短編
その一幕はミルクと珈琲が如く
虹色の光が渦巻いて、そうして現れたサーヴァントは、かつて特異点にてカルデアと敵対した女だった。
彼女は特異点にて「コインロッカーベイビー」という真名を持っていた。ある時期の日本において発生した現象であり、社会の被害者。彼らは霊基の内側よりその存在を主張する。
召喚サークルに立ち尽くし辺りを見回す彼女は、彼らを背負った「生き残り」に他ならなかった。足元の濃い影はうごめき、召喚者である藤丸立香を品定めするように、あるいは怯えながらそこにあった。
「まさか、あなたに召喚されるとは」口だけは驚いているふうに、しかし無機質な表情のまま。「現代社会への復讐者たる私を召喚なんてして、本当に良かったのですか?」
アヴェンジャー・コインロッカーベイビー。かつてカルデアと敵対し、藤丸をおびき出して殺害しようとしていた女。そして、それによる人類の破滅を救済と呼んだ女。
「……カルデアのマスター。私は今でも、復讐心を捨ててはいませんよ。あなたが否定しなかった道は、そういう道です」
だから私はアヴェンジャーなのです。未来は藤丸を冷たく見下ろして、それからゆっくり目を逸らした。
彼女の名前は、細田未来(さいたみくる)といった。
*
この時間、藤丸はトレーニングに励んでいる。付き添いの者以外は自由行動が許されている。ストームボーダー内の案内や研修を終えた未来も、自由の許されたサーヴァントのひとりだった。
未来は休憩時間にも仕事のことを考えているような人間であるから、召喚されて間もない今も、自分にできることで何か役に立てることはないかと仕事を探していた。とはいえ新参者の未来に任せられる仕事などたかが知れている。声を掛けた職員の仕事を手伝うにしても簡単なデータ入力作業くらいしか任されず、それも早々に完成させてしまった未来は再び空白の時間を過ごすことになった。
「……どうしましょう」
連絡通路の壁際で窓の外を見ながら息を吐く。暇を持て余して思案に耽っていても、未来の表情はろくに動かない。ストームボーダーの外は青空と雲。それ以外には、雲の切れ間の真っ白な地表。なんとも味気のない風景は未来の目を慰めるには役不足だったようで、彼女はまた通路を歩く。
歩いていると、向かいから人影が現れた。
「巌窟王さん」
未来が声を掛けると、否、声を漏らすと、巌窟王と呼ばれた彼は未来に目を向ける。
巌窟王、エドモン・ダンテス。その手にはトレーがあって、珈琲の入ったカップがふたつ、湯気を伸ばしてそこにあった。
「おまえは……」
「それは珈琲ですか。どちらへ?」
「……星に燃料をくれてやるために、部屋へ」
「星?」
「マスターだ」
「藤丸さんのための珈琲ですか。ご存知かもしれませんが、藤丸さんは今、訓練中です。お戻りになるまでには時間がありますが」
彼はそれを聞いてやや目を見開いた。黙り込んで、手元のマグカップに視線を落とす。
「知らなかったんですか」
「こうまで長引くことは滅多にないものでな」
「どうするんですかそれ。温め直せばいいかもしれませんが、味は落ちるでしょう」
「……」
「こういう時、いつも、どうしてるんですか」
「その『いつも』は、今日生まれたものだ」
「……ついてきてください」
くるりと踵を返して未来は歩き出し、エドモンはその後に続く。二人は廊下を歩く。こんな時に限って廊下は人通りもなく、未来とエドモンは会話もなく食堂に入った。
昼食も終わり夕食まで時間もある今、食堂は人も疎らであった。職員とサーヴァントが二人にちらと視線を投げかけるが、すぐに各々の会話に戻る。
「あるかわからないですけど、探せば一本くらいあるでしょう」
「何の話だ」
「牛乳です」
「なるほど、カフェオレを作ろうという魂胆か。確かに、そうすれば珈琲は無駄にならず……」
「それ、量を半分くらいにできませんか」
「……良いだろう。顎で使われてやる」
厨房に入り、未来はすぐ手を洗う。エドモンも手に持っていたトレーを置いて、未来の視線に負けて手袋を外し、手を洗う。
手を拭いた未来は次に、冷蔵庫の前に立つ。ばふっと開くと冷たい空気がこぼれる。その中をぐるりと見て、目当てのものを手に取ると扉を閉じる。牛乳を一本。持って来た時、エドモンは珈琲をグラスに移し替えている最中だった。グラスの中の珈琲には氷が浮かんでいる。
「今を生きるマスターに施しを与えるなんて、あなたらしいというか、なんというか」
「世を憎む復讐者でありながら仕事の手伝いをしてやるなど、おまえこそ『らしい』といえるだろう」
「それはどうも」
「俺はそれを見届けよう。『今を生きる復讐者』が、何を成すのか」
グラスは四つ。そこへ未来が牛乳を注ぐ。黒が白と混ざっていく。
「あなたも飲むんですか? それとも、他に提供する先が?」
「作家系のサーヴァントには既にくれてやった。マスターと後輩と、あとは我ら」
「気を遣わせたみたいで、すみませんね」
「マスターへは俺が運ぼう。残るふたつはそこのテーブルに置き、待っていろ」
「わかりました」
ふたつのグラスはエドモンが、もうふたつは未来が持つ。エドモンがマスターの部屋に向かうのを見送って、未来は食堂のテーブルにコースターを並べ、その上にカフェオレを置き、椅子に座って姿勢を正す。
透明なグラスの中、珈琲と牛乳がふわふわと混ざる。未来が砂糖を入れなかったのは、自分が無糖好きであるから。それと、今席を外している彼も無糖を飲むと予想してのこと。彼女は何となく、エドモンが珈琲をブラックで飲みそうだと思ったのだ。もし彼が混ぜ物をするのであれば、あとから持ってくればいい。そう考えて未来は立ち上がり、ストローを探す。厨房の棚にあった。
カラン、と氷が音を立てる。グラスが結露している。そこへストローを刺したとき、エドモンは帰ってきた。手には空のトレー。それだけ。未来が座っている席の向かいに、流れるように腰を掛ける。
「待たせた」
「おかえりなさい」まだカフェオレには手をつけず。「マスターはどうでしたか」
「鍛錬を振り返っているところだった。よく励んでいたとも」
「あなたが目をつけるだけのことはありますね」
彼女の声には見定めるような色が含まれていた。それをエドモンが読み取ったかはわからない。ただ、彼は未来の言葉を受けて、ふ、と満足げに笑んだ。それだけであったのだが、笑みを見逃さなかった未来は、少しの間をおいてから口を開く。
「よほど、マスターのことが気に入っているんですね」
エドモンの手がグラスを持つ。ストローを咥える。カフェオレが僅かに減った。
「そう見えるか」
「ええ、とても」
「間違いではない。あれは星だ。深い夜に在っても煌々と輝く星だ。ああであるから、俺は呼び声に応えた」
「そんな顔できたんですね、あなた」
「どんな顔だ」
「嬉しそうな、誇らしげな。仰ぎ見た星が変わった光を放っていた、みたいな」
「星?」
「私にとっては、あなたが星ですよ」
未来もまたカフェオレに手を伸ばす。エドモンがじっと未来を見るものだから、未来は耐えかねて目を逸らして、カフェオレを喉に通す。
「何か変なこといいましたか、私」
「自覚がないのか」
「まあ、はい」
「わが炎に光など」言いかけて、やめた。「……否。おまえは『そう』であるのだった」
「とにかく、私はあなたの生き様があったからここにいる。そのことについては、おとなしく感謝されてください」
「拒否権などないのだろう?」
「当然です」
ン、と頷くエドモン。目を閉じて、もう一度頷く。ふたりのカフェオレは半分ほどまで減っている。夕食時まで時間のあるから食堂は静かで、職員とサーヴァントが数人いるのみ。だが、もう少しでおやつを食べに訪れる者があるかもしれない。
「王妃の茶会がある。ここで待てば参加できるだろう」
「いいんですか? そんな、高貴な方とご一緒して」
「構わん。紹介してやる」
「それは、ありがとうございます。伯爵みずからご招待いただくなんて光栄です」
「緊張するなよ、王妃は寛大だ」
「心に留めます」
未来のカフェオレがまた減る。氷が溶けて小さくなっている。残り少なくなったそれを一気に飲んで、未来は立ち上がった。
「ゆっくり飲んでください。飲み終わったら私が洗うので」
「もう無くなる」
残りを飲み干し、空いたグラスを未来に手渡す。それを受け取って彼女は厨房に引っ込んだ。ほどなくして、水がシンクを叩く音。エドモンは座ったまま足を組み、洗い物を始める未来の姿を見守る。
……その後のお茶会で未来がフランス人サーヴァントに囲まれて、気まずそうにエドモンに視線を送るのはまた別のお話。
虹色の光が渦巻いて、そうして現れたサーヴァントは、かつて特異点にてカルデアと敵対した女だった。
彼女は特異点にて「コインロッカーベイビー」という真名を持っていた。ある時期の日本において発生した現象であり、社会の被害者。彼らは霊基の内側よりその存在を主張する。
召喚サークルに立ち尽くし辺りを見回す彼女は、彼らを背負った「生き残り」に他ならなかった。足元の濃い影はうごめき、召喚者である藤丸立香を品定めするように、あるいは怯えながらそこにあった。
「まさか、あなたに召喚されるとは」口だけは驚いているふうに、しかし無機質な表情のまま。「現代社会への復讐者たる私を召喚なんてして、本当に良かったのですか?」
アヴェンジャー・コインロッカーベイビー。かつてカルデアと敵対し、藤丸をおびき出して殺害しようとしていた女。そして、それによる人類の破滅を救済と呼んだ女。
「……カルデアのマスター。私は今でも、復讐心を捨ててはいませんよ。あなたが否定しなかった道は、そういう道です」
だから私はアヴェンジャーなのです。未来は藤丸を冷たく見下ろして、それからゆっくり目を逸らした。
彼女の名前は、細田未来(さいたみくる)といった。
*
この時間、藤丸はトレーニングに励んでいる。付き添いの者以外は自由行動が許されている。ストームボーダー内の案内や研修を終えた未来も、自由の許されたサーヴァントのひとりだった。
未来は休憩時間にも仕事のことを考えているような人間であるから、召喚されて間もない今も、自分にできることで何か役に立てることはないかと仕事を探していた。とはいえ新参者の未来に任せられる仕事などたかが知れている。声を掛けた職員の仕事を手伝うにしても簡単なデータ入力作業くらいしか任されず、それも早々に完成させてしまった未来は再び空白の時間を過ごすことになった。
「……どうしましょう」
連絡通路の壁際で窓の外を見ながら息を吐く。暇を持て余して思案に耽っていても、未来の表情はろくに動かない。ストームボーダーの外は青空と雲。それ以外には、雲の切れ間の真っ白な地表。なんとも味気のない風景は未来の目を慰めるには役不足だったようで、彼女はまた通路を歩く。
歩いていると、向かいから人影が現れた。
「巌窟王さん」
未来が声を掛けると、否、声を漏らすと、巌窟王と呼ばれた彼は未来に目を向ける。
巌窟王、エドモン・ダンテス。その手にはトレーがあって、珈琲の入ったカップがふたつ、湯気を伸ばしてそこにあった。
「おまえは……」
「それは珈琲ですか。どちらへ?」
「……星に燃料をくれてやるために、部屋へ」
「星?」
「マスターだ」
「藤丸さんのための珈琲ですか。ご存知かもしれませんが、藤丸さんは今、訓練中です。お戻りになるまでには時間がありますが」
彼はそれを聞いてやや目を見開いた。黙り込んで、手元のマグカップに視線を落とす。
「知らなかったんですか」
「こうまで長引くことは滅多にないものでな」
「どうするんですかそれ。温め直せばいいかもしれませんが、味は落ちるでしょう」
「……」
「こういう時、いつも、どうしてるんですか」
「その『いつも』は、今日生まれたものだ」
「……ついてきてください」
くるりと踵を返して未来は歩き出し、エドモンはその後に続く。二人は廊下を歩く。こんな時に限って廊下は人通りもなく、未来とエドモンは会話もなく食堂に入った。
昼食も終わり夕食まで時間もある今、食堂は人も疎らであった。職員とサーヴァントが二人にちらと視線を投げかけるが、すぐに各々の会話に戻る。
「あるかわからないですけど、探せば一本くらいあるでしょう」
「何の話だ」
「牛乳です」
「なるほど、カフェオレを作ろうという魂胆か。確かに、そうすれば珈琲は無駄にならず……」
「それ、量を半分くらいにできませんか」
「……良いだろう。顎で使われてやる」
厨房に入り、未来はすぐ手を洗う。エドモンも手に持っていたトレーを置いて、未来の視線に負けて手袋を外し、手を洗う。
手を拭いた未来は次に、冷蔵庫の前に立つ。ばふっと開くと冷たい空気がこぼれる。その中をぐるりと見て、目当てのものを手に取ると扉を閉じる。牛乳を一本。持って来た時、エドモンは珈琲をグラスに移し替えている最中だった。グラスの中の珈琲には氷が浮かんでいる。
「今を生きるマスターに施しを与えるなんて、あなたらしいというか、なんというか」
「世を憎む復讐者でありながら仕事の手伝いをしてやるなど、おまえこそ『らしい』といえるだろう」
「それはどうも」
「俺はそれを見届けよう。『今を生きる復讐者』が、何を成すのか」
グラスは四つ。そこへ未来が牛乳を注ぐ。黒が白と混ざっていく。
「あなたも飲むんですか? それとも、他に提供する先が?」
「作家系のサーヴァントには既にくれてやった。マスターと後輩と、あとは我ら」
「気を遣わせたみたいで、すみませんね」
「マスターへは俺が運ぼう。残るふたつはそこのテーブルに置き、待っていろ」
「わかりました」
ふたつのグラスはエドモンが、もうふたつは未来が持つ。エドモンがマスターの部屋に向かうのを見送って、未来は食堂のテーブルにコースターを並べ、その上にカフェオレを置き、椅子に座って姿勢を正す。
透明なグラスの中、珈琲と牛乳がふわふわと混ざる。未来が砂糖を入れなかったのは、自分が無糖好きであるから。それと、今席を外している彼も無糖を飲むと予想してのこと。彼女は何となく、エドモンが珈琲をブラックで飲みそうだと思ったのだ。もし彼が混ぜ物をするのであれば、あとから持ってくればいい。そう考えて未来は立ち上がり、ストローを探す。厨房の棚にあった。
カラン、と氷が音を立てる。グラスが結露している。そこへストローを刺したとき、エドモンは帰ってきた。手には空のトレー。それだけ。未来が座っている席の向かいに、流れるように腰を掛ける。
「待たせた」
「おかえりなさい」まだカフェオレには手をつけず。「マスターはどうでしたか」
「鍛錬を振り返っているところだった。よく励んでいたとも」
「あなたが目をつけるだけのことはありますね」
彼女の声には見定めるような色が含まれていた。それをエドモンが読み取ったかはわからない。ただ、彼は未来の言葉を受けて、ふ、と満足げに笑んだ。それだけであったのだが、笑みを見逃さなかった未来は、少しの間をおいてから口を開く。
「よほど、マスターのことが気に入っているんですね」
エドモンの手がグラスを持つ。ストローを咥える。カフェオレが僅かに減った。
「そう見えるか」
「ええ、とても」
「間違いではない。あれは星だ。深い夜に在っても煌々と輝く星だ。ああであるから、俺は呼び声に応えた」
「そんな顔できたんですね、あなた」
「どんな顔だ」
「嬉しそうな、誇らしげな。仰ぎ見た星が変わった光を放っていた、みたいな」
「星?」
「私にとっては、あなたが星ですよ」
未来もまたカフェオレに手を伸ばす。エドモンがじっと未来を見るものだから、未来は耐えかねて目を逸らして、カフェオレを喉に通す。
「何か変なこといいましたか、私」
「自覚がないのか」
「まあ、はい」
「わが炎に光など」言いかけて、やめた。「……否。おまえは『そう』であるのだった」
「とにかく、私はあなたの生き様があったからここにいる。そのことについては、おとなしく感謝されてください」
「拒否権などないのだろう?」
「当然です」
ン、と頷くエドモン。目を閉じて、もう一度頷く。ふたりのカフェオレは半分ほどまで減っている。夕食時まで時間のあるから食堂は静かで、職員とサーヴァントが数人いるのみ。だが、もう少しでおやつを食べに訪れる者があるかもしれない。
「王妃の茶会がある。ここで待てば参加できるだろう」
「いいんですか? そんな、高貴な方とご一緒して」
「構わん。紹介してやる」
「それは、ありがとうございます。伯爵みずからご招待いただくなんて光栄です」
「緊張するなよ、王妃は寛大だ」
「心に留めます」
未来のカフェオレがまた減る。氷が溶けて小さくなっている。残り少なくなったそれを一気に飲んで、未来は立ち上がった。
「ゆっくり飲んでください。飲み終わったら私が洗うので」
「もう無くなる」
残りを飲み干し、空いたグラスを未来に手渡す。それを受け取って彼女は厨房に引っ込んだ。ほどなくして、水がシンクを叩く音。エドモンは座ったまま足を組み、洗い物を始める未来の姿を見守る。
……その後のお茶会で未来がフランス人サーヴァントに囲まれて、気まずそうにエドモンに視線を送るのはまた別のお話。
