大学三年生
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次の週、教室に入るとすでに芹澤くんの姿があった。「同じ轍は踏まない主義」だと自慢げに今回の講義に使用するレジュメを見せてくれ、私も笑いながら隣に座る。
「あのさあ。」
「ん?」
「友達とかできた?」
「うん?」
鞄からノートと筆箱を取り出していると唐突な質問が繰り出され虚を突かれた。対面授業が始まって一週間。それなりに話せるようになった人はいてもまだお互い探り探りといった感じで、正直芹澤くんほど砕けた調子で距離を詰めてきてくれる友達はいないかもしれない。じっとこちらを窺うような瞳にどう返そうか迷ったが、結局素直に首を横に振っておいた。
「正直そんなにできてないかな。同じゼミの子たちとは連絡先交換したけど。」
「だよな、俺も。でも一人だけ面白そうな奴がいてさ。」
「面白そう?」
意味深な表現に思わず聞き返すと彼は満足そうに口角を上げた。眼鏡の下の目は輝いているようにも見え、その人を気に入っているらしいということがひしひしと伝わってくる。
「そ、宗像草太って言うんだけど。」
「ああ、宗像くん。」
芹澤くんから零れた名前に成る程と納得する。今日のおやつと称してグミを手渡せば彼はそれを口に含みながら首を傾げた。
「知ってんの?」
「うん、彼有名人だよ。うちの学科の女の子たちも格好良いって騒いでる。」
三日前私も図書館でその姿を見かけ息を呑んだ。これが噂の、って一瞬で女子の黄色い声と結びついてしまう程に整った造形は例え恋でなくともこちらの心を奪っていく。それだけ宗像草太は浮世離れしていて、美しくて、異質だった。
「あいつ面が良すぎんだよなあ……。」
私の返答に芹澤くんが唇を尖らせる。明後日の方向を見つめている彼も宗像くんの美貌は認めているようで、眉間に皺を寄せながら「くそ」と悔しさを滲ませていた。
「てか俺は?」
「ん?」
「俺はその女の子たちに騒がれてなかった?」
「うーん特には。」
「にゃーんでよ。」
宗像くんとの差に打ちひしがれているのか思い切り机に項垂れる芹澤くん。正直そのビジュアルだと大概の女の子は敬遠するのではと思ったが、追い討ちをかける必要もないので黙っておいた。
講義が始まり彼も真剣な表情でレジュメと黒板を交互に見つめる。その横顔が宗像くんよりも好ましいと感じたのは永遠に私の胸だけに秘められた本音だ。
教授に指示された箇所をマーカーでなぞり今日の彼の言動を繰り返す。会話の間に挟んでくる猫語は癖なのだろうか。また一つ芹澤くんのことを知れた気がして、恥ずかしくも無意識に頬が緩んだ。
「このあと家帰んの?」
「ううん、今日はバイト。」
「え、何やってるか聞いて良い?」
「神保町で古書店の店番。」
「にゃにそのときめくバイト……。」
あっという間に九十分が過ぎ二人で帰り支度を整える。父の行きつけの店のご主人が腰を痛め、人手を欲しがっていたところ私に話が来たのだと説明すると彼は「小説みてえ」といたく感動した様子で息を吐いた。
「本の搬入とか整理とか、仕事自体は結構力もいるし大変だけどね。」
「あー、まあそうか。ただ古本読み放題ってわけにはいかねえのな。」
「さすがにそれでお給料はもらえないよ。」
軽快なやり取りに笑みを零しながら教室の扉を開ける。すると廊下には先程まで話題に上がっていた人物の姿があり、私は思わず足を止めた。
「お、どったの……って草太じゃん。」
「芹澤、お前俺の課題持って行っただろう。」
「あ?」
「まぁじ?」と自分の鞄を漁り始める芹澤くんと一緒に廊下の端に移動する。視界に映る宗像くんは近くに寄ると想像以上に大きくて、そして遠くで見るよりずっと綺麗だった。
肩に掛かる黒い髪は艶やかで目元の黒子が色っぽい。女の子たちが騒ぎたくなる気持ちもわかるかもと納得しかけていると視線が交わり仏のように微笑まれる。
「初めまして。君が芹澤の言ってたみょうじさんだ。」
「え、あ、初めましてみょうじなまえです……。」
「宗像草太です。芹澤がお世話になってます。」
「それはあの、こちらこそ。」
まさか宗像くんの方から話しかけてくれるとは。予想外の気安さに驚きを隠せない。そうか、彼はこんな風に学友と言葉を交わす人だったのか。芹澤くんが普段から私を話題にしてくれていた事実も気になったが宗像くんに対する衝撃には敵わない。しかしやはりというか何というか。これ程までの距離感になって尚、未だ彼は一人きりでそこに存在しているかのように思えた。
「余計なこと言うんじゃねえよお前は。ほらこれ課題な。」
「ああ、次は間違えないでくれ。」
「へぇへぇ、悪かったよ。」
漸く課題を探し出した芹澤くんが私たちの間に割って入る。冗談で軽口を叩き合っている二人は出会って間もないというのに唯一無二の親友のようで、何となく自分がこの場にいてはいけない気がした。
「それじゃあ私バイトあるから行くね。」
「はーいまた来週。」
「ん、宗像くんもまた。」
「ああ、今日は話せて良かった。」
先週同様ひらりと手を振り駅へと向かう。私に応える芹澤くんは宗像くんの肩に腕を乗せて凭れ掛かっており、それこそ猫のように懐いているのが窺えた。
もしかすると宗像くんは芹澤くんの心の支えなのかもしれない。いや、それとも。
あれ程までに自己の世界を確立している彼が芹澤くんに縋っているように見えたのは何故だろう。建物の出口で後ろを振りかえると二人の姿はどこにもなくて、ただ寂しさの残り香だけが私の前に漂っていた。