大学三年生
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「ふあぁ……。」
「今日欠伸多いね、大丈夫?」
「んー、あんまり……。」
重たそうな瞼を擦っている芹澤くんは机に置いていたコーヒーを一気に飲み干した。鞄を見るとエナジードリンクまで用意されており、どうやらかなりお疲れらしい。
「バイトそんなに大変なの?」
「……まあ夜の間ずっと働いてるからそれなりに?」
「夜間の交通整備とか?」
「そんなとこ、夜の方が時給良いんだよな。」
「……そっか。無理しないようにね。」
またはぐらかされた。彼が私にバイトの話をしたがらないことにはもう気づいてしまっているためこちらも敢えて追及はしない。しかし人に言えない夜の仕事、なんて怪しさは充分で彼が危ない橋を渡っていないか心配になる。それ程お金に切羽詰まっているのだろうか。
「芹澤くん常に働いてるイメージあるけど何で?」
「ん、えー聞きたい?」
「うん。」
「んじゃちょっと待って。」
講義が始まる直前ということもあり質問するのは今度にしようかとも思ったが賭けに出た。すると存外彼はあっさり理由を教えてくれるらしく何やらスマホを操作している。大人しく答えを待っているとロックを解除した芹澤くんが私に画面を差し出し、眠たそうな顔で笑った。
「これ俺の愛車。」
これ、と言って彼が指さしたのは待ち受けになっている真っ赤なスポーツカー。予想外の真実に目を丸くしたが彼は気にせず「かっこよくにゃい?」と幸せそうにその車を見つめていた。
「愛車……って芹澤くん車買ったの?」
「そ、破格で。でも借金はしてるし維持費やら駐車場代やら色々かかるしで……まあとにかく金がねえのよ。」
「そういうこと……。」
それで割りの良い夜のバイトをしているのか。理由が判明し一応納得はするも芹澤くんが無理をしていることに変わりはない。彼は確か実家からの仕送りもないはずだしその状態で学生が車を持つのは不可能に等しいだろう。おまけに教職の課題もこなしてゼミにも出て、となると一体いつ休んでいるのか。
「芹澤くんちゃんと毎日寝られてる?」
「え、まあぼちぼち?」
「いつか倒れそうで心配。」
「だーいじょぶだってその辺は弁えてるし。それにこいつのためだと思うと頑張れちゃうんだにゃ~これが。」
間延びした語尾に誤魔化されそうになるがすでに現時点で講義に支障を来してしまっている。しかしまるで恋でもしているかのような彼の口ぶりからスポーツカーを手放す気はないという意思がひしひしと感じられ、私は閉口する他なかった。
「ドライブとかするの?」
「休日はよく一人で出掛けてる。」
「一人で?」
「そうそう、丁度良い気分転換になんのよ。まだ助手席には誰も乗せたことねえんだけど。」
「そ、うなんだ。」
その時数秒だけ変な沈黙があったことに私も彼も気づいていたと思う。簡単に受け流してしまえば引っかかるようなやり取りではなかったのに奇妙な間が二人の心にしこりを残した。恐らくそれが意図的であると、私たちはお互い即座に理解したのだ。
芹澤くんは助手席に乗ってほしいと言わなかった。そして私も助手席に乗せてほしいと言わなかった。そこまで踏み込む勇気が、きっとまだどちらにもなかったから。それを私は寂しいと感じたが所在なさげに目を伏せた彼に我が儘をぶつけることは躊躇われた。
「……あ、車以外にも面白いもん見つけた。」
「何?」
取り繕うように話を変えた芹澤くんに迷わず私も便乗する。彼が気まずい空気を打破するために見せてくれたのはどことなく今の面影が残る黒髪の少年で、私は思わず吹き出した。
「ふふ、これ芹澤くん?」
「そ、ピュアな頃の俺。」
スマホの画面に映し出されていたのはまだ眼鏡に色のついていない芹澤くん。ベースの顔はそのままなのに滲み出る真面目さが隣の彼とは正反対で、よくここまで化けたものだと感心してしまう。一体何があった芹澤少年。
「え、可愛い。良い写真だねこれ。」
「そっか?今の芹澤くんの方が良くにゃい?」
「うーんどちらにもそれ相応の魅力があります。」
「公正な評価。」
肩を震わせながらその写真に釘づけになっていると彼はほんのり頬を染めた。どうやら昔の自分を褒められるのが照れ臭いらしい。こういう純粋な部分はきっと変わっていないのだろう。バイトの話をしている時の彼より、私はこっちの方がずっと好きだ。
「この写真欲しいかも。」
「……にゃんで?」
「や、ちょっと気に入っちゃった。元気出るよ若かりし頃の芹澤くん。」
「今でも充分若ぇから。」
和やかな雰囲気に甘えて突拍子もないお願いをしてみれば、困った顔をしながらも「ええ~、ちょい待ち」と快い返事をくれる。そうして彼はアプリを立ち上げ一通り連絡先を眺めたあと、はたと気づいたように私を見た。
「俺らライン交換してなくね?」
「あれ、そうだっけ。」
もうすっかり教えているつもりでいたから私も驚く。そういえば確かにこの授業以外で彼と話す機会はなかったかもしれない。すぐにQRコードを読み取ってもらい、今さら彼といつでも連絡を取り合える権利を手に入れる。
「送ったわ。」
「ありがとう。ふふ、これ待ち受けにしようかな。」
「それはちょっと複雑な気持ちですが。」
冗談を言いながら彼にもらった写真を保存する。私のスマホの中に芹澤くんがいるというだけで、何だか少し特別だった。
始業のチャイムが鳴って先週と同じようにノートを開く。隣に座る彼の前髪がさらりと揺れるのに見惚れては、赤いスポーツカーの助手席について考えていた。