あるフリーターの憂鬱Ⅰ
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古泉一樹。笑顔を張り付けた文武両道爽やかキャラ、というのがこいつの立ち位置だ。
加えて、俺は意外にも古泉が熱い部分を持つ男だということを知っている。多分、嫌なやつじゃないということも。けれど、同時に今という時間や地球という場所に外側から干渉する相手を快く思っていないんじゃなかったか。邪魔者、という意味では、俺も該当しそうだ。
どうだろう。今の古泉はどこか露悪的でさえある。果たしてそれは誰のせいかと言うと、恐らくは俺のせいだ。パワーバランスがそうさせている部分もあるだろう。
宇宙人サイドになったつもりはないが、最初に俺を保護したのは長門有希である。どこの派閥にも属していない俺は、今のところは長門預かりの拾い子扱いなのだろう。それで、機関は古泉を使ってわざわざ長門と接触したのだと推察できる。
機関はハルヒがとんでもない存在であることを知っている俺という危険分子を放置するわけにはいかない。それどころか、味方に引き入れてうまく操作することを望んでいる、といったところか。
疑問なのが、こういったアクションを古泉はキョンに起こしていない。同じ一般人枠にいるがハルヒに選ばれたキョンよりもつまり、長門の言うイレギュラーである俺の懐柔を重要視している。そこのところは、やっぱり古泉と同じ日に転校してきてしまうなんていうアクシデントを起こした厄介者だからか。しかし、そうすると疑問その二。
では、長門はなぜわざわざ俺を今日という日に学校へ連れてきたのか。別に明日でも明後日でも良かったはずで、それが今日なのにはきっと意味がある。長門にとって利益があり、古泉にとって損害があるのが今日なのだ。この関係と感覚の違いが状況の引き金なんだろう。それって俺のせいか? とも思うが、長門曰く存在するだけでダメらしいので多分俺のせいだ。全部俺が悪いのか……俺の俺の俺の……。
どうでしょう、とテレビ番組の司会者みたいに微笑む古泉に、袋小路の思考から戻った俺は悩む仕草をしながら告げる。一生懸命頭が良さそうに振舞ってみるけど、だいたいこういうのって本当に頭がいいやつにはバレバレなんだよな。
「即答はできない」
「まあ、そうでしょう。ですから、あなたにとってのメリットを提示させてください。まず、衣食住の保証。もちろん、自由に趣味などに活用して余りある程度の金銭を融通します」
「いきなり金の話とは随分ビジネスライクだな。なんだか逆に身構えてしまうのだが」
「おや? その方がわかりやすいかな、と思ったのですが」
「俺ってそんなお金大好きに見えるのかよお金は欲しいですごめんなさい」
「それから、交通手段も提供させていただきますよ」
「無視だよこいつ」
「そして最後に、これがなにより大きな交渉材料です。安全の保障。どうでしょうか。どれも、今のあなたには必要なことかと」
「いやそれ結局脅しじゃねーか」
はて、という顔を古泉はする。しらじらしい。機関に入らないなら安全は保障しないってことと同義じゃないか。とぼけてみたけどのってこないし、思ったよりも血なまぐさい話になってきて俺は唸る。
古泉たちは、閉鎖空間内限定の超能力者である。日常生活では一般市民と変わらない。しかし、それが脅威になりえないというのは早計だ。彼らは徒党を組んでいるし、なによりハルヒを神様だと考えて、刺激しないことを目的に掲げている一枚岩の集団だ。たかが十人程度の小規模組織と侮り、もしも俺が無力だなんて知られると、どこか遠くの山奥にでも捨てられかねない。十人もいれば人一人くらい簡単に誘拐できそうだしな。
俺にとって一番問題なのが、古泉さえ揃えばSOS団が完成する今の状況で、俺が消えようが死のうがこの世界にはなにも問題がない、ということだ。もしかしたら、何かしらの才能の開花を期待してくれている長門辺りは助けてくれるかもしれないが……悲しいかな。あそこはあそこで過激な派閥がある。
ていうか、古泉って15、6歳なんだよな。なんか気に入らないな、子供にこんなことさせて。これなら普通に帰り道に大人が俺を車に押し込んで問い詰めてくれる方がよっぽどいい。断然怖いけど、その方が気楽だ。
「まさか。なにも戦闘に参加してほしいと要請しているわけではありません。どうやら神人を狩る能力をお待ちではないようだ」
「なぜそう思う? お前と同じ力でなくとも、神人と相対できるとは思わないのかな?」
「こればっかりは、わかってしまうとしか言いようがないのですが……信じてもらうのは難しそうですね。我々があなたにお願いしたいのは、神の機嫌を損ねないこと。それでいくらかは、僕たちが健やかに眠れる夜もあるでしょうから」
ここに来て情に訴えてくるか。さすがは影のスポークスマンだけあって、敏腕だ。
「嫌な言い方ばかりするんだな。良心の呵責は感じるが、それも二つ返事とはいかない」
俺は古泉の「なぜ」を待つ。そうして、こっちの話したいことを話せるようにしなくては向こうのペースのままだ。そして、こいつの言葉に返事をしているだけじゃ、この会話は平行線になるような予感がしている。
「それはなぜでしょう」
「なにせこっちは転校初日に教室で服を脱がされてるんだ。そうなんでもかんでも許容はできない。ハルヒがあんまり危いことをしようっていうならば、例え俺が部外者でも止めるつもりだしな」
「それは……」
「まだ喋ってる。そりゃ俺だってあいつが毎日爽快最高笑顔、楽しく元気で健康第一、いつでもご機嫌大満足ってのが理想だよ。そこはお前と一緒だと、俺は思ってる」
古泉は苦笑して「なるほど」とそこは簡単に引き下がった。さて、情報戦を得意とする筈の俺は、一体どうやってこいつを説得──基、機関の納得のいく答えを導き出せるのだろうか。
おそらく、ただ首を縦に振らせるのが目的ならこんなやり方はしないはずだ。すぐさま「はい、機関の味方をします」と簡単に言ってしまうことの方が、寧ろ俺の不利益に繋がる気がする。
それから、俺を知ってるにしちゃ交渉方法がナンセンス極まりない。もっと助けを求めるようにされる方が、俺は断りづらいからだ。となると、機関は俺の性格までは把握していない、ということだろうか? うーむ、案外聞きたいのは俺の真意で、求められているのは誠実な対応……なのかもしれない。
「涼宮さんはあなたに随分ご執心のようですね」
「どうかな。女子じゃないとわかったのだから、そろそろ飽きるかもしれない。そうすると古泉たちにとっても用なしか?」
「それこそ、僕には現状判断できませんね」
これはハズレだ。一度関わった俺が、今更ハルヒの興味対象外に出たところで監視対象には変わらないってことらしい。それはそれでしょうがないところもあるのかもしれないが、おちおち一人で出歩けなくなりそうだな。
「ただ、俺はまだ会っていない人もいてな。だから現状どこかに味方しますとは言えないよ」
「どうしても?」
「例え脅迫されても誘拐されても、答えは変わらない……つもりだ。拷問とかは嫌だなあ。うーん、できる限り変わらないつもりではいる。いやあ……わかんないけどね。しないよな?」
「義理堅い方なんですね」
「まさかそれも聞いていたんじゃないだろうな」
古泉は眉を下げて肩を竦めた。こいつ、やっぱり頭がいいな。未来側に面倒なやつ認定されるだけはある。多分、何も言わなくても大抵のことは俺の態度から察しているに違いない。
ならせめて拷問しないかどうかだけちゃんと答えて欲しいんだけど、それもはぐらかされた。仲良く楽しく遊ぶ若者たちを眺めたいだけで、どうしてここまで怯えないといけないのだろうか。
一体古泉のやつは幼気な俺から何を引き出そうとしているのだろう。わからないので、とりあえずまっすぐストレートを放っていこう。
「まあ、最終的にどこにつくってつもりはないよ。俺は究極ハルヒの味方だ。それはつまり、別にお前の敵じゃないってことになる。もちろん、長門たちにとっても。お前らがバチバチしていようと、関係なく困ってるところに手伝いに行く。それで、ハルヒがやりたいことを陰ながら応援するつもりだ。できる範囲で」
「なるほど、あなたもまた涼宮さんを気に掛けている、と」
「あなたも、ってのは古泉もって意味?」
「どう受け取っていただいても構いません」
古泉がキョンに愚痴を零す場面を読んだことがある。本当は自分だってへらへら笑っていたくなんて、ないと。ここは大人の俺が話の主導権を握って、うまい方向に誘導していく必要があるだろう。
「それにさあ、周囲がピリピリしていたらそれこそハルヒの機嫌によくなさそうじゃないか。そういうことに関しては、やたらに気が付くやつだろ。まあ、いやそこじゃねえよもっとあるだろ、って感じなんだけど」
「よくご存じで」
そう笑う古泉の顔は、先ほどとは打って変わって出来の悪い妹を見るような温い笑顔だった。そうなんだよ、お前も俺もハルヒが好きなことは変わらないはずだ。ヒリつくのはよそう。それがいい。
あ、もしかして。これって俺が男だから警戒されているだけだったりするのか? ハルヒにちょっかいをかけて、不機嫌にさせて、仕事を増やすんじゃないか、なんて。
古泉からすれば個人的な感情もあるのかもしれない。三年も守ってきた女の子だ。ぽっと出の男に取られたくないなんて、そんな可愛らしい感情も付随しているのかもしれない。まあ安心しろ、ぱっと見た限り、この学校内ではお前の顔が一番整っているから。顔はな。
「お前も大概ハルヒが大好きだな」
「それは、あなたもという意味に受け取ればよろしいのですか?」
「ご想像にお任せする」
古泉は妙に演技っぽい仕草に戻って、顎に手を当ててポーズを決めた。
「いやはや、長々とすみません。ここまでが上の用意した台本です」
「納得のいく答えだったか? あまり俺を苛めてくれるなよ。不登校になっても知らないぞ」
「それはもう。報告書をまとめる上でここまで体裁の整う答えはなかなか頂けない、というほどに。不登校は……勘弁してほしいな」
「そりゃよかった。機関のみなさんによろしく。明日もどこかで会えたらいいね」
「僕としては、あなたとはいい戦友になれそうな気がしますよ」
「あー、いい、いい。そんなのにならなくて。同じアイドルの推しなんですね、くらいの関係で。お前面倒くさいもん。いい奴なんだろうけど」
古泉は見たこともないきょとん顔をして、それから小さな紙袋を俺の前にぶら下げて、また営業スマイルをする。なんだ今の顔。
「いえ、これで確信できました。あなたは、間違いなく涼宮さんの関係者として名を連ねる人だ。これはお近づきの印です」
顔が近い! あと話が長い! お昼休みが終わっちゃうじゃないか、まったく。しかしまあ、犠牲の価値はあったか。一応古泉と冷戦状態に入らずに済んだのだから、俺にしちゃ御の字だろう。
古泉は身を屈めてひそひそ話でもするように顔を近づけた。強引に、俺の手に菓子折り袋らしきものを持たせる。これって結局のところ、買収なんじゃなかろうか。もしも機関が俺の中身が女だということを知っていれば、確かにこの顔のいい男に交渉させるのは妥当な判断だ。俺がキョンくん派だという部分だけ見誤ったな。うわこの男めちゃくちゃいい匂いする。
古泉はさらさらの髪を風に靡かせた。むかつくほどいい笑顔で、俺に押しのけられる。
「近い近い、お近づきってそう意味じゃねーよ。頭いいなら知ってんだろ」
「いえ、それは初めて知りましたね。いい勉強になりました」
「嘘つけ」
「ふふ。それではまた、放課後に」
そう言い残して、古泉は片手を挙げて無駄に爽やかに去っていく。放課後って、まさか後でまた激詰めされるのかな。誘拐なんて軽々しく口に出すんじゃなかった。
老舗っぽい紙袋を開いて中を見る。箱をひらけば、ふっくらとしたどら焼きが六つ納まっている。俺が和菓子好きだなんて、どうやって機関はそんな情報を入手したんだろうか。まったくもって謎だった。