あるフリーターの憂鬱Ⅰ
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俺はハルヒと二人きりでいた。
他にはだれもいない。
今日も機嫌がいいな、と俺はハルヒに言う。
よくなんかない、と彼女はふてくされて返す。
でも機嫌がいいって、俺は知ってる。
世界には二人きりしかいない。
俺たちは手を繋いでいる。
どちらが自分かわからないくらい、ぴったりくっついている。
鼻歌を歌って、道を歩く。
転びそうなハルヒを引き寄せたら、久しぶりに見る顔をされた。
なにもかも思い通りにいかない、という顔。
本当は全部願いが叶っているのに、気づけないお前を見て、俺は微笑む。
「あんたって、なんか違うのよね」
なんか違うて。
お前が暇すぎて、俺の夢とこの世界を繋げたんじゃないか。
わざわざ男にしといてなんで男なのって言い草はないだろ。
ハルヒは俺の腕の中で、見覚えのない、不安げな眼差しをした。
「あんたはこれで良かったの?」
「なんで俺に聞くんだよ」
「そう……じゃあ、あたしが間違ってたのかしら」
「よせよ。らしくない。お前は楽しくやってればいい」
ハルヒからそんな反省の言葉が飛び出るなんて。
俺はものすごく悲しい気持ちになった。
見渡してみると、ここはどこなんだろう。
俺たちを縛るものはなにもなくて、自由みたいだった。
いざ、なんでもできますからどうぞ、と言われると困る。
「あたしは楽しいわよ。これからってとこなんだから」
本当かなあ、と俺は周囲を見渡す。人の気配はない。
「あれ、でもキョンくんがいないね。いいの?」
それこそ、ハルヒはこんなところに俺といていいのか?
古泉も長門も朝比奈さんも、いない。お前の大事な不思議なやつらがどこにも見当たらないぞ。
俺といてもしょうがないじゃないか。俺は、普通なのに。
彼女はみるみるうちに不機嫌になって、俺の手首を掴む。
「あんた、キョンの話がしたいの?」
地雷を踏んだ。
いやいや、今俺、男だよ。キョンのことはほら、初恋だったからね。だから当然、傍にいるとあの頃の思い出が蘇るわけ。それだけだ。俺のファーストキスはキョンくんのグッズだったからそそそそそんなこと今はどうでもいいだろ。
会えたからって、隣の席だからって、どうこうしようなんて思ってないって。ていうか、そもそもどうにもできないじゃん。どうにもできないように、お前は俺を男にしたんじゃないのか? 好きな人に恋慕するキャラが傍にいたら困るから。古泉といい、どいつもこいつも嫉妬深いな。
いや、本当にそうか?
そんなことでハルヒは他人の性別を捻じ曲げるだろうか。こいつはわがままで自分勝手で横暴で(全部同じ意味だな)人の嫌がることをいつも平気でする。でも、わがままで自分勝手で横柄だからこそ、自分の力で成し遂げてしまうやつだ。
知らず知らずのうちに他人に三年間迷惑かけ通しだったこの女は、それでも俺を本当に悲しませるようなことはしていない。メタな話になるが、それがエンタメだからだ。
いや、まあ嫌な人もいるんだろうけど、そういう人は視界に入らないからね。ハルヒは、そんな視界に映らないやつのことなんかいちいち気にしてやらないだろう。
彼女はいつだって、楽しいことをしたい。そのために振るわれる権能だ。俺の性別が変わったことで、なにかの面白みが生まれるというのが、ハルヒの願いだ。
そうだよ。そこなんだ。このことでハルヒはなにか面白みを得ていないといけない。だが、その面白みはハルヒの無意識化によって成されているからわからない。難儀なもんだ。
傍に宇宙人がいても気づけないのがハルヒだ。俺が元々女だということも気づけない。
いや、おかしいよな。
あれ? 初手で疑っていたよな。あれ? どうしてなんだろうか。
ハルヒは長門に「あんた宇宙人でしょ」と詰め寄らないのに、どうして俺にはそうするんだ?
それに、俺が男であることはむしろ面白くなさそうなのだ。
だいたい、席順だってクラスだって、ハルヒが願えば変えられた。
俺は何を望まれて、願われてここにいる?
これって、なにか大事なことなんじゃないだろうか。
うーん、でも俺の性別を変えている時点でご都合展開を取り入れているハルヒともいえるのか? そうなると、そもそも原作準拠の考え方は当て販らない。持ってる知識が使えなくなった俺は、とてもそれぞれの組織のみなさんの描く危険な存在とは言い難いから、これはナシだろう。
わかりやすく言うと、もしもここが二次創作のハルヒ世界ならば、という話を俺はしている。それだと、どんなことが起きてもおかしくないのだ。無意識化でハルヒがそんなわけない、と不思議な出来事を否定しないでなんでもやらかす世界なら──いや、俺がいる時点でここは二次創作みたいなもんなのかな。俺ならタグで世界観崩壊注意と付けておくが、多分そういうのとは違う。
なんでもありの二次創作世界になっちゃったら困るから、どの派閥も苦労してるのだろう。だから俺を警戒している。俺は、一体何者なんだ?
俺としては出来るだけ原作の展開から逸れないように尽力したい。そもそも原作の再現に立ち会いたいしさ。だから、そういう意味ではうまく隠れて、なんでもない無能力者で逃げ回っているのは俺らしいし、都合がいい気もする。俺が各勢力に願われているのは、そういうことであってる筈。
キョンには近づかないようにする。そうすりゃハルヒは困らない。でも、じゃあなんで俺はキョンの隣に配置された?
そんで、ハルヒにも近づかなきゃ古泉は困らない。古泉が困るのはハルヒの機嫌が悪くなること。でも、じゃあなんで同じ日に転校させた? それだって、ハルヒが嫌がれば長門はやらなかった。ハルヒが俺を嫌なら俺はここにいない。本当に?
考えがうまくまとまらない。なぜだか、靄がかかる。
いや、でも俺はとにかくハルヒたちの邪魔はしないよ。だから、もう少しだけ傍にいてもいいだろ?
「いいわよ」
頼みは聞き入れられた。
「ありがとう。じゃあ俺は向こうで見てるから」
「なんでよ。話は? 言いたいことがあるなら言いなさいよ」
話って?
「俺はSOS団を見ていたいんだ。お前は怒ったりするより、笑う方がかわいい」
「そう。はっきりわかったわ。あんたって面倒なやつね」
「お前が言うな」
ハルヒは唐突にバニーガール姿になり、俺は気づけば鎖でつながれている。
そうか。これ、夢か。夢の中で夢を見ていて、はたして俺の脳みその負荷は大丈夫なんだろうか。
彼女は正座する俺の太ももをハイヒールで踏みつけると、太い蝋燭を取り出した。炙った蝋がどろどろと溶けだす。なんだこの状況は。間違っても俺にそんな願望はない。どうか信じてほしい。
ぼた、と俺の手の甲に蝋が落ちた。なんだ、熱くはないのか。ただ、なにか不安なものがそこから身体中に染み込んでくる感覚がある。嫌な感じだ。
「もういい。身体に直接聞くから」
「えっ……R-18カテゴリになっちゃう」
「身体を脅してあんたの出方を見る。多分、大きな性癖拡大が観測できるはず。またとない機会だわ」
「それお前のセリフじゃないだろ」
いつの間にかハルヒはバニー姿の朝倉に代わっていて、めらめらと燃える蝋燭を予備動作なしに俺の頭にねじ込んだ。途端、熱を感じ始める。髪が、皮膚が焼ける。脳が、溶ける。おい、これやばいやつじゃないか。
なんでこんな仕打ちを受けているんだ。痛い、マジで痛いって。頭皮が燃えるように熱い。脳みそを両手で圧縮されるような感覚。気持ち悪い、息が苦しい。首が閉まってる。自分で自分がわからなくなる。こんなことになるならハルヒと遊びたいなんて思わなきゃ良かった。罰の比率がデカすぎる。
やばい。これは「やばい気がする」なんてもんじゃない。身体中が粟立つような寒気に支配される。本当にやばい。吐きそうだ。いや、もしかすると死ぬかもしれない。
ハルヒと朝倉の顔がパラパラ漫画みたいに切り替わりながら、俺の頭蓋骨の中に蝋を塗りたくっていく。
誰に助けを請えばいいんだ。ハルヒか? キョン、古泉、長門? 朝比奈さんをここに呼ぶのはちょっとな。親や、兄貴は助けてくれるだろうか。
いや、無理だな、だって誰もいないんだから。待つしかない。ただ、この苦しみが終わるまで耐え続けるしかない。
いや、いや、違う。耐えるんじゃない。逃げるんだ。教えてもらったじゃないか。
でも、俺の逃げる力って危なくなる前にそうならないよう気を付ける、みたいなことじゃないのか。間に合うか?
ハルヒが淡々と、俺の頭を開いていく。違う、ハルヒじゃない。ハルヒはこんなことしないって。ハルヒが怖い、なんて。嫌だなんて。そんなこと思いたくない。
これは夢だ。明晰夢を見る人間の多くは、夢を操れるという。起きろ。起きて現実を見ろ。
危険だと思ったら、それを無視しない。そうだ、俺は……ていうか。
「拷問の伏線回収ここかーーーーッ!」
垂直ジャンプキックを決めた俺は、がごん、と音を立てて机のヒットポイントを削り切った。瞼を開けば、目の前には神様閻魔様ハルヒ様のご尊顔。どうやらネクタイが引っ張られているらしく、俺は藻掻く。これか苦しかった原因は。
シリアスとギャグの温度差でグッピーが死ぬ。この人でなし!
「いつまで寝てんのよこの馬鹿ヒカリ!」
「愉快な夢を見ているところ悪いな」
横からキョンくんがひょっこり覗き込む。じゅる、と涎をすすり、嘘、キョンくんに寝顔見られた! 死ぬ! と未だ混乱冷めやらぬ頭で、顔を両手で覆う。
夢? 今のが夢? まだ、頭の中がちかちかと瞬いている。
「泣くんじゃないの。ほら、さっさと立ちなさい。行くわよ」
ひっぱりあげられてもう立っている。足元を指差すと、ハルヒはふんっと鼻を鳴らして、俺の腕を抱え込んだ。
ようやく脳に酸素が回る。見渡せばクラスには生徒がいない。俺とハルヒ、キョンくん。そして、朝倉がこちらを見ながらウインクしている。なんのつもりだろうか。
なるほど、日が傾いている。一時限寝ただけじゃこうはならない。
「感謝しろよ、芦川。朝倉が寝かしといてやれって、教師に頼み込んだんだ」
キョンくんが、朝倉にも聞こえるようにそう言う。
余計なことを。誰か起こしてくれりゃいいのに。しかし、驚いた。午後の授業をまるまる眠って過ごすことを教師がそう簡単に容認するとは。朝倉のやつ、よほど信頼を得ているのだろう。まあ、長門と違って口もうまいのだろうしな。大方、転校初日で大変な思いをしているとか言ったんじゃないかな。同情を誘うような。
いやはや寝ている間に朝倉に借りを作ってしまうとは情けない。仕方ないので、目を合わせて頭を下げておく。この借り、早めに返した方がよさそうだな。
俺の持ち物を見てみよう。スマホ、財布、どら焼き。どら焼きあげちゃうか? と、一歩踏み出そうとするが、そういえばハルヒにホールドされていたのだった。
なんだなんだ、今度は関節を決められるのか? 夢と大して変わってないじゃないか。
「逃げようとしたってそうはいかないわよ。ヒカリ。ほら、きりきり歩きなさい」
「いきなり呼び捨てだ」
「あんただって呼び捨てだったじゃない。そんなことはどうでもいいのよ。そうだ、あんたどら焼き好きなの?」
ハルヒは俺の手元を見た。
「え、うん。そうだけど。なんで?」
「そう、やっぱりそうなのね。ふーん、じゃあ大丈夫ね」
朝倉とキョンくんが、引きずられる俺を可哀相なものを見る目で見送る。手なんか合わせちゃって。助ける気ゼロだ。しかしなんだろう、このハルヒの謎の確認は。
なにか辻褄の合いそうなことを考えていた筈なのに、俺はそれを中断する。ハルヒがやけに嬉しそうな顔をしていた。やっぱり笑っているハルヒはかわいい。生命力に満ち溢れていて、なにか楽しいことを起こしてくれそうな気がする。こんな夢なら、もっと見ていたいけど。
さて、そろそろ現実逃避はやめにして、本題について考えて行こう。知らない場合や無自覚な場合を除いて、自分のモノローグを偽るタイプの小説は俺も好きじゃないからな。
まず、この世界は多分俺の夢なんかじゃない。夢だと思いたいが、ところがどっこい現実です。俺は本当に涼宮ハルヒに導かれてここにいる。俺がいくら涼宮ハルヒシリーズの熱烈オタクだったにしても、ここまで町の細部を再現できるとは思えない。ここは、ハルヒの世界だ。俺を呼びつけた、ハルヒの世界。
その証拠に、男装女子などという属性を持ち合わせていなかった俺のことを、こいつは全然諦めてない。なぜここまで懐かれているかはさっぱりわからないが、長門の言うようなスペックが備わっていたとすると、まあ便利な一般人枠その2くらいには入るんだろう。
となると、俺はそう簡単には自宅に戻してもらえない。ハルヒが満足するまで、飽きるまでは、当面ここで生活していくしかない。
そこで頼みの綱の長門だが、おそらくあのマンションに俺を住まわせる気はない。朝倉が俺を監視し始めていることからも、それを予期していたことからも。傍にいられれば心強いことこの上ないが、それじゃ長門も休まらないだろう。
で、そこから長門の今朝のセリフを洗いなおす。今晩「おかえりのハグはしない」っていうのと、それから「今日一日分の情報操作をしたわけじゃない」っていうところにチェックマークを入れる。チェス盤をひっくり返せば、それは「あの家には帰らない」「しばらくこの学校に通う」ことを示している、とも取れる。
この辺りの裏付けは、昨日の長門の長台詞にも表れていた。穏健派の長門が俺に期待しているってことなら、急激な変化を求めているわけじゃないからな。長い目で見て、緩やかにハルヒを変化させる、俺のアクションを待っているってところか。
じゃあ長門に別の家を契約してもらえばいいかと言うと、そうもいかない。朝比奈さんに頼んでもそれは変わらない。何故なら、無力な俺が一人暮らしをすることは、朝倉と同じマンションに住むことよりも数倍危険だからだ。
そもそも、監視できないような場所に俺を置くことを、どの勢力も許しはしない。その分人手が必要になって大変だろうから、俺もわざわざそんなことを望むつもりはない。古泉も寝かせて欲しいらしいからな。
ハルヒは俺を引っ張ってアクセル全開でまっすぐ廊下を進んでいき、1年9組の前でブレーキをかけた。そこで俺の思考にも急ブレーキがかかる。考え事はそのまま壁に正面衝突して大破。見る影もない無残な姿になった。
ハルヒが笑顔だと楽しい? 前言撤回。嫌な予感がする。
「古泉くん、ヒカリ。連れてきたわよ」
「おや、涼宮さん」
「なによもう、しゃきっとしなさい。あたしが手伝ってあげてるんだから」
「大変心強いです」
俺はハルヒにどん、と背中を押される。9組の利発そうな生徒たちが、こちらを見てなにか内緒話をしているみたいだ。
古泉はわざとらしく深呼吸をしてみせた。そして、あろうことか俺の手を取った。
「覚えていますか? ヒカリくん。今も変わらず可愛らしいんですね。僕は昔、隣に住んでいた古泉です。よく一緒に遊びましたね」
「え、こわ、なに」
「覚えていただけていたら嬉しいな。先ほどはあなたが好んで食べていたものを贈らせていただきました。やはり、そういうところは変わっていませんね」
なんだこいつ、存在しない記憶を語り出した。可愛らしいってなんだ。何を言ってるんだこいつは。なぜ俺の手を握ったまま話しているんだ。こっちは食べ物を持っているんだから、振り払えないだろうが。
俺の手にあるのはどら焼きだ。俺の好物だ。そのどら焼きに関してハルヒが念を押してきたということは、既にこの話は二人の間で終わった後なんだろう。今更、俺がなにを言ってもハルヒが信じるとは思えない。初動で出遅れた感が否めないんだが。いや、手を離せ。なんだこいつ顔が近い。
嫌な予感が、コンサートの舞台みたいにせり上がってくる。
「いいわよ古泉くん。いい感じよ、照れてるわよ脈ありよ!」
「まだ、約束は有効だと信じています。実は僕、あの時は女の子だと思っていたんですよ。ですが、それでも構いません」
まるで告白みたいなことを言う。ハルヒが俺たちの間に見出した関係性が、まさか恋愛だとでも言うんじゃなかろうな。それで俺を女だと思ったのか?
いや、それだと時系列が合わない。古泉は昼休みに、ハルヒと会って何か言われたのだ。こいつはハルヒのイエスマンだから、それを現実のものにしようとしている。順番で言うと、その後俺と中庭で会ったのか。
「さっき、中庭でもいい感じだったしね」
「おや、ご覧になっていらしたんですね」
──、嵌められた! 古泉は納得したフリをしていたが、端から俺と接触しているところをハルヒに見せるつもりだったのだ。ハルヒが俺と古泉に関連性を見出すことも予定調和。機関に引っ張り込むための下準備はとっくに終わっていたんだ。
予めどこからか得ていた知識で俺の好物を用意していたからこそ、ハルヒが俺を女だと思っていると知ってあの時「都合が良い」とそう言った。いや、この話がうまく行きすぎている感じはなんだ? 引っかかる。
むしろハルヒに対して俺との印象を古泉がうまく操作していなきゃ、ここまでとんちきな流れにもなるまい。どこからお前と踊っちまってたんだよ俺は。
「運命だとは思いませんか?」
「思わん。知らん、お前なんてまったくわからん。見たことも聞いたこともない。古泉? そんな名前のやつが転校してきたらしいな、くらいだ」
「でも、僕の字が汚いことを、ご存じでしたよね?」
「……なんのことやら」
「本当は、思い出しているんでしょう。僕のことを」
「なっ、」
一流の探偵のような顔で古泉は俺を追いつめる。胸元から万年筆のようなものを覗かせて。まさかそれレコーダーか!? さっきの会話、録ってやがったのか!
何手先にも回られて、俺は逆転裁判の容疑者でもここまで大げさに慌てふためかないだろうというボロを出した。お前、カードゲーム弱いって嘘だろ絶対。山札なくさせるタイプのデッキ使ってんだろ!
「やはり運命だと思います。まったく同じ日に転校してきて」
古泉は目を細める。
「……まったく同じマンションに引っ越してきた」
「は、はあ? 一緒じゃねえよ。なに言ってんの?」
「僕も表札を見てまさかと思いましたよ。帰って見ていただければわかります。隣なんですよ、僕たち」
よくもそんなべらべらと!
古泉はスマートフォンを取り出してこちらに向ける。おそらく超特急で機関が用意したであろう、マンションの表札が納まった写真を証拠として提示する。
この状況になってしまったら最後、既に打つ手はない。しかも、ちょうど住処に困っていたところだ。ある意味渡りに船ではある。
あるんだけど、お前しばらくずっと俺に片思いみたいなめちゃくちゃな設定で過ごすことになるんだぞ。いやだろ? 俺はいやだ……! いやったらいやだぞ!
「こんなことが偶然で起こりえるでしょうか?」
「いいえ、ありえないわね。絶対ない。まあ、そんなことだろうと思ったのよ。どうせ古泉くんは長いこと言い出せないまま引っ越ししちゃったとかなんでしょ? あたしの見立て通りよ。びびっときたのよ」
「ええ、まさか当てられてしまうとは驚きでしたよ」
こいつらーーーー!
昼休みに9組を訪ねたハルヒは、突然古泉に「あんたヒカリのこと好きでしょ」などと捲し立てたに違いない。どこからそんな腐った電波を受信したのかは知らないが、元々俺を勧誘する気だった古泉はそれに乗っかって一芝居打った、ということなんだろう。
その一芝居が二芝居にも三芝居にもなり、お前と俺の身を亡ぼす。わかってんのか古泉。わからんのか貴様おい。
「古泉、悪いことは言わんから考え直せ。多分人違いだから。俺男だし、多分お前が気になっていた人は女だよ。俺とお前は今日初対面」
多分っていうか、お前の好きなやつはハルヒだろうから、確実に女だよ。
「もう一回探し直してみろ。な?」
「いいんじゃない? 周りがなんて言おうと、相手が男だろうとね。こうと決めたら貫くべきよ。あたしもちょうど、BLとか足りてないんじゃないかなって思ってたし。喜びなさい、古泉くん。神はあなたに味方したわ」
そうだな。お前という神がな。欲望駄々洩れだなこの神。絶対こいつなんかの漫画と間違えて同人アンソロ買っちゃっただけだぞ。これは偏見だがすぐに終わるよそういうイナゴムーブのオタクブームってのは。明日にでも飽きてるかもしれん。
ハルヒのことはよく知ってるんだろ? だから、そんな胸が痛む動作を大げさにするな。マジでちょっと可哀想に思える。いやわかるよ。お前だって好きでもない奴とそんなの嫌だよな。俺も嫌だからわかるよ。
「いえ、間違いありません。良かった。またヒカリくんとこうして話せる日がくるなんて。知り合いじゃないことにされていても構いません。昔の約束ですから、反故にしたい気持ちもわかります。僕はあなたとこれからを過ごせるというだけで、振り向いてもらえるまで頑張れます。これもすべて、涼宮さんのおかげです」
てめー、なに泣きそうなフリしてんだよ。9組の女子たち感動しちゃってんじゃねえか。人を腐女子にすることがどれだけ大罪かわかってんのか?
ていうかちょっと面白がってるだろ。危なかった。絆されかけたわ。
「あたしにかかれば、ざっとこんなもんよ。あたしは恋愛なんて興味ないけどね。まあ、わざわざ団員の邪魔はしないわ。ただ、分別は守るのよ。あたしの団に入るからには」
「ええ、ありがとうございます」
「ハルヒ、俺はちょっとこの設定は無理あると思うな」
「まあでも、この通りヒカリは素直じゃないからね。がんがん、アタックしていきなさい。あたしも助け船くらいは出してあげるから!」
「俺の話一個も聞かねえよなお前」
はい、と古泉はお行儀のよい生徒のように頷いた。俺はというと明後日の方向を見てFXで有り金溶かしたような顔をしていた。拝啓おかあさん。俺はいきなりホモになった。なにを言ってるかわからねえと思うが俺が一番わからねえ。やっぱりこれ、夢ってことにしてくれないかな。
起きたらルート分岐前のセーブから始めたいんだけど、俺って最後にどこでセーブしたっけ。わかるやつがいたらDMでこっそり教えてくれ。
ああ、イチからやり直したい。むしろ、ゼロから!