはり冷静ではないが、汗がにじみ、口元が震えている。向けているハサミの切っ先はぶれている。目が合うと、びくりと肩が跳ねて目を逸らす。
「や、やるんだ……やるんだ……」
繰り返し、やるんだ、とぼそぼそ口にする姿は、彼が言うほど「殺人鬼」ではない。
膠着状態が続いた。生ぬるく不純物の混ざった風が頬を撫でる。人はいつの間にか消えていた。ハサミと太刀と金の装飾がきらりと光る。この場は恐ろしくなるほどの静寂に包まれていた。
にゃあ、と音がした。それを合図に蘭陵王が足を踏み出し、青年に向かっていった。
青年は小さくうめいて太刀をかわし、走り去って、ビルの隙間に消えた。
「……敵前逃亡とは」見送り、呆れたように蘭陵王。「いかがいたしましょう、追跡しますか?」
「また襲撃されないとも限りませんから、追った方が良いかもしれません」
「追跡はいい。それより、蘭陵王の怪我を治療しなきゃ」
「マスターにしては賢明な判断ね。妾もそう思うわ」
「理由をお聞かせ願います、クレオパトラ殿」
仮面の奥から疑問を投げかける蘭陵王に、クレオパトラはフンと鼻を鳴らした。
「あの臆病者の自称殺人鬼には『やれない』はずよ」
ああ、と蘭陵王とマシュは納得したように頷き、次に周囲を見回す。
周囲は、交戦前とは打って変わって閑散としている。人の子一人いない通りは、暗くなり始めて、不気味な空気を醸し出していた。
「早く休めるところを見つけないと、また敵と遭遇してしまうかもしれません」
マシュの言葉に三人は頷いて、道を歩き出す。道の果てに見える西洋風の建物に向かって、休息できる場所を探しながら。
しばらく歩いて、藤丸があっと声を漏らす。
「どうかしましたか?」
「あそこ、ホテルって書いてある」
指さした先にはビルがあって、少し黒ずんだ看板には確かに「HOTEL ETOILE」と書いてある。四人はそこに宿泊すべく、ビルに入ることにした。
ビルの中は意外にも綺麗にしてあった。高級感こそないものの、床は磨かれ観葉植物まで置かれている。フロントには誰もいないが、奥の方で何かしている音が聞こえる。藤丸は、フロントの呼び鈴を押して鳴らした。
「はい、いらっしゃいませ」まるで待ち構えていたかのように、ただちに女性スタッフが裏から出てきた。「株式会社カルデアの藤丸立香様ですね」
「え」
「六泊七日のご予約を承っております。お部屋は八階でございます。お部屋までは右手のエレベーターをご利用ください。こちらカードキーです」
「は、はい」
目を丸くする一行に、人数分のカードキーを渡してくれたスタッフは愛想よく接客を続ける。
「ウェルカムドリンクがございますので、エレベーター横の入り口からお入りいただき、お好きなお飲み物をお取りください。お部屋に持ち込むことも可能です」
ごゆっくりお過ごしくださいませ、と微笑むスタッフ。クレオパトラが眉をひそめて前に出た。
「ちょっといいかしら?」
「はい」
「予約が入っているようですけれど、誰が予約をしたのかしら?」
「少々お待ちくださいませ」カウンターからファイルを取り出しページを捲る。「ご予約いただいた方のお名前は……はい、ジャック様です」
「ジャック? 間違いはないのね?」
「はい。確かにジャックと仰る方でした」
腑に落ちない顔をしながらも、クレオパトラはエレベーターの方へ歩いて行った。
「待って、クレオパトラ」
「何をしているのかしら、マスター。早くウェルカムドリンクを取りに行きましょう。まあ、全く期待していないのだけど!」
その足取りは弾んでいた。三人は彼女を追いかけ、案内された入口へ入っていった。
見上げたビルは薄暗い曇天を背景に高くそびえ立ち、しかし数はその土地の未来に比べ少ない。周辺は人が行き交っている。人類最後のマスターである藤丸立香が生きた年より少しばかり前であろうか。いかにも都会というような、先進的でありながら停滞した空気のその土地の名は、東京というらしい。
藤丸の隣には盾持つ少女マシュ・キリエライトが控えており、更に隠美の仮面の武将蘭陵王、エジプト最後の女王クレオパトラがついていた。彼らは見慣れぬ街の中で人々を注意深く見て、ある程度それが済むと顔を見合わせる。
「記録では、何度か見たことはあるけれど」クレオパトラはなにか腑に落ちないように、腰に手をあてた。「ここが東京。都会というだけあって空気も汚れているように感じるわ」
「人の集まる土地は得てして汚れるものですから、このような姿をしているのかもしれませんな……あれがゴミ箱ですか」
蘭陵王は足元に落ちていた空き缶を拾い上げ、ちょっと歩いてゴミ箱に捨てる。そして戻ってくる間に、彼の視線は通り過ぎる人の表面を流れていった。しかし得るものは何もなかったらしく、彼がそれに対してコメントすることはなかった。三人も、蘭陵王の行動に感心こそすれ、特別な反応を示すことはない。
次に四人は、人通りの落ち着いた場所を求めて人の流れに乗る。逆らうのも難しいこの流れはどこへ向かうのか。人々はみな建物を見ながら、すぐそばを歩く人にぶつからないよう気を付けて歩いていた。その建物というのがたくさんあるものだから、全員が特定の場所を目指して歩いているわけではなさそうである。歩く人の中には、途中で手近な建物に引き寄せられる者もいた。しかし、多くの人は、道の果てにある西洋風の建造物に引き寄せられていた。
その西洋風の建造物に向かって歩くと、脇道から人が合流してくる。流れに乗って歩いていると、まるで川の水の一滴にでもなったかのように錯覚する。
「歩きっぱなしは時間の無駄ね。マスター、何か乗り物を持ってくることはできないのかしら?」
「流石にこの人ごみじゃあ、そもそも抜け出すのが難しいかも……」
「下手に流れに逆らうのは、怪我のもとでもあります。しかし、そろそろマスターが休める場所を探さなければいけませんね」
足を止めないまま、藤丸とマシュが背伸びをして周囲を見る。いやに人口密度の高いこの通りは、藤丸の言う通り、抜け出せそうにないだろう。壁のようにそびえ立つビルディング。隙間には通るのもためらう(目を向けた途端、藤丸の背にファラオの威光が鋭く刺さった気がする)湿って汚れた細い路地。
「どこか建物に入ることができればいいのですが。拠点を確保するという意味でも」
「そうね。こんなにゴミのように人が溢れている道を歩くのは疲れました。ホテルのひとつないものかしら!」
「流石にそう上手くは――」
藤丸の言葉を遮って蘭陵王が前に飛び出した。クレオパトラが咄嗟に藤丸の腕を掴んで強く引いた。マシュが盾を構えて、人混みより現れたものから藤丸を守った。
「マスター、ご無事ですか……ッ」
苦しげに主人に呼び掛ける蘭陵王の眼前で、ソレは刃を握っていた。鍔迫り合い。刃はハサミの形をしていて、切っ先が新しい血で汚れている。先程まで気配も何も感じなかったというのに、その人物は強すぎる殺気を放っていた。
「ま、ま、マスターという事は、敵……!」
人混みが一斉に割れ、広場をつくった。同時に大きく後退する茶髪の青年。冷静さを欠いた緑の目が藤丸を見る。
「人類最後の、マスター……!ぼ、ボクは、倒さなくっちゃ……!」
「敵性サーヴァント……気配がありませんでしたから、アサシンクラスである可能性が高いです」
「そ、そう。ボクはアサ、ア、アサシン……地獄から来た殺人鬼……!」
「突然現れて何をするかと思えば。殺人鬼を名乗るクセに、小動物みたいに手が震えているじゃない!」
「ヒ……!」クレオパトラの言葉に彼は怯み、いっそ可哀想なくらいに泣きそうな顔をした。「お、おち、つけ……ボクには、資格があるんだ……っ」
「資格?」
その言葉に引っかかりを覚えた藤丸が呟く。そして少しだけ体の力を抜いて、青年を見つめ返す。青年はやはり冷静ではないが、汗がにじみ、口元が震えている。向けているハサミの切っ先はぶれている。目が合うと、びくりと肩が跳ねて目を逸らす。
「や、やるんだ……やるんだ……」
繰り返し、やるんだ、とぼそぼそ口にする姿は、彼が言うほど「殺人鬼」ではない。
膠着状態が続いた。生ぬるく不純物の混ざった風が頬を撫でる。人はいつの間にか消えていた。ハサミと太刀と金の装飾がきらりと光る。この場は恐ろしくなるほどの静寂に包まれていた。
にゃあ、と音がした。それを合図に蘭陵王が足を踏み出し、青年に向かっていった。
青年は小さくうめいて太刀をかわし、走り去って、ビルの隙間に消えた。
「……敵前逃亡とは」見送り、呆れたように蘭陵王。「いかがいたしましょう、追跡しますか?」
「また襲撃されないとも限りませんから、追った方が良いかもしれません」
「追跡はいい。それより、蘭陵王の怪我を治療しなきゃ」
「マスターにしては賢明な判断ね。妾もそう思うわ」
「理由をお聞かせ願います、クレオパトラ殿」
仮面の奥から疑問を投げかける蘭陵王に、クレオパトラはフンと鼻を鳴らした。
「あの臆病者の自称殺人鬼には『やれない』はずよ」
ああ、と蘭陵王とマシュは納得したように頷き、次に周囲を見回す。
周囲は、交戦前とは打って変わって閑散としている。人の子一人いない通りは、暗くなり始めて、不気味な空気を醸し出していた。
「早く休めるところを見つけないと、また敵と遭遇してしまうかもしれません」
マシュの言葉に三人は頷いて、道を歩き出す。道の果てに見える西洋風の建物に向かって、休息できる場所を探しながら。
しばらく歩いて、藤丸があっと声を漏らす。
「どうかしましたか?」
「あそこ、ホテルって書いてある」
指さした先にはビルがあって、少し黒ずんだ看板には確かに「HOTEL ETOILE」と書いてある。四人はそこに宿泊すべく、ビルに入ることにした。
ビルの中は意外にも綺麗にしてあった。高級感こそないものの、床は磨かれ観葉植物まで置かれている。フロントには誰もいないが、奥の方で何かしている音が聞こえる。藤丸は、フロントの呼び鈴を押して鳴らした。
「はい、いらっしゃいませ」まるで待ち構えていたかのように、ただちに女性スタッフが裏から出てきた。「株式会社カルデアの藤丸立香様ですね」
「え」
「六泊七日のご予約を承っております。お部屋は八階でございます。お部屋までは右手のエレベーターをご利用ください。こちらカードキーです」
「は、はい」
目を丸くする一行に、人数分のカードキーを渡してくれたスタッフは愛想よく接客を続ける。
「ウェルカムドリンクがございますので、エレベーター横の入り口からお入りいただき、お好きなお飲み物をお取りください。お部屋に持ち込むことも可能です」
ごゆっくりお過ごしくださいませ、と微笑むスタッフ。クレオパトラが眉をひそめて前に出た。
「ちょっといいかしら?」
「はい」
「予約が入っているようですけれど、誰が予約をしたのかしら?」
「少々お待ちくださいませ」カウンターからファイルを取り出しページを捲る。「ご予約いただいた方のお名前は……はい、ジャック様です」
「ジャック? 間違いはないのね?」
「はい。確かにジャックと仰る方でした」
腑に落ちない顔をしながらも、クレオパトラはエレベーターの方へ歩いて行った。
「待って、クレオパトラ」
「何をしているのかしら、マスター。早くウェルカムドリンクを取りに行きましょう。まあ、全く期待していないのだけど!」
その足取りは弾んでいた。三人は彼女を追いかけ、案内された入口へ入っていった。
