このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

長編「暗黒閉鎖揺籃 東京 偽りの殺人鬼」

 夜明けの後、二日目。
 支度を終えて水道水で口をゆすいでいると、まずドアをノックしたのはマシュ。顔を合わせ一言ずつ言葉を交わしていると、次に蘭陵王が部屋から出てくる。クレオパトラも廊下に出て、皆で藤丸の部屋に入る。
「六時四十分。まあまあの時間ね。では朝食前に、今日以降の方針について話し合うことにしましょう」
「私が気になるのは、あのアサシンについて」腕を組む蘭陵王。「あの者はマスターを狙って、今後も襲撃を企てるものと思います。前回はなんとか対処できましたが、あのレベルの気配遮断と奇襲は、そう何度も捌けはしないかと……」
「何か法則でもあればいいんだけどね」
「……」
 不意に黙り込むクレオパトラにマシュが視線を投げかける。クレオパトラは考え込んでいたが、ややあって口を開いた。
「……今日は人ごみを避けて行動してみませんこと?」
「それはなんで?」
「あのアサシン、人が多くいたときは戦う気のある素振りを見せていたというのに、人が消えた後はすぐに逃げ帰った……そんなふうに見えたわ。もしこれが正しければ、人ごみを避けることが奇襲を避けることに繋がるはず」
 かくして一行は、ホテルの朝食をいただいた後に街へ出た。朝でも人ごみはそこにあり、早速藤丸たちの歩みを妨害せんとする。方針のとおりに細い路地に入り、人のいない通りを探して右往左往。ようやく見つけた道は、西洋風の建物の裏側に位置する通りであった。その道も他の道同様、ビルに囲まれた道だった。天井には曇り空。
「まずはあの建物に行ってみようか」
 真っ直ぐに歩みを進める。人の姿はここにはあまりない。裏路地に近い道の端をなるべく避けながら歩く。景色はほとんど変わらないが、同じところを歩かされている、というようなことはなさそうだった。
「何なのかしら、この空気。まるで針のようね……」
 クレオパトラが口にした言葉は間違いではない。この場には妙な緊張感が漂っている。さながら敵が迫っているかのような張り詰めた空気で満ちている。人ごみを避けることは奇襲回避策として外れであったのか? そう四人が思った時だった。
「待って、あれ何!?」
 藤丸が前方を指さす。一斉にそちらを見ると、身の丈より大きな槍を振りかざす影。その前には人がいた。
「助けないと!」
「ダメです、間に合いません……!」
 藤丸が指示を行うより前に槍は振り下ろされた。コンクリートの割れるすごい音が曇天に響く。人の姿は槍とコンクリートの隙間にあった。槍が身を引き裂いてはいたものの、飛び散るべきものがない。槍が持ち上げられると、哀れな被害者の姿が一瞬変化して、塵のように消えた。
「攻撃を受けた人物、消失しました……」
「な、なに、今の……」
 マシュの困惑と藤丸の困惑は同じように見えるが、異なるものだった。マシュは人が消えたことに困惑していたが、藤丸は、人が別の姿に変化した瞬間を見て困惑していた。切り揃えられた黒髪、黒のレディーススーツ。
「しっかりなさいなマスター! 気付かれたわ!」
 クレオパトラの声でハッとした藤丸は、影の姿を目の当たりにする。その姿には覚えがあった。
「あれは……カルナ?」
 しかしてその影には、たった今名の挙がった人物の持つ清廉さは微塵も感じられない。それどころか、向けた槍には黒い感情が乗って見えるほどである。己の中の黒い感情に身を任せて、その槍を再び振り上げた。マシュとクレオパトラが藤丸を庇う。
「蘭陵王、いける!?」
「お任せください!」
 前に出た蘭陵王は太刀を抜き、振り下ろされる槍を受け流して懐へ踏み込み、一太刀を浴びせる。その時彼はぎょっとした顔をして、身を翻した。彼の太刀は影を確実に捉えていたが、同時に通行人まで切り裂いてしまっていた。
 影は「目を逸らすな」と言わんばかりにそれの後ろへ回る。
「あ……」
 息をのむ音。蘭陵王の目が何かを見てしまう。
「蘭陵王……?」
「……いえ、何でもありません」
「何を見たの?」
「何も、見ておりません」
 振り払うように繰り返して、太刀を構える。そうしてまた影に斬りかかる。影は斬撃を喰らっているにもかかわらず、その攻撃が効いている様子を見せない。攻撃を防ぐ素振りも見せず、ただ蘭陵王に向けて槍を振り回す。そこには戦士の誇りなど見えない。それとともに、蘭陵王の太刀は恐ろしいほど正確になってゆく。一撃ごとに鋭さを増すようだ。
「ら、蘭陵王、どうしたの……!」
 マスターの声も届いていない様だった。ただ影の急所を、首を狙って太刀を振るう。この異常に気付いたのは、藤丸だけではなかった。
「蘭陵王! もうおやめなさい!」
 クレオパトラが声を上げる。しかし声は届かない。次に彼女はマシュに呼び掛ける。
「彼は私がどうにかします。あなた、マスターを連れて逃げなさい!」
「わかりました、待ち合わせは……」
「ホテルのロビーで待っていなさい!」
「了解です!」
「ごめんクレオパトラ、蘭陵王をお願い!」
「謝る必要はなくってよ!」
 蘭陵王と影に向かっていくクレオパトラ。弾かれるように駆け出す藤丸とマシュ。背後に煌びやかな光。二人はあみだくじのように、裏路地に入っては大通りに出る、を繰り返す。大通りは通過するたび人が増えている。そのため長居しないように走る。
「まずいな……」何本目かの裏路地に入って、一度立ち止まる。「同じところをぐるぐる走らされてるみたい」
「一向にホテルに着きませんね……方向は合っているはずなのに」
 湿った地面に目を向ける。ビールの空き缶が転がっている以外に何もないアスファルト。目を離して空を見上げてみても、変わらず曇り空。空気は喉を塞ぐように重い。息を整えるために立ち止まったのに、これでは休息にもならない。
「……マシュ」
「はい」
「気づいてる?」
「はい。魔力濃度が少しずつ、上昇中……霧のようなものが漂っています」
 霧は段々と濃くなる。その場に留まっていると、霧はこの路地だけを外界から切り離すように覆う。警戒する二人の前に、ゆらりと影が揺らめいた。
 影は先に交戦したものとは違い、襲いかかってくる様子はない。ただゆっくりと歩いてくる。近付くにつれて、その姿が輪郭を持つ。その影は、――――だった。
「!」
「手を下ろして、力を抜いて。そこを通してください」
 はっきりと告げる――――は、武器を手に持たずに歩み寄って、二人の横をすり抜ける。そして囁いた。
「来た道をひとつ戻って、右へ。右側にある一つ目の道に入って、左へ」
「な、何……?」
「幸運を」
 振り返ると――――の姿は既になかった。気がつけば霧は晴れ、やや湿った空気が戻ってくる。喉を塞ぐ重さはなくなっていた。
4/5ページ
スキ