大学四年生
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「ここに停めてくしかねえみたいだな。」
「うん、歩こう。」
何とか車を自力で修理し目的地に辿り着いた頃、辺りはすでに真っ暗だった。鈴芽ちゃんの実家は舗装された道路よりも少し先にあるらしい。周囲にパーキングも見当たらないため一先ず路肩に駐車し、私たちは草の生い茂る土地を踏みしめながら旅の終わりまで歩いた。時刻は早くも二十時を回ろうとしている。彼女はもう、宗像くんに会えただろうか。
「……あ、環さん!」
足元に気をつけながら進んでいくと、途方に暮れて座り込んでいる彼女が見えた。名前を呼び大きく手を振ると、それに反応した環さんが急いでこちらまで駆け寄ってくる。
「あれ、鈴芽ちゃんは?」
「す、鈴芽がこんドアん中入っていったっちゃが……!」
「え?」
「夕方くらいに入っていったっきり戻ってこんで、どうしよう……っ。」
「ちょちょ、落ち着いてくださいって、ね?」
縋りつくように私の肩を掴み顔を歪ませる環さん。今にも泣き出しそうな彼女を朋也が宥め、とりあえず状況を説明してもらうことにした。
「ドアって……このドアですか?」
「そう、こんドア。」
「え、いやでもこれ……中つっても何もないじゃないすか。」
三人で瓦礫に立てかけられた木製のドアの前に立つも特段変わった様子はない。開かれた扉の向こうはこちら側と同じ景色が広がっており、ただ風が通り抜けていくだけだった。
「そうなんやけんど……あん猫たちと一緒にこん中入っていって消えたとよ。」
「あの子たちも一緒ですか……。」
消えた、というのは恐らく比喩ではないのだろう。信じ難い話だが鈴芽ちゃんは自ら飛び込んでいって文字通りこのドアの中に消えたのだ。恐らく私たちには決して行くことのできないどこか遠い場所へ、宗像くんを取り戻すために。
「あの猫たちって、結局何なんすか?」
「ようわからんけど鈴芽は神様やらって言いよったちゃ。」
「神様!?」
「スケールが凄いですね……。」
朋也の素朴な疑問にとんでもない回答が返ってきて二人で目を丸くする。成る程、神様か。確かに妙な神々しさがあった。言葉を話せるのもそういう理由ならば納得できる。勝手に腑に落ちているとすぐ傍にいる環さんの瞳が潤んだ。わかりやすく狼狽えている彼女が落ち着きなくドアの前を右往左往する。
「あん子こんまま帰ってこんかったらどうしよう……!」
震える声で頭を抱えた環さんの背中に、私はそっと手を添えた。
「大丈夫ですよ。」
「え……。」
「大丈夫です、きっと。鈴芽ちゃんなら。それに多分、向こうには宗像くんもいる筈ですから。」
力強く頷いて見せると「確かに、草太がいんなら安心かもな」と言って朋也が笑った。私たち二人の無責任な信頼と確信が彼女にも伝わったのか、強張っていた体から少しだけ力が抜ける。
「ゆっくり待ってましょう。鈴芽ちゃんと宗像くんのことでも話しながら。」
彼女の手を引き擦り切れた扉の前から移動する。冷静さを取り戻した環さんが涙ぐみながら案内してくれたのは、枠組みだけがかろうじて残っている更地になった民家だった。
「ここが鈴芽ん家。」
「ここが……。」
「……何もないすね。」
朋也と二人で絶句する。鈴芽ちゃんの実家だと紹介された場所は辺り一帯全てが緑で覆い尽くされていて、ここに住宅地があっただなんて想像もつかなかった。テレビを通してでしか見たことのなかった現実が、今目の前にある。あの日を経験した彼女がその小さな肩にとてつもなく多くのものを乗せているだろうことを、改めて実感させられた。
「そう、何もない。あん時全部流されてしもうた。」
「……今起きてることってやっぱり、地震とか……そういう自然災害に関係してるんでしょうか。」
旅の果てがここであったことには必ず意味があると思った。ここでなければならない何かが、絶対にあるはずなのだ。その何かを、烏滸がましくも私は知りたかった。
「草太の家業もそれ関連ってことか?」
「わかんないけど……でも鈴芽ちゃんと会ってからずっと、どこに行っても揺れてるなと思って。」
宗像くんが真剣に見ていた古文書も、地震速報が流れる度に自分事のように表情を固くする鈴芽ちゃんも。全てがここに繋がっている気がした。彼は、彼女は、一体何を為そうとしているのだろう。
「……私には何もわからん。でもあん子、好きな人んとこ行く言うて笑っちょった。子供ん我が儘やらじゃなくあん子にとって大事な、正しいことをしよると思う。」
環さんは枠組みに腰かけつま先へと視線を落とした。隣に置いてあった鈴芽ちゃんの幼い頃の絵日記を見ると三月十一日がクレヨンで黒く塗りつぶされており、あの日彼女が見た光景がどれほど凄惨なものだったかを考えるだけで胸が詰まった。
「好きな人、か。」
朋也が草の上に体を下ろし私も環さんの隣へと座る。ぽつりと零れた彼の言葉に環さんが反応し、「草太くんってどんげ人?」とこれまた答えづらい質問を投げかけた。
「あー、掴みどころがない奴すかね。」
「謎が多いというか……凄く綺麗で寂しそうに笑う人、ですね。」
「何よそん怪しげな男。」
「あ、あはは。」
言われてみればこの説明だけだとかなり怪しいかもしれない。表現が抽象的過ぎたのを反省し、何とか少しでも宗像くんの好感度を上げようと思考を巡らせる。
「いや、勿論すごく誠実で真面目で賢くて優しいんですけど。浮世離れしてるというか彼本人に現実味がないというか。上手く言えないですけど……不思議な人です。」
「秘密主義なんだよあいつは。」
「秘密主義ねぇ……。」
訝し気な視線はまだそのままで、若干宗像くんに申し訳なさが込み上げる。しかしその特徴を捉えきれないのは普段の彼の奔放さに原因がある故、仕方がないと諦めてもらおう。
「家業だって言ってたまにふらっとひと月くらいいなくなるんです。連絡も取れなくなるから心配で……。」
「家業?」
「私たちもそれがどういうものかは知らないんですけど……多分、鈴芽ちゃんもその家業に関わっちゃったのかなあと。」
「巻き込まれたの間違いだろ。」
「結局怪しい男ん変わりないがね。」
的確過ぎる指摘を頂き私も朋也も渇いた笑みを浮かべるしかない。他にすることがないからか車に乗っていた時よりも随分打ち解けて彼女と話ができており、互いの気安さに少しだけ心が和らいだ。
「なまえさんはまじでここで良いの?」
「うん。」
「芹澤くんはともかく、なまえちゃんだけでん車ん中で休んだら?」
「ともかくって何すか。」
「いえ、私もここで二人の帰りを待ちます。」
すっかり夜も更け、顔を上げれば星空が一面に広がっていた。鈴芽ちゃんたちがいつ帰ってくるかわからないということで一晩野宿する覚悟を決めたところなのだが、ありがたいことに二人が車内で寝なくて良いのかと何度も念押ししてくれる。ただ私はこれで結構頑固者なので、簡単に自分の気持ちを曲げることはない。私も一緒に彼女たちを待って、疲れて帰ってくるであろう二人におかえりを言いたいのだ。
「んじゃせめてこれ羽織っててくださいよ。」
「ありがとう。環さんはこれを。」
「え、拾うてくれちょったん?」
「勿論です。」
一度車に戻って取ってきた上着を朋也に渡され、私も環さんの肩にカーディガンを掛ける。一人完全に半袖の彼が風邪を引かないだろうかと心配になり交替で着用することを提案したが、「丈夫さを売りにしてるんで」と即断られてしまった。渋々ジャケットに袖を通して環さんに寄り添うと、朋也が満足そうに目尻を下げる。
「環さんもお疲れでしょうから少しでも寝てください。」
「なまえちゃんもね。芹澤くんなんかずっと運転してきちょるんやからしっかり休みんさい。」
「どーも、ありがたくそうさせてもらいます。」
それから三人でおやすみを言い合い私たちは目を閉じた。風よけもない更地で、座っているのは固いコンクリート。質の良い睡眠が取れる筈もなかったが今はここを離れたくなかった。恐らく三人とも考えていることは同じ。二人が無事に戻りますように。
星空の元で切なる祈りを捧げながら、遠くから聞こえる虫の音に耳を澄ました。