大学四年生
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一時間800円のコインパーキングに車を停め、私たちは宗像くんの部屋を目指した。一階にコンビニが入った小さなビルの、三回の角部屋。私も朋也に呼ばれて何度かお邪魔したことがある。綺麗に片づけられたその空間は宗像くん本人をよく表しており、隙間なく棚に並べられた本たちが彼の丁寧な暮らしぶりを想像させた。
「まーさか本当に来てくれるとは。」
「え、そりゃ来るよ。私が行きたいって言ったんだし。」
「卒論は?」
「一日くらい平気。」
駐車場から彼の部屋まで歩いていると朋也が卒業論文の心配をしてくれた。無事必要単位も資格も取得し、教授の紹介で春から学芸員として博物館に就職の決まっている私は今のところやるべきことが卒論ぐらいしかない。それも毎日計画的にこつこつと進めているため、あまり焦る必要はないのだ。友人である宗像くんの失踪の方が余程私にとっては優先事項だった。
「……あれ、窓開いてる。」
「まじかよ。」
目的地へと到着し下から三階を見上げると白いカーテンが揺らめいていた。誰かいる。私たちは無言で顔を見合わせたあと一つずつ階段を上っていった。宗像くんの心に、踏み込むつもりで。
「草太いんのか。おい、いるんだろ。窓が開いてるぞ。」
いつもの口調で中へと呼びかけ、どんどんとうるさいくらいに扉を叩く。しかし一度の挑戦だけでは返事をしてくれる声はなく、朋也はさらに語気を強めた。
「おい、草太。開けて良い?開けるぞ?開けっからな?」
半ば強行突破。鍵が閉まっていなかったのを良いことに家主の了承もないまま遠慮なくドアノブを回す。薄い扉が開かれるのを彼の後ろで見守っていれば、次の瞬間朋也は「えっ」と戸惑いを漏らした。
「こんにちは……。」
どういうわけか、そこにいたのは宗像くんではなかった。高校生くらいの可愛らしい少女。これまで宗像くんに紹介されたこともなければ写真を見せられたこともない。全く知らない初めましての少女が、引き攣った笑顔を浮かべて玄関に立っていた。
「え……あんた、誰。」
「言い方言い方。」
「あ、妹です。」
「あいつに妹いたっけ。」
「っああ、妹同然の間柄の、いとこです。」
「はあ!?」
「ま、まあまあ両者落ち着いて。」
一先ず二人の間に入り呼吸を整えさせる。あまりに宗像くんから縁遠そうな人物の登場に朋也はかなり動揺していた。かくいう私もこの展開は予想しておらずさすがに面食らってはいる。しかしどこか切羽詰まった表情の彼女が宗像くんに繋がる鍵であるだろうことは間違いなかった。親戚の子がただ彼の家に遊びに来ているという呑気なシチュエーションとは不釣り合いな真剣さが、その目の奥には宿っていたのだ。
「あの!芹澤さん、と……。」
「あ、みょうじです。」
「みょうじさん」と繰り返した少女に、朋也は一瞬口を閉じたあと肩の力を抜いた。宗像くんが自分のことを他の誰かに話していたという事実が、存外嬉しかったのかもしれない。その少女を敵ではないと認識した彼は冷静さを取り戻し、そうして私たちは揃って宗像くんの部屋へと入った。
「え、教員採用試験!?」
一通り自己紹介を済ませ私たちがここに来た理由を話すと彼女、岩戸鈴芽ちゃんは大きな目をさらに大きくさせた。
「ああ、昨日が二次試験だったのにあいつ会場に来ねえの。あり得ねえよ。」
「き、昨日が試験日……え!?」
鈴芽ちゃんはどうやらその事実を初めて聞いたらしくあからさまに困惑している。整然と本が並べられている棚の前に立つ不機嫌そうな朋也を宥めつつ、なるべく威圧感を緩和させられるよう柔らかな笑顔を作り私は彼女に向き合った。
「そう、それで宗像くんどうしちゃったのかなって心配になってここに来たんだけど。」
「馬鹿すぎるぜあいつ。四年間の努力がパアじゃねえか。気になって俺まで試験の調子が狂っちまった。」
「こら、八つ当たりしない。」
責任転嫁への注意は諦め朋也のほっぺを軽くつまむ。縮こまってしまっている彼女に「ごめんね」と眉を下げると鈴芽ちゃんは首を振りながら「いえ」と小さく答えた。朋也は気怠そうに顔を顰めると、本棚に背を向け戸惑った様子の彼女に視線を落とした。
「君さあ、鈴芽ちゃんだっけ。」
「え、」
「草太に連絡ついたらさあ、むかつくから二度と顔見せんなつっといて。」
「えっ。」
「あ、でも二万。二万円貸してるなぁ。そっちは早く返せって。」
「え!?」
事情を知っている人間の前で堂々と嘘をつく朋也。思わず吹き出しそうになったが場違いすぎるためすんでのところで呑み込んだ。宗像くんを繋ぎ止めるための二万円。無理矢理彼から借りたお金が、まさかこんな形で役に立つとは。
「何か家業が大変だとかってのは聞いてたけどさぁ。あいつは自分の扱いが雑なんだよ、腹が立つ。」
以前宗像くんに言われた台詞をそっくりそのまま吐き捨てた朋也が再び玄関に戻り靴を履く。困った様子の鈴芽ちゃんがそれでもお見送りのために駆け寄ってきたので、私はこっそり耳打ちした。
「大丈夫、私たち宗像くんのこと諦めたくなくてここに来たから。」
「え、あ……。」
にっこり笑って見せると彼女はほっと胸を撫で下ろした。多分この子は宗像くんのことが好きなんだろう。自覚があるかどうかはわからないが、彼を思ってはにかむ鈴芽ちゃんは恋する女の子の顔をしていた。
「なまえちゃん。」
玄関の扉を開けた朋也に名前を呼ばれ私も続いて靴を履く。「それじゃあ」と部屋の中を振り返り彼女に手を振ったその時、けたたましいアラームが鳴った。
「!」
不安を煽る音に反応して朋也も私もスマホを取り出す。緊急速報と書かれた画面に思わず彼の手を握り、それから一人家の中に残った少女に視線を向けた。
「揺れるかな……え、おいちょっと!」
「鈴芽ちゃん?」
二人で来る揺れに身構えていると彼女が部屋を飛び出した。鈴芽ちゃんはその勢いのままベランダへとしがみつき、遠くの方にじっと目を凝らしている。
「……あ、止まった。」
「大丈夫?」
アラームが消え彼女の背に問いかけるも鈴芽ちゃんはただ一言「近い」と言うだけだった。彼女の額に滲む汗の量は尋常ではなく、血色の良かった肌もみるみる青白くなっていく。鈴芽ちゃんの見ている方向に目線を合わせてみるもやはり私には何の変哲もない街にしか感じられず、彼女の動揺の意図はわからなかった。
「うわ、すげー鳥。」
異様なまでの数の鳥が空を覆っていて朋也がそれに眉根を寄せる。お互い落ち着くためもう一度部屋に入ろうと鈴芽ちゃんの肩に手を乗せかけたところで、彼女は傍にあった足の欠けた椅子を掴み階段の方へと駆け出した。
「あ、おい!ちょっとあんた!」
「鈴芽ちゃん!」
呼び止めようと名前を叫ぶも私たちの声は届いていない。緊急地震速報が鳴ってから我が事のように顔つきが変わった彼女に違和感は募る一方だった。まさか宗像くんの家業と何か関係があるのだろうか。
彼女は、彼らは、一体何と戦っているのか。
至極大事そうにその椅子を抱え走り去っていったポニーテールの少女を、私たちはただ茫然と見送るしかなかった。