あるフリーターの憂鬱Ⅰ
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その後は、もう午前中の記憶がまるでない。俺はひたすらに机に向かい、一生懸命ノートを取った。キョンくんに頭をぽんぽんされた感触がまだ頭に残っている。
どうして、谷口と国木田は俺の気持ちに気づいたんだろう。あいつらにわかるようじゃ、ハルヒにも簡単にバレてしまうかもしれない。それだけは避けないと。クールになれ、芦川ヒカリ。
そう、例えば兄貴ならどうする? どうもしねえよなあ。2秒で長門の匂い嗅いで逮捕だよあいつは。参考にならん。
まあ、昼になればとりあえず離れられるし、一旦落ち着けるだろう。
と、思っていたのに。古泉のやつ、クラスメイトに誘われたとかで、そいつらと食うというメールが入っていた。まあ転校二日目だもんな。俺との変な噂や変なクラブに入っていることで孤立していないとわかっただけ、安心なのかもしれない。クラスのやつとも仲良くした方がいいだろう。
そう、転校二日目なんだよな。色々なことが昨日一日でありすぎて、展開が早すぎる漫画を一冊読んだくらいの疲労感がある。やっぱりどうしても気になるんだが、転校二日でどうして谷口と国木田に気づかれたのだろう。マジでなぜだろう。もっと否定しておけばうやむやになったのかな。
「ヒカリ、お弁当は?」
「あるよ。ハルヒ、卵焼き食べたそうだったから別に持ってきた。一緒に食う?」
「あたし忙しいのよ。そんなちっちゃなタッパじゃなくてお弁当ちょうだい」
「ハルヒ、お前は舌切り雀のお話を知っているか」
「あんたは弁当箱にゴミとか虫とか入れて持ってきたわけ? 違うでしょ。中に入ってるのがいいものってわかってれば、そんなの大きい方を取るに決まってるじゃない」
「や~、そんないいものってわけじゃないけど~」
照れている内に弁当箱は奪われた。謎の頷きをしている谷口に手招きされ、俺は机をくっつける。
なんだか、ハルヒがやたらに単独行動している気がするんだが、あれも逸脱事項ってやつなんだろうか。見張ってなくて平気なのかな。まあ、部室に行ってるなら長門がいるだろうけど。あ、写真部かもな。
「キョンが購買に行ったから、頼めば一緒に買ってきてくれるんじゃない?」
「国木田。俺を甘く見ないでくれよ。このルートに入ることも予想してなかったわけじゃない。ちゃんと、どら焼きを持って来てある」
「芦川、どらやきはご飯じゃないよ」
「六個もあるのに……?」
「六個あってもご飯じゃないよ。ちゃんと食べないともたないよ」
国木田までおかんみたいなこと言う。
「しょうがない。谷口」
「どら焼きと握り飯交換しろって? やだね」
「いや、俺の手作り卵焼きとそのいちご牛乳を交換してくれ」
「なんで糖を増やしにいくんだよ。減らせよ。せめてどら焼きと交換にしろ」
俺は谷口と等価交換したいちご牛乳にストローを差し込み、声を潜めた。糖分が染みわたる。
「これは後学のために聞いておきたいんだが、お前らはなにをもって俺のその、あれに気づいた?」
「まず呼び方が違うよね。キョンだけくん付けだし。口調も柔らかいよね。格好つけたいんだなあって思う」
それに関しては反論がある。俺は初めてキョンくんをテレビ画面で見た時、ほんの10歳だったのである。妹ちゃんと一番年が近かったのだ。キョンくん、と呼ぶのは全然普通だった。それを説明するわけにはいかないが。
格好つけたいんだなあ、が思いきり胸に突き刺さった。く、悔しいがその通りだ。
「あと、キョンへのリアクションがでけえ。お前一回キョンと話してるときの自分の顔、鏡で見てみろ。挙動不審だから。こっちとしちゃ、潔く告ってみろよって思うぜ」
「谷口は自転車で轢かれるとしたら、上半身と下半身どっちがいい?」
「どっちも嫌に決まってんだろ!?」
「谷口はバイト先の男に言い寄られたらどうする?」
「バイト辞める」
「忌憚なき意見をありがとう。下半身にする」
「なんでだよ!?」
自転車買わないとなあ。
俺はどら焼きを二つに割って食べる。つぶあんがほどよい甘さで口当たりもさらっとしていて食べやすい。噛み応えのある栗が触感にアクセントを加えており、皮はしっとり蜜が染みて、ふっくらとしている。
親戚が職場からもらってくるお土産とかお中元とか、そういうののグレードが高いバージョンって感じ。うまい。
「よくどら焼き6個も食べられるね。僕なら見てるだけでもたれちゃうよ」
「我が家では和菓子は俺以外好きじゃない。優先的に俺に割り振られるんだ」
「じゃあ、独占できるから好きなの?」
「え? うーん。そんなことはないと思うが。得ではある」
「ところで芦川は魚好き? 僕は好きなんだけど」
国木田は確か、魚の小骨を上手に取れる、みたいな器用で細かいという設定ではなかったろうか。なんだろうこれ、なんかの心理テストか? とりあえず、素直に答える。
「うん。干物とか好きだよ」
「それも、家族はあんまり好きじゃなくて一番に選べたの?」
「そう」
「それって、家族に遠慮して芦川が和食を好きになったのか、芦川が好きだから家族がそういうことにしてるか、そういう可能性もあるよね」
なんだなんだ。お前まで、古泉や朝倉のような腹芸を好むのか。ああ、でも確か国木田ってうちのクラスの中じゃキレモノの立ち位置か。
「俺は今叱られているのか?」
「いや、ただ僕なら身内に遠慮されたら気持ち悪いな~って思っただけ」
そんなこと、考えたこともなかったな。まあ、家族が俺に好きなものをあげようと思ってみんなでそういうフリをしているっていうのは、無い話じゃないかもしれない。
でも、俺はどうだろう。誰しも「それって本当に好き?」と聞かれると自信がなくなるものじゃないだろうか。特に好きな食べ物とかって、突き詰めていくとそんなに意地張るほど欲しいとかじゃなかったりしないか? そりゃ、あれば嬉しいけど。絶対食べたいとか、譲りたくないとか、そこまで思うことってなかなかないと俺は思うけど。
「じゃあ、国木田はそのブリの照り焼きは絶対俺にくれないのか」
「どら焼きと交換ならあげるよ。見てたらおいしそうに思えて来たから」
「むむむ」
「芦川は、欲張りなのか決められないのかわかんないね」
「俺はいきなりぶっこんでくるお前のがわかんないよ」
「ただのどら焼きの話じゃない。君の大事なSOS団? だっけ。その団員をちょうだいとか、言ってるわけじゃないんだからさ」
そういう発言はマークされるから気を付けた方がいいぞ。
「それもそうだ。どら焼きはくれてやる。だが俺はどら焼きを諦めたわけじゃない。そのどら焼きは最弱。第二第三のどら焼きが待ち受けている」
「さては芦川眠いね?」
なんでわかった。実は、何時間寝ても眠い。授業は頭に入ってこないし、今こうして話していることも忘れてしまうのでは、と思うくらいだ。
俺は正真正銘ガチのハルヒオタクで、五年前に去ったジャンルであるにも関わらず、憂鬱であればほとんどの情報を頭の中から芋づる式に引き出せる──そのはずなのだ。しかし、実際は逸脱事項とかいうのを抜きにしても、いくつか出し抜かれている場面がある。特に、席替えのこととかな。
毒気を抜かれるようだが、朝倉のことは警戒しておくに越したことはない。キョンくんに何かあっては困る。かと言って、過度にやれば「俺が知っている」ことを悟られて、対策を練られてしまう。
国木田のほぐしたブリを口に運ばれつつ、俺は考える。考えてばっかりだけど、それしかやれることがない。
そもそもキョンくんとはどうにかなるつもりもないし、こんな風に青春しているわけにもいかない。が、ハルヒは異世界人とも遊びたがっているわけで、俺は全力で遊ぶことも仕事の内である。なんか、古泉の苦労がわかったような気がした。
「お前らどら焼きの話でなんでそんなシリアスになれんだよ」
「芦川、真顔で見られながらぱくぱく食べられると怖いよ」
「ああ、ごめん。実は引っ越しの片づけだなんだで忙しくてな。ゲームをやってると寝る時間もない」
「ゲームをやめて寝なよ」
ところがそういうわけにもいかない。サブスクでどこでもアニメが見られるわけでもないこの時代だ。休み時間で自分の世界になかったゲームを消化するのもまた課題の一つなのである。
なにせ俺の唯一持ち合わせるキャラ立ちと言えば、アニメや漫画の知識に精通してるくらい。授業の方はまあぶっちゃけ、進級さえできればいい。オタク知識を得ることの方が先決なんだよな。
「なんだ国木田、ひな鳥にエサをやるバイトでも始めたのか」
がたん、と椅子を引いてキョンが隣に座る。俺は唖然として、慌てて口を閉じ、国木田は俺の口にひょいひょい運んでいた箸を引っ込める。子供っぽいと思われただろうか。違うんです。これはいつも兄貴が俺の口に食い物を入れてくるから、つい、癖で。
しかし、なんともまあ。机をくっつけると距離が近い。ちょっと肩がぶつかったくらいだ。
普通の席順でもだいぶ近いのにな。さっきなんか体育の後に着替える時、自分から汗の匂いがしないか気になってデオドラントペーパーを大量消費してしまった。昨日に至っては教科書を見せてもらってる間のことがほぼ思い出せない。
キョンくんが近くにいると真面目な思考が中断されて困る。これ、今ご飯の最中なのに制汗剤がきついなんてことないよな。
ああもう、なんでこんなこといちいち気にしないといけないんだ? リアルの人間はこれだから! ゲームで匂いに言及されるのなんて、身だしなみのパラメーターが赤くなった時くらいなのに。なんとか深呼吸をして、どら焼きを頬張る。
「キョンよお、聞いてやってくれよ。こいつ、涼宮に弁当取られちまって、菓子しかねえって言うんだよ。可哀相なやつだぜ」
「へふにほまへひはひふいふぇふぁいふぁふぁ」
「行儀が悪い。飲み込んでからしゃべりなさい」
キョンが俺の頭に手刀を落とす。
「別にお前に泣きついてないから。ふざけるなよ谷口。必ず調べ上げてお前が主催する合コンに古泉を送り込んでやる」
「伸びてね? つか当たり強くね?」
「ほらよ」
キョンが、コロッケパンを俺の前にずらす。代わりに、何も言わずにどら焼きを拾い上げた。狡い。もう、全部ずるい。全校生徒を落とす気なのかキョンくん。これじゃあハルヒがいつでも不機嫌になるわけだ。無意識なんだろうか。恐ろしい男である。
「カツサンドかやきそばパンの方が良かったか?」
「いや、そんなことはない。嬉しいよ、キョンくん」
「芦川って……俺に対してはどこか態度が違うよな。俺なんかしたか?」
「いや、なにも。キョンくんは人が嫌がるようなことはしないからね」
「そうかい。コロッケパンは転校祝いだとでも思っておけ」
国木田の格好つけてる、という指摘が頭の中でぐるぐる回る。自然に、自然に。男子同士の会話ってどうやるんだろう。ラノベ、ギャルゲなどがベースになっているので、多分普通の参照場所がおかしいんだけど。
そうだな、キョンくんはツッコミキャラだ。ここはボケつつも、古泉ほどねっとりしておらず、それでいて俺からの好意が漏れないように。しかし印象が悪くなったりはしない程度の細心の注意を払って、谷口を見本に「なんだかんだ嫌われない」明るいキャラクターを作成していこう。
いや、今のってどら焼き持って行ってるから転校祝いじゃないだろ、が正解だったんじゃないか? しくじった。キョンくんめ、ボケもできるとはなんたるテクニカルプレイだ。感心している場合じゃないぞ。
脳内で城壁を守る兵士たちが、城に攻撃をしかけてきたキョンくんに反撃する術を練る。俺としては弓矢辺りがいいと思います。
「ありがとう。家に持って帰って大事に飾る」
「いや食えよ」
ダメだこりゃ。弓へし折れてる。反撃不可。
推しからのプレゼントとか、棚に一生飾るものだろ。食うの? 今? 意味わからん。
うーむ、キョンくんは俺の態度がヘンだと気づいているっぽいな。鈍感だから内容まではわからないにしても、やっぱり気を引き締める必要がありそうだ。
ただ、俺もSOS団の一員ではある。距離を取りすぎてぎくしゃくすれば、団の雰囲気にハルヒはかならず気づく。あいつはあいつで、身近な人間がみんな仲良くしていることを望んでいるところがある。素直じゃないけどね。
「お前が涼宮のお守りをしてえってんなら、体力は付けた方がいいぜ」
「彼女パワフルだもんね」
「ハルヒを引き合いに出されると、食べないわけにはいかないな」
「嫌々食うな。いらんなら返せ」
「やだ! です!」
「なぜ敬語」
コロッケパンにかぶりつく。今のは自然な会話だったんじゃないかな。キョンくんは急いでパンを食べる俺を、妙にあたたかい目で見ている。それはどこか、兄貴が俺を見る時と似ていた。
ああ、彼も妹がいるものな。でも俺って、そんなにそそっかしいんだろうか。それとも、これもハルヒが望んだ後輩属性とかなんだろうか。年上なのに。
「卵焼きもらうぞ」
「ウェ」
「おお、食えるな。うまい」
俺に言っておきながら、キョンくんは親指と人差し指で卵焼きをつまむ。うえ~~~~~~~ん、惚れてしまう~~~~~~!
心を殺すために、俺は無心でコロッケパンを食い進める。
「急いで食うとつっかえるぞ」
「へいひ」
「だから食いながら喋るな」
キョンくんはポケットティッシュを取り出して俺の机に置く。そのくらい俺だって持ってるのに、なんだかなあ。こういうのって脇腹がそわそわする。大事にされているみたいで照れくさい。
てめえ谷口なんだよその目は。
「ありがとう。借ります」
「あーもう、ソースそこじゃねえって」
見当違いのところを拭いていたのだろう。谷口はティッシュを二枚程引き抜いて、俺の口を拭いている。そこはお前キョンくんがやるところだろう。いや、実際そんなことされたら、教室中の注目を集めながら突然倒れかねないんだが。
クラスの中で俺がわんぱく弟ポジションに納まったのは、はたしていいことなのだろうか。
「ヒカリ~~! あんた、あたしの話全然聞いてないわね!」
ハルヒが滑り込んできて、電光石火のごとく谷口の手からティッシュを奪い取る。谷口は危険を察知した野生動物のように距離を取り、身を縮こませた。ハルヒは手に持ったティッシュを俺の顔に押し付ける。やめろ。顔中がソースの匂いになる。
「別に、あんたがどんなアホと食事したっていいわよ。でもね、谷口だの国木田だの、こんなやつらと仲良くさせるために役職を与えたんじゃないの、あたしは!」
「え。俺いつ役職もらったの」
「ずっと言ってるでしょ! ヒカリは広告塔なの。あんたを目印に、そりゃあもう色々なやつらが集まってくるはずなのよ。霊とか、新種の生命体とか、なんかのあやしい機関とかでもいいわ。そういうのがあんたに引き寄せられてコンタクトを取ってきて、そこをあたしが捕まえるのよ」
「それは、朝比奈さんじゃなかったか?」
「全っ然違うわよ。みくるちゃんは、事件を呼び込むための萌え要素!」
「あー、イベント発生のマーク頭上に出してるキャラか」
「そういうこと! まずはみくるちゃんのかわいさにあらゆる謎が興味を示すのね。それで、あんたの出番。うまーく話を引き延ばして、宇宙人とか未来人とか超能力者なんかと協力関係を結び付けるのよ。で、あたしがとっ捕まえて一緒に遊ぶことに同意させるわ」
当たらずとも遠からず。というか近すぎるくらいで、俺は心中で肩を震わせる。吸引力が変わらないただ一つの目印になっているのはハルヒだが、実際にその機関がコンタクトを取ったのは俺で、見事に捕まえられて入団することになったのが昨日の出来事。
残念ながら不思議な出来事ではなく、朝比奈さんは男子の注目を集めているわけだが、それでも実際に「彼女が引き金」になって事件が起きることだって間違いなくあるわけだ。
俺だって現在見知った勢力の全てと協力関係になってると言えばそうだ。実際にネゴシェーター的な役割を担っているのはむしろ向こうの代表者である、古泉や長門や朝比奈さんで、俺は要請を受けた基注意勧告を受けただけなのだが。
ああ、因みに霊はコンタクトしてこないでくれ。出来ればな。
「だいたいわかった」
「完全にわかりなさい。まあ、でもあんたの萌えを発掘しきれていないあたしにも問題はあったかもしれないわね。ショタか、男の娘か、後輩系か……可能性があるのは悪いことじゃないんだけど」
妹系でいえば、キョンの妹がいる。あと、長門も結構妹系だと思うけど。一応、俺も兄がいるので妹系だ。後輩系、とも言えるのかもしれない。まあ、お前たちよりは年上だからそういうムーブになるかは別として。
「ゲームや漫画が好きな近所のお兄さん系とかじゃダメなのか?」
「寝言は寝て言いなさい。なに? あんたゲームとか好きなわけ? うーん、オタクかあ。属性はちょっと弱いわね」
「オタクは弱そうという偏見は受け入れられないな。オタクは一定の範囲内なら知識もあって強い。だいたい、バニーのコスプレとかだってオタク文化の一端だと思うけどね」
「そういう言い方がオタクなのよ」
おわーーーー! 因果を捻じ曲げて心臓に直接届く! 貫かれた胸を抑える俺を、ハルヒはしげしげと上から下まで眺めた。
「まあ、たしかにオタクもギャップと思えばいけるかもしれないわね。わけわかんないことべらべら喋られたら、UMAも怯むだろうし」
やだなあ。UMA相手に早口で捲し立てるオタク。
「許可するわ。コンピ研とかアイドル研究部とか、漫研とか、そういうとこと商談する時に使えそうだしね」
「それって本当に商談か? 脅迫とかじゃなくて?」
「あたしだって鬼じゃないんだから騙し取ったりしないわよ」
嘘つけ。部室にあるPCは二軒隣から強奪したやつだろうが。お前がさっき行ってたのもどうせ写真部で、デジカメをパクってきたんだろ? 俺は詳しいんだ。
「ファ?」
ハルヒは唐突に俺を抱きしめた。え、いきなりこんなラブストーリーが始まることある? それともバックドロップとかされる前振り? 俺は身体中に力を入れながら脳天への衝撃に供える。と、思いきりケツを掴まれた。
「ちょっと、セクハラです!」
「バニーの衣装入るかなって」
「着るわけないだろ! 布面積のこと考えろ!」
「どんなコスだったらするのよ」
「軍服とか、袴とか」
「そういうの、あんたに求めてないから。やっぱバニーよバニー。あんた絶対似合うから。金髪だし」
頬ずりしてくるハルヒの肌が柔らかい。距離が近すぎて、俺は瞼を閉じて顔を逸らしてやりすごす。恋人もいなかった俺が、こんな風に思いきり抱き締められたのって何年振りなんだろうか。多分、子供の頃に家族にされたくらいだと思う。
女子同士のスキンシップって、べたべたくっついているように見えて案外さっぱりしているものなのだ。さすがに我慢の限界だというほどにもみくちゃにされて、俺は恥ずかしくてハルヒの両肩に手を置いて精一杯身体を離す。
ハルヒが、信じられないものを見るような目をしていた。首がひりひりとした。
「そのくらいにしてやれ」
「なによ、あんただってヒカリにバニー、似合うって思わないの?」
「男がそんなもん着せられたらトラウマになっちまうだろうが」
キョンとハルヒの痴話喧嘩になって、俺はその場からそうっと抜け出す。スマホが震えていた。廊下に出て、声を抑えて着信をとる。首のところがちりっとすると、閉鎖空間発生の合図らしいからな。
「古泉。もしかして……」
『お察しの通りです』
「どうするんだ? この場合」
『大丈夫です。小規模なので、みなさんの方で対処してくださるそうで』
「そうか。すまないことをした」
『なにか、怒らせることを?』
「うん」
『困りますね。我々としては、できるだけ涼宮さんには追従していただきたいのですが。因みに、今回はどのような受け入れられない事態だったんですか』
「バニーガールの服を着るよう言われた」
『……まあ、いいんじゃないですか。お似合いだと思いますよ』
「言ってくれるよな。お前はそういうポジションじゃないからってよ」
『ああ、ここは嫉妬すべきだったかもしれませんね。衆目に晒されるあなたを見るのは耐えられない。二人きりの時以外、過度な露出は控えてください、というように』
「お前、それハルヒの前でも言えんのか」
『ではこうしましょう。今僕が言ったことを理由にしてしまうのです。幸いにも涼宮さんは僕とあなたのことを応援してくれていますし。むしろ、ご機嫌を窺えるやもしれません。それでは、クラスメイトに呼ばれているので。失礼』
終話された。お前から一本メールでもなんでも入れれば済むことなのに、なんで俺が言わなきゃいけないんだよ。
頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜたかったが、ハルヒが結んでくれた髪なのでそうもいかない。俺は意を決して教室に戻り、言い合いを続けるハルヒとキョンくんに自棄になって割って入った。
「……ハルヒ!」
「なによ? 観念した?」
「いや、古泉が……その……」
「なによ。はっきり言いなさい」
「ええと……バニーはよくないって……」
「なんでよ。古泉くんにとってもいい案じゃない。あんたのかわいいコスが見られるんだから」
「だから……その、ふ、二人じゃないと、って」
「もじもじしてないで言いなさい!」
殺せ~~~~~~~~~~~~~~!
「古泉が! 二人きりの時以外過度な露出はやめろって! 言ってた!」
「二人の時そんなすごいことしてんの?」
「してない!!!! なにもない!!!!」
「なによ。恋のABCのAもまだそうね。ヒカリを独占する権利はあたしにあるんだけど、まあ、わかったわよ。しょうがないわね。バニーは諦めてあげる」
ありがとう。でも恋のABCのAがバニーコスはハードルが高すぎないか。どんな領域の恋愛論なのだそれは。普通Aは手を繋ぐとかだろ。いや、それはしたんだが。したんだが恋愛とかではなくて。
今さりげなく俺の人権、ハルヒに握られてなかったか? キョンくんは憐みの目でこちらを見ていた。好きな人にされる視線じゃないんだよな、これ。
でも、ハルヒが来てくれて良かった。あのまま谷口や国木田に見守られながらキョンくんと過ごすのはそこそこに地獄だったからな。天国過ぎて逆に地獄になることを学べた意味では有意義な時間だったのかもしれない。
とりあえず、俺は自転車を買うことを決意した。