あるフリーターの憂鬱Ⅲ
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咽る俺の背中をさすった古泉は、すっかりいつもの調子みたいだ。どういう意味だという俺の視線に清々しい笑顔を返す。なんだろう。わからないが、俺はなにか、とてつもない地雷を踏み抜いた可能性が高い。
どうして古泉が俺に告白なんてしてくるんだ。それも、ハルヒが見てもいないところで。
「もう一度言いましょうか。詳細を話す方がいいかな」
「い、いい。とりあえず一回黙ってくれ」
いつものように流したりツッコミを入れたりするタイミングを完全に見失ってしまった。というか、古泉がここまではっきり言葉にしたのは初めてな気がする。それっぽい言葉は何度か聞いていたが……まさか、いや、まさかだよな。そんなわけ。古泉はハルヒが好きなんだ。そんなわけ。
俺は記憶の引き出しを開けたり閉めたりしながら、会話を微妙にずらす。横に座る古泉はテーブルの上で軽く手を組んでいて、なんとも余裕そうに見えた。
「えーと、とりあえず一回、保留していいか。その、気になることがあって」
「構いませんよ」
「直球で聞くが、お前……ハルヒのことが好きなんだよな」
「ああ、そのことですか。ずいぶん気にしているみたいですが……まあ、本当のことを言えば近しい感情を持っていたこともありますよ」
古泉は、まるで自分の話ではないようにコメンテーターばりの口調ですらすらと客観的に語る。もしくはドキュメント映画の主人公が回想でもするみたいに、軽い身振り手振りを伴って。
俺が身体を傾けると、古泉も身体を傾けた。背後を取られたくないってことは、冷静ってわけでもないのだろう。どんなに演技が上手くても、汗や涙まで自在に操れる俳優は一流だけだ。その点、こいつは冷や汗が首の後ろに出るという存外にわかりやすい性質を持っている。
「もしかすると、あなたの知っている僕は“そう”なのかもしれません。でも、逸脱事項でしたっけ? そういう事象としてまとめられたくはないですね。個人の感情ですよ。関わる人間が変われば当然のことなんです。それに、これは僕に限った話ではありません。朝比奈みくるにどう説明を受けているかはわかりませんが、あなたがこちらの世界に参入してきたことを喜ばしいと感じている人間は多いと思いますよ。でも、それ故にあなたの余所余所しさが気にかかることもあります。キョンくんや、涼宮さんには特にそうでしょう」
「う……」
心当たりはある。朝比奈さんは「俺がハルヒは気を遣うと気付く」って言ってたし。キョンに関しては、推しなので冷静になるのは難しい。
「あなたと接していると、時々“テレビに話しかけている”ような、もしくは“本を読んでいる”ような態度を取られている気がするんですよ。そこに寂しさを感じないと言えば嘘になります。だから涼宮さんは言っているんでしょうね。ヒカリくんは“近所のお兄さん”ポジションなどではないと」
「それに関しては反論するけど、お前だって傍観者的態度を取っているぞ」
黙りやがったよ、こいつはよ。でも、相変わらず痛いところを突いてくるやつだ。本当に大抵のことはバレてしまっている気がする。わざわざ強調している辺りが赤字で言われているみたいな気分になるよ、まったく。
「……まあ、そうかもしれません。改めましょう。しかし、あなたの硬くなな言動にはやはり問題がありますよ。なにしろ、あなたは態度に出やすいですから。多分、涼宮さんは今後もっと不機嫌になるでしょうね。なのでまあ、隠すのが不得手なら、いっそ晒してしまったほうがいい。この際僕のことは置いておいて、ご自分の気持ちを優先しても構いません」
こいつ、やっぱり俺の気持ちを知ってるじゃないか。それで、なんで俺が好きだって言ってるのに俺を応援するみたいに、そんなに俺のことばかり考えてくれるんだ。いや、好きだからか。好きなの!? え!? なんで!? うう、乙女ゲーやギャルゲーでしか告白なんてされたことないぞ。どうするんだこういう時は。攻略サイトはどこだ。
「俺のって……いや、ハルヒは俺とお前をくっつけたがってるのに?」
「本当にそうでしょうか」
「なんだよ。じゃあ違うとしたら。俺がお前にその、返事をしたらハルヒは怒るのかよ。個人の感情なんだろ。それっておかしくねえか」
古泉は形容しがたい顔をして、コーヒーを小さなスプーンでかき混ぜる。こっちも変な汗が出て来た。
「あなたが押し通したことを涼宮さんは否定しませんよ。最初に言っていた通り、団員としての分別があれば。勿論、あなたが今僕を選ぶとは……まあ、思っていませんし、本当はこんなに早く言うつもりもありませんでした。返事は正直なくても構いません。ただ、自分がこの世界に来なければなにも問題が起きなかったのだと……そう思わないで欲しいんです。自分が来たせいで事態が良くない方向に転がっているのだと、思い詰めないでください。少なくとも僕は自分に起きたこの変化を、悪いものだとは思いません」
「……じゃあ、今まで通りってこと?」
「ええ。変わりません。涼宮さんの前でも最初から宣言してますから。あなたに振り向いてもらえるように頑張ると」
「振り向いてもらえるように?」
「はい、頑張ります」
「なにガッツポーズしてんだよ。全然状況が違うだろ。って、そろそろ出ないとな」
俺が立ち上がると古泉も立ち上がる。なぜかカバディのようにじりじりと距離を取って見合ってしまい、まったく支度ができない。今まで通りってなんだよ!?
「いやこれ絶対ハルヒになにか勘繰られるだろ。やばい、どうする?」
「それならそれで喜ばしい事態ですね。まあ、起きてしまったことはどうしようもありません。力を合わせて解決しましょう」
「おーい、随分余裕だな。こういう時お前はもっと焦ると思ってたぞ」
「僕も、あなたはもっと冷静だと思っていましたよ。さて、例のオブジェのケースは手配してあります。途中まで僕が運びましょう。両手が塞がっている方があなたも安心でしょうから」
握手を求める古泉に威嚇しながら、俺は部屋にオブジェを取りに戻った。そして理由もなくでかいぬいぐるみに一度飛びついた。いや、あいつ優しいな。いつものノリをやろうとしてくれているのは流石の一言だ。高校一年生が同性に告白するのはさぞ勇気がいったことだろう。それを、大人の俺が一旦横に置いてしまうなんて、情けない。
それに、こいつが告白してきたことで、俺は機関を信用せざるを得ない。古泉が総統だったとするなら、尚更。きっと俺の命は保障されている。そして、古泉という男は意外にも義理堅い。SOS団の仲間のためには尽力を惜しまないやつだ。多分、俺のことにも色々協力してくれる気でいるんだろう。
そのために、それを信じてもらうためだけに恥を捨て去らせたのなら、悪いことをした気もする。
ウニみたいなオブジェを持って戻ってきた俺を古泉は爽やかすぎる笑顔で出迎える。いや、こいつがそんなタマか。ちゃんと自分の得だって勘定に入れているに違いない。でも。
「古泉」
「はい」
「ありがとう。するよ、返事。いろいろ、整理しないとだけど」
「……はい」
ああ、くそ、幸せそうな顔しやがって。こいつも照れることあるんだな。
俺たちは古泉が手配していたらしいタクシーに乗って、校門まで一直線で向かった。オブジェを運ぶ大義名分もあることだしな。隣に座る古泉は随分機嫌がよく、鼻歌でも歌い出しそうな程だった。そういえば昨日のカラオケでも歌はうまかった。まあ、中の人のことを考えるとそれはそうなんだが。
上履きに履き替えていると、キョンが後ろから「はよ」と声をかけてくる。シャツのボタンは二つ開いていた。たしか、アニメでは一つしか開いていなかったはずだけど。
いやいや、古泉や朝比奈さんの言う通り、こんな差異を気にするのは俺くらいのものだろう。そして、さすがにこんなことが大事件に発展するとも思えない。俺は一段上がり、彼に返事をする。
「おはよう、キョン」
「おはようございます」
「本当に持ってきたのか、それ」
「涼宮さんにそう頼まれてしまいましたからね」
「涼宮、涼宮。お前たちはそればかりだな」
古泉は俺の顔を見る。俺が首を傾げると、くすりと笑みを零しながらオブジェの収まったケースを手渡してきた。
「そうでもありませんよ」
「……お前な。あ、弁当」
「ああ、いつもありがとうございます。今日も楽しみです」
「お前好きなものとかないの? わかれば入れるけど」
「ああ、ちょっと……お弁当箱には入らないかもしれませんね」
「お前な!!」
弁当屋の看板店員みたいに弁当箱を掲げた古泉が苦笑して去って行く。唸る俺の頭をキョンが叩いた。
「入口で夫婦漫才するな」
「め、夫婦じゃない! キョンまで変なこと言うなよ!」
俺は大仰なガラスケースを慎重に運ぶ。教室内にこれを置く場所は掃除用具入れくらいしかないので、仕方なく自分の机の上に置いた。これじゃ授業中困るな。なんて考えていると、鞄を机の脇にかけたキョンが自分の机に寄りかかる。
「どうすんだ、それ。今から部室に置きにいくのか?」
「うーん。そこまでの時間はないな」
「なら床にでも置いときゃいい」
「やだよ。ハルヒに怒られるじゃないか」
キョンは「ったく」と悪態をついてガラスケースを持ち上げると、掃除用具入れのバケツを降ろしてその上にケースを配置する。うわ、なんかそんなみんなが見えるところに置いたらちょっと恥ずかしくない?
「これでいいだろ」
「あ、ありがとう……」
今日もファンサがトップスピードで繰り出される。頼れる男を見せつけるな……ただでさえ今混迷を極めているのに。
古泉のあの言い方じゃ、あいつも俺の気持ちに気づいているんだろう。なら、尚更言いにくいことだったろうに。俺はあいつの誠意にどう答えればいいのだろう。たった五日で人を好きになることを疑うつもりはない。でも俺は、あまりにも長くキョンに焦がれすぎた。
俺がこの世界に来れば人間関係が変わるのは当然……か。それはそうだけど、わかりきっていることだけど、改めて言われると飲み込める話だ。
ていうか、ハルヒに隠すくらいならいっそ素直になれって、それ本気で言っているんだろうか。あ、思い返したらさり気なく下手って言いやがったな。古泉のやつ、後で怒ろう。
キョンは俺の方をうんざりしたような顔で見ながら着席し、下敷きで首元を仰ぎ始める。
「お前、なんだってこの暑いのにカーディガンなんざ羽織ってやがる。だいたいそれ、学校指定のじゃないだろ」
「うーん。服は分厚いほど防御力あがるし、一枚でも多く着てるほうが脱がされる時抵抗できる。あとふわふわだよ」
俺は北高指定じゃないカーディガンを羽織っていることがある。少し大きめのサイズで、古泉曰く機関が用意したキャラ付けみたいなものらしい。ハルヒは俺を後輩系ショタにしたいらしいからな。まあでも、素材は気持ちいいので気に入っている。
「ふわふわ、ね。ハルヒ対策も大変だな」
言いつつ興味はあるのか、キョンは袖を摘まんでいる。キョンの口からふわふわって単語が出るの、いいな。くっ、めっちゃいいな。スパチャ送れるようにしてくれないかな。
頬杖を突いたキョンが、じと目で俺を眺める。袖だから致命傷で済んだが、握られたのが指だったら危ないところだったな。
「……高そうだな」
「実は……高い」
ふん、と鼻を鳴らしてキョンは袖を摘み続けている。いや、ほら、気持ちいいんじゃんキョンだって。まあでも癖になるよな。わかる。俺もよく頬に当ててる。冬になったらもこもこのルームウェア買おうかな。
家なら何着てもいいだろうし。さすがにハルヒや古泉や朝比奈さんがいいって言おうと、外で女装するわけにもいくまい。
「昨日のぬいぐるみも触り心地良かったな。埋まって寝れた」
「そいつは良かったな」
「うん。あ、これほっぺに当てるともっと気持ちいいよ」
摘ままれていない方の袖をキョンの頬に当てると、少し驚いた顔をして頷く。そのまま、もす……もす……と当て続けると、だんだん微妙にむず痒そうな顔になっていくキョン。敏感肌なのかしら?
「まあ、たしかに。机にうつぶせて寝るのに良さそうだが」
「……だが?」
「お前もいい加減俺に慣れたな。暴露話をする条件がそれだったのか?」
「ひえっ!?!?!?!?!?」
「声がでかい」
頬に押し当てていた手をカーディガン越しに掴まれる。一緒に心臓ごと握られたみたいに、息が止まった。布越しとはいえ、推しに手を握られるのは二回目だ。こんなラッキーハプニングイベントがぽんぽんと起きるなんて、突然ですが現実ってヤバくないですか?
あーっ! 困りますお客様困ります。違うんですこれは態とじゃないんです。そうだよ、俺、なに気軽にキョンに触ってるんだよ!? 俺は勢いよく椅子ごと距離を取る。しかしキョンは俺の手を掴んだままなので上半身は倒れていき、交際を申し込んでいるようなポーズになる。違うんです!
「ちが、これは……通報しないでくれ……! 妻も子もいるんだ! いないけど……!」
「気のせいだったみたいだな」
溜息を吐いてキョンは俺の手を離した。まずい。犯罪だ。いや、よく考えたら古泉も犯罪じゃないか。どうする……? 俺、古泉に年上って言ってないしな。全部話したらショック受けちゃうんじゃないだろうか。
ちらと横を見ると、キョンは笑いを噛み殺しているようだった。もしかしてキョンも気づいてて俺で遊んでるってことはないよな?
「おーい芦川。お前俺のこと置いていきやがったな」
「おはよう。やー、暑いね」
谷口と国木田も登校してくる。
「なんかお前ら顔赤くね? なにがあった、吐け!」
「ううううるさい! ていうか、置いていったってなんだよ」
「あ、そうだよ。お前タクシーで優雅に登校してたろ。俺も乗せろって手振ってたのによお。なーんか古泉と楽しそうにしてやがって、無視すんな!」
「しょうがないだろ。ハルヒに言われてアレを運んでたんだ」
掃除用具入れの上を指差す。谷口は訝しげ。国木田は笑い出す。
「おいおい芦川よお、とうとうお前もおしまいだな。ありゃなんだ? まさか宇宙と交信する道具だとか言わねえよな」
「うわー、すごい形だね。何でできてるの?」
「知らん」
「宇宙? そんなものでたまるか」
既に長門からの告白を受けているキョンは顔が引きつる。しかし、哀しいかな。ぶっちゃけ谷口の言う通りである。
「涼宮が拾ったらしい。土曜にな」
「ふうん、本当。面白い形ね」
「朝倉、おはよう。悪い。後でちゃんと部室持っていくから置かせて」
「おはよう。ちゃんと片付けてくれるならいいけど。あ、ねえ昨日、ボウリング場であなたそっくりの人を見たの。見間違いかと思ったんだけど」
気配もなく朝倉が背後に立っていた。忍びかよ。当然、彼女もあれがなんなのかわかっているはずだ。俺が返事をする前に、ハルヒが谷口たちを散らして席に着く。
「なに? 昨日どっか行ってたの?」
「うん。男子親睦会。キョンと古泉は探索でなにも見つけられなかったからね。俺の生きざま? 背中? を見せてやってたってわけ。俺ボウリング超うまいんだよ」
「わけわかんないこと言ってんじゃないわよ。まあ、あんたならボウリングくらいできるでしょ。いいからさっさとこれに着替えて」
やっぱり、ハルヒは俺をそれなりにボウリングができるやつだと思っていたみたいだ。そして、ハルヒが差し出した紙袋の中に入っていたのは女子の制服である。
「ホワイジャパニーズピーポーなのだが」
「ジャパニーズもスパニッシュもないのよ。あんた、見てて暑苦しいの。さっさと着替えなさい。大変だったんだからね、卒業生からもらうの」
いや、マジでなんで女装をする流れになるんだ。そのフラグどこにあった。回収した覚えがないんだが。まさか土曜にワンピースを着なかったから、とか言うんじゃあるまいな。
ハルヒは不機嫌を煮詰めてギリギリ沸騰していない鍋みたいな表情で俺を睨んだ。いや、まあ一回は着てみたいと思ってたらけど。まさかこのタイミングとは。家コスとかで良かったんだが。兄貴が持ってるし。
「着替えないって言うなら、あたしが手伝ってあげてもいいわよ。そうしたらズボンとか窓から捨てるけどね」
なんだってこんなに機嫌が悪いんだ? 土曜にオーパーツだって見つけたのに。それが原作通りだからか? だったら、全然俺の存在なんてハルヒに影響してないじゃないか。いや、でも原作よりも閉鎖空間発生のスピードは早い。つまり、原作よりもハルヒは憂鬱なのだ。涼宮ハルヒの超絶怒涛憂鬱。売れなさそうなタイトルだな。
「キョン、なんかうまい言い訳考えておいてくれ」
「俺かよ」
俺はトイレに向かうため、本気のダッシュで教室を飛び出した。朝倉が「廊下は走らないの」と後ろで呆れていた。