あるフリーターの憂鬱Ⅱ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
遠く聞こえる目覚ましの音を止めようと手を伸ばす。
その手がなにかもふもふとしたものに触った気がした。一時期、我が家でさらさらの毛並みの犬を預かって一緒に寝ていたことがあったな。思わず引き寄せる。撫でるとさらさらとしていた。
あのご夫婦、また旅行に行く時にでも預けてくれないかなあ。朝起こす時乗っかってくるのが可愛いんだよな。猫はいずれキョンくんの家に行って撫でる機会もありそうだから、そっちはそれまで我慢しよう。
「んー、わかった。起きるって。よしよし、暴れるな」
腕の中でもがきだした犬の背中をとんとんとして、手を離す。いや違うって。目覚ましを消すんだよ。と、触っていないのに音が止まった。
ん? なぜ? と思って瞼を開く。目の前には困った笑顔。俺が撫でまわしていたのは、そいつの頭だった。
「おはようございます」
「ぎゃあ!」
潰れた蛙もかくやという声で俺は悲鳴をあげた。絶対作画が楳図かずおに変わってた。慌てて掛布団を抱きしめて距離を取る。
「なに、なに、なに入ってんの勝手に!?」
「おや。いつでも来ていいと昨日聞いた気がしますが」
「ゲームを見に来いっつったんであって、寝顔のことじゃねえよ!」
「冗談です」
古泉は肩を竦めてメール画面を見せる。送り主はハルヒ。もう先が読めたが文面はこうだ。
『あいつねぼすけだから、古泉くんが毎日モーニングコールしてやって』
ほらな。そんなことだろうと思った。
「モーニングコールって電話でするんだけど、古泉くんにはわからなかったかなあ?」
「どちらにせよ朝食をいただきに参りますから、効率化を図ってみました」
ちゃちな怪盗の予告状みたいなこと言いやがって。
「でも、お陰でいいものが見られました」
「は?」
「ヒカリくんって、眠っている時に本当にむにゃむにゃって言うんですね」
「殺してくれ」
俺は枕を投げつける。
「避けんな」
「わかりました。次は当たります」
宣言通りクッションを顔面で受けた古泉は「あはは」と笑いながら寝室から出て行った。明日から、あいつより早く起きないと寝ているところを見られてしまうのか。スリリングな生活始まったな。
絶対むにゃむにゃなんて言ってないと思うんだけど、寝ている間のことは証明不可だしな。録音しておく手もあるが、マジで言ってたら立ち直れないのでシュレンディンガーにしておこう。くそう。
「お前って朝はパン派?」
「そんなことまで知っているんですか?」
「いや。案外演技だけってわけでもないんだな」
パーカーに着替えていくと、古泉はリビングでソファに座っていた。勝手にうちのテレビをつけて、ニュースを見ている。
古泉ってこういうイメージあるよな、を実は地で行っているんじゃないかと思う時がある。わざわざテレビでニュースなんか見てる高校生が存在するのか。昨晩なんか数学の番組を見ていた。それとも俳優なんかがよく陥るという「役に飲まれる」ってやつなんだろうか。
カリカリに焼いたベーコンとスクランブルエッグ、トーストにほうれん草のソテー。にんじんのピクルスをプレートの端に。コーヒーメーカーなんてものがあったならもっと早く気付きたかった。ゆっくりドリップして一杯づつ。
「砂糖とミルクは?」
「ヒカリくんは甘いものがお好きですし、いれますか?」
質問に質問で返すな。そして残念、コーヒーはブラック派だ。
「では同じものを」
と、古泉。ブラックコーヒーが様になっている。どっちかというと紅茶の方が似合うけどな。と、考えていると古泉が一瞬眉を顰めた。なんだ、それは。俺としてはインスタントに比べれば美味いと思うが、舌が肥えてるのだろうか。
「お前本当はブラック飲めないのか?」
「バレてしまいましたか。いえ、飲めないってこともないんですけどね。いつもは砂糖を少し」
「馬鹿。何のための俺だ? お前が砂糖とおまけにミルクを入れても周りが何にも思わないようにくらい、てきとうに言ってやるさ」
「すみません。では砂糖だけ」
古泉はすりきり一杯の砂糖を入れて、うん、と頷いた。何を格好つけているんだか。
「そういう年頃なもんですから。あなたにも意地を張りたい相手くらいいるでしょう?」
どいつもこいつも目敏くて嫌になる。お前まで応援するとは言わないだろうな。言わないか。むしろハルヒの気持ちに気付いているこいつなら、気を付けろと苦言を呈するかもしれん。
言われなくてもわかってる。俺がいることで起きる不都合は、きちんと俺が対処するさ。不必要な枝は落とすし、来るべき白雪姫事件に備える。まあ、あれに関しては外野に手出しできることはない。祈るくらいしか。
「何が言いたいのかわからんが、お前が意地を張りたい相手なんてハルヒだけで充分だと思うけどな。俺は」
「それがそうもいかなくなってしまいまして」
「同級生の同性ってのは、そんなに面子があるものかね」
「そういうことにしておきましょう」
何だそれ。
俺はパーカーにデニムに白いハイカットスニーカー。古泉はピンクのシャツにネクタイ、ブラウンのジャケットスタイルで連れ立って外に出る。北口駅前に着くと、平然と古泉はレディースのアパレルショップに入っていく。
すげー。
「デートのような気分ですね」
「始まったよそのネタ。デートでたまるか。俺の初デートだぞ」
「では尚更思い出深いものでありたいな」
「だから違うんだよ。これはデートじゃないの。てかお前慣れてるな」
「そう見えますか? 僕も初めてのようなものですよ」
「初めてじゃねえんだろ、その言い方じゃ」
同級生の同性に張りたい意地ってやつがちょっとわかった気がするぞ。まあこの顔面だ。デート経験なしだったらむしろびっくりするけどな。でもなんか悔しい。俺は二十歳になってもまだだというのに。
もしも俺が女のままなら、隣に立って歩くことを躊躇するほどばっちり決まっている古泉は、店員と何やら話しながら服を選んでいる。こういうとこでさらっと店員と話してる辺り陽キャだよな、こいつも。古泉は俺の方を見ながら店員と談笑していたかと思うとくすっと笑い、手招きした。
「なに?」
「いえ。僕はこういうのでもいいと思うのですが。どうでしょう」
「どうもこうもワンピースじゃん。なんでだよ」
「彼女さん、パンツスタイルがよろしいですか? それならこっちのなんてお似合いだと思いますよ」
古泉、お前さては俺が彼女と呼ばれて面白かったから呼んだんだな?
「彼女じゃないです」
「そうなんです。残念ながら今のところは」
「そうだったんですね。デートかと思っちゃいました」
アパレルの店員さんってヨイショが上手だな。古泉はこういう店慣れてるっぽいし、人を観察して得ているヨイショ知識なんだろうか。
「だそうです」
「こっち見るな」
「あ、パンツスタイルならローライズとかどうですか?」
「すみません。あの、俺、男なんで……それは入らないかもです」
「えっ!? そうなんですか? うーん、じゃあ。ユニセックスならこっちですね」
驚かせてすみません。しかし不思議だなあと思っても顔に出さない店員さんのプロ根性が逞しい。罰ゲームか何かだと思ったんだろうか。実際そんなところだが。
「こういう色の……ブラウンのチェスターコートとかありますか? 同じような色味がいいのですが」
「お揃いでいいですね。じゃあ、こっちのと合わせてみたらかわいいかも」
ハルヒの言うとおり可愛いのを店員さんに頼んだのだろう。なんでお揃いなんだと思っただろうによく混乱しないもんだ。
俺は試着室に入り、薄手の白いハイネックにワイドタイプのチノパン、ブラウンのチェスターコートを見に着ける。外ではスニーカーを選んでいるらしき古泉と店員の声が聞こえるが、初めて会ったとは思えない意気投合っぷりだ。
鏡を見る。あれ、これちゃんとかわいいんじゃないかな。女の子でも男の子でも通用しそうな感じに仕上がっている。どうせなのでハーフアップにして、ちょっとお団子頭にしてみよう。うん、これならハルヒも文句は言えまい。
カーテンを開くと、店員のお姉さんが黒いスニーカーを持って待っていた。デザインがかわいい。
「わー、すごくかわいい。見返せちゃいますよ」
やっぱり罰ゲームだと思ってるらしい。古泉はというと、よくやるきょとん顔の後、上から下まで眺めて頷いた。心配しなくてもお前の見立てはばっちりだよ。なんならちょっと、今日は俺モテてしまうかもしれんという自信が出てきた。
「よくお似合いです。きっと褒めてくれると思いますよ」
「だといいが」
「あまり可愛いと心配もありますけどね」
「言ってろ」
俺は着てきた服を紙袋に詰めてもらい、そのまま今購入した一式を着て駅に向かう。まだ時間がありそうだからとお茶に誘う古泉に待ったをかけて、駅前に戻ることにした。どうせ後で喫茶店に入ることを、俺は知っているのだ。
古泉がコインロッカーを探して紙袋をしまってきてくれるらしいので、俺は先に待ち合わせ場所に向かう。長門と朝比奈さんは相変わらずもう到着していた。ちょうどういから合流するかとたらたら歩いていた俺は、慌てて走りだした。
三人組の男が二人に声を掛けていたのである。
肩を組もうとする男と朝比奈さんの間に割って入り、震える彼女を背にかばう。
「すみません、連れなんですけど」
正直な話、長門一人いれば男三人など大したことはないだろうが、そんな大立ち回りをされる方がいっそ困る。よくわかっていない長門と怯えた朝比奈さんが連れ去られる前で本当によかった。
「じゃあ三人づつでちょうどいいじゃん」
「何がちょうどいいのかわかりませんが俺は男です」
嘘でしょ、と言われましても。確かにこの服装じゃ女性に見えなくもない。ついさっき可愛い服に着替えてしまったのだ。なんたる不運。
長門の手を掴もうとした手を俺が払いのけると、男の目の色が変わる。あーあキレちゃったよ。
どう見ても大人だ。まともにやりあっては勝てないし、そもそも騒ぎを起こすつもりもない。拒否されて傷つくプライドがあるのに、ナンパするのは恥ずかしくないのかよ。困った大人だ。女子をかばいすべての責任を負った芦川に対し、三人の主、ナンパ男その1が言い渡した示談の条件とは……おい淫夢やめろ脳内。
「あのさあ、叩くのっておかしくない?」
タイミングよく淫夢語録で被せてくるな。笑いそうになって、俺は咳払いをする。
「急に手を掴むのもおかしいでしょ。彼女たち嫌がってるじゃないですか」
男が俺の手を掴む。いてて、力が強い。
朝比奈さんが悲鳴をあげておろおろとし、俺が連れていかれないようにコートを引っ張っている。長門はというとぼんやりした目で俺を見ているが、その瞳が「処す?」と言っているようで俺は首を横に振った。ダメダメ。下手したら殺人だ。
そろそろ手首も痛い。朝比奈さんや長門が前に出ないように身体で盾になっているが、多分本気で引っ張られたら地面に倒されてしまうだろうな。大事にはしたくないけど、膠着状態のうちに対処するか。
「朝比奈さん、長門連れて下がってください」
で、警察でもなんでも呼んでもらおう。振り返ってそう言つもりだったのだが、俺の手首を掴んだ男の手を、第三者の手が強く握った。
「すみません。彼がなにか不手際を?」
苦笑を広げて古泉が登場した。178って結構身長でかいんだな。常時笑っているのも、こう見ると威圧的だ。男は俺から思わず手を離す。
「僕たちは休日のクラブ活動のために集まっているのですが」
古泉の言葉にピンときて、俺は横槍を入れる。
「“顧問の岡部先生”に電話したら? もうすぐ来るだろうけど」
「そうですね。なにか問題があったのなら大人同士で話していただく方がいいかもしれません」
先生が来るという単語で、一気に男たちは威勢を削がれたようだ。おのおのそれらしいステレオタイプな台詞を吐き捨てて、去っていく。
俺と朝比奈さんは、ほっと一安心。長門は無味乾燥といった顔で微動だにしない。
「芦川さん……手、痛くありませんか? 痕が残ったら大変です」
「やー、そこまでヤワじゃないですよ」
「でも……」
「大したことじゃないですから。二人が無事で良かったです」
「しかし、体格差がありましたからね。人数も多かったので、出来れば大声などを出していただきたかったです」
古泉は目を細める。どうやら俺は叱られているらしい。でも、ぶっちゃけあの場では男は俺だけだったし、一番年上だったし(これは古泉は知らないけど)叱られても困る。
「そんなこと言っても、あの状況じゃどうしようもないだろ。二人に何かあった方が大変だよ」
「あなたになにかあっても、それは大変なことなんですよ。お忘れかもしれませんが、あなたは我々にとって涼宮さんの次に優先すべき方なんです」
いつになく真剣な口調に、はっきり言って俺は怯んだ。確かに古泉の立場を思えばもっと短期的に解決すべきだった。そんなことはないと思いたいが、機関からすれば俺が誘拐されて監視を外れる、なんてことになれば大問題だ。
「悪かった。朝比奈さんと長門が心配でつい頭に血が昇った。もっとお前の立場を考えるべきだったな。軽率だったよ」
「いえ、僕も言葉を選び間違えたようだ。この話はまた後でにしましょう」
古泉が溜息を吐く。だから悪かったって。次はちゃんと長門にトンデモ解決してもらうことにする。次なんて流石にないだろうけど。
古泉が話を中断したのはこれが理由だったらしい。溌溂とした様子のハルヒが短いスカートをものともせず大きな歩幅で歩いてきた。
「あら、みくるちゃん、目が赤いわね。なにかあった?」
実は、と古泉が説明する。ご丁寧に「三人」がナンパされたと言ってくれやがるが、別に俺は関係ないからな。あんなのついでだ。
「何やってんのよヒカリ、その辺のモブじゃなくて、宇宙人とか未来人とかに目つけられなきゃ意味ないの!」
うーん、その宇宙人と未来人を守っていたんだが。
「あとその服、全然ダメ! 可愛いっちゃ可愛いけど、そんなんじゃ不思議は誘惑されないわよ。せめてワンピースとか、もっとあったでしょ!」
「僕もそう言ったのですが」
あっ、てめ古泉。ここぞとばかりに困った顔しやがって。ハルヒを味方につけるとは汚いぞ。
「まったく、あんたはちゃんと古泉くんの言うこと聞きなさいよね」
古泉がうんうんと頷く。くっ、卑怯な手を使いやがって……。俺がそうやって古泉とハルヒにダブルで責められていると、キョンがかったるそうに歩いてきた。
十時五十八分。元の時間より二時間遅い待ち合わせにしたというのに、彼は彼で困った人だ。