大学三年生
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教室を飛び出したは良いものの家に帰る気にもバイト先に行く気にもなれなかった。仕方なく歩き疲れるまで校内をうろついて時間を潰し、気づけば四限の始業ベルが鳴っている。何やってんだ俺。アホ臭くなってきてドライブにでも繰り出すかとポケットから車の鍵を取り出したその時、校舎の陰から歩いてくる彼女が見えた。
「……は、」
講義をばっくれた言い訳をしておこうと近づいて足が止まる。やたら明るく笑っている彼女の目線の先には俺じゃない別の誰かがいた。恐らく学科の知り合いであろうその男はほんのり頬を染めて隣の彼女を見つめている。嗚呼くそ、心底面白くない。胃の奥から黒いものが迫り上がってきてただでさえぐちゃぐちゃな感情に抑えがきかなくなる。
「あれ、芹澤くん。」
彼女が男と別れた頃合いを見計らって行く手を阻んだ。帰り道を遮られているという自覚がまるでない朗らかな声は俺が悪意を持った人間だと微塵も疑っておらず、その無邪気さに余計苛立ちが募る。
「さっきはどうし「あいつと仲良いの?彼氏?」
不躾な言い方でわざと明るく話し掛けると彼女は驚きの色を滲ませた。そして怪訝そうに俺の顔を見つめて注意深く表情を読む。聡明で思慮深いところが草太にそっくりで羨ましくて、どうしようもなく憎かった。
「え、何が。」
「いや別に良いんだけどさ。すげえ楽しそうだったから。」
俺が調子を変えずに無遠慮な態度を取り続けると彼女の視線はあからさまに鋭くなった。理不尽な怒りを向けられていると瞬時に理解したらしい。しかし俺も今さら止まれなかった。
「……友達だよ。ゼミが同じなだけ。」
「へえ、でも距離近かったじゃん。好きだったりすんの?」
「何でいきなりそうなるの……今日の芹澤くん変。」
「どこが。」
会話が喧嘩じみてきて内心焦っているのに引っ込みがつかない。こんなのはただの八つ当たりだとどれだけ自分を責め立てようが感情は納得してくれなかった。埒が明かないと判断した彼女が眉間に皺を寄せながら息を吐く。
「もし仮に私が彼を好きだったとして、何でそれを芹澤くんに教えなきゃいけないの。」
「そりゃまあ……そうだけど。」
正論で返されたら当然言い淀むしかない。勝手に怒りを暴走させて負け戦を挑んだ俺が弁の立つ彼女に勝てる筈もなかった。ちくしょう。己の醜悪さを浮き彫りにするようなどこまでも真っ直ぐな瞳が今、こんなにも怖い。
「……芹澤くんは何がしたくてここに来たの?」
「は?何って……別に。」
「別になわけないでしょう。わざわざ自分から近づいてきて最初から喧嘩腰で突っかかって。私に何か言いたいことでもないとそんなことしないよ。」
「そ、れは。」
一息で詰め寄られて俺は二の句が継げなかった。何がしたくてここに来たのか。俺は一体何故黙って彼女から離れなかったのか。傍迷惑なこの行動に意味なんかないと思っていた。別に彼女を傷つけたかったわけじゃなかったというのに。
そこで初めて冷静になって気づく。もしかして俺は、俺を傷つけたくて彼女に嫌われるような真似をしたのか。
怒りを消化できずに相手を傷つけて自分も傷ついて。恐ろしい程の身勝手さに罪のない彼女を巻き込んだのか。まじで何様だよ。
「……っごめん。」
「あ、芹澤くん……!」
罪悪感が足元から這い上がってきて耐えられなかった。幼稚な自分が恥ずかしくて後ろを振り返ることすらできず、情けなくも逃げるようにその場を去る。これだけ格好悪い姿晒して、どの面下げて次会えば良いんだよ。
「くそ……っ。」
見放されても仕方がないというのに彼女は最後こちらに手を伸ばしていた。引き留めようとしてくれている動作だった。
汚れていなくて純粋で正しくて。俺があの手を取れる日なんか来るのだろうか。ポケットの中で握りしめていたアルファロメオのキーがいやに重い。いつもは輝く東京の街も今夜のドライブではひどく濁って見えた。