あるフリーターの憂鬱Ⅰ
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サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うと、これは確信をもって言えるが最初から信じてなどいなかった。
──これは、ちょっとしたオタクなら暗唱できてしまうほどに有名な人気アニメの冒頭文。もっと言うと、バイブル的に持ち歩いて読みまくった大好きな小説、その主人公のモノローグだ。
モノローグというのは実によくできている。語り部となる主人公の心情を把握することで読者に共感をさせる、そんな大いなる力を宿しているのだ。
よって、次の段落でも大抵の読者がまったくもって同じ感想を抱いていたことを、わざわざここで言う必要すら本当はない。
幼稚園のクリスマスイベントに現れたサンタは偽サンタだと理解していたし、お袋がサンタにキスをしているところを目撃したわけでもないのに、クリスマスにしか仕事をしない ジジイの存在を疑っていた賢しい俺なのだが。
はてさて、宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力や悪の組織やそれらと戦うアニメ的特撮的漫画的ヒーローたちがこの世に存在しないのだということに気付いたのは、相当後になってからだった。
そうだ。大人が子供の夢を壊さないよう必死に演じる姿というのは、得てして子供の心を一層冷静なものにさせる。というか、そもそも我が家は墓参りはお寺だった気がするし、初詣は神社。クリスマスだってチキンとケーキはあれど、おおきなリボンのついたプレゼントとまではいかない。それが日本の一般家庭の中でも、わりと無宗教で無味乾燥なモデル家族である。
俺もそうだった。この芦川ヒカリもそうだったのだ──って書くとなんだか言い回しがジョジョみたいだな。
ものごころつく前から世界の常識はサンタの存在を否定していたのに、大人だってアニメには夢中だった。ウルトラマンにすら息子がいて、怪獣がメダルでドッキングするこのご時世で、どこに夢や幻想があるのかはわからないが。
それでも生まれながらに異能がないことを嘆くほどに世界はヒーローやヴィランに溢れていないし、呪いの王の器に相応しい身体じゃなくて心底良かったと思う。俺はそういう厳しい環境に身を晒したいわけじゃない。ただ、ありもしない虚構に思いを馳せたいだけなのだ。
だって、ありえないからそんな日は来ない。
来ないから夢想できる。不思議な力で無双できる。
宇宙や科学のことは知らない。どこかの星には生命体はいるだろうけど、可愛い少女じゃない。
未来や物理のことは知らない。時間を移動できる可能性はゼロじゃないんだろうけど、綺麗なお姉さんが出迎えてはくれない。
超能力や人体のことは知らない。解明されていない脳の機能はたくさんあっても、そいつが白い歯を見せて笑うとは限らない。
願望をなんでも実現してしまう能力なんて、ない。努力したって叶わない夢があるのに、そんなのがあったら大炎上だ。第一、あっても横暴で眩しくて、元気で賢い女の子なんかじゃない。
もちろん、初恋のように好きだった普通の男の子みたいな顔をして世界の命運を背負ってしまう人も。そんな人も、いない。
世界の物理法則がよく出来ていることに辟易して、いつしか俺は、大好きな小説の主人公をなぞるように、テレビのUFO特番や心霊特集をそう熱心に観なくなっていた。
宇宙人、未来人、超能力者? そんなのいるワケねー。本当はちょっといてほしいけど、いないことはわかりきっている。ネットで調べれば一発なんだから、フェイクニュースよりも簡単に現実を断じれるってわけだ。
中学を卒業する頃には、俺はもうそんなガキな夢を見ることからも卒業して、アニメや漫画に傾倒する日々からも遠ざかっていた。そりゃまあ、話題のやつならちょっとは見るよ、新劇場版とかさ。リメイクは見るうえで労力も少ないだろうってのは嘘だったけど、やっぱ画質も綺麗だよな。
俺はそんな風にオタクの自意識を最大限拗らせていた。
たまにイラストも描くけど、何日もかけて完成させたりはしない。二次創作ってのは、体力と熱量がいる。オタクから漫画が好きなやつくらいにランクダウンかランクアップをして、俺はもう、ホントにどうしようもないくらい普通な日常生活を送っていた。
週刊漫画雑誌も久しく買っていない。SNS友達のおすすめアニメはチェックしている。勿論、世の中の全然オタクカルチャーに触れないって人よりは見てる筈だ。
それらに触れて泣いたり怒ったり、笑ったりもする。ちゃんと楽しんでるんだけど「ハマる」という感覚になれない。毎日ネットで考察記事を巡回したり、みんなで通話して熱っぽく語ったりした日々が一番輝かしく思えるのはどうしてだろう。
それがなんだか虚しい。でも、そういうものなんだろう。
だってほら、二次元に親しんだ小学校も中学校も、一般人に溶け込んでおとなしく過ごした高校でさえも、誰も近くに不思議なやつはいなかった。
駅のホームに9と4/3番線のホームなんて見たことはないから、トリップ夢小説の気配なんてありはしない。ていうか今そういうドリームランクとかあるのかね? ああ、まあ、トラックには撥ねられたことは、さすがにないけどさ。
いつの間にか人前では「俺」なんて一人称も隠れるようになって「私」が板についてきた。みんなこんな風に折り合いをつけていくんだろうな。好きなものが「不思議なこと」じゃなくて「漫画自体」だったのなら、きっと今でも俺は毎週録画を欠かさない番組が、あったはずなんだ。
それでも涼宮ハルヒの憂鬱は本棚に納まっている。ずっと開いていないけど、何度部屋を模様替えしても、捨てられずにいる。そしてこうやって、時々思い返す。結構展開も覚えている。
一人称が「俺」だから、男としてSOS団に呼ばれたら面白いだろうな、なんて思う。そうすると男三人、女三人でちょうどいいし。推しはキョンくんだったけど、ハルヒも大好きな俺としては二人のもやもやする関係を応援したいな。あ、長門ともたくさん話してみたいし、朝比奈さんの立場も大変そうだから手伝ってあげたい。古泉も、機関だなんて面倒くさそうだし、ちょっとくらい愚痴を聞いてやってもいいかな。
まあ、原作通りに進んでいく中で俺はきっとどこまでもモブだろうから。案外、谷口や国木田とか。コンピ研の部長との方が仲良くやれたりするんだろうさ。
コンビニの弁当が入った袋が風に靡いていた。時刻は夜23時。俺はバイトを終えて帰り道を歩いていた。もう少し歩くと公園があって、そこの自販機で限定のサイダーを買って帰るのがお決まりだ。
明日からは連休だけど、それが終われば同じように朝から晩までバイトがある。就職に乗り切れなかったし進学もピンと来なかった俺は、なんの目的もないままフリーターとして過ごしていた。
アルバイトだって、楽しいよ。誰に言い訳するでもなく、そう思う。新商品のポップを書いたり、発注をかけたり、常連さんのたばこを覚えたり。店長や仲間ともうまくやってる。飲み会だってしたし。家族仲も良好で、年に一回は温泉旅行に行く。
兄とはいまだに、昔みたいにはしゃいで漫画の話をすることもある。俺にハルヒを教えたのはその兄で、彼のせいで多感な小中学生時代の俺は、その多くの時間を涼宮ハルヒシリーズに消費したのだ。兄のせい、なんて言ったが、俺が熱中して楽しかったのは、俺の知る中ではあの時が全盛期である。感謝してる。でもこれから先の人生でマジであれ以上に夢中になれるものを見つけられなかったら、やっぱりちょっと恨む。
オタクになったのも兄の影響だ。だから、同世代の友人たちよりもちょっと年上の友達の方がネタが通じた。そういう人たちと自分たちしかわからない用語で会話することで、自分がちょっとだけ特別みたいに思っていた。
兄の本棚には涼宮ハルヒの最新刊があるはずだ。あの頃だったら飛びついた、中学生の俺があれほど待った最新刊が、あるのだ。
読みたいとは思っている。でも、手を出せないでいる。同じ驚きを得られなかったらどうしよう。ハルヒの世界はずっと楽しいままなのに、それを俺が感じ取れなくなっていたら、どうしよう。そんなことがぐるぐると回りつつも、ずっと後ろ髪を引かれている。
いや、そんなはずはない。「驚愕」だってものすごく面白かった。兄と聖地巡礼した日々を思い返すと素晴らしい体験だったように感じるし、アニメなんか、うん、そうなんだよ。俺はいまだにセリフを諳んじれる。サントラだってたまに聞いてるし。キャラソンだってスマホに入ってる。
そうだよ、新刊の発表の時、兄貴は泣いてたんだ。俺の大好きな小説は、全然、過去のものなんかじゃないんだ。今も、続いているんだ。
久々に胸の奥が熱くなるようだった。早く家に帰りたい。俺は公園の前を素通りして、自販機に目もくれず帰路を急いだ。兄貴にハルヒが読みたいって言おう。念のために「驚愕」から読みなおそうかな。いっそ連休を消費して「憂鬱」からでもいいな。
次第に歩幅は大きくなる。息が切れてくる。はやく、はやくと、期待に急かされる。ざ、ざ、と足音が響く。
俺は背後からの重なる足音に振り返り──、そいつと出会った。
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