大学四年生
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御茶ノ水駅前の車寄せに赤いスポーツカーを停め、私たちは通行人を検分するように眺めていた。通勤ラッシュのピーク時間を迎えた改札にはひっきりなしに人が出入りしている。この中から彼女を探し出そうというのは少々無謀な気もしたが、かといって他の方法も思いつかなかった。
「え、」
「ん、どしたの。」
「いや、猫が……。」
「猫?」
朋也の視線を辿り後部座席を振り返ってみるもそれらしい動物の姿は見当たらない。「見間違いかも」と彼が首を振り二人揃って顔を上げたところで、今度はバックミラーに探していた少女が映り思わず息を吞んだ。
昨日とは違って制服姿の彼女が、真っ直ぐ前を見て強い足取りで歩いてくる。その表情と歩幅が私たちに確信をもたらした。この子は間違いなく、宗像くんのいる場所に向かうつもりなのだ。
「「鈴芽ちゃん!」」
私と朋也の声が重なり彼女の長いポニーテールが揺れる。何か大事な物を抱えているかのような、大きすぎる責務を背負っているかのような。宗像くんによく似た目を持つその少女が立ち止まり、睨みつけるようにして私たちを捉えた。
「あ、みょうじさんと……芹澤、さん。」
初めて会った時とは少し雰囲気の違う彼女がこちらを窺う。朋也の名前を言い淀んだのは昨日の八つ当たりで苦手意識を持たれたせいだろう。警戒されないよう「おはよう」と努めて穏やかに挨拶すると鈴芽ちゃんは「おはよう……ございます」と視線を逸らした。
「どこ行くんだよ。草太のところか?」
「それ、宗像くんのワークブーツだよね。もしかして居場所知ってたりする?」
逸る気持ちが抑えられない。私たちが立て続けに質問を投げつけると鈴芽ちゃんは暗い表情で目を伏せ、「扉を探しに行く」とだけ呟いた。
「え?」
「ごめんなさい、急いでるから。」
「あ、待って!」
「おい、あんたのことどんだけ探したか……!」
私たちを無視してそのまま歩を進めようとする彼女を慌てて朋也が捕まえる。車内から身を乗り出ししっかりと鈴芽ちゃんの腕を掴んだ彼は、いつになく真剣な瞳で詰め寄った。
「っ何?」
「いとこだってのは嘘だよな?」
「関係ないでしょ。」
「乗れよ。」
「は!?」
ヒートアップする二人をはらはらしながら見守っていたがどうやら私の出る幕はないらしい。彼の申し出を聞き喧嘩するつもりはないのだと即座に理解した。怪訝そうな顔の鈴芽ちゃんには一先ず心の中で謝罪することにし、仲裁に入るのを取りやめる。
「草太んとこ行くんだろ。どこにせよ俺が連れてくよ。」
「何であなたが……!」
「友達の心配しちゃ悪ぃのかよ!」
頑なな鈴芽ちゃんを大人しくさせたのは彼の熱い一言だった。彼女が乱暴に振り払った朋也の手が宙に浮き、悔しさを滲ませるようにぎゅっと拳が握られる。自分より一回り以上も大きな背中を上下にゆっくりとさすりながら、ぽかんと口を開けた彼女に私は笑いかけた。
「鈴芽ちゃん。私たちも宗像くんが大切だからここにいるんだよ。」
「……っ。」
泣きそうに唇を嚙んだ鈴芽ちゃんの頭を撫でようと腕を伸ばす。しかしその触れ合いは叶うことなく、彼女を呼ぶもう一人の声にかき消された。
「ああ!いた!鈴芽!」
「へ!?環さん!?」
「ああ、良かったぁ!あんたんこつどんげ探したか!」
いきなり見知らぬ綺麗な女性が駅の方から走ってきて勢いよく鈴芽ちゃんに抱き着いた。突然の新キャラ登場に私も朋也も立ち尽くすことしかできず、恐らく感動の再会であろう場面をただ茫然と見つめている。
「あんた!これ以上こん子に近づかんで!警察呼ぶよ!」
「え?誰?」
こちらの会話に割り込んで鈴芽ちゃんの肩をさすっていたその人が朋也の方をきっと睨んだ。あまりの急展開についていけていない私たちは頭にはてなを浮かべるだけで精一杯。彼女の憤怒の形相から相当な誤解が生じているのだけは察せられ、美人の迫力に気圧されながらも必死で弁解の言葉を探した。
「こん男が家に来ちょった奴!?あんた騙されちょっとよ!」
「ええ!?」
「あの~、ちょっと落ち着きましょうか。」
「はぁ!?こん子の他にも女がおるとね!?東京ん男が田舎ん高校生たぶらかしてどげなつもり!?」
「だ、だから違う……。」
明らかに悪化している状況を何とかせねばと彼の背中から顔を出したが正直火に油だった。朋也を二股野郎だと勘違いした女性は威嚇するかの如くこちらに牙を剥いてくる。どうしたものかと頭を悩ませているとその人は「帰るよ!」と強引に鈴芽ちゃんの手を引き、そして彼女はそれをいとも簡単に振り払った。
「ごめん環さん!帰れない!」
「ちょっと鈴芽!?」
鈴芽ちゃんは名前を呼ぶ声も聞かず助手席へと乗り込んだ。ドアを開けずに上から入ってきたためバランスを崩しそうになっているのを何とか両手で支える。
「芹澤さん出して!」
「あ、ああ、おう……。」
言われるがままエンジンを掛けようとする朋也と流れで後部座席に座った私。鈴芽ちゃんの強行に眉間を押さえた女性が次の瞬間には彼女の後を追い助手席へと無理矢理乗車してきて、現場は混沌を極めていた。お願いだから二人とも落ち着いてほしい。
「鈴芽!一人じゃ行かせんばいね!」
「ちょ、環さん降りて!」
「な、何なんだよあんたたち。車はドアから乗れよぉ!」
取っ組み合いの喧嘩をしている彼女たちに挟まれ朋也は頭を抱えるしかない。何とかどちらかを押さえられないかと私も後ろから様子を窺ってはいたが、女同士の争いに部外者が手出しできる筈もなかった。騒ぎを見ている人たちが眉をひそめながら何かを囁き通り過ぎていく。四角関係の修羅場だと思われているのが手に取るようにわかって変な汗が滲んだ。
「もう、うるさい!」
ほとんど半泣きになっていたその時、凛とした声がその場に響き事態は収束を迎えた。それは子供の声だった。先程まで確かに何もなかったはずのその場所に、どういうわけか白猫がちょこんと座っていた。静まり返った車内で誰もが息をするのも忘れただ一点を凝視する。
「「猫が喋った!?」」
「え!?喋るわけないじゃん!」
「え、いや喋ってたと思うけど……。」
朋也と女性の驚きが重なるも鈴芽ちゃんが間髪入れずに否定する。ただ私は後部座席に座っていたこともあり至近距離ではっきりとその声を聞いたのである。あどけなくもどこか神々しい、隣に佇むこの子の声を。あり得ない現象であることは間違いなかったが、自分の耳を疑うというのもまた無理な話だった。
「そ、そんな!まさか!ねえ?」
「「そ、そうやっちゃねえ/そ、そうだよね……。」」
鈴芽ちゃんの必死の訴えに二人も何とか納得する。「猫は喋らないもんね……」と自分に言い聞かすように繰り返した彼らにこれ以上の議論は平行線だと判断し、私は仕方なく口を噤んだ。きっと、この子にも何かここにいる理由があるのだろう。その理由を、この子が何者なのかを、私たちが知るべき時は今じゃないのだろう。やれやれと肩を竦めて背凭れに体を預ける。すると白猫は遠慮なく私の膝の上に乗り欠伸を一つ噛み殺した。
「そんなことより!」
話題の方向転換を図ったのは鈴芽ちゃんで、彼女は本来の目的を思い出したかのように車に搭載されたカーナビを操作し始めた。手際良く文字を入力したあと目的地を表示し、「芹澤さん、だったらここまで行ってください」と命令にも似た口調で無茶な難題を突きつける。
「え?え、遠!」
「あ、あんた、ここって……。」
それに目を丸くした二人だったがどうやら驚愕の意味合いは違っているらしかった。朋也はその距離の長さから、そして助手席の女性は恐らく鈴芽ちゃんが選んだ土地の名前から。
東北、宮城。私たちが目指すべき場所は想像よりはるか遠くにあった。
「どこへでも連れていくって、言いましたよね。」
後部座席へと移動してきた鈴芽ちゃんは迷わず私の隣に腰かけしっかりとシートベルトを締めた。
「お願い、行かなきゃいけないんです。」
あまりに強く、真っ直ぐな瞳。彼女の表情を見て、この子を止める術はないのだとみんなが悟った。
「……鈴芽ちゃん、ここに行けば宗像くんに会えるんだね?」
「!……はい。」
「ここに行かなかったらもう、宗像くんは戻ってこないんだね?」
「はい。」
一つずつ確認すると彼女は深く頷いた。そうか、ならば行かない理由はない。私も彼女に倣ってシートベルトを正しく装着し、長時間のドライブに覚悟を決めた。
「……わかった、なら行こうぜ。」
サイドブレーキを下ろした朋也が合流のためにハンドルを切る。反論をしなくなった助手席の女性も鈴芽ちゃんの必死さに根負けしたようだった。
そうして四人と一匹を乗せた車が走り出す。「こりゃ今日中には帰れねえな」という彼のぼやきが、果ての見えない旅路のスタートを切る合図となった。